米国空冷星型エンジンの系譜

以下は United States Air Force Museum 米国空軍博物館の展示エンジンを基に述べたものです。

LYCOMING (USA)

 ライカミングは現在レシプロ航空エンジンの世界最大のメーカーともいえる。1908年に米国ペンシルベニア州で産声をあげた。最初は自動車用エンジンを生産していたが、1929年に最初の航空エンジンの製造を始めた。それが下のLYCOMING R-680星型9気筒エンジンである。 保守的な設計であるが信頼性が高く、200馬力〜280馬力があり第二次大戦後まで26000基以上が生産された。 また1938年には軽飛行機用の水平対向4気筒50〜125馬力エンジン、そして水平対向6気筒190〜220馬力エンジン、更には水平対向8気筒から12気筒まで開発した。 この水平対向エンジンシリーズは25万基以上が生産され、軽飛行機のエンジンと言えばライカミング水平対向という常識とまでなった。

 一方、注目すべきは水冷星型9気筒エンジンを4列並べたというか、直列4気筒を星型に9個並べたと言う方が分かりやすいが、出力5000馬力、さらには7000馬力の巨大なエンジン開発を試みたが搭載する機体は無かった。

LYCOMING R-680-13
-

WRIGHT (USA)

 ライト社というとライト兄弟が設立した会社と思ってしまうが、そうではなくて1916年にイスパノ・スイザエンジンをライセンス生産するために設立された会社が始まりである。しかし1919年には解散し、同年10月にライト・エアロノーティカルが設立され経営資産が移行し、イスパノスイザの改良版の500馬力級のエンジンを作っていた。そして1920年に新しいエンジンを手掛けたが、それがR-1空冷星型9気筒12.9リッター215馬力のエンジンであった。 これに改良を重ねJ−5ホワールウインドとなり、リンドバーグのライアンに装備され有名となった。 

 1923年ころ新しいシリーズとして一体型のクランクシャフトでバルブ配置などを変更した星型9気筒27.1リッターP-1サイクロンを開発し、改良を加えて525馬力まで出していた。 それまで米国航空エンジンはライト兄弟以来水冷エンジン方式で、“のったりくったり”と進んでいたが、ホワールウインドで優れた工作技術による信頼性が高い評価を得たためか、俄然空冷エンジンに舵を切って走り出した。 そして、後で述べるプラット・アンド・ホイットニーとの熾烈な競争がそれに拍車を掛け、この分野では欧州の技術に対し胸を張ることが出来るようになってきたのである。 そしてB-17、B-29に搭載する空冷星型エンジンは空冷エンジンの限界にまで迫ることに至って、この分野で米国技術は欧州を圧倒した。

 1929年カーチス社と合併し、カーチスライト社となった。 なんとライト兄弟と犬猿の仲のように対立したカーチスと一体となるとは(名前だけの話だが)皮肉な歴史の結末である。 合併した会社ではサイクロンを更に29.9リッターに排気量アップしたR-1820で、優れた性能と信頼性を発揮し、ダグラスDC2、DC3に採用されるなど戦前民間機エンジンを独占した。 

 そしてライト社の将来を担ったのが1935年に登場したR-2600である。 これはプラット&ホィットニー社との熾烈な技術競争の中で生まれたもので、サイクロンを更に大型化し複列14気筒とした近代的な設計で第二次大戦の勝利に貢献したエンジンとされている。 その後はR-2800への大型化とともに、18気筒化のR-3350へと発展すると共に、B-17では1エンジンに1基だった過給器(ターボチャージャ:下段右側の写真GE製)がB-29では1エンジン当り2基の過給器が装着され高高度性能が飛躍的に向上した。

WRIGHT R-2600
WRIGHT "CYCLONE 14" 14-Cylinder radial, air-cooled, Max Power 1700 HP

-

Pratt & Whitney (USA)

 プラット・アンド・ホイットニーは現在も世界最大級の航空機エンジンメーカーである。 その歴史は古く、1860年にフランシス・プラット (Francis Pratt) と、エイモス・ホイットニー (Amos Whitney) によってアメリカ・コネチカット州ハートフォードに設立された。 当初は、ミシンや、南北戦争のアメリカ合衆国軍(北軍)用の銃、ピストルなどを大量生産し、また製造するための、工作機械を製造しており、工作制度と信頼性がモノを言う航空エンジン製造の基礎を備えていた。

