闇は月に恋焦がれ、月は貴方を愛してる【2】





悪夢かと思った。

その人が目の前に立って、その白い手袋に包まれた指先を伸ばす段階に至ってなお・・・



「こんな冷たい雨に打たれて、何を考えているんですか?」

硬質な声はほんの少しの怒りを含んでいるようで、青子の気持ちを刺激する。

どこからどうやって現れたのか、その片鱗さえ窺わせない白き怪盗はこれまたどこから取り出したのか分からないハンカチをすっと差し出した。

青子は無言のまま挑む様に睨み付けたまま微動だにしない。

怪盗キッドは大袈裟に溜息を吐いて見せると、青子の頬を流れ落ちる雨をそのハンカチでそっと拭った。



青子の瞳が驚きに彩られる。

こんなに人間くさい仕草をするなんて思ってもみなかった・・・

青子の中のイメージの彼は、硬質な石を思わせる無機質で機械的な人間だったから。

だから、他人の物を平気で盗んでいくし、その盗んだものを返したりといった常人には理解できない事をやるのかと思っていたから。



「お嬢さん?こんな雨の中貴方は何をしているんですか?」

静かな問い掛けにはっと青子は自分と彼の関係を思い出す。

こんな穏やかに話し掛けて欲しくない。



・・・心配されていると錯覚してしまいそうで、怖い・・・



「貴方なんかに関係無いでしょ?何考えてるのよっ!今警察呼ぶからね!!」

青子は手に持ったままだった携帯の「1」を指先で押そうとした。

しかし、手の中にあった携帯は幻だったかの様に消え失せ、代わりにキッドの手の中に見なれた携帯が収まっていた。

悔しそうに唇を噛み、青子は一歩後ろに下がる。

たしか、ここをまっすぐ行った所に公衆電話があったはず・・・

「警察に電話を掛けるよりも先に貴方にはする事があるでしょう?」

「何よ!!」

あくまでも喧嘩腰の青子にどういった感情を抱いているのか、そのモノクルに隠された瞳からは何も窺う事は出来なかった。

二人の体に容赦無く雨は降り続け、既に乾いた部分を見つける事は不可能となってしまっていた。

「貴方の体は冷え切っている。すぐに体を温めないと風邪を引きますよ?」

「ほっといて!青子はやる事があるんだから!」

言葉にして、青子は一瞬でも華成の事を忘れていた薄情な自分を思い知った。

こんな所でこんな泥棒と言い合っている場合じゃない。

警察官の父親にここにキッドがいると連絡して上げたかったが、連絡手段は呆気なく奪われてしまっている。

ぐっと拳を握り締めると青子は勢い良く背を向けて走り出した。

逃げるみたいで凄く悔しいけど今は華成を探す事の方が重要だからしょうがないよね?!

自分に言い聞かせるように、まっすぐに前を見詰めて直線を走り抜ける。

しかし数メートルも走らない内に青子は再びキッドに進路を塞がれる事となった。

「な、なんで・・・」

何故こうも執拗に絡んでくるのか?

青子にはキッドの考えている事が皆目見当も付かなかった。

「待って下さい。貴方が目の前の私を見逃してまでしようとしている事は何なんですか?この雨の中傘も差さずに青白い顔をしてまでしていた事は一体何なんですか?」

「関係無いでしょっ!」

思わず声を荒げて怒鳴りつける。

しかし、ポーカーフェイスを崩す事無くキッドは問い掛けを止めなかった。

「言えない用事なら私は力尽くでも貴方を家に帰しますよ。」

「な、何でそんな事するのよ?!」

「気が付いてないんですか?・・・貴方熱がありますよ。」

「え・・・」

ゆっくりと額に手を当ててみる。

指先が冷え切っていて良く分からない。

考えてみれば華成を探し始めてもう1時間も経っている。

確かに熱が出てもおかしくない程雨に打たれてはいるけど・・・



なんでキッドにそんな事が分かったの・・・?



青子は不思議なものでも見るようにキッドを見た。

シルクハットに雨の雫が砕けて微かな音を立てている。



パラパラ、パラパラ・・・



雨のカーテンに遮られてその姿をはっきりと見る事は出来なかったがキッドは静かに青子の答えを待っているようだった。

「・・・人、探してるの。」

気が付いたら口が勝手に言うつもりの無かった本当の事を話していた。

「多分、彼女もこの雨に濡れてると思う。体調おかしくしちゃう前に見つけ出して上げないといけないの。・・・だから邪魔しないで。」

つま先だけをじっと見て口早に事情を説明すると、キッドが動いた気配がした。

青子は視線を上げずにその場を立ち去ろうとしたが目の前に白い幕が張られる。

「え?」

それはキッドの白いマントで、目と鼻の先にキッドの瞳があった。



こんなにも近くでキッドを見た事は初めてで・・・

微かな違和感が青子の感性を擽る。



「人を心配して一生懸命になるのも結構ですが、その前に自分の事をもっと大事にしてあげて下さい。この時期の雨を甘く見ると痛い目に会いますよ。」

白く丈夫そうなマントは今やすっぽりと青子の姿を覆い隠してしまっている。

体を微力で叩き続けていた雨の気配が遠退いて、青子はそこで初めて自分の体の過剰な熱を感じ取っていた。

「とりあえず一旦家に帰った方が宜しいでしょう。きちんと体を暖めて、防寒防雨対策をきちんとして、人を探すのはそれからです。」

「駄目っ!」

青子は悲鳴のような声を上げて首を振った。

「華成ちゃんを一人にしておいちゃ駄目なのっ!あんな酷い事された後で一人でいるなんて悲し過ぎるよっ!」

「酷い事・・・?」

呟きに近い言葉を聞き咎めて、青子はキッドに感情を爆発させてしまった。

八つ当たりだと冷静な自分が止めるのも聞かずに・・・

「そうよ!華成ちゃん信じてたのに!裏切るなんて酷いよ!なんでそんな事するの?!そんな酷い事出来るの?!大人だから?違うよね!結局自分勝手でこっちを振り回して肝心なときには逃げ出してっ!皆そうなの?ねぇっっ!」

「落ち着きなさいっ!」

闇雲に暴れ出した青子の体を強い力で押さえ付けるキッドに青子はヒステリックに怒鳴りつける。

「何よ!貴方だってそうでしょ?悪い事してるのに義賊だなんて持て囃されて良い気分なんでしょ?!こっちの事なんて全然考えてくれないっ!なんで一生懸命やってる人が馬鹿を見るのよ!そんなのおかしいよっ!」

論点がどんどん上滑りして行く。

自覚してるのに感情の奔流は止まらない。

「あんなに、あんなに想ってたのにっ!華成ちゃんあの人の事好きだったのにっ!なんで他の人とあんな事するのぉっ!酷いよっ!」

「お嬢さんっ!」

「イヤッ!貴方なんて大っ嫌いっ!あの男の人も嫌いっ!皆嫌いよぅぅっ!」

頭の中で割れ鐘を力任せに叩いているような不愉快な音が鳴り響いている。

雨とも涙ともつかない雫が頬を伝って流れ落ちるのをぼんやりと感じる。

青子は右も左も上も下も分からなくなってそのまま奈落に落ちるように意識を手放した。











崩れ落ちた冷たい体を優しく抱き止めて、小さく溜息をつく。

「『大っ嫌い』なんて、簡単に言うなよ・・・」




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