2005年1月・2月・3月


2005年3月27日

新宿『マイシティー』の「偏向」。

JR新宿駅東側にある駅ビル『マイシティー』は上階に画材店があってよく利用していた。

ところが最近、店鋪の入れ替えが進み、それが妙に偏っていて気持ちが悪い。特に地下フロアの変貌には吃驚。

従来あった食料品街、いわいる「デパ地下」が消えて女性向け高級ブティックばかりのフロアになっている。

元々、このビルは女性向けファッションの比重が高かったのだが、それにしても地下街までファッションフロアにするとは?

食料なら老若男女普遍的に利用するし、飲食する場も豊富だ。

ところが、女性ファッションという特化された店鋪は、ほんの一部のお洒落好き金余り若年女性しか対象にしていない。それ以外の者は完全に排除している。

そんな店鋪群が新宿駅前という公共性の高い場所を占拠してよいのか?

この「偏向」がこれまでこの駅ビルを利用していた人達の大いなる不満を買っている事は間違いないだろう。画材屋の向いにあった書店も無くなってしまい、代わりに入った店鋪は客の姿がない得体のしれぬ高級ブランド小物店だ。

従来の顧客を尽くゴミのように切り捨てる態度は『ラピュタ』に出てくるムスカレベルの傲慢さだ。

実用性の低い、やたら高みから見下ろすような女性向けブランド品ばかり並べる店鋪を見ていると、恐るべき差別主義が見え隠れする。

あからさまな、男性排除と既存客無視が、かつての中国「文化大革命」とクメールルージュポルポト政権下のカンボジアを思い起こさせる。

「女性優先」というただそれだけのイデオロギーで社会の公共性や利便性を破壊しようとする恐怖が、この『マイシティー』には存在する。

いったいどんな「思想」の持ち主がこのビルの店鋪を入れ替えたのだろう?

どうやら、この「偏向」は『マイシティー』だけでなく、新宿三越の地下街にも及んでいるらしい。

従来の利用者からは不満の声が上がっているという。

正直、このような店鋪の支配したビルに用はないし、そんなビルが首都の主要駅の前に存在する事自体、不愉快極まりない。

いっそ、男子入場禁止にして『マイシティー』という名称も変更、『新宿フェミニストビル』とか名乗ればよろしい。

店員も白頭巾をすっぽり被って巨大なロザリオを掲げて行進でもしていればよかろう。

まったく恐ろしい。


2005年3月25日

未来への「航跡」。

最近の新興ネット企業と民間放送局の「株争奪戦」報道も食傷ぎみ。

「株を買い占められたくなけりゃ上場するな」というのは「パンツ覗かれたくなけりゃミニスカート履くな」というレベルの話と思えばよいか?

メディアもネット企業も所詮、女子高生と痴漢の関係性に類似した「戯れ言」に過ぎない。

陳腐な欲望を追い掛けるならば、朝からパチンコ屋に並んでいる人をライブで流していればよい。こっちのほうが面白そうだ。

世の中にはもっと知るべき、知らせるべき出来事が満ちている。

例えばH2ロケットの航跡。火星の「大海原」を尚も走り続ける探査車からの風景。そして日本の小惑星探査機が撮った地球

限り無く想像は広がり、自分はガイアの一部として存在する事を認識出来るだろう。

だが、これらの「現実」をメディアは尽く無視する。

そう言えば、日本の代表的建築家の丹下健三氏が亡くなった。

丹下氏が夢想した強烈な存在感のある重厚壮大なオブジェを実体化させるエネルギーが、かつてこの国にはあったのだ。

大阪万博然り、都庁舎然り。

今日、愛知万博が開幕したが、そこにあるのはパチンコ屋の電飾レベルの矮小な飾り程度のものばかり。

21世紀最初の万博で一番人気のオブジェが昭和30年代の民家「メイの家」だとしたらこれほどの皮肉はない。

H2ロケットの航跡の果てに「未来」は待っているのだろうか?


