2006年4月・5月・6月


2006年6月27日

いろいろバタバタと忙しい。

次回作品のためのロケハンやら、商業原稿の下書きやら、出たり入ったりで久しぶりにパソコンを起動する。

パソコンを起動しないと不思議と自由な時間が増える事に気が付く。「自由」といっても楽しいとかそのような感覚ではない。ただパソコンで圧迫されていた時間が、別の事に解放されるだけの事で、それが特段有意義になるかどうかは解らない。

それはさておき、きょうは久しぶりに晴れた。毎日が鬱陶しい梅雨模様なので開放感がある。

ロケハン先にあった「サイゼリア」で独りコーヒーゼリーを食べる。

そして次回作の構想をひたすら妄想。

新東京タワー。

デジタルテレビ時代に備えて東京の墨田区辺りに600m位の新しい電波タワーを建てるらしい。

本当に建つのか?

かつて東京タワーが建設された時代があった。

まだ汲取り便所の平屋ばかりが目立つ東京にあって、当時としては驚異的な333mもの鉄塔を建ててしまったという事実は、よく考えると吃驚だ。

猛烈なポジティブなエネルギーに溢れた時代。誰もが結婚し、子供を設けた時代。若い人間が巷に溢れていた時代だからこそ、放っておいても建ってしまったのだ。

幸運もあった。

昭和30年以降の昭和期は破滅的大災害も戦争もなく、概ね「なにもかも上手くいった」年代であろう。成長に次ぐ成長。公害などの歪みはあったものの、昨日より今日、今日より明日が豊かになった。

だが、時代は平成を迎え、バブル経済が弾けると全てがまっ逆さまに堕ちていく。

特に、少子化、人口減、高齢化はすべてにおいて活力を奪っていった。

昨日より今日、今日より明日が乏しくなっていく。

そんな中で巨大な第二東京タワーが建設されても上手くはいくまい。

建設途中で飛行機が鉄塔に突っ込み、工事中断。何百人もの犠牲者が出て、不吉な象徴として語られはじめる。

建設が再開されて間もなく、東京直下大地震で完全に倒壊。完成間近かだった600mの鉄塔が住宅街に落下。数千人の犠牲者が発生しよう。

数年後、三たび建設を始めるも、今度は日中戦争勃発でまたもや建設中断。結局は放棄されよう。

これからは昭和期とは逆に「何をやっても上手くいかない」時代が来るだろう。

もうそんな予兆は、万人が肌で感じているはずだ。

結局、生き残るのは昭和期の東京タワー。それを見上げて人々はこう呟く。

「これを建てた時代は結婚や子育てが当たり前の時代だったんだよ」と。


2006年6月22日

『涼宮ハルヒの憂鬱』

3週間ぶりにこのアニメを観た。

ただ淡々と高校の学園祭を描いているだけなのだが(これは押井守演出のアニメ『うる星やつら/ビューティフルドリーマー』のオマージュらしい。自分は観ていないので解らないが)、細かな描写や演出が巧みで思わず画面に引き寄せられてしまう。

コンサートのシーンなんかは実写のシミュレーションかのごとく作り込んである。

オープニングもそうなのだが、単にこれが実写であったならば、品のないお下劣深夜番組でよく見られるシーンに過ぎない。

チアガールが泣きそうになってぴょんぴょん跳ねておっぱいが揺れるなんて下品そのものであろう。

だが、これをいわいる「萌えアニメ」のキャラクターに変換し、動画としてリアルに作画すると「高品質な映像作品」になる。

虚構の二次元世界である「萌アニメ」と実写に近いリアルな動きの共鳴のさせ方が実に旨いのである。

ただ、リアルさだけをアニメに変換させただけでは不協和音のような「気持ち悪さ」が目立って不自然なのだが、この作品はそのバランスを巧みにコントロールしているような。

CGではないセルアニメ独特の動きを維持させつつ、リアルさを追求している点で妙に見入ってしまうのだ。

絵の質だけでなく、作品全体の流れとか、細部へのこだわりとか、なんか久しぶりに続けて観たいテレビアニメ作品である。

だからといって原作が読みたくなったとか、CDを買いたいとか、そこまではまり込める魅力はまだ見出せない。どこか醒めて観ているのだろう。

醒めているとはいえ、なんか「やる気を出させる」作品であることは確か。

商業原稿と自費出版原稿を平行して進行中の現在、よい意味で影響を与えてくれる。

次回も楽しみだ。


2006年6月20日

段々とやけくそぎみになってきたサッカーワールドカップ予想。

日本の最終戦相手のブラジルはすでに決勝トーナメント進出を決めているので、もしかすると日本戦には手心を加えてくれるとかそんな予想も公然と囁かれている。しかし、まともなシュートも出来ない日本がブラジル相手に2点差以上で勝ったら、それこそ「八百長」だと騒がれよう。

もっとも、何事も実利優先のプロサッカー界であるから、日本が決勝トーナメントに進めば何かと「ジャパンマネー」で潤おうはず。であろうからまったくありえない話ではない。

もはや勝負そっちのけの商売至上主義ワールドカップ。

それもまた一興。

でももし、あっけなく日本がブラジルに敗退したら、日本は商売の対象にすらされなかったと言う事。

実力からもお金からも見放された日本チームは虚しい。

最後の最後で大どんでん返しを期待したい。


2006年6月15日

「自殺対策基本法」と対クロアチア戦

最近、訳の解らない効果も疑問な法律の名をよく耳にするが、「自殺対策基本法」はその最たるモノであろう。

安っぽい終末世界を描いたB級SF小説に出てくるような法律が本当に出来てしまう時点で、この国はもうおしまいなのだと実感出来る。

この法律で本当に自殺が減るなどと考えている人は、まず居ない。

生きるより死んだ方がましと思えるような社会を造り上げておいて「自殺対策基本法」とは恐れ入る。

少子化、出生率低下、人口減、成人男性の結婚、就業の可能性は限り無く制限され、生きる活力の失われたこの日本で自殺が増えるのは必然であろう。

であれば、その必然を受け入れる政策を考えたらどうだ?

「自殺対策基本法」のような欺瞞に溢れた法律作るよりは、国が自殺を奨励し安楽死を認める方が、よほど実効性ある政策であろう。

国立安楽死センターや自殺会館を全国津々浦々に設置して誰もが自殺しやすくする法律こそが、今の日本に求められている最優先課題だ。年金が逼迫し生産人口が減少しつつある今、役に立たない人間や重度障害者、ニート、破産宣告者、末期病人、重度痴呆老人を早急に処分し、死にやすくすれば希望が見えてくる。

今や、こんな国に是が非でも生きていこうと考える理由は、もうさほど在るとは思えない。

死ぬ自由というのもそろそろ検討すべきだろう。

自殺と言えば、自殺点でお馴染みのスポーツ、サッカーだ。

実力差でいえば、もはやワールドカップ予選リーグで敗退が決まったのも同然の日本だが、今だメディアは諦めるなの大合唱。

「次は絶対に勝たねばいけない」「勝つサッカーを」「点を取りに行け。2点目こそ勝利への道」「一か八かの攻撃型サッカーを」「監督は博打に出て点を取りに行くぞ」

たしか最初の試合だってその意気込みで挑んだはず。ところがそれでも負けてしまった訳で、その第一戦より強い相手のクロアチアに対する勝算は更に限り無く低い。

負けるのが濃厚なのに勝てる勝てると咆哮する様は、なにか「自殺対策基本法」と同じ匂いがする。

要するに役に立たないのである。

オーストラリア戦は太平洋戦争時の「ミッドウェー海戦」に似ていた。

勝てそうな相手だからと、どこか慢心があって肝心な時に虎の子の1点を守り切れないどころか、終盤に3失点も食らうところは、主力空母4隻を一挙に失ったミッドウェー海戦における旧海軍の失態と類似している。

そしてクロアチア戦はさしずめ「マリアナ沖海戦」か?

