Pratt & Whitney (USA)
プラット・アンド・ホイットニーは現在も世界最大級の航空機エンジンメーカーである。 その歴史は古く、1860年にフランシス・プラット
(Francis Pratt) と、エイモス・ホイットニー (Amos Whitney) によってアメリカ・コネチカット州ハートフォードに設立された。 当初は、ミシンや、南北戦争のアメリカ合衆国軍(北軍)用の銃、ピストルなどを大量生産し、また製造するための、工作機械を製造しており、工作制度と信頼性がモノを言う航空エンジン製造の基礎を備えていた。
同社が航空エンジンに進出するきっかけとなったのは、ライト・エアロノーチカルの社長であったフレデリック・B・レンチュラー
(Frederick Brant Rentschler) がライト社の役員会が新しいエンジンの開発に消極的であったため、その職を辞して、自ら考案した航空機用エンジンの開発計画を、プラット・アンド・ホイットニーに1925年に持ち込んだことによる。 プラット・アンド・ホイットニー社はレンチュラーに25万ドル出資し、プラット・アンド・ホイットニーの名前と、製造場所を提供した。 これが、プラット・アンド・ホイットニー・エアクラフト
(Pratt & Whitney Aircraft Company) の始まりである。
レンチュラーは1925年8月設立の新会社の社長に就任すると同時精力的に設計に取り掛かった。 すでに構想は固まっていただけに迷いはなかった。 そして同年12月25日のクリスマスには早くも試作機を組み上げた。 これが最初のP&W
ワスプ エンジンである。 数日後に始めた試験では難なく425馬力の出力を記録し、当時海軍の要求性能400馬力以上を余裕を持ってクリアーしていた。 そして1926年3月、アメリカ海軍の認定試験を軽々と通過し、10月までに海軍から200台のエンジンが発注された。 ワスプが見せたスピードや上昇力の諸性能、信頼性はアメリカの航空業界に革命をもたらしたのである。 (ワスプ:スズメバチの意味)
- Pratt & Whitney R-987-AN-14B
(1932)
- WASP JUNIOR, 9-Cylinder radial, Displacement 16.1L,
air-cooled, 450 HP
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1926年にはワスプを追うように海軍の雷撃機用の排気量の大きいホーネットを開発し2シリーズ体制となった。 さらに1927年には格段に新しいエンジンの開発に取り組んだ。 それがツイン・ワスプである。 それはR-1830で長い間にわたって「偉大なエンジン」であり続け、B-24用に19000基、C-47用には10000基などに採用され、多くの機種が生産された。 日本のエンジンでは中島の「栄」クラスに相当する。
- Pratt & Whitney R-1830-90C
(1930s)
- TWIN Wasp, 14-Cylinder radial, air-cooled, Max Power
1,200 HP

さらに2000馬力級エンジンの要請に応え、18気筒ダブルワスプR-2800の開発に取り組んだ。そしてVOUGHT
F4U艦上戦闘機やREPUBLIC P-47C Thunderbolt 戦闘機に搭載されたが、ライトのサイR-3350(B-29などに装備)には分が悪かったようにも見えるが、当時の空冷エンジンの覇権を競って、ぐんぐん技術力を高めていった。 やはり競争が技術進歩の源泉!
- Pratt & Whitney R-2800-21
(1936)
- Double Wasp, 18-Cylinder radial, air-cooled, Max
Power 2,000 HP
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何と綺麗な冷却フィン!
そして空冷星型エンジンの究極となるR-4360メジャーワスプの試作が1942年に完了し、最初の試験にパスした。このエンジンは7気筒のワスプを4列に捻じりながら重ね合わせた化け物のようなエンジンである。 最大の課題は冷却問題で大きな挑戦であったが、それをなんとか克服し、超々大型戦略爆撃機B-36Cに搭載する筈だったが、機体がキャンセルされ日の目を見ることは無くなった。 USAFミュージアムには、そのB-36試作機とともに、その巨大なエンジンが展示されていた。 (下左の写真)
- Pratt & Whitney R4360
(1939)
- R4360-53 Wasp Majors, 28- Cylinder radials, air-cooled,
Max Power 3,800 HP
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- 左上はB-36の主翼の下にあるR-4360エンジン、機体は大きすぎてカメラに収まらない !!
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- このように米国は空冷星型エンジンで圧倒的な強みを発揮したが、日本も同様であった。 これはどうしたことか? 何か共通する(技術屋の)国民性があるのだろうか?
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- これに対し欧州では逆に空冷から列型水冷エンジンに的を絞っていった。この分野では米国を圧倒し、あのノースアメリカン・P-51ムスタングも英国設計のマーリンエンジン(パッカード生産)を搭載した途端に、大戦の最優秀戦闘機に躍り出たのである。
- さてさて、その続きは・・・・
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