2005年3月24日

電々公社のPHS廃止。

先日、電々公社から封書が来て、「PHSサービス止めるから携帯へ乗り換えろ」というような主旨のチラシが入っていた。

これまでの日記にも記したが、自分は約9年近く前の「電話専用」PHSをそのまま使い続けている。それで過不足はないので、多分今後とも30年間はこれを活かしたいと思っている。

ところが電々公社は、そんなユーザーなど眼中にないらしい。

チラシをみると、PHSの倍近い基本料と怪しげな液晶画面が付いた「FOMA」とかいう携帯への乗り換えを勧めている。電話番号も従来のものは使えず、料金プランも携帯に変更される。当然のことながら今よりも負担が大きくなる。

自分はこのようなツールに月2千円以上支払う気力はない。PHSを自分から発信するケースは殆どなく、ただ緊急の連絡時に持っていた方がマシという程度。毎時メールや電話をやり取りする習慣はないし、ネットワークに組み込まれて「自分の時間」を奪われる位なら孤独に浸るほうがまだマシだ。

だから「FOMA」なる携帯はいらない。

電々公社以外にもPHSが使える電話会社はあるようだし、携帯でもプランによってはPHS並の低価格で使える場合があるようだが、とにかく煩雑なものはいらないのだ。

いずれにしろ、今のPHSより負担が大きくなるのであれば、携帯ツールは放棄するかもしれぬ。外出中には留守電で十分事足りる。電話ボックスやタバコ屋のピンク色の電話もまだ使えるだろう。そもそも外出など殆どしない生活しているのだから無くてもそんなに困る事はない。PHS買った理由も実はトランシーバーモードで何処まで飛ぶかという興味があっただけなのだ。あと家の中で一般回線子機として重宝したこと位。

それで月2千円の負担で納まっていればまあ我慢は出来るが、家電の子機レベルで「FOMA」なんて使ってられない。お金を溝に捨てるようなもの。

だから「PHSサービス止めるから携帯へ乗り換えろ」という電々公社からの「命令」は一切お断りする。

PHSから黒電話変更サービスなら考えてもよいが。


2005年3月22日

コミックマーケットスペシャル来場感謝。

昨日は東京ビッグサイト西館で開かれたコミケットスペシャルあびゅうきょスペースに来場して頂き、この場を借りて御礼申し上げる。

このイベント合わせの限定本は嬉しい事に早い時間に完売となった。買えなかった方には申し訳なく思っている。

今回は装丁等を「信吉茶屋」様に御依頼した手造り本なため数に限りがあり、多部数発行は出来なかった。

またこのような機会があれば手造り本の企画をやってみたい。

それはさておき、コミケットスペシャルには今回が初参加であった。

最初は、コミティア位の人出かなと予想していたが、やはりそこはコミケット。いつもながらの人の波と熱気で溢れていた。

24時間耐久イベントということで、従来の同人イベントとは違う興味深い企画がめじろ押し。

限られた時間であったがミニFM局やメイドカフェ(但し女装男性)、鉄道模型の展示等を見て回る。普段の厳しい規制が若干緩められており、コスプレや撮影など比較的自由に出来たようだ。なにやら西館上部のテラスから大声で叫ぶ企画にやたら人気が集まっていた。

もう少し時間があればじっくり観て回りたい展示や企画があったのだが、個人サークル参加故、自分のブースを長時間留守にする訳にもいかずとても残念。一方で「時刊新聞」という毎時事に配られるチラシがあってこれはブース内に居ても楽しめる企画で好感が持てた。

会場では、同人イベント創世記からお世話になっている堀内満里子(火野妖子)氏とも御会いしていろいろ雑談、今回限定本制作で協力していただいた「信吉茶屋」さんともお知り合いだということを聞き、改めて創作系サークルの幅広い年齢層の繋がりに吃驚する。

ところで本イベント参加サークルにはコミックマーケット30年周年を記念した歴史誌が配られた。

自分が主体的に「同人イベント」に参加したのはほんの10年前だが、コミックマーケットには「漫画」を拠り所とした世代を超えた絆みたいなものを感じる。イベントの質や目的は時代によって変化しつつも、これだけの人を集める「何か」がこのコミックマーケットには存在し続けているのかもしれない。

家族や地域の結びつきが希薄になっている分、こういったイベントにその拠り所を求めているのであろうか?