必勝を賭けアウトレンジ戦法等で優勢な相手に奇策で挑むところが似ている。

ところが相手も必勝の構えで突っ込んで来る訳だから、もともと地の利や戦力で上のクロアチアが即席で考えた奇策で簡単に倒せる相手とは思えない。

下手に点を取りに行こうものなら、たちまち手薄になったディフェンスを突破され、あっさり先制点を奪われよう。そして増々焦った日本攻撃陣の戦術を度返したミドルシュートも尽く外れ、試合の流れは自ずとクロアチアに。

日本のディフェンスは崩壊し、失点の嵐。

VT信管によって「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄された日本艦載機壊滅と同じく、日本のゴールはクロアチアのシュートラッシュに見舞われるであろう。

終ってみれば8ー0の日本惨敗。

必勝を賭けて奇策を講じても基本的戦力が整っていなければ、勝つ見込みはない。

日本の現状を象徴化したような惨敗が見れるとなかなか楽しいのだが。

勝負事は何がどう転ぶか解らないので「奇跡的勝利」というのも可能性が全くない訳ではないが、「台湾沖航空戦」の大勝利も、大誤報に過ぎなかった訳だからあまり幻想を抱かない方がよい。

現状で日本に「大勝利」が転がり込む確率は、1945年に日本がハワイを攻略するのと同じくらい「ありえない」ことだろう。

いずれにせよ、日本選手に「一層奮励努力」してくれるようスタンドやテレビの前で「Z旗」を振ろう。

それがせめてもの気休めになるかも。


2006年6月12日

天も見放す日本。

サッカーワールドカップ日本初戦。戦力差が均衡しているはずのオーストラリアに惨めな敗北を喫した日本。

監督の采配とか選手の力量とかいろいろと言われているが、そんな個々の事象が敗北の原因とは思えない。

終盤に立て続けに入れられたシュート。

ちょうど陽射しが真正面から当っており、逆光下で守っていた時点で日本は天から見放なされていた。

人口減、少子化、自殺年間3万人、街を見渡せばサラ金とパチンコ。昨今の自堕落を思えばこの敗北は当たり前すぎる程納得が行く。

貧すれば鈍す。

こんな国に勝利の女神が微笑む筈はなかろう。

国全体を覆う陰々滅々としたベールが勝負事から運を全て奪い去るのだ。

男子去勢が国是となったような今の日本に「栄光」とか「勝利」「凱旋」なんて言葉は似合わない。

「次は必ず勝つ」なんて妄言を吐く前に、自国の自堕落を憂うのが先ではないか?

 ワールドカップ放映中にもパチンコ屋へ通う愚民で溢れた国に誰が栄冠を齎したいと思うか。

烏滸がましい事、この上ない。

日本が国際舞台で通用するのは精々「ギャンブル破産謝罪土下座少子化ニート老害自殺フェミ選手権」位なもの。

これなら優勝間違いなしだが。


2006年6月10日

サッカーワールドカップ予想。

気が付くとサッカーワールドカップのシーズン。

前回の韓国日本共同開催からあっという間に4年。

サッカーは国際試合になるとちょっとだけ嗜む程度だから勝敗予想も嗜みレベルでやってみる。

まず初戦の日本対オーストラリア戦は引き分け。同じグループのブラジル対クロアチアはクロアチアが地の利で勝利。得てしてブラジルのような強豪は立ち上がりが遅い。

2戦目の日本対クロアチア戦は勢いに乗るクロアチアがまたも勝って2連勝。ブラジル対オーストラリアはオーストラリアが健闘して引き分け。

この時点で日本とブラジルが1敗1分けで並ぶ。

残りの一試合はブラジル対日本。当然これに勝たなければ決勝トーナメントに進めないからブラジル本気。当然日本は負ける。クロアチア対オーストラリアはクロアチアが波に乗って3連勝。

結局、クロアチア3連勝勝ち点9で1位。ブラジル1勝1敗1分け勝ち点4で2位。

この2チームが決勝進出。

そしてオーストラリアが1敗2分け勝ち点2で3位。

日本が2敗1分け勝ち点1で最下位。

まあこんなものか?

ブラジルは強いと言われ過ぎて油断や余裕が出て結構予選は苦戦する気がする。だから最後に日本と対戦する事は日本にとって裏目。本気のブラジルには奇蹟でも起こらない限り勝てない。クロアチアはヨーロッパでの開催なので結構強いかも。

まあたいしてサッカーを観ていない人間が予想したものだからあまり当てにならない。

本気にしないように。


2006年6月7日

永遠の傍観者。

午前中、少し晴れたので自転車で近所を散策。

久しぶりに母校の小学校をフェンス越しに眺める。校庭では体育の授業中。小学3年生位の児童がグラウンドを走っている。一クラスの人数は自分達が在学中だった頃の半分程だろうか?

ふと見渡すと、卒業から35年以上経っているにも拘わらず、当時のままの木立や遊具が残っている。桜の古木も生き残っているし、なぜかバックネットは多分40年以上も同じ状態で存在しつづけている。

暫くするとある錯覚に囚われた。

そうだ。こうして児童が走っている光景を遥か過去、同じように眺めていた記憶がある。

それは、まだ5歳くらいの頃、この小学校に入学する前、運動会か何かを見学しに行った時の事だ。

当時自分は幼稚園生であったから、走っているのは当然ながら自分より年上の「お兄さんお姉さん」。

猛烈な歓声と凄まじい勢いで疾走するエネルギッシュな「お兄さんお姉さん」を見て恐ろしく圧倒された記憶がある。

人垣と木立の木漏れ日と物凄い歓声と・・。

これからこの小学校に入学しなくてはならないという恐怖に似た重圧が5歳の自分にのしかかってきたことを思い出す。

楽しくも嬉しくもなかった光景。

あれから40年以上、そう、40年の年月を超えて、再び自分は同じような光景を見ている。

全く同じ場所で。

当時「お兄さんお姉さん」だった児童は今や自分より遥か年下の「子供」。息子娘の世代だ。

だが自分の中では、その間を埋める何かが欠けている。

40年間も隔たりのある時空を歩んで来たにも拘らず、あるべき「変化」が存在しないのだ。

そう、5歳の時に見た「お兄さんお姉さん」と40代半ばに見る「子供」が同じなのだ。

当然、全く違うものに見えなければならないのに、その「違い」が存在しない。

実に奇妙だ。

そう、そこにあるのはやはり恐れだ。

自分は元気よく走れる「お兄さんお姉さん」にも成れなかったし、また今、目の前を走っている「子供」を設ける父親にも成れないでいる。

だから目の前を走るその存在は隔絶された幻灯のように、自分には決して獲られる事のない「絵空事」なのだと。

その瞬間に、自分はあの5歳の時から全く時間が流れていない事に気が付くのである。

そうだ。自分はあの5歳の時とまったく変わっちゃいない。

あれからずーっと此所に居て永遠の運動会をこの40年間、空虚に眺めていたんだと。

この40年間何もしないで此処にしゃがんでいたのと同じ。

5歳のまま、ここで40年間老い朽ちていたのだというのか!

5歳の壮年男!?

急に子供達が一斉にこちらを指差して私を糾弾する。

「あそこに何にも出来ない男がいるよ」

「結婚も子供も設けられない要らない人間だ」

「おかしいね。おかしいね」

まるで小学校の学芸会で演じさせられた呼び掛け演劇のごとく、子供達は私を非難し続ける。

恐怖に駆られた自分は思わず「グギャーー」と叫んで顔を覆って身を臥せる。

勿論、これは幻覚に過ぎない。児童達は相変わらず元気にグラウンドを走り続けているだけ。

自分は永遠の傍観者として此処にいたのだろうか?

そして死ぬまでここに佇み続けるのだろうか?

グラウンドのフェンスには不審者侵入を警告する告知板がいくつも掲げてある。

そうだ。昨今の情況では、こうしてグラウンドを眺めているだけでも挙動不審な男性として即刻通報される対象なのだ。

急いで自転車を漕いでその場を離れる。

だか、この奇妙な感覚は後ろ髪を引くようにどこまでもまとわりつくのであった。

暫く行くと、子供の頃から見慣れていた大きな松のある屋敷が、完全に更地になっているのを見つけ愕然とする。

『阿佐ヶ谷誘覧』にも描いたお馴染みの光景が、またもやこの世界から姿を消していた。

まるで姿の見えない化物が一歩一歩、周囲を破壊しながら自分に近づきつつあるように。

逃げ出そう!

逃げ出さなければ!

どこへ?

