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ショート社は、ライト兄弟のフライヤー号のライセンス生産で航空機事業に乗り出していたが、1911年頃から自主設計の水上機の生産に乗り出していた。1914年、第一次世界大戦の直前、英海軍省が、単発、乗員2名、無線電信器を装備して、ホワイトヘッド14インチ魚雷を搭載できる水上機の要求仕様書を発行した時、ショートは自主開発していた機体をベースに、艦船搭載時に容易に後方に折畳むことができる、細長い複葉主翼を備えたSlO6型2機を提出した。そのシリアルナンバーが184と185だった。そして「184」が、SlO6の海軍省の型式名となった。
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- 「184」の特徴である大アスヘクト比(縦横比)翼は、L.プラントル教授の3次元翼理論からではなく、アホウドリの姿からヒントを得たものとされているが、この大きな翼幅と大翼面積が、370kgもある魚雷を抱えて飛ぶときの空気抵抗を減らし、なんとか離水することを可能にした。
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- 大戦が始まると「184」は水上機母艦ペン・マイ・クリーに積まれて、ダーダネルス海快方面に出撃し、1915年8月8月12日、航空雷撃による世界最初の戦果を上げた。しかし現実には、魚雷を積んだ状態ではパワー不足で、燃料を減らさねば離水できず、離水後の飛行性能も不満足だった。そのため大戦後期には、雷撃任務は外され、偵察や小型爆弾による基地爆撃、対潜水艦作戦に使われるようになった。
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この画は浮舟クロスビームが直線となった後期型。1917年にニューリン基地に配備され、同年9月8日にウルフ暗礁の南東25kmの地点で∪ボート(ドイツ潜水艦)を爆撃した記録が残されている。
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