そんなことを感じつつ、あっという間に終了時間の21時が来る。最後まで残っているサークルが結構多い。終了のアナウンスと同時に沸き上がる歓声と拍手。

普段、イベント開催中に見る事のないビッグサイトの夜景が印象的であった。


2005年3月20日

コミックマーケットスペシャルあびゅうきょサークルの御案内。

すでに最新情報等でもお知らせしているように、明日21日コミックマーケットスペシャル(東京ビッグサイト西館午後2時〜午後9時)にて、今回もあびゅうきょサークルが出店します。

販売スペースはE-23b(第2部1400〜2100)。

新刊は「秋葉原マニカルニガーガード」サイズはA5よりも小さい手作り豆本・新作描下ろしイラストエッセイ。予価250円。限定50部。

他既刊オフセット、コピー本等頒布予定。

会場の東京ビッグサイトへはJR山手線大崎駅経由りんかい線国際展示場駅下車が便利です。

普段のコミケットよりも遅い時間までやっています。

お誘い合わせの上、御来場いただければ幸いです。


2005年3月16日

江戸東京たてもの館

東京武蔵小金井にある「江戸東京たてもの館」に行く。

園内は梅が盛りで紅梅、白梅が美しい。桜よりも上品だ。

「たてもの館」内には明治から昭和30年代にかけての民家がそのまま移転再築されており、中に入ることも出来る。

最も興味深かったのは、昭和30〜40年代辺りに建てられた田園調布の民家だ。

ちょうど母方の実家が世田谷の奥沢にあってそれと非常に雰囲気が似ている。

木製の窓枠をシルエットに部屋に差し込む木漏れ日が郷愁を誘う。

まるで実家に帰った気分。思わず椅子に座り込むと幼少の記憶が蘇る。

あの頃は、祖母、祖父健在でなんだか賑やかだった。親戚にも子供がたくさんいて正月や御盆には親戚一同集まって華やいだ雰囲気があった。ちょうど田園調布駅前に「ケンタッキーフライドチキン」の店が出来たばかりで、それを買って里帰りしたものだ。

その母方の実家も今はバブル期の相続税により跡形もなく消え去った。

それはさておき、昭和初期の民家でも再発見あり。

縁側の造りが、父方の実家のそれと同じなのだ。経年感も酷似していて、これまた自分の家に居るかのよう。

実家は築70年以上なのだが、今も健在で何の違和感もなく住んでいる。それと同じものが博物館にあるとは滑稽だ。

改めて日本の家屋の寿命が短い事に驚かされる。

館内には、昔ながらの玩具を体験出来るコーナーがあって、コマもあった。小学校時代流行ったので身体が覚えているらしく、すぐにコマを回せた。

やはり身体で覚えたものは忘れる事はない。不思議な事に、こういう古典的な玩具は周期的に子供達の中で流行るもので、実際ベイゴマを扱える現役の小学生もいた。

それにしても、この「たてもの館」は懐かしいという感覚と、一方でそれが今現在も現役で存在しつづける奇妙な感覚が混在し不思議な情況に陥る場所だ。

宮崎駿が『千と千尋の神隠し』のモチーフにしたのもよく解る。


2005年3月11日

映画『ローレライ』観賞。

先日、新宿にて上映中の『ローレライ』を観る。平日の初回午前11時であったが座席は6割ほど埋まっていたか?

さっそく映画の感想。基本的に「ねたバレ」なし。

ビジュアル、CG、小道具に関しては思ったよりも良く出来ていたように感じる。これ位の水準であれば観ていて「冷や汗」が出て来る恥ずかしさには捕われなくて済む。

だが、ストーリー、演出に関しては辛いものがあった。

フジテレビが出資しているので、全体的にフジのテレビドラマ臭が強く生理的な抵抗感を伴う。

あの手のドラマが苦手な人にとっては、この映画はまず観ていられないだろう。

基本がそんな「民放ドラマ」であるから、それ以上の価値を期待したら見事に裏切られる。役者も演技もそのレベル内だ。『踊る大走査線』に出てくる湾岸署の職員が「戦争ごっこ」に興じているといった印象か?

このようなステージで「第3の原爆」とか「戦争の意義」とか「100年後の日本」を語られても、心に響いてこない。お台場テレビの安っぽさでそれを語られたら、すべて冗談になってしまう。

第二次世界大戦物の戦争映画としても荒唐無稽過ぎるし、リアリズムが著しく欠損している。かといってSFファンタジー映画としての魅力もない。

総じて中途半端。

パウラという『ローレライシステム』の要である少女が出てくるが、これも違和感が強烈だ。

なんだか、潜水艦映画を撮っている映画スタジオに、妻夫木聡ファンの頭がおかしいコスプレ少女が乱入して、それをそのまま撮影編集したような雰囲気がある。

結局、最後までこの作品の世界観に浸る事は出来ず、外からの傍観者として眺めていただけであった。

もっとも『パトレーバー2』も『オネアミスの翼』も、初めて映画館で観た時は、実は大して面白いとは思わなかった訳で、しばらく経つと評価も変っていくこともあるやもしれぬ。しかしアニメと違ってリアル世界の俳優が演じる実写映画では想像力の拡大にも限界があろう。