いや、何処へも逃げ出すところはないのだ。

恐ろしくも瓦解しつつある「我が故里」。

にも拘らず、この光景を傍観する以外、自分に為すべき事は残されていないのだ。

恐ろしい。


2006年6月5日

『エルミタージュ幻想』

先日、なんとなくNHKBSハイビジョンにチャンネルを合わせたところ、奇妙な映像に出会した。

普段ならザッピングしてすぐにチャンネルを変えてしまうものなのに、何故かその映像に引き込まれてしまった。

古いロシアの王宮、その中で貴族達の儀式や舞踏会がリアルに描かれている。

ハイビジョン映像なのでその克明さが際立ち、まるで「ラファエル前派」絵画を見ているかのような錯覚に陥る。

更に暫く観ているうちに驚くべき事に気が付いた。

カットが無いのだ。

つまり全編ワンカットで構成されているらしい。

自分は途中から観たので最初の方は解らないが、おそらく全編ワンカットなのだろう。

狂言回しの男性を視点にカメラが王宮をゆっくり移動する。

そしてそのカメラは宮殿の時空間を超えて、様々な時代の人間模様を追っていく。

もはやドキュメントに近い構成は、恰も自分がその宮殿を移動しているかのような錯覚を与える。

近年観た映画の中では、最高傑作だ。

おそらく、CGはないのだろうから、すべて一発勝負で撮っているのだろう。

このような手法はとても好きだ。この緊張感がひしひしと伝わってきて、画面から一瞬たりとも眼を離せない。

撮っている者、演じている者、そして観る者の時系列が一緒なのだ。

間に休憩も編集もNGもない、一本の繋がった連続した時空間を創造するアプローチは素晴らしい。

如何にその映像世界に自分がシンクロ出来るか、という点ではこの『エルミタージュ幻想』はシンクロ率400%を越えよう。

それにしても、この映画に限らずロシア映画のあの色彩の豊かさはどうやって出すのだろう?

絵画に近い色調の豊かさはおそらくフィルムや現像、あるいは光源に厳密な計算があるのではないだろうか?

ただ、この『エルミタージュ幻想』はハイビジョンで撮影されている。フィルムではないのだ。

にも拘らず、あの奥深い画質はなんだろう?

全く称賛に値する映像だ。

4年ぐらい前に製作された映画らしいが、今までまったく知らなかったことに後悔する。

観終って暫く余韻に浸っていると、なぜかこの映画に近い作品を知っている事に気が付く。

そう、アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』だ。

この映画の持つ閉鎖感、外の世界から隔離された世界観はタルコフスキーの映画に共通するものがある。

このような世界観を維持する映画が今世紀になっても制作されている事にとても喜びを感ずる。

しかし、この映画放映に残念な事がひとつあった。

ラスト近くに臨時ニュースの字幕が入り、せっかくの最高傑作の映像に傷をつけたのだ。

それも下らない下劣な事件の容疑者逮捕の速報。

こんなもの誰が知りたいか。畜生界の出来事をわざわざハイビジョン放送で速報する必要などあったのだろうか?

これをハイビジョンで録画していた人は、さぞ怒り心頭だったろう。

犯されざる神聖な場に汚物を投げ込まれた気分。

正に、今自分が日常に感ずる怒りを象徴する臨時ニュースの字幕であった。


2006年6月2日

終る世界

体調不良続く。

先月末、全快したと思った咳禍がまたぶり返す。

自分の周りにも長く咳が続く知り合いが複数居て、どうもこの春から梅雨にかけて静かに流行しているようだ。そう言えばラジオを聞いていて『爆笑問題』の人も咳が止まらないと話していたな。

それにしても普通ではない。

大抵、体調の回復はこれまでの経験則で把握していた。

しかし、今回はそれが通用しない。

治ったかと思うと、また急にぶり返してくるのである。

インフルエンザ、ハウスダストによるアレルギー、年齢による免疫力低下等、いろいろ予想は出来るが決め手がない。

一つ考えられるのは、この春先、猛烈な強風が吹き荒れた日が多く、それによって巻き上げられた砂塵、大陸からの微細なダストによってアレルギー物質、ないしは病原となりうるウイルス等が生活空間内に侵入したのではないかと考える。

なかなか回復しない風邪で、連想するのは小松左京のSF小説『復活の日』だ。

風邪ウイルスの下に隠された恐るべき生物兵器の拡散によって人類が滅亡するというストーリー。

いや、フィクションでなくとも、これまで世界的に流行した「スペイン風邪」等によって何千万もの人命が失われた事実は、人類史上さほど珍しい事ではない。

「鳥インフルエンザ」の真偽は別にしても、風邪による大量死はいつ起こっても不思議ではないのだ。

そんな事を考えつつ、咳で臥せりながら6月最初の新聞の見出しを見て、より一層の陰鬱感に襲われる。

「出生率最低1.25」

「自殺8年連続3万人超える」

まるで梅雨のように陰々滅々とした日照時間の少ない天候に加え、体調不良と暗い世相を伝える新聞記事がこの世の終りを、リアルに予感させる。

更に、最近家の近くでニートの若年男子による両親殺害事件が起きた。

自転車で5分と掛からない場所でだ!

遂に「死と絶望」が目の前にまで迫ってきた予感がする。

そう、これまでにも「この世の終り」を感じさせるシュチエーションはいくつもあった。

しかし、それは何処か他人事の自分以外の世界で起こる「禍い」でしかなかった。

あくまで自分は傍観者の立場だった。

しかし、今回は違う。

死神がすぐ其処までやってきているのではないかという「実感」があるのだ。

自分も、そしてそれを取り巻く世界も「幸せで健常な情況を維持する」というホメオスタシス機能を失い、死と絶望に向ってまっ逆さまに落下していくのではないか。

パブリックな世界にもプライベートな世界にも今までは「守護者」といわれる存在が常に感じられていた。

「どんな酷い事があったとしても、その守護者の存在によって自分達は救われていく」

たとえ抽象的な概念であっても、その守護者によって人々は未来を描く事が出来た。

しかし、この期に及んで、もはや自分達を守ってくれる存在はない。

換わりに現れたのは、自分達を奈落の底に導くような「死の使い」だ。

これからは、「何が起きても救われる時代」から、「何かが起きたら死への一歩」という時代になろう。

これからの若年日本人は死と絶望に支配された未来に歩み出さねばいけなくなる。

「出生率」にしてもそうだ。

もはや、東京では1を割り込んだ。

尋常ではない数字なのにも拘わらず、誰も誰もそれを直視しようとしない。

行政は全くの無為無策。

「エンゼルプラン」なるものが一体どんな効果を上げたというのか?

子供を産むべき当事者の若い女性は、きょうも「この世の春」を謳歌すべく身勝手にこの町を我が物顔に闊歩する。

彼女達に社会的責任は何も課せられていないのだ。

男女間の経済的格差はもはや問題にすらならない程、均衡したのにも拘わらず、彼女たちは今尚、男に経済的庇護を要求する事が当然だと考えている。

だから、結婚出産出来ないのもその男の経済力の無さに原因を求め、自らの怠慢には目を向けようともしない。

この期に及んでも尚、若い女性は「社会的地位」と「経済的地位」が唯一の自己実現だと信じ込み、結婚出産を忌み嫌う。

メディアはそれを奨励し、出生率低下の原因は彼女達には一切ないと擁護する。

そして、女性らはますますつけ上がる。

だからこれほど女性が経済的地位を確立したというのに男性を養ったりすることは一切選択肢にないのだ。

相当の経済力を持ち獲ない男性は、彼女達にとっては「いらない人間」であり、「排除すべき存在」なのだ。

大多数の男達の結婚に対する苦悩は、彼女達にとって知った事ではない。

そんな男が絶望に陥ろうが死のうが、一切責任は男自身にあると言う訳だ。

彼女達は吐露する。

「こんな時代にこの國で弱い男として生まれてきたのが悪いのよ。身体障害者と同じで厄介者。あんた達のために私達の自己実現が阻害されるなんてまっぴらごめん。私達女は未来永劫、弱い存在なの。だから男を養う義務は生涯免除されているの。だから弱い男はさっさと私達の見えないところで死んで頂戴。」

これが彼女達の本音であり、メディアもまたこの彼女達の意思を熱烈支持する。

正に今の日本がフェミファシストに支配されている何よりの証拠であろう。

そのフェミファシストに誘導されて出来上がった「エンゼルプラン」なる少子化対策が、どんな「効果」を上げたかここで語るまでもあるまい。

効果があったとすれば、これによって更に抑圧され「弱者」とされた男達の悲劇の数々だ。

フェミファシスト政策によって職や社会的地位を失った男達はやむなく、家に引き蘢らざる負えなくなる。

行き場が無ければ当然であろう。

ところがそんな男達をメディアは「社会のクズ」とか「社会的義務を放棄した人非人」と非難弾圧して、その逃げ場からすら追い立てる。

まるで、ナチスドイツ下のユダヤ人を追い立てるかのごとく。

追い詰められた男達は、精神を病み崩壊していく。

昨今のニート男性による両親殺害事件もこのような背景が原因と考えられよう。

要するに、これまでの少子化対策なるものの目的は子供を増やす事ではなく、男性の行き場を無くして死に追いやる事になっているのだ。

自殺者年間3万人の7割は男性だそうだ。

おそらく、これもその「少子化」対策が一役買っているのだろう。

見よ!街を!

