455.ダグラスDC-4旅客機(C-54Aスカイマスター輸送機)[アメリカ]
    
DOUGLAS DC-4 (C154A Skymaster)TRANSPORT[U.S.A]

全幅:35.81m、全長:28.63m、翼面積:135u、
発動機:プラット&ホイットニーR2000-25D空冷二重星型14気筒1,450馬力×4、
総重量:38,142kg、巡航速度:350km/h/3000m、航続距離3,700km、
乗員乗客:6/44名、初飛行:1942年2月14日、生産数:1,244機

Illustrated by Shigeo Koike , イラスト:小池繁夫氏

 戦後も長い間、日本航空の国内線にも使われていた4発プロペラ旅客機である。1941年6月、陸軍航空隊のハップ・アーノルド将軍は、当時、ダグラス社が開発中の大型旅客機DC−4の生産機を全て軍が徴発し、陸・海軍で使用すると通告した。その時に与えられた軍用機番号が、陸軍機はC-54、海軍機はR5D、通称が「スカイマスター」(共通)だった。

 DC-4には、長い平行断面の客室をもつ胴体、前輪式降着装置、マニホールド式の静圧システム、燃焼式暖房装置など、近代旅客機の基本となる設計技術の全てが採り入れられていた。アメリカ陸・海軍でのC-54は、4発機の安全性とプラット&ホイットニーR2000エンジンの高い信頼性によって、陸上機による大洋横断飛行を定着させ、また大量輸送の管制方式を定着させることに大きく貢献した。 

 このDC-4に至る前1937年、日本海軍は試作段階の原型DC-4の製造権を三井物産に購入させ、併せて1機完成期を購入して研究し、中島飛行機にそれをベースに大型陸上攻撃機「深山」を試作させた。しかし、その原型は後の名機DC-4とは似ても似つかぬ代物で深山も同様であった。


 昭和20年8月30日、マッカーサー連合軍司令官が、厚木基地に進駐してきたときの乗機パターン号もC-54だった。軍用機としてのDC-4の生産は1946年まで続けられ、その間に陸・海軍に合計1,165機が納入されている。戦争終了とともに生っ粋の民間機としてのダグラスDC-4の生産が開始されたが、僅か79機で終わっている。

 終戦によって多くのC-54が民間に放出され、旅客機としての装備を追加し、耐空性(安全)基準に適合させる改造を行ったのち、DC-4の名前で使用されることになったためだ。日本航空のDC-4も、元C-54だった。この画の機体も、民航空運公司CAT(中華民国)で運用されたC-54Aの改修機である。



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