良い映画を観た後は、映画館を出ても事後の余韻が心地よいものだが、残念ながらこの映画にはそれはなかった。

帰路、カメラのさくらやで『ローレライ』の食玩を手に取ってみたものの買うまでには至らず。

ちなみにこの商品は「食玩」ではなく、お風呂で遊ぶ「浴玩」とか?

パウラは気に入ってくれるだろうか?


2005年3月7日

ラジオとインターネット。

最近、ニュースを賑わしているライブドアのニッポン放送買収劇。

ライブドアの社長は頻りにラジオとインターネットの融合を訴えているが、30年以上ラジオリスナーしている身からすると、ラジオとインターネットって似ているようで実は「水と油」のような関係。だから合い入れられるとはとても思えない。

そもそもラジオは受け身のメディアであって、能動的なネットとは体質が違う。双方向なるシステムをラジオが取り入れた途端、ラジオはその存在を自ら否定するようなもの。

所詮、ラジオは古いメディア。ネットと比べタイムラグがあり、情報ツールとしてはすでに過去のモノになりつつある。いずれ消え去るメディアなのかもしれぬ。

当のニッポン放送自身、ネットを取り入れた編成を実践し始めた途端、ラジオとしてのアイデンティティーを失い始めている。ライブドアが出てくる以前に自ら墓穴を掘っていたようなもの。

そう、ネットはラジオの墓場だ。

かつての深夜放送をネットに求めるならば、さしずめ某巨大掲示板であろうが、前者との違いはパーソナリティーというエディターが不在ということ。

渾沌とした方向性の定まらぬ言葉が蠢いているだけのネットには創造性は存在しない。

意思の対消滅が起きているだけで、かつての深夜放送が持っていた明確なベクトルとエネルギーの集約が希薄だ。

また、ツールとしても、ラジオとネットは相容れない気がする。

パソコンというハードはラジオにとって遥かに重すぎる。わざわざラジオを聴くためだけに操作が煩雑なパソコンを買う人はまず居まい。ラジオが得意としている簡素性、機動性、ながら性をパソコンは統べて削いでしまうのだ。ネットラジオが今一つ普及しないのはたぶんこの辺りに原因があろう。

ラジオは密かな楽しみである。

誰が何処で聴いているかを掌握するのは不可能だ。その上課金される事もない。

大気を介して世界中に飛んでいくラジオ電波は、地球環境の気紛れとシンクロし、場所や時間によって可聴範囲が目まぐるしく変化する。ノイズの中から僅かに聴こえるDJの声や音楽に耳を傾け、思いを馳せる事が出来るツールはラジオしかない。

この偶然性がある意味貴重なのだ。

一方、ネットはすべて通信業者の監視下にある。アクセス出来る範囲も最初から決まっている。そして何処で誰がアクセスしたかその気になれば調べがつく。どんな山奥であろうと辺境の地であろうとアクセスした瞬間、その存在を掌握されてしまう。当然ネットの利用には課金を伴う。

ラジオとネットの最も大きな違いはここに在る。

ラジオは自由だ。

そしてネットは不自由だ。

不自由なネットにラジオが取り込まれたらその時点でラジオは死ぬのである。


2005年3月3日

27年後の『未来少年コナン』。

『未来少年コナン』が、NHK教育でまた再放映されている。

久しぶりにTVで観て新たなる感慨に耽る。

この作品の上に幾重にも諸々の記憶や経験が降り積もって今の自分が存在しているのを再確認。

それにしてもヒロイン、ラナの一途さは今観ると恐ろしい程の純粋さだ。ラナを異性の理想型として悶々と妄想した日々が蘇る。

しかし、あのラナに「萌えた」1978年の自分は、もう戻っては来ない。

それどころか、悪役レプカやダイス船長の歳すら超えてしまい、果てはラナのおじいさんの心境に近づきつつある今、この27年間という時をどう現すべきか迷う。

設定では2008年、超磁力兵器によって大陸が沈む予定。

その「未来」さえ、あと3年でやってくる。

『未来絶望中年コナン』は孤独の中、ニートとして「のこされ島」で死ぬ。

現実はアニメよりも悲惨であった。


2005年3月1日

PHS。

なにやらNTTドコモがPHSから撤退するとか。

NTTパーソナル時代からおよそ9年間、当時購入した末端を今尚使い続けている。機種変換の意思まったくなし。しかし2年後位には既存のユーザーも強制的に携帯に移行させられる様子。料金とか高く取られそうで腹が立つ。フォーマなんて御免被る。話せればよいのであってメールも写真も動画も一切いらない。