若い女性の誰一人、己を犠牲にして未来のために子を設けようなんて者は誰一人いない。

誰一人も!

そんな情況を作り出して何が「少子化対策」だ!

母親に成る事を放棄する事が前提の「女性の自己現実」を煽り続ける限り「少子化」は止めどなく加速しよう。

終る世界。

僕らは、いまこの目の前の世界が終りつつある事を直視しなければならない。

もう守護者はいない。

救いの手もない。

「自己現実」を謳歌している若い女性自身も、来るべき老いの時代に自らがゴミのように扱われる現実を知るだろう。

この社会に復元力は失われた。

経済的困窮、病、災害、戦争・・。

これからはそのような禍が止めどなく降り掛かってくる。

そして僕らは淘汰される対象として、哀れに惨めに死んでいくのだ。

救いはもう来ない。

人口が減っていく時代とはそういうものだ。

新たな生命誕生や価値観の多様化は失われ、死や抑圧が日常となろう。

昨日存在したものが、きょうなくなっている。

そして明日なくなるものが自分自身かもしれない。

そんな毎日が続くんだよ。

だから、死ぬ覚悟っていう言葉をもう少しリアルに考えなきゃいけないだろう。

僕らの「世界」は本当に終りつつあるのだから。


2006年5月31日

デジタルテレビ。

テレビでは盛んにデジタル化により、アナログ放送は終了すると騒ぎ立てている。

こういった技術革新に伴う家電の新陳代謝はこれまでにもあった。

ラジオからテレビへ。

モノクロからカラーへ。

レコードからCDへ。

一般加入電話から携帯へ。

だが従来の機器がまったく使えないようになる変革は聞いた事がない。

テレビ放送が始まったからといってラジオが使用不能になる訳でもなく、カラー放送が始まってもモノクロテレビは使えた。レコードプレーヤーも今だ現役のオーディオ機器である。

だが、デジタル地上波放送は従来のアナログテレビでは見られず、アナログ放送が完全に停波してしまったら無用の長物と化してしまう。

そこまでしてデジタル放送が早急に必要不可欠な放送媒体だとは誰も思っていない。

従来のアナログ放送で事足りている。

何かと事あるごとに「経済効果、経済効果」と喚く輩が多いが、別に必要もないものに投資する者はいない。

要らないものは要らないのだ。

かつて、テレビ放送が始まり、モノクロからカラーに移行した時、人々は誰に促される事もなく、大挙してその新たなツールを買い求めた。

世は高度成長期。誰もが就職し、誰もが結婚し、家庭を持てた時代。

だからテレビも誰もが買うのが当たり前で、それは結婚したら子供を作るのと同じくらいの感覚で全ての家庭に一瞬にして行き渡ったのだ。

そう、テレビは子供と同じだったのだ。

かつて、子供を設ける事に「お金が掛かる」という条件で出産を控えるなどという事はなかった。

確かに出産子育てにお金は掛かるが、子供を設ける事はごく当たり前の通過儀礼。

むしろ結婚して子供を産まないなどという選択は特殊な例だったのだ。

結婚し、子を産み、育て、そして家族が育まれ、その団らんの場にテレビがあるのは当たり前過ぎる程当たり前の事だった。

だから、テレビを買うか買うまいかなんて選択は最初から存在せず、テレビは家庭を築いたら必ず買うものだったのだ。

それが昭和30年代から50年代までの一般人の当然のしきたりだった。

だが今や、少子高齢化人口減時代。

全国民が当たり前のように就職結婚子育てする時代ではない。

子供など、それこそ特権階級の高級ブランド品みたいな存在と化した。

結婚すら希有な儀式となった今、当然のようにテレビを買い替えるなどという理由はもう存在しない。

アナログ放送が停止したからデジタルテレビを買わなきゃいけないという動機は何処にもない。

デジタルテレビはテレビ自身の淘汰を促進させる。

いくらデジタル化を告知しても必要としない者にとってはいらないのだ。

だからデジタルテレビはかつてのアナログテレビのように万人の利器にはならない。

家庭の団らんの必須アイテムであったからこそテレビは否応無しに普及した。

しかし、そんな家族の団らんが存在しなくなった今、あえてテレビを全部買い替えるなんて誰がするか。

家族が存在した時代の残滓としてのテレビはもう存在価値を失いつつある。

核家族すら珍しくなった世帯構成で家族がテレビを囲むなんて、もはや過去の夢。

ネットや携帯という情報ツールで飽和状態の今日、あえてデジタル化したテレビが必要なんて誰も思わぬ。

デジタル化したテレビは精々携帯の「おまけ」としてしばらく生き残ろうが、そのうちユーザーからも忘れられ朽ちていくだろう。

携帯でテレビが見られる「ワンセグ」なんて騒がれているが、携帯で見るという時点でもはやテレビではない。

結婚、子育て、家族一家団欒が存在しなくなった時点で、テレビは死んだのだ。

デジタル化は自ら墓穴を掘ったようなもの。

これまでのアナログテレビを残しておけば、まだ生き残る道はあったろうに。

ラジオもテレビもデジタルになった途端に自らの存在を否定する事に何故気が付かないのか?

ラジオは自転車のようなもの。身軽さが最大の魅力でもある。デジタル化というのはその自転車にエンジンを付けるようなもので、途端に重く複雑なツールとなる。かといってネットや携帯の情報量や利便性には遠く及ばない。

中途半端なお荷物として結局無用の長物と化そう。

「見えるラジオ」も結局普及しなかったように、ラジオに複雑さを求めた途端にラジオは死ぬのだ。

テレビもラジオもデジタル化によって自らの利点を放棄し自滅の道を歩んでいるのだ。

アナログ放送停波後も、おそらくアナログテレビはそのまま部屋に置かれ、「永遠の砂嵐」を映し続ける事だろう。

そして、そのテレビの前には、誰もいない。


2006年5月26日

快方。

やっとの事で風邪も快方に向い日常を取り戻しつつある。

お気遣い頂いた諸兄には、この場を借りて御礼申し上げる。

仕事を再開し元のペースに身体を慣らすのは結構大変。

一つ一つの行動が重い。

気が付くと、もう5月も終りではないか?

記憶にあるのはゴールデンウイークと咳で寝込んでいた事だけ。

生産性が殆どない月だった。

まもなく今年も前半が終ってしまうというのに、まるで悪路にスタックした車のごとく前進出来ない。

今年後半は何とか生産性が上がる生活を目指さねば。

『涼宮ハルヒの憂鬱』

最近、偶然に観たTVアニメ。

ノベルスが原作のアニメで、結構話題になっているそうだ。

ストーリーとかは何だかさっぱり解らないので感覚だけで観る。

オープニングがよく出来ている・・ということは言える。

キャラクター設定もあれがあれで・・。

よい天気だったので気分を一新するため井の頭公園に行く。

青葉茂る公園を散策し、新たな叡智を貯えるべく彷徨す。

基本は独り瞑想に耽ること。これが出来て自分が維持出来るのであろう。誰にも邪魔されず大気や樹木や水と一体化して魂を昇華する。

実際はそんなこと出来ていないのだろうが、そんな気持ちに浸れることが大切なのだ。

公園内の茶屋で抹茶をオーダーして暫し休む。

お茶は和む。紅茶、日本茶みんな好き。お茶大歓迎。

抹茶を飲んでいると木立からシジュウカラのさえずりが聴こえてくる。

「ああ、よい気持ちだなあ。よい気持ちですねえ。」

と自分の中で自分と会話。

「自分世界108」が再起動して防護壁を張る。

抹茶が武士に重宝されたのも解る気がした。

自分との対話。己を律する事。

能と茶の席は「男の戦い」には必要不可欠なアイテムなのだ。などとまたもや妄想レベルを上げていくのだ。

いずれにしろ、乾燥したとてもよい天気。


2006年5月19日

しつこい咳。

今週初めあたりから風邪をひいて熱が38度5分まで上がる。これほど高くなったのは久しぶりだ。

熱は治まりつつあるのだが、咳が止まらず困った事になる。

地の底から突き上げるような「ドフウ」「ドフウ」というような咳で一向に治まる様子はない。

原因は不明だが6、7年前に同じように咳が続いてしんどい思いをしたことがあった。

その時の原因は恐らく、部屋のハウスダストであろう。

当時、部屋には5年分溜め込んだ古新聞(資料を切り取るため)が部屋の1/4を占拠していた。

5年分、朝夕刊合わせて365×5=1825×2(夕刊分)=3650部が堆く積まれ、それが水分を吸ってカビがはびこり、それを餌にするダニやゲジゲジ、タマムシやらが這いずってさながら『ナウシカ』の腐海のごとき様相を呈していた。

