闇は月に恋焦がれ、月は貴方を愛してる【1】





ぼんやりとただ一人離れた場所で青子は佇んでいた。

目の前の光景が未だ信じられなくて瞬きを何度もしてみる。

雨の向こうに霞んだ二人は何か激しく言い争っている。

青子と同じ様に離れた場所からその二人を見ている女の人。

この無声映画に登場する4人の中で唯一傘をさしている女性。

薄ら笑いを浮かべて楽しそうに二人を見ている。

再び視線を言い争う二人に転じる。

セーラー服の女の子が、青子のクラスメートの女の子が、恋人である、いや恋人だった男の人を引っ叩いた。

そのまま後ろも見ずに、鞄を置き去りにしたまま走り去る。


残された3人。

青子はゆっくりと水溜りに落ちていた鞄を拾った。

男の人に女の人が傘を差し掛ける。

もったいぶった仕草でハンカチを取り出し、前髪から滴り落ちる雨粒を拭いている。

男の人は痛そうな表情を隠しもせずに、女の人に媚びるような視線を送り首を傾げる。

その場から逃げ去ってしまった元彼女の事を気に掛けているような振りをする。


格好だけ。


青子にはソレが分かってしまって、本当は分かりたくも無いのにその男の人の体裁だけを取り繕うかのような見せ掛けの心配そうな表情が分かってしまって辛くなる。

青子は暫くそんな二人をぼんやりと眺めて、それからクラスメートを追いかける為その場から立ち去った。



――― 後ろで女の人の笑い声が聞こえた様な気がした。











「何処に行っちゃったんだろう?華成ちゃん?」

冷たくなって上手く動かなくなってしまった指先を擦り合わせる。

左右に視線をやるが、どちらの道も同じ様に見えて青子は途方に暮れた。

手に持った二つの学生鞄がやけに重く感じて湿った溜息を吐いた。


華成が好きだった大学生の恋人。

クラスメートのちょっと大人びた恋愛は皆の注目の的で、青子もその話を聞くのが好きだった。

どんどん綺麗になっていく華成を側で見ていて、羨ましくて仕方がなかった。

自分には到底出来ないようなドラマチックな恋愛だと思った。


人に言われるまでも無くお子様な自分を自覚していて、幼馴染みの気になるあいつに素直にもなれなくて。

ちゃんと自分の気持ちを理解できなくて・・・


だから、自分をはっきりと持って年上の恋人との恋愛を精一杯育てていこうとする華成が眩しく思えて、彼女を尊敬していた。

たまに喧嘩をしちゃったと言って落ち込んでいる時もあるけど、翌日には自分の非を認めて電話をして仲直りする彼女の努力を尊敬していた。


でも・・・


「よし、こっちを探してみて、居なかったら戻って来よう。」

挫けそうになる自分をそうやって鼓舞して青子は何処かで一人泣いている華成を探す為右の道を走り出した。

街灯が寂しく照らす歩道に青子の足音だけが木霊する。

雨はしとしとと降り続き容赦なく体温を奪っていくけれど、ここで立ち止まる訳にはいかなかった。


見つけ出してあげなきゃ。


義務感とも取れる青子の固い意志の源は、『見てしまった」という事実・・・

華成の恋人が化粧の上手い女の人と腕を組んで歩いているのを見てしまったから。











青子は駅ビルで学校帰り買い物をしていた。

今日は快斗は用事があるとかでチャイムが鳴ると同時に学校を飛び出して帰ってしまっていたので、青子はのんびりと一人で買い物を楽しんでいた。

傘越しに小さな雑貨屋さんのショーウィンドウを眺めていたら店内で何かを手に取って悩んでいる華成を偶然見つけた。

華成が手にしていたのはメタリックグリーンのメガネケース。

だからピンと来た。

彼氏への贈り物だって。

なぜなら華成はメガネを掛けていないから。





「華成ちゃん?買い物?」

「え?!青子ちゃん!やだ、見てたの?」

慌ててそのメガネケースを陳列棚に戻すその仕草が可愛くて青子はにっこりと微笑んだ。

つられた様に照れ笑いを浮かべる華成を誘って二人で美味しいと評判の紅茶を飲みに行った。

当然話題は華成の恋人の話。

でも、報復の様に快斗の話題を持ち出されて青子は困った様に口篭もってしまう。

華成に話せるような甘い話など一つもない。

そうやって首を振るとこの大人びたクラスメートは小さく笑って首を振った。

「私は青子ちゃんが羨ましい。だって貴方達の絆ってちょっとやそっとの事では絶対に切れないって確信できるんだもの。私なんていつも不安でしょうがないの。」

「え?そうなの?」

「ほら、年も離れてるしいつも一緒に居れるわけじゃないし・・・もし彼の側にもっと良い人が現れたら、私の居場所無くなっちゃうかもしれない。私の知らない場所でそういう人と巡り合っちゃったら、もうどうしようもないじゃない?そう思うと不安で眠れない夜もあるの。」

「・・・そっか・・」

「青子ちゃんは黒羽君といっつも一緒じゃない?それが羨ましい・・・」


最後は二人しんみりとした気分のまま喫茶店を出る事となってしまった。

華成がそんな風に思っているとは正直露程も思っていなかった青子にとって華成の弱気な発言は衝撃的だった。

誰もが憧れる恋愛をしていると思われていた華成の不安。

しかし、それは見事に的中してしまったのだ。


青子の目の前で・・・










二人で駅に向かう途中。

有名な国内宝石店の中から腕を組んで楽しそうに出て来たカップルを目にした。

女性の腕には恐らく買ったばかりの宝石が包まれた小さな紙袋が揺れている。

「良いなぁ・・・」

ポツリと洩らした青子の隣で華成は顔面を蒼白にして絶句していた。

唇が衝撃に小さく戦慄く。

「どうしたの?」

尋常でない友人の様子に漸く青子も気が付いた。



まさか・・・

まさか・・・



青子は自分の血がゆっくりと引いていくのを感じた。

華成と同じ様に絶句したまま立ち止まっている男性は・・・



「か、華成・・・」

眉を寄せどうしよう?って顔をしてこちらを見てオロオロする男性を隣にいた女性が不思議そうな顔をして眺めている。

「やだ、信行どうしたのよ?知り合いなの?」

「誰?その人。」

華成がかさついた声で尋ねる。

「あ、ええっと・・・」

言葉を濁して逃げ腰の男性につかつかと華成は近寄っていった。

緊迫する空気の中青子はどうする事も出来ずにその場で事態を見守っていた。



目の前の光景が信じられない。

まさかこんな事があるなんて・・・











「居ないよぅ・・・」

辺りは真っ暗になってしまったのに華成が見つからない。

泣きそうになって青子は呟く。

青子の癖っ毛は雨に濡れてペシャリと潰れてしまっている。

頬に貼りついた髪の毛を乱暴に払って青子は途方に暮れる。

「どうしよう。・・・それとももう家に帰ってるのかな・・・?」

一縷の望みを掛けて鞄から携帯を取り出した時だった。











そう、あの人に会ったのは・・・











BACK