とにかく、この末端は壊れるまで使い続けるつもりだ。

先日、このPHSをうっかり水没させてしまった。暫く機能停止してしまったがストーブで乾かしたら完全復帰。まだまだいける。

とにかく携帯には余計な機能が多すぎる。その割には必要のないものばかり。そんなに多機能にしたければこんなのはどうだ?

牛丼が受話器から出てくる機能。お腹が空いた時、便利。

電話が掛かってくると、真っ赤な赤血球が吹き出す機能。多い日も安心。

妊娠機能。精液をかけると10ヶ月後に子供が産まれる。遺伝子を残したい未婚男性にうってつけ。

電話もメールも出来ない機能。孤独を堪能出来る。

自爆機能。TNT火薬を埋め込んであるので何時でも自殺出来る。

骨壷、位牌付き機能。いつ死んでも安心。ついでに死亡通知や埋葬許可書も自動送信。至れり尽せり。

まあ、この位の機能がつけば携帯に乗り換えることを考えてもよい。

現状の子供騙しみたいな携帯は一切いらない。

電々公社はユーザーの欲するものをもっと考慮すべきだ。


2005年2月27日

画面の構成。

28日発売の『コミックバーズ』が届く。

カラー表紙を断ち切りサイズで描いたのは失敗。

肝心の飛行機の部分に題字が重なってしまい、なんだか締まりのない表紙絵になってしまった。

この絵を断ち切りにすると、どうしてもタイトルがこの辺りに配置されるのは予測出来たはずで、もう少し絵の配置や構成を考えるべきであった。

せっかく、一枚イラストとして納得のいく構図の作品が描けたとしても、漫画はそこに「フキだし」とか「タイトル字」とか「擬音」が入るのだ。あと断ち切りの場合、左右上下が切られ画面が狭くなる事も考えて描かねばならぬ。

それを配慮しないと、イメージ通りの作品に仕上がってくれない。

デビューしてから約22年、同じ失敗を繰り返してばかりだ。

更に商業出版の場合、自費出版と違って、必ずしも自分で題字等のレイアウトとか決められる訳ではないから、尚更事前の入念な段取りや打ち合わせ能力も必要になってくる。

また時間的に余裕がない場合もあり、割切りや妥協も必要だ。

今回はそういった反省点を今更ながら思い知らされた。


2005年2月23日

新たなる展開。

トップ絵に2/28発売『月刊コミックバーズ』に掲載予定の新作カラー表紙イラストをアップ。

バックの雲の位置が違う作品を2バージョン描いたので、本に掲載されるイラストとは若干変化あるかも。

さて、あと一ヶ月ちょっとで年度も代わる。

来年度は創作活動において新たな企画を模索中だ。

これまで自分の作品はあくまで印刷媒体として発表していたが、少しシフトチェンジして、原画を生で観てもらうステージも考えていきたい。

いわいる「原画展」や原画そのものの販売とか、一枚の絵としての単価を高めていく方向性も必要なのかもしれぬ。

またそのような企画実践によって新たな道も見えてこよう。

そもそも、純粋な漫画の絵とは言いがたいモノを描き続けてきた訳だから、それをこれまでやってこなかった方が不自然なのかもしれぬ。

とはいえ、原画展のノウハウや人脈は皆無といってよく、すべてゼロからの出発となる。

いままで自分の作品の展示企画といえば、2000年の『デビルマン・イラストレーションズ』と有志合同のクロッキーワークショップの展示会位だ。いずれも個展とは違い、あくまで出版社やサークルの企画に参加するという「他力本願」だ。

自分主体の個展の企画などどこから手を付けてよいかも解らぬ。

売れっ子作家であれば、黙っていても出版社が企画立案してくれるだろうが、自分レベルでは相手にもしてくれまい。自分で動かない限り永遠に無理だ。折をみて担当様に相談してみよう。