その古新聞をマスクもせずに切り抜くのであるから、大変だ。

黒、黄色、青など色とりどりのカビが新聞紙を染めており、開くと胞子がぱっと飛んだ。その中から資料になる素材をスクラップしていたのであるが、ある日、突然咳が止まらなくなる症状に陥った。

多分、カビの胞子が肺の中に入ったのであろう。

身体がエビ反るのごとく激しい咳に襲われ、何日も眠れぬ夜がつづく。

その上、高熱まで出て恐ろしい幻覚も見た。

朦朧とした意識の中に3つのドアが出てきて、誰かが叫ぶ。

「さあ!このドアのいずれかを開け!」

自分は恐る恐る一番左側のドアを開けるが、そこからは真っ黒なうじゃうじゃした禍々しい生き物がどっと流れ込んできた。

自分は「うぎゃーーーー!」と叫び、床から飛び出し、半裸で家中を走り回った。

恐らく、何かのウイルスが脳に取り付き危うく「脳症」になりかけたのであろう。

恐ろしい体験だった。

この時は地元の開業医に通い、一週間弱治療を要した。

この経験もあって、それ以来、出来るだけ部屋に埃やカビを溜めないよう努めてきたが、元がずぼらな性格ゆえ、結局底此処に埃だまりや昆虫の屍骸の山が見受けられる。流石に5年前程酷くはないが、それでも尋常ではない。

万年床のシーツや枕カバーも三ヶ月サイクルで交換しているので不潔極まりない。

案の定、またもや過去の轍を踏んでしまった。

咳は本当に辛い。

体力も使うし、睡眠も取れない。

薬は普段飲まない人間なのでこのような時に薬を服用すると著明に効果があらわれる。

あまりにも咳が酷かったので、中枢神経系の咳止めを服用し何とか凌いでいる。

昨年末より、病や訃報等などで心身共にボルテージが低下。

仕事も思い通りの結果やスケジュールが出せない。

先月も蕁麻疹で悩まされたばかり。

「身から出た錆」という部分もあろうが、全くしんどい。

早くバイオリズムのコンディションが上がってきてほしい。

その前にこの「腐海」みたいな部屋を片付けなければ。


2006年5月17日

ある「訃報」。

訃報というものは、著名人等の場合を除いて、本来、親族や親しい友人、同僚のみに限られるものだった。

だが、それ程親しくない知り合いや一期一会の出会いだった人の死の知らせは、特別の事でもない限り生涯知る事はなかったのである。

電話、手紙、電報、テレビ、新聞、雑誌の訃報覧以外に人の死を伝える手段はなかったから有名人でもない限り耳に入らなかったのは当然だろう。

だがネット時代になると、いとも簡単にそれらの一期一会の人達の死が解ってしまう。

先日、偶然にもそんな訃報を連続して知った。殆ど人的交流がない自分にとっては異例の事だ。

それもまだ若い。死因も突然死と自殺である。

一人は50代。もう一人は20代。

50代の方は会った事はないが、趣味の世界で結構「先生」といわれていた人。20代の方は仕事で1回だけお手伝い頂いた人。

多分、ネットがなければこの訃報に接する事はなかったはず。

人の死というものがこれだけ透明性を帯びてくると、何だか日々、死が其処此処に蠢いているようで恐ろしい。

死を知らない日常が当たり前だった時代から死の情報が氾濫する時代になると、人の命の重さが日々切々と身体と精神にのしかかってくる。

目の前の写真には当然、まだ何処かで元気でやっているであろうという前提の元に、その人物が写っているのだ。ところがその人物がすでにこの世にないと知ると、その写真は途端に重みを増す。

そしてアルバムやハードディスクを押し潰すかのごとき重量できしみを発するのだ。

ギシギシとね。

訃報というのは特別に近い親族友人が例外的に知ればよいものであって、著名人を除けば人の死は知るべき事ではないのかも。

「あいつ今なにやってるかなあ」が「あいつは死んだ」になってしまった瞬間、周りの風景はまるで『心配波止場』のごとく色褪せ、トクトクと黄泉の国よりの使者を乗せた船が半分沈みかけてこちらにやってくるような恐怖に包まれる。

「僕は死んだんだ」

「私は死んだのよ」

「まだ若くして!」

死が死を乗り越えてアルバムから這い出し、おのれの脳髄に訴えかけてくるのだ。

「僕は、私はもうこの世には、この世には居ないんだって解ってくれ!解ってくれよう!」

そして彼等の腐りかけた手が無数に伸びて、常闇の奈落に引きずり込もうとするのだ。

「さあ!僕らと、私達と一緒にいこう!」

それを認識した瞬間、自分は頭を抱え「ギャーあああ」と叫ぶとまるで梅雨空のようにどんよりとした憂鬱な空に両手を突き上げ、許しを乞うのである。

彼等の死を知る事によって獲られることもあろう。

だがそれは希有な事例に過ぎない。

人は誰でも健康で長生きしている「はず」だと思い込む事で、この世界の安定が保たれるのだ。

それがたとえ虚構だとしても。

彼等が黄泉の国に旅立ってしまった今、我らに出来る事は冥福を祈る事のみ。

安らかに。


2006年5月15日

新宿ルミネイスト

JR新宿駅東口にある駅ビル『新宿マイシティー』がいつの間にか名称が変わっていた。

最近、店鋪の入れ代わりが激しくて訳の解らない女性向け衣料品店ばかりになったと思ったら、ビル全体の名称まで変わってしまった。

以前、この日記で『新宿マイシティー』の目に余る男性差別的店鋪偏向に、どうせなら名称も『新宿フェミニストビル』にでもしたらどうだと記したが、あながちその予言も間違ってはいなかったようだ。

それにしても発音しにくい上に、憶えにくい名称だ。

その上看板が地味。前身のマイシティーが比較的派手なロゴなためより一層目立たない。

いっそ先祖帰りして『新宿ステーションビル』でよい。

一応、大きな書店も復活したようだが、相変わらず男性には居心地の悪い駅ビルである。女性ばかりが目立つ駅ビルなど窒息しそうだ。


2006年5月13日

新作絵コンテ。

次回作絵コンテ難航。

最近、絵、ストーリー共々、新しいアプローチを考えているのだがなかなか上手くいかない。

試行錯誤のロスが昨年末より続いて未完成原稿が40ページ近くも溜ってしまった。

自分のペースからすると40ページというのは相当な量。これが日の目を見ないとなると大きな損失。

もっともその原稿が必ずしも「優れた作品」ともいえない訳で、「没になるべくして没になった」のかもしれない。

これまで趣向を変えて描いた作品の中には「過去の汚点」みたいな品もあるから、敢えて完成させない方がよいかもしれぬ。

現在、かなり長い読み切りの絵コンテ作成中。

完成はいつになるやら。


2006年5月9日

NHKの朝ドラ。

朝、何となく灯されているテレビにBGVのように流れる8時15分からのドラマ。

時計代わりと言われつつも、物心付いてから40年間以上車窓からの風景のように流れている。

最近はあまりの時代錯誤に滑稽感さすら感じるものの、その滑稽さが逆に心地よい。

今のは平凡な少女が音楽家になるまでのサクセスストーリーらしいが、いわいるこのような定番ストーリーは20年程前であったならば、まだリアリティーを感じられるものの、現代においては(現代っていう言葉もNHKアーカイブ的に死語に近いが)もう誰でもその気になればこのような自由業に就けるのであって、なんらドラマ性を感じられないところが辛い。

むしろ、今は逆にお見合いで結婚し、専業主婦として何らドラマティックな出来事のない日常を淡々と描いた方が余程インパクトがあろう。

三つ指付いて夫を送り出し、黙々と家事をこなし、夫の帰りをひたすら待つ。

夫は「風呂」「飯」「寝る」しか言わない。

それを何の文句も言わず、ひたすら励み続けて老いていく。

これこそが2006年におけるNHK朝ドラの放送すべき内容だ。

なぜならば、このような婦女子の生き方は今日においては「お伽話」の世界だからだ。

今の若い女性に、こんな生活してみよと告げたら答えを待つまでもなかろう。

100人中100人が全否定するだろう。

そう!だからこそドラマにすべきなのだ。

かつて、平凡な女性が音楽家になることなど「お伽話」だったように、今の平凡な女性が専業主婦になる事が「お伽話」であれば、今こそその「お伽話」をドラマにして朝8時15分よりこれでもかこれでもかと流すべきなのだ。

