闇は月に恋焦がれ、月は貴方を愛してる【5】





翌日。

青子は学校を休んだ。



窓の外には穏かな日差しが溢れている。

華成からは携帯にメールが入っていた。



一言「ごめんね」と。



彼女がどうするか青子には想像もつかなかった。

あの大学生の恋人とやり直すのだろうか?

それともすっぱりと別れてしまうのだろうか?

やけに大人びた瞳を机の上の写真立てに向ける。

子供みたいに笑い合っている幼馴染と自分が映ってる。



・・・何も知らなかった頃の、自分。

・・・子供だった、自分。

・・・未だ、幼馴染に恋心を抱いているなんて自覚してなかった、自分。





戻れない事を知っているから涙が後から後から零れ出ていった。

頬を伝い、顎先から布団の上に落ちていく雫。

その小さな音がやけに大きく聞こえて、辛い。





恋愛は綺麗事ばかりじゃない。

それは何も『恋愛』に限った事ではなかったのだ。



もう、知ってしまった。



それを受け入れてる自分が居る。



夢ばかり見ていた自分が消し去りたい程憎たらしくなった。

たった一日。

一日しか経ってないのに・・・



平熱より若干高めの熱が意識を緩やかに溶かしていく。







「快斗が、『怪盗キッド』だったなんてね・・・」







唇にのせた愛しい名前が、甘く切ない・・・











羽根布団で世界を隔絶して泣く事しか出来なかったあの時の自分。

ノックはしたものの返事も待たずに躊躇もせずに入ってきた快斗に青子はほんの少しの違和感を感じた。

迷う事無くベッドまで一直線に歩いてくる足音。

声を聞かせる事も姿を見せることもしなかった青子に間違える事無く名前を優しく呼び掛けた快斗。

まるで青子が泣いている事を最初から知っていたかのような、苦しんでいる事を知っているかのような優しい声だった。



だからおかしいと思った。

よく気が付いたものだと自分でも思う。

普段は本当に嫌になるくらい鈍感なのに、こんな時だけ妙に目敏い自分がおかしかった。



本当に、こんなどうしようもない時だけ・・・







疑問は青子を突き動かして、とうとう、その名前を呼ばせた。

小さな声だったが、快斗にはちゃんと届いたらしく、間髪入れずに返事が返ってきた。

『何故?』の問い掛けに答えをくれたけど、普段の彼らしくなくて、思わず確認してみたくなった。

見詰めた瞳は何処までも深い黒い瞳。

青子を視線一つで包み込んでしまう無限の世界を持っていた。

一瞬キッドに感じた既視感の正体が分かって震える指先を快斗の髪の毛に伸ばした。

雨の降る街を駆け抜けて来たというには濡れた空気を露程も纏っていない乾いた黒髪。

藁にもすがる思いで何度も何度も確かめたが雨の気配どころか冷たささえ感じ取る事も出来なかった。

囚われそうな瞳の呪縛から抜け出してゆっくりと快斗が身に纏っていた洋服に目を向ける。

雨の痕跡は何処にも見つけられなかった。



絶対に残る筈のジーンズの裾にさえ・・・







疑問に思う事無く頭の中にすとんと落ちてきた答え。



快斗が『怪盗キッド』だ。



つま先から力が抜け落ちる感覚が青子を襲い、気が付けば快斗の腕の中に倒れこんでいた。

力強く刻まれる鼓動までもが二人が同一人物である事を証明していて、青子は意識を手放した。

それ以上考える事を心が放棄してしまったから。



逃げたのだ。現実から・・・・







そして朝自宅のベッドで気が付いて、少し憔悴した表情の父親に迷惑をかけた事を謝って、眩しいくらいの空を見ながら絶望に目頭を熱くした。

どうしよう・・・

『キッドなんて大嫌いっっ!!!』

何度この台詞を快斗の目の前で吐いてしまったのだろう。

その時快斗はどんな表情をしてたっけ・・・?

思い出されるのは困ったような微妙な表情。

目が戸惑いに揺れていて言い難そうにキッドの弁護をしたりして。

その言葉尻を奪う様に青子は幾つもの辛辣な言葉を投げ付けて・・・

目の前が徐々にぼやけていく。







どうしよう。

どうしよう。

どうしよう。



そんな言葉だけがぐるぐると頭の中を駆け巡って、成す術も無く毛布を握り締める。



好きな人に『大っ嫌い』と言ってしまった。

『好きだ』と告げる前に・・・



嫌われてしまっているのかな?

嫌いだって言ってしまった青子の事なんか・・・



きっと快斗が『怪盗キッド』をやっているのは深い理由があっての事に違いない。

長い間ずっとずっと一緒だったから分かる。

あの快斗が何を抱え込んで、どんな思いで『怪盗キッド』を演じているのか。

欠片さえ気が付かなかった昨日までの自分が憎たらしくて、知らずに快斗に投げつけてしまった言葉を取り戻したくても取り戻せない現実が憎たらしくて・・・



世の中の全てが綺麗なだけじゃない。





――― ようやく実感をもって青子はこの辛い真実を噛み締めた。





嫌わないで。

もう『大っ嫌い』なんて死んでも言わないから。



嫌いにならないで。

快斗が離れていってしまうのに耐えられないの。



怪盗キッドの予告状が出るたびに、青子はもう父親に励ましと労いの言葉を送る事は出来ないだろう。

変わってしまった自分を自覚して溜息にも似た吐息を漏らす。











もし、その場に快斗がいたら、きっと冷静ではいられなかっただろう。

魅了される憂いの表情。

少女の殻を脱ぎ捨てた乙女の憂い・・・

もう、知らなかった頃には戻れない。





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