コミティア(同人レベルの原画展示もいずれやってみたい)や漫画書店での展示というのも考えたが、もう少し腰の座った個展が出来ないものかと思案している。画廊とまではいかないが、ある程度余裕をもって落ち着けるスペースを確保出来れはベターだ。それなりに販売物も用意して、複製原画販売もしてみたい。告知もある程度、大規模にしなければ意味がなかろう。

もし、この日記を読んでいる方で「原画展」等のノウハウや情報を持っていらしたらe-mailで御一報いただけると幸いである。

ただ仕事部屋に籠り、無駄に溜ったネガティブなエネルギーをネットで吐き出すだけの情況ではもはや可能性に限界が見えている。内向きのベクトルを軌道修正しないことには何も始まらない。

いずれにしろ、一人で出来ることではない。有能なスタッフや知り合いとの連係が必要不可欠なのだが、これが最も難しい。

いずれにしろ、来年度中には何か出来ないかと考えている。


2005年2月22日

きょうは猫の日である。

2月22日だから「にゃーにゃーにゃー」なのだ。

映画『ローレライ』のCMがたまに流れている。

もっと盛り上げて欲しいものだが。

潜水艦映画といえば1981年頃の西ドイツ映画『Uボート』にインパクトがあった。

公開時には結構派手にCMも放映され、NHKでも特集された記憶がある。

あれから20年強。フェミニズムが浸透した今日では、こういった戦争映画を積極的に宣伝する例は殆どない。韓流ブームとかで女々しいものばかりが注目される暗黒の時代(もっとも最近の韓国映画には戦争物もあるのだが)。出来が良くても評価すらされないのだ。まったくの受難。

でもなぜ『ローレライ』はアニメではなく、実写なのだろうか?

無論、いわいるセルアニメと実写CGとの境が曖昧になった今日では、その差を論じるのはナンセンスかもしれない。でも実際の役者とアニメキャラクターではその「神話性」の深度が違い過ぎる。

世界的にも評価されるのは日本の「アニメ」であり、実写の場合は結局ハリウッド映画と比較され影が薄くなるのではという心配はこれまでの日記にも何回か記した。実際、観ていてもそんな感じだ。時折やりきれない「陳腐さ」に辛くなる。アニメだとそんな心配もなく「世界最高水準」の「萌え」に陶酔出来る。

『ローレライ』も実写にすると、どうしてもその世界観に没入出来ない「壁」がありそうで、今一つ劇場に足を運ぶ気が起きぬ。

やはり、庵野世代のクリエーターってどこかハンデを背負わされているんじゃないかと思う。

興行的にも媒体的にも思う存分100%エネルギーを発揮出来る場がないような。

中途半端に燻って、戦力を消耗している感じ。

ちょうど大平洋戦争中のガダルカナル、ソロモン戦役当時と似ているか?

あの当時も日本陸海軍首脳部は戦略的に無能に近かったな。戦場の将兵は比較的優秀だったのに。

まったく憂鬱だ。


2005年2月21日

『フォレストガンプ一期一会』

先日、テレビで放映していた10年ぐらい前のアメリカ映画。

知り合いから是非とも観ろと言われていたのでチャンネルを合わせた。

名作ということは知っていたが、今まで観る機会がなかったので幸いだ。

アメリカを徹底的に描いているのに、アメリカ映画らしくない部分に不思議を感じる。

そして異様に一途な主人公。性善説を貫く所がキリスト教的ではないのだ。

この歳になると、もうあまり新しい映画を受け入れられないが、久しぶりに面白い作品を観た。

この放映日を教えてくれた知り合いに感謝。

これも一期一会。


2005年2月20日

コミティア来場感謝。

同人のお知り合いの協力でなんとか欠席する事なくイベントを終える事が出来た。

この場を借りて御礼申し上げる。

さて、当日自分は13時過ぎから残り2時間程のみの参加だったが、別件でスーツを着たまま会場入りしたので妙な気分。こういった場では背広はまったく場違いだ。同人会場でスーツ姿というのは逆に特殊ですらある。

それに着慣れていないとこれほど窮屈で厄介で実用性に欠けた服はない。冬寒く、夏熱い。革靴も堅くて痛い。その上、これを着ると画一的な序列世界の制服のようで劣等感を呼び込む。

毎日これを着て出勤する「世界」に生きていたら、今頃自分はどうなっていたであろう?