『平成おはなはん』は15分間のストーリー内に10回以上、夫に対し三つ指をついて頭を下げる。

「いってらっしゃいませ」

「おかえりなさいませ」

「おやすみなさいませ」

これを見た現代の婦女子はその「お伽話」を目の前にしてガクガクブルブルしながらスリムGパンを無理矢理その太い足に詰め込んで出勤準備をするのだ。

これこそがNHK朝ドラが為すべき使命ではなかろうか。

若い女性がクリエーターを目指すなんて今や誰だって出来る。ネット上では全員「バーチャルアーティスト」の時代。

自己表現はもはや選ばれし人間の特権ではなく、誰もが出来る「お遊戯」に過ぎない。

むしろリアル世界で慎ましく専業主婦する事の方が、強靱な精神力と忍耐を要する希有な「職業」になってしまったのだ。

専業主婦を貫徹するために日夜フェミニストや世間と闘う女性のほうがどれだけ見ごたえがあるか。

題して『平成貫徹鋼鉄絶対専業主婦』

NHKは時代情況を熟考してドラマを制作せよ。


2006年5月6日

COMITIA76来場感謝。

今回もビッグサイトで開かれたコミティア当スペースまで足を運んで頂き御礼申し上げる。

また『ティアズマガジン』プッシュ&レビュー覧に感想を投稿して頂いた読者の方にも感謝しております。今後とも宜しくお願いします。

さて5月のコミティアは最も人出を見込めるシーズンである。

当日は天候もよく、平行して開かれたイベントの相乗効果もあってか、かなりの人出で会場は暑い程であった。

例によって独り参加のため、殆ど会場を見てまわれなかったのだが、近隣のサークルさんが企画した「リレー漫画」にも参加させて頂き有意義な時間を過ごせた。

新刊コピー本も完売し、無事イベントを終える事が出来た。

次回も宜しくお願いします。

それにしても新緑が眩しい。

今年のゴールデンウイークは祭日の巡り合わせもよく、また天候にも恵まれたので申し分のない連休となった。


2006年5月1日

藤田嗣治展

先日、東京近代美術館で開かれている藤田嗣治展を観に行った。

藤田嗣治(つぐはる)の絵は、実家の蔵書にあった戦争画の図版に何点か紹介されており、幼少の頃から何となく気になっていた画家だ。

今年が生誕120年ということでメディアもかなり大々的に宣伝している。かつてはまったく無視されていた「戦争画」が、最近再評価され始めた影響もあるのだろうか?

正直なところ、藤田嗣治と聞いて思い浮かべるのは、リアリズムに徹した重厚な「戦争画」であって、それ以外の作品に関しては全く知らなかったと言っても過言ではない。

だから、あのおかっぱ頭でちょび髭姿の自画像を見た時は、戦後、戦犯から逃れるために日本から脱出した挙げ句、気が狂ってピエロに徹してしまった人という、頓珍漢なイメージすら抱いてしまったのだ。

しかし、NHKの「日曜美術館」等を観て学習するに至り、この画家が類稀に見る天才であった事を遅まきながら知った。

「戦争画」を描いた故、日本から「捨てられ」、画壇からも低い評価をされてきたが故に、一般の日本人には藤田嗣治が「戦争に加担した犯罪者」いうイメージを擦込まれ続けてきたのだ。

もっとも、大半の人にはその「戦争画」すら目にする機会は殆どなかったのだろう・・。

それはさておき、藤田嗣治展

どういう訳だか、お客が多い。メディアで宣伝していたとはいえ、これ程までになぜ混んでいるのだろう?

そして、その客層の殆どは老齢者だ。

これは、この展覧会に限った事ではない。

博覧会、大規模施設公開等、最近開かれる様々な公共イベントにはこれでもかこれでもかと大量の老人が初夏のカゲロウのごとく押し掛ける。

今回の展覧会にしても、特に絵画観賞を趣味とした人達とは思えぬ老人達が長蛇の列を作っている。

愛知万博の時と同じ感覚だ。

黙々と列に並び、黙々と進み、そして退場する。

なにやら「葬列」に近い悲愴感すら漂ってくるのだ。

落ち着いて鑑賞する雰囲気ではない。柵が比較的絵に近いので人垣越しにしか見えないのも残念。

閑古鳥の鳴く展覧会も寂しいが、これ程までに混雑する、それも妙に客層が偏ったりするのも辛い。もっとも老人層は礼儀正しい人が大半なのでその点は救いなのだが、なにせ人が多すぎる。

だが、そんな会場の悪条件を忘れられる程、藤田嗣治の作品はインパクトがあり興味深かった。

総じて感じるのは、これが一人の画家の作品かと思う程、絵柄、テーマ、思想がバラバラなのである。

この人は時期、場所、立場によって臨機応変にこだわりを捨て、今一番良いと思う事を、思うがままに表現してきた人物なのだと思う。

だから、戦時中は率先して「戦争画」に取り組んだかと思えば、戦後はあっさりと国籍をフランスに移したりと、縦横無尽だ。

「偉大なる芸術家」は得てして「ろくでなし」でもある。

でなければ、あのような作品は描けないだろう。

さて、お目当ての「戦争画」展示の感想。

大作の5点が照明を暗くした部屋に飾られている。

期待以上に多数の作品が出展されていて好ましい。

以前から図版で見ていた『サイパン島同胞臣節を完うす』等、藤田嗣治の「戦争画」代表作が一堂に会するという感じ。

やはり、本物の質感の重厚さは凄まじい。

図版だと、小さいイラスト感覚であるが、壁画のごとく巨大なキャンバスに油彩で描かれた本物は迫力が違う。

一連の藤田嗣治作品の中では最も「絵画らしい」重厚な仕上がりのようにも感じる。

この時期、きっと藤田嗣治は戦争を表現する事が好きで好きでたまらなかったのだろう。この時ばかりは「軍ヲタ」のごとく、兵器の細かい描写やらが当時入手出来る限りの資料を使ってリアルに表現している(実際、アッツ島玉砕時やフィリピン島での米軍装備は、描かれていたような英軍式ではなかったが)。

また、兵士や難民の姿も生々しくリアルかつ象徴的に描かれ、観る者の心を打つ。

たとえ陸軍からの委託で描いていたとはいえ、好きじゃなきゃここまで描けまい。藤田の父親は高級軍属だったらしいので軍にコネも効き、思う存分「戦争」をキャンバスに叩き付ける事が出来たろう。心底羨ましい。

戦時という切迫し限られた時間と空間しか許されない情況だからこそ、創作エネルギーは研ぎ澄まされ、濃縮され、昇華する。

そのどこが罪か?

考えてみれば、芸術や表現活動の中には「戦争文学」や「戦場写真」、「戦争映画」もあり、たとえ穿った見方をしてそれが「好戦的」あったとしても非難される謂れはなかろう。

なぜに絵画だけがこれ程までに「疎外」されなければいけなかったのか、いささか不思議でもある。

また、「源平合戦」等の絵巻だって、ある意味「戦争画」なのであるからして、第2次大戦を描いたものだけを「疎外」し続けるというのは現実性がない。

未だに敗戦国の汚名を背負って女々しい事に徹しなければ成らぬ情況が惨め且つ不条理だ。

それはさておき、戦後フランスに渡った藤田嗣治の描く作品は、皆ポップアートみたいで、あの「戦争画」を描いた人とはとても思えぬ。

講談社の『アフタヌーン』か何かに連載されてる漫画家の作品みたいで愉快でもある。

藤田嗣治はネコも好きだったようで、裸婦画には寝そべってこちらを見ているヘンなネコが必ず描かれている。因に「戦争画」の中にもネコがいた。

藤田嗣治は「ネコ萌え〜」の人でもあったのだろう。

売り的にも「戦争画」よりこのネコの方らしい。カタログデザインにも、このネコが流用されているし、ポストカードもネコの描かれた作品が多い。

因に「戦争画」のポストカードは一枚もなかった。

いずれにせよ、これ程の画家がこれまで一般にそれ程広く紹介されなかったという「不自然さ」の原因は、明らかに「戦争画」を描いたという一点に尽きよう。

ありとあらゆる分野で、このような「不自然さ」の限界が露呈してきている。

この展覧会が老人に埋め尽されていたのも、その「不自然さ」を物語る現象のひとつだ。

なぜ、「戦争画」の前に若者がいないのか?

なぜ、この部屋だけが暗く照明を落されているのか?

