闇は月に恋焦がれ、月は貴方を愛してる【6】
とんとんとん・・・
階段を軽やかに上ってくる足音。
青子のそれよりも力強く、父親のそれよりもリズミカルな音。
青子はやってきた人物を知り身を固くする。
会うのが怖い・・・
思わず布団の中に潜り込んでぎゅっと瞳を閉じた。
まるで子供が怖いモノから身を隠すように・・・
「青子?入るぞ?」
ノックも無しに扉を開けるとカーテンの開けられた部屋には主の姿が見当たらなかった。
迷わずベッドに近付いて軽く布団の塊を叩く。
「青子?具合どうだ?良くなってんのか?」
普段よりも優しい声に青子は少し緊張を解く。
変わらない快斗の態度が嬉しいのと同時に確認せずにいられなくなってしまう。
でもそれ以上に恐くて・・・
既に嫌われていてもおかしくない程青子のキッドに対する態度は酷かった。
何度も口から零れ出た悪口。
快斗が聞いて愉快な気分になる筈も無く、面と向かって反論できない分心の奥底で溜まっていくだろう不満。
それを明らかにするのが恐かった。
快斗は優しいから。
女の人には本当に優しいから。
青子の事を嫌っていてもあからさまな態度に出す事も無いだろうから。
尚更不安は胸を圧迫する。
上手く息が出来ない。
「青子?・・・顔、見せてくれよ?」
ほんのりと切ない声音で、まるで懇願するように快斗が言う。
恐い。
「青子・・・お願いだからさ。」
恐い。恐いの。
「・・・具合。未だ凄く悪いのか?」
心配そうに、まるで壊れ物のように扱ってくれる快斗。
だから、恐い・・・
布団から出て来ない青子に快斗は眉を寄せる。
一人で泣いている事くらい長い付き合いの快斗には空気で分かってしまう。
今日磯貝華成は学校を休んでいた。
青子と同じ様に。
だから何があったのか詳しくは分からない。
でも、青子にとって辛いことがあったのは間違いなくて。
悲しみを癒してやりたいと思うのは、惚れた女の事なら当然で。
もう一度、優しく扉をノックするように声を掛けた。
「青子・・?」
優しい声音。
独り占めにしたくなるような、そんな我侭を言いたくなるような優しい声。
「青子・・!一人で泣くなよっっっ!」
耐えきれなくなって、一人でこれ以上泣かせたくなくて、快斗はもどかしげに青子が包まっていた布団を剥ぎ取った。
顔が見たかった。
顔さえ見れれば青子の心が分かると思ったから。
「やぁっっ!!!」
快斗の視線から隠すように咄嗟に伏せられる顔を間一髪で掬い上げて瞳を合わせた。
「あ・・・おこ?」
言葉がつかえて出てこない。
泣きすぎて赤い瞳。
具合の悪そうな蒼白な顔。
震えを堪えるように真一文字に結ばれた唇。
それは既に快斗の知っている青子ではなくて。
昨日までの少女特有の純粋さと無邪気さを纏って輝いていた少女ではなくて・・・
青子は快斗の顔を見て、新たに大粒の涙を零しとうとう声を上げて泣き出した。
戸惑いながらも堪えきれなくてそっと胸に抱き寄せて頭を優しく撫でる。
シャツを濡らす熱い涙がツキツキと心臓を痛くして、快斗はそっと眉を寄せた。
「青子・・・?泣いてるばっかじゃ何も分かんねーよ?」
心底困っているような快斗の声が遠くで聞こえる。
青子はずきずきと痛む頭の片隅でこの優しくも残酷な問い掛けに応えを返す事は出来なかった。
自分が秘密を知っている事を告げて快斗が離れて行ってしまう事にはきっと耐えられない。
泣いて縋る醜い自分を容易に想像出来て、また新たに涙が溢れて来た。
暖かな胸から聞こえる命の鼓動が優しく青子の涙腺を揺らす。
快斗のシャツを涙で濡らしながら、ただ一つの願いを青子は口にした。
「嫌わないで・・・」
突然前後に脈絡の無い言葉を口にした青子に快斗が言葉を無くす。
もう『大嫌い』なんて死んでも口にしないから・・・
嫌わないで。
知らなかった私を許して。
振り向いて。
離れて行かないで。
一人で苦しまないで。
そばに居て。
青子の事・・・好きになって・・・・?
伏せていた顔を上げ涙でぐしゃぐしゃの顔を快斗の視線に晒して、青子はもう一度願いを口にした。
「嫌いにならないで・・・お願い・・・」
絞り出すような声が悲痛さを増してその余りの真摯さに快斗は心を揺さ振られた。
何をそんなに悲しんでいるのか?
口にした途端壊れてしまうのではないかという危惧を抱かせる程に青子は危うくて、快斗は何も出来なくなってしまった。
言葉を失ってしまった理由はそれだけではない。
青子は・・・・
涙を流して快斗を見上げる青子は、今までに見た何よりも美しかった。
脆いガラスが光を反射して七色に輝くような、そんな危うい美しさ。
無邪気に笑って、時に馬鹿な事をやって、小犬のようにじゃれあって居た、あの青子はもう居なくなってしまった。
眼前に居るのは少女の殻を脱ぎ捨てて、可憐な乙女へと変わってしまった幼馴染。
これからその寵を争って何人の男が青子の前に立つのだろう?
その眼差しを一人占めせんとして、どのような策略が青子に張り巡らされるのだろう?
容易にそんな未来を想像させる、そんな乙女になってしまった。
急にその肩を抱いているのがとても大きな意味を持つような気がして、快斗は手に力を込めた。
ドクンっと心臓が大きな音を立てる。
明らかに今までとは内包する意味が違う言霊をそっと耳近くで囁いた。
「嫌いになる訳ないだろ・・・?」
嫌いになるなんてとんでもない。
どんどん好きになっている。
理性が追いつかない加速度的なスピードで心は青子を追い求める。
何を怖がっているのか。
分からないまま、それでも繰り返し青子が呟く言葉に一つずつ思いを込めて応える。
日が傾くまでずっと・・・
† FIN †
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