それはさておき、この日もすっきりしない天気。

だらだらと霧雨が降っている。

空気が病に罹っているごとく嫌な冬だ。


2005年2月18日

2/20コミティア御案内。

2/20東京ビッグサイト東1ホールで開かれるCOMITIA71のスペースはZ20aです。

実は、今回の参加時間は大幅に短く、午後1時半頃からになりそうだ。大変申し訳ない。

いつもなら同人イベントを最優先に予定を組んでいるのだが、どうしても抜けられない用事が出来てしまい今回は短縮参加になる。

自分に代わってスペースを取り仕切ってくれる仲間がいればよいのだが、なかなか難しい。

1日中拘束する上に、お金の管理とかあるため簡単に頼める要件ではない。同人イベントに縁のない知り合いにはちょっと頼みづらい。かといって同人仲間も少ないから結局頼るは自分だけ。

そのような訳で、今回は午後1時半以降の参加となる。

御容赦願いたい。

但し、無料配布ペーパーはスペースに置いておくので宜しくお願いします。

その代わり、来月3/21東京ビッグサイト西ホールで開かれるコミケットスペシャルには午後の部でフル参加の予定であるので宜しく(限定本企画あり)。


2005年2月16日

また雨。

またまた憂鬱な冬の雨である。

こんな年はあまり経験がない。これだけの降水量で雪にならないのはちょっと変だ。

今年の関東地方も猛暑、台風、豪雨、長雨の傾向が続くのか?

地震より憂鬱な雨の方が身体に悪影響を与えそうだ。

「ゲーム脳」

世間では事あるごとに「引き籠り」、「ゲーム脳」の事を引き合いに出すが、むしろ今の「ゆとり教育」で堕落してる公立学校行くほうが有害ではなかろうか?

学校なんて、もはや飼い主のいないドッグヤードみたいなものだ。

不法侵入云々以前にしっかりと檻の中で躾を徹底させるほうが先決と思うのだが。

ある意味、引き蘢って学校行かない子供の方が、正しい選択をしている気がする。

部屋に籠って特殊技能や、妄想力付けてた方が「立派な大人」に成れる。人間として覚醒するのだ。「ゲーム脳」大いに結構ではないか。

これからの子供は、自室に引き蘢って「神からの電波」を受信出来るよう励むべきなのだ。生身の人間と接する必要などない。

「ゲーム脳」プラス「引き蘢り」=「神への道」なのだ。


2005年2月13日

牛丼と南セントレア市。

先日、テレビニュースを観ていたら、車が突っ込んで大穴が空いている牛丼屋が映っていた。実況検分の様子かなと思っていたら違うのである。

なんと平然黙々と牛丼を食っている客の映像だった。

店も何事もなかったように営業を続けている。そして店の外には長い行列が。

これはいったい何なのだろう?

どうやら一日限りの「牛丼デー」だったらしい。この日に牛丼食うと不老不死にでも成れるか?

とにかくワラワラと人が集まっている。この国では牛丼屋は聖地メッカのようなものか?