サイパン玉砕の絵に描かれた一人の兵士がじっとこちらを見ている。

何かを言いたげにね。

藤田はこう語っている。

「いい戦争画を後世に残してみたまへ。何億、何十億という人がこれを観るんだ。それだからこそ、我々としては尚更一所懸命に、真面目に仕事をしなけりやならないんだ」

余談だが、数年前、少年画報社『アワーズライト』で「影男シリーズ」を始めた時、カラーイラストの企画があって藤田嗣治の『サイパン島同胞臣節を完うす』の構図を参考にしたイラストを描こうと考えた事があった。絵コンテは出来たのだが作画に入る直前に、雑誌が休刊になってしまいお蔵入りとなってしまった。

因にタイトルは『ビッグサイト同胞ヲタクを完うす』。

その極々ラフな絵コンテを紹介する。

落書きの類ではあるが、機会があればどこかで描いてみたい。


2006年4月25日

廃線。

先日、北海道の方でかなりな長距離路線の鉄道「ふるさと銀河線」が廃線になったという。

国鉄民営化後、第三セクター方式で運営していたが、それでも経営が成り立たなくなったとのこと。

自分は北海道へ行った事もなく、況してやこの鉄道に乗った事もなかったのだが、詳しくレポートしたサイトがあったので暫し読んでみた。

この鉄道沿線は、もう相当以前より過疎化が進んでいたようだ。100年近く前、この地に入植した先人は明治、大正、昭和初期にかけて原生林の伐採と酪農で賑わいを見せたが、すでに半世紀近く前からそれらの産業は衰退し、今や「忘れられた大地」と化しているかのようだ。年間利用者数が僅か数人という駅もあるようで、恰も無人の野を走るかのごとし。

だが、ある意味その情況こそが、この鉄道の存在価値を見出せる。

この鉄道は生活の手段ではなく、かつて繁栄を見せた「過去への旅」のために存在する希有な「人類遺産」として無人の野を走っているのだ。

沿線の廃屋、忘れられた民家、何もない駅前。これらの「沈黙」と「孤独」から垣間見えるモノ。それはかつてこの地に入植した開拓者スピリットの彷徨える魂だ。

まるで人魂のごとく沿線を彷徨い、乗客に囁き続ける。

「おれたちを見捨てないでくれえ。この地を命懸けで開拓したのはおれたちだ。鉄路を剥がさないでくれえ。見捨てないでくれえ!うおーん!うおーん!」

そして照明一つない常闇の極寒原野に乗客を引きずり込むのだ。

恐ろしい!

しかし、その恐ろしさこそが、この鉄道の唯一の存在の拠り所だったのではないか。

その存在の拠り所を見い出せなかった鉄道経営者の無為無策が廃線という結果を招いたのだ。

この罪は重大だ。

一度、線路が剥がされたら、もう2度と鉄道を復活させる事は出来ない。

実際、機会があったら是非この鉄道に乗ってみたかったと思う。きっと数多の創作におけるインスピレーションが獲られたはずだろうに。極めて遺憾。

このような希有な価値を持つ全国のローカル線が次々に無策のうちにこの地上から消えていくのだ。

鉄道でこそ体感出来る時空の歪みから聞こえてくる微かな「叫び」も、廃線によって永遠に失われるのである。

残るのは忌々しいモータリゼーション。車に「旅情」や「夢想」は存在しない。

狭い空間に押し込められた乗用車の中では、足立区も釧路平原も同じ感覚だ。

この鉄道沿線に、たとえ車で行けたとしても、そこで垣間見れる価値あるモノは何もない。精々寂れた国道沿いのラーメン屋かパチンコ屋かコンビニか中古車販売店がバックミラーに写るだけ。

中途半端な「東京志向」とシャッターの降りた空き店鋪と退屈で無駄な時間。

単に通り過ぎる場所。ただそれだけ。

ガソリンの高騰もあって移動するにも莫大な出資が必要になれば、もはやこんなところ誰も足を運ぶまい。

だからこの地に行く事はもう永遠にないだろう。

鉄道の無くなった僻地には何の価値もない。


2006年4月21日

土に還る。

最近、農地を借りて「農業」を勤しむ知人が複数いる。

よく通う阿佐ヶ谷某BARマスターもその一人。

練馬区の農園を借りて野菜を栽培しているのだ。最近は菜の花を栽培してメニューに加えている。テーブルにはその菜の花が鮮やかに飾ってあった。新鮮な野菜は特に調理せずとも塩のみで食べても美味だ。某BARには「アンデスの塩」があって結晶の大きいその塩をまぶして野菜を食すとこれがなかなか旨い。

農業というと重労働で気候に左右され大変な職業ではあるが、都市住民が余った時間で野菜を栽培するレベルであればむしろ精神衛生上良い事ではないか。借りる農地代もそれ程高くないと聞く。

土と馴染むという事が人間本来の姿を蘇らすのかも。確かに腐葉土の匂いを嗅ぐと、何かとても落ち着くものがある。自給自足まではいかぬが、自分で食すものを自らの手で作り上げるのは爽快だ。

かつてはそこら中、農地だった東京近郊も宅地化で殆ど土がない。

しかし、これからの人口減少によりむしろ宅地だった土地は農地に戻り、かなりの住人が都市生活しながらも自らの農園を持って兼業農民化するのではなかろうか。

365日、会社に正式雇用されて勤める者はもう少数派となろう。

週に3日、パートで働いて残りは農園に出るみたいな生活がスタンダードだ。

出世とか給料アップだとか終身雇用とか結婚子育てなんていう「当たり前の夢」は終った。

妻も子供も居ない代りに土がある。

独りささやかな農地に出て、土に触れ、土と戯れ、そして土に還る。

何も残さず土と一体化して人生を終える。

これが「マイホームパパ」に代わる「男の生き方」の定番になるのだ。


2006年4月14日

『日本沈没』

1973年に大ヒットして映画化もされたベストセラー『日本沈没』を改めて読み返す。

再版本ではなく実家の本棚に30年近く収められた最初の「カッパノベルス」版である。

これを読んだのは中学生の頃。一気に小松左京に目覚めて氏のハヤカワSF文庫各著書を読み漁った事を思い出す。

さて、何故今『日本沈没』を再度読んでみようかと思い立ったか?

最近この『日本沈没』が現代版としてリニューアル映画化されるから・・という訳ではなく、なにか関東地方に未曾有の大震災が起きるんじゃないかと漠然とした予感というか、なんかそんなざわざわした気持ちが最近やたら大きくなってきたのだ。

もっとも、東京に住んでいればいずれはデカイ地震が来て大変な事になると常に考えている訳で、今に始まった事ではないのだが。

それはさておき、改めて『日本沈没』を読むと、なんというか当時の日本のバイタリティーが強烈に熱く感じられる小説だということに気付く。

1970年の大阪万博が開かれた直後、高度成長の上昇気運が増々高まり、国民総生産、輸出、地価、物価、人口等ありとあらゆるものが右肩上がりの中、「オイルショック」が起きてその上げ潮に急ブレーキが掛かった年。

「日本沈没」はそんな絶好調時の日本にカタストロフが訪れたらというシュミレーション作品でもある。

当時日本の全てが重厚長大で大多数の国民が終身雇用で結婚子育ても「当たり前」であって、大半の者が将来に希望を持てた時代だったから、日本が沈没するにしても「挙国一致」なのだ。

皆「高度経済的ガンバリ」で国難を乗り越えようとする。

あの大阪万博を思い出してみよ。広大且つ巨大なパビリオンを一気に造り上げ、6000万人もの入場者を集め、半年後にはあっさり解体してしまうエネルギーは、今から思うと凄まじいものがある。

そんな猛烈なる「一億火の玉」「エコノミックアニマル」パワーで1億数千万人の日本人を海外に移住させるプロジェクトを敢行するのだ。

世界情勢も米ソ冷戦真只中。中国はまだ貧しくパワーバランスに影響を与える存在ではなかった。アジアの盟主は日本だった。日本の政局も自民、社会の左右両政党ががっぷり構えて「巨人大鵬たまごやき」的シンプルパワーが支配していた訳で、情況は2006年と比べ、圧倒的に解りやすい。

だから日本人全員を海外に移住させるという法外なプロジェクトも現在よりシュミレーションしやすかったろう。

それになにより「生き残ろうとする強い意志」が日本に漲っていた。

そう!主役は若者なのである。若者が充分にその能力を発揮出来る時代だったのだ。

愛する家族、愛する妻子、愛する会社、愛する国土の為に若者は頑張れたのだ。

そう!少なくとも守るべき愛する対象があったのだ!

『日本沈没』にはこれでもかこれでもかとこのような描写が記されている。

さて、これが1973年ではなく、2006年だったらどうであろうか?