 同社が航空エンジンに進出するきっかけとなったのは、ライト・エアロノーチカルの社長であったフレデリック・B・レンチュラー (Frederick Brant Rentschler) がライト社の役員会が新しいエンジンの開発に消極的であったため、その職を辞して、自ら考案した航空機用エンジンの開発計画を、プラット・アンド・ホイットニーに1925年に持ち込んだことによる。 プラット・アンド・ホイットニー社はレンチュラーに25万ドル出資し、プラット・アンド・ホイットニーの名前と、製造場所を提供した。 これが、プラット・アンド・ホイットニー・エアクラフト (Pratt & Whitney Aircraft Company) の始まりである。

 レンチュラーは1925年8月設立の新会社の社長に就任すると同時精力的に設計に取り掛かった。 すでに構想は固まっていただけに迷いはなかった。 そして同年12月25日のクリスマスには早くも試作機を組み上げた。 これが最初のP&W ワスプ エンジンである。  数日後に始めた試験では難なく425馬力の出力を記録し、当時海軍の要求性能400馬力以上を余裕を持ってクリアーしていた。 そして1926年3月、アメリカ海軍の認定試験を軽々と通過し、10月までに海軍から200台のエンジンが発注された。 ワスプが見せたスピードや上昇力の諸性能、信頼性はアメリカの航空業界に革命をもたらしたのである。  (ワスプ:スズメバチの意味)

Pratt & Whitney R-987-AN-14B (1932)
WASP JUNIOR, 9-Cylinder radial, Displacement 16.1L, air-cooled, 450 HP
-

 

 1926年にはワスプを追うように海軍の雷撃機用の排気量の大きいホーネットを開発し2シリーズ体制となった。 さらに1927年には格段に新しいエンジンの開発に取り組んだ。 それがツイン・ワスプである。 それはR-1830で長い間にわたって「偉大なエンジン」であり続け、B-24用に19000基、C-47用には10000基などに採用され、多くの機種が生産された。 日本のエンジンでは中島の「栄」クラスに相当する。

Pratt & Whitney R-1830-90C (1930s)
TWIN Wasp, 14-Cylinder radial, air-cooled, Max Power 1,200 HP

 

 さらに2000馬力級エンジンの要請に応え、18気筒ダブルワスプR-2800の開発に取り組んだ。そしてVOUGHT F4U艦上戦闘機やREPUBLIC P-47C Thunderbolt 戦闘機に搭載されたが、ライトのサイR-3350(B-29などに装備)には分が悪かったようにも見えるが、当時の空冷エンジンの覇権を競って、ぐんぐん技術力を高めていった。 やはり競争が技術進歩の源泉!

Pratt & Whitney R-2800-21 (1936)
Double Wasp, 18-Cylinder radial, air-cooled, Max Power 2,000 HP
 
何と綺麗な冷却フィン!

 そして空冷星型エンジンの究極となるR-4360メジャーワスプの試作が1942年に完了し、最初の試験にパスした。このエンジンは7気筒のワスプを4列に捻じりながら重ね合わせた化け物のようなエンジンである。 最大の課題は冷却問題で大きな挑戦であったが、それをなんとか克服し、超々大型戦略爆撃機B-36Cに搭載する筈だったが、機体がキャンセルされ日の目を見ることは無くなった。 USAFミュージアムには、そのB-36試作機とともに、その巨大なエンジンが展示されていた。     (下左の写真)

Pratt & Whitney R4360 (1939)
R4360-53 Wasp Majors, 28- Cylinder radials, air-cooled, Max Power 3,800 HP
   左上はB-36の主翼の下にあるR-4360エンジン、機体は大きすぎてカメラに収まらない !!
 
 
 このように米国は空冷星型エンジンで圧倒的な強みを発揮したが、日本も同様であった。 これはどうしたことか? 何か共通する(技術屋の)国民性があるのだろうか? 
 
 これに対し欧州では逆に空冷から列型水冷エンジンに的を絞っていった。この分野では米国を圧倒し、あのノースアメリカン・P-51ムスタングも英国設計のマーリンエンジン(パッカード生産)を搭載した途端に、大戦の最優秀戦闘機に躍り出たのである。 
          さてさて、その続きは・・・・

続く:英・独・米の水冷エンジンへ・・・制作予定(未定)

[HOME/WhatsNew/ClassicPlane/NAKAJIMA/KOUKEN/MUSEUM/QESTIONNAIRE]

-