アメリカ産の胡散臭いバラ牛肉がそんなに有り難いのモノとは知らなんだ。

同じニュースで「南セントレア市」の話題が流れた。

なにやら新名古屋空港のニックネームに合わせて市町村合併の折、それに肖って近隣の自治体が命名したそうだ。

これを見てお台場に中途半端な「自由の女神」が建っているのを思い出した。

あれを恥と思わず、平然と公衆の面前に飾ってしまう感覚は偉大でさえある。全裸趣味と近い。

このような横文字カタカナメリケンを崇拝する輩と、牛丼屋やパチンコ屋に並んでる人の感覚っておそらくかなりシンクロ率が高いと思われる。

いっそ、牛丼屋とパチンコ屋を合体させてパチンコ玉入り汁だく牛丼を発売しては如何だろう。

口の中に、まったりとした米国産牛肉とパチンコ玉にこびりついた垢と錆びが不思議なミスマッチを醸し出して結構いけるかも。

店の名前は『パチンコ牛丼セントレア』。

毎日満員御礼だ。

先日、パチンコ屋の前を通ったら『新世紀エヴァンゲリオン』のポスターが貼ってあった。

どうやら『エヴァ』の台があるらしい。

渚カヲル曰く

「パチンコはいいねえ。パチンコは心を滅ぼしてくれる。リリンが生み出した堕落の極みだよ」

世も末なり。


2005年2月12日

原稿完成。

次号「月刊コミックバーズ」用原稿がやっと10日に完成。

2月28日発売に間に合わせるため2月初旬は修羅場状態。殆ど部屋に籠りっぱなし。日記の更新も暫く滞った。

溜ってしまった通信販売発送作業も今日明日中に済まさねば。

申し込んだ方々には発送の遅れ大変申し訳ない。

予定では1月中に仕上げねばならない商業原稿がもう一つあり、それもこれからだ。更に3月のコミケットスペシャルに発刊予定の限定豆本原稿も取りかからなければならぬ。

やることがいっぱいあるのに重い空気の中でもがいているようになかなか進んでくれない。

単に物理的な作画の遅れというより、精神的な疲弊があるのかも。

この歳で在るべき人生設計というか朧げな将来像と現実のギャップがいよいよ激しくなり過ぎてショックアブソーバーが効かなくなってしまった感覚。

ほぼ同期でメジャーになった漫画家さん、たとえば朝日新聞夕刊の4コマを描いているしりあがり寿氏(学漫時代の25年近く前、多摩美の学祭で一言二言会話したことがあった)とかと比べるとあまりにも自分のポテンシャルが低すぎて目眩がする。

はたして、自分は漫画家なのだろうか?

思えばデビューしてからこれまで、いわいる漫画家さん同志の深い交流は皆無だった。精々、出版社のパーティーとかその場限りの会話のみ。

アシスタントを使わないし、またアシスタントをした経験もないのでいわいる自分以外の漫画家の「現場」というものを知らない。

普遍的オーソドックスな漫画の作画行程の流れとか仕事場の空気を知る体験は一度もないまま、プロデビューして22年近く過ぎてしまった。

隔絶された世界で悶々と独り机に向って絵を描き続けただけ。

こんな情況ではまともな人脈も作れない。

もう少し創作活動の質を変えなければいけない段階に来ているのかもしれぬ。


2005年2月4日

天気予報の雪だるま。

最近の寒波でNHKテレビの天気予報に出てくる雪だるまが変だ。

雪が落ちてくるのを目で追ったり、ぐるぐる回ったり、時には口を大きく開けて吠える。

それを観る度、恐ろしくなってコタツに潜り込む。

あの雪だるまは何者だ?


2005年2月3日

大地の「癌」。

昔、小松左京のSF小説でこんなのがあった。

空間に黒い穴のようなものが出現し、それが日を追うごとに転移、増殖し遂には世界を滅ぼすと。

先日、実家西隣の家屋と庭が解体業者によって更地にされた。

この辺りでは最近、珍しくない「大地の虐殺行為」なのだが、遂にその魔の手が隣家まで迫ったのだ。

実家の周辺は関東大震災から戦後にかけ宅地化が進み、庭付き一戸建ての木造住宅が林立している。だがその多くは昔からこの地を所有している大地主の借地といわれる。

その借地が近年、次々に潰されて駐車場に変わっていく。

住人の高齢化や移転、バブル以降の土地の税制やらでこのような「大地の大虐殺」が加速化しているようだ。

緑豊かだったこの阿佐ヶ谷の地も、醜悪なる「大虐殺行為」によって息が詰まるような住環境に変化しつつある。

実家の西隣の家人もかつてはその広い庭を大切に手入れして、四季豊かな草花で彩られていた。

それは特段意識する事でもなかった。このような庭木の緑が周辺に存在するのは当たり前だったからだ。

そんな隣家も庭を手入れしていた主人が年老いて死去し、残った家族もいつしか転居し、無人となって久しかった。結局遅かれ早かれ更地にされる運命しか残されていないのだ。

予想に違わず、その庭に残されていた樹木は、無惨にもブルドーザーとチェーンソーでなぎ倒された。

そこに存在する事が当たり前だった樹木が断末魔の叫びを上げて殺されていく。

「ぎゃああああー!」

「ぐへえー!」

そんな慈悲の叫びに答える筈もなく、作業員は「愛しい緑」をブルドーザーで下敷きにしていく。

かつてこの緑豊かな空間には野鳥が集まり、風雨や日射から家屋を守り、酸素を放出して大地を何十年にも渡り保全していた。

しかし僅か2日でその穏やかで愛しい「聖域」は茶色い土塊の何もない空間になった。

ポッカリと空いたその空虚な場所は、数年前に同じような理由で駐車場にされた場所と繋がり、異様なおぞましい光景を見せる。

「これは癌だな」

思