バブル経済破綻以降、何もかもが右肩下がりの日本。アジアの盟主は中国に奪われ、少子高齢化、ニート引き蘢りの台頭、所得格差の増大、若者の失業率増加、未婚率の上昇と身勝手な婦女子の氾濫に老害の蔓延、行政の規模は縮小淘汰され、政治家は無能で離合集散だけを繰り返すだけ。

こんな情況ではとても挙国一致した国難プロジェクトも立てられまい。

また世界情勢も一変。中国の勃興と極東アジア諸国との軋轢、人類愛より偏狭なナショナリズムが優先される情況下で一億人もの日本難民を受け入れようなどと奇特な国家は殆どなかろう。

更には単純な情報伝達システムしかなかった1973年とは違い、現在は膨大な有象無象の情報がネットの中を駆け巡るため、「国家機密」たる日本列島の喪失情報はあっという間に国民に筒抜けとなり、デマ流言飛語が飛び交い、収拾がつかなくなろう。

人々は勝手気侭に行動し、国全体の「脱出計画」は遂に立案されないまま、なし崩しで無秩序な「民族移動」が起きよう。

だが、まともに脱出出来るのは一部の裕福な者や海外に伝手のある有力者のみ。残り大半の日本人は放置され彷徨うだけ。その責任は誰も負わない。

1973年当時は「日本沈没」後の日本民族の在り方も重大な要素として捉える国家意識もあったが、今やただ勝手に逃げ出すだけで民族云々という発想すらないだろう。今の政治家を見れば解る。殆どが日和見主義。外交も無能の極み。1973年当時はまだ第2次世界大戦敗北後に国難を乗り越えた政治家が生き残っていたが、そんな歴戦の勇者は今や皆無だ。だから人々は国など頼りにしない。

何より日本人の「生き抜こう」という意思が1973年当時と比べ、圧倒的に低い。

愛するもの、守るべきものの喪失は当時と比べ、あまりにも著しい。

特に若者はそうだ。彼等は言うだろう。

「これ以上生きて何になる。守るべき妻も子供も親もいない。ささやかな夢も希望も未来もない。日本脱出して難民として生きるよりはここで死んだ方がまし。日本が沈没するという大スペクタクルの中、一生が終るのであればむしろラッキーじゃないか。さっさと終っちまえ日本」

こんな感じで数千万人もの若者が日本列島と心中するであろう。

1973年当時の『日本沈没』ではむしろ先行き短い老人が自ら残っていくように描かれたのであるが、今や逆。若者が死を選び、年配者、特に団塊世代が脱出に血眼になろう。年金生活がまだ存続すると信じてね。

一方、グローバルな視野から見ても日本が消滅したところで大した影響はない。すでに中国がかつての「経済大国日本」の役割を凌駕しつつある現状では日本の存在は限り無く希薄だ。

そう、日本にとっても世界にとっても2006年『日本沈没』は大した事件ではないのである。

こんな情況で日本沈没を今シュミレーションしたところで何の感動も教訓も得られない。ただのドタバタエゴイズム自虐劇でおしまい。

こんな2006年版『日本沈没』誰が観たいか?

いや、むしろそんな絶望的刹那的馬鹿馬鹿しさを強調した2006年版『日本沈没』が描かれればそれはそれで興味深い。単に1973年当時の日本人をそのまま今に当てはめるような安易なリメークであれば作る価値はない。そんなのまったくリアリティーの欠片すらないからだ。

無能な政治家の失態や狼狽、エゴ丸出しの愚民、ここぞとばかりに中国人や朝鮮人になぶり殺される日本人難民。そして大量に自殺していく若者が描かれるべきだ。

そしてラスト、一握りの資産家と有力者と皇室の一部が惨めに世界の辺境で最期を待つのみ。ユダヤ人や華僑のような狡猾さもなく、ただ消え去るのみの民族という烙印を押され終劇。

簡単に言ってしまえば

「日本はもう沈没してますが、なにか?」

本当に「沈没」しかかっているこの日本で『日本沈没』は洒落にならない。


2006年4月13日

影男シリーズ最新作入稿。

4月28日発売予定の幻冬舎「月刊コミックバーズ」6月号に載る最新作を入稿。

暫く商業誌作品発表の間が空いてしまったが、やっとのことで新作執筆完了。

締め切り間際で忙殺だったため、日記の更新が滞ってしまった。数日分まとめてアップ。

昨年10月の新刊発刊後、昨年末にかけてバタバタと仕事に集中出来ない情況がつづき、苦難の道であった。やはり歳というものも原因か?

このシリーズもそろそろ大きな転換点を迎えそう。

従来の発想や世界観を一新させて現状を打破する作品作りにトライする時期が来ているのかもしれない。

そのためには独り瞑想に耽る時間が必要だ。

妄想力を発揮出来る時空間を如何に確保出来るかがステージアップの鍵となろう。

漫画家は孤独でなければならぬ。少なくとも独りの時間を確保出来なくては「創作の神」は降臨しない。


2006年4月11日

『HEROES 英雄群像伝 工藤稜イラスト画集』

数少ない知人の一人、イラストレーターの工藤稜氏の画集が4月下旬に発刊される。

その本にちょっとだけコメントとカットを寄せた。

私がパソコンで絵を描くという手法を憶えたのは工藤氏との出会いがきっかけだった。

実は『阿佐ヶ谷誘覧』をモーニングで連載していた時、CGでの色付けはすべて氏のパソコンを使わせて頂いたのだ。

「ペインター」や「フォトショップ」を一から御指導受けたのもこの時。タブレットというペン型入力装置の存在を知ったのもこの時が最初。それまではCGというものはすべて数値を打ち込んで「作画」するものだと思い込んでいたのである。

当時、パソコンのパの字も知らなかった自分に快くパソコンを御提供して頂けたのは今思えば大変恐縮であった。

氏の作品はCGでありながら、アナログ的絵画的表現が豊かで、このような質感を醸し出せる才能と技術は素晴らしい。

エヴァンゲリオン等のキャラクターが工藤氏独特の手法によって見事に「覚醒」している。

百聞は一見に如かず。是非お勧めしたい画集である。


2006年4月3日

強風。

3月中旬頃より低気圧が通過する度に猛烈な風が吹くようになった。

元々この時期は低気圧が発達しながら日本列島を東西に縦断することが多く、前線通過時の強風は珍しい事ではない。

しかし今年はちょっと質が違う。

三陸沖に抜けた低気圧が台風並に発達して北西の風を吹かせるのだ。これが尋常ではない。東京では最大瞬間風速30m/sを越え、この時期としては異例の強さ。先月19日には砂塵で空が黄色くなる程。

こんな強風が4月以降吹き続けると、山火事とか大規模な災害に繋がりかねない。

しかしあまりこの件はニュースになっていないのが不思議。

今後要警戒である。

いずれにせよ、低気圧が三陸沖近海で猛烈に発達するのは珍しい。例年ならばもっと北のオホーツク海辺りが普通。昨年暮の豪雪もこの特異な気圧配置が影響していたのではなかろうか。

今年の夏も気になる。


2006年4月1日

『漫画家誕生』

新年度が始まった。

桜が満開で綺麗。しかし次回作原稿ペン入れに忙殺され花見に行く余裕無し。更には体調も悪し。

最近、体質が大きく変わったようで予測出来ない体調の変動に戸惑う。

先日、『漫画家誕生』という本が送られてきた。

3年程前、信濃毎日新聞に連載されていたコラムの取材でお会いした中野渡淳一氏の著書。

169人もの取材された漫画家のインタビュー記事と写真で構成されている興味深い本。

殆ど漫画家同士の付き合いがない自分にとっては新鮮な内容。この中で面識ある漫画家の方はほんの数名だ。それも10年以上前の出版社パーティーで一言二事会話した程度。深い付き合いの方は皆無。

如何にこの世界で人間関係、人脈が希薄だったかを如実に物語る。逆に言えばこの情況でよく23年間も「漫画家」を続けられたなあとも思う。

確かに漫画家には社交的なタイプや孤立タイプ様々な方がいらっしゃる訳ではあるが、ちょっと読んだだけでも多彩な人脈、趣味をお持ちの漫画家さんが多いのに気が付く。特に若い漫画家さんは音楽、演劇方面にも表現手段を確保されている方が目立つ。

このような活動をされている方は、一体いつ原稿を描いているのだろう?

というより自分のような絶望的に効率の悪い仕事をしているほうが変なのだろう。家に籠って24ページ3ヶ月掛かってしまうというのは、もはや「漫画家」ではないな。

いずれにせよ、大御所含め多ジャンルな漫画家さんのデビュー当時のエピソード等が肖像付きで満載されている本なので、これから漫画家を目指したい人とか漫画家の生の姿を知りたい人にはお勧めである。

因に「あびゅうきょ」はP56〜P57で紹介されている。興味ある方はどうぞ。

新潮社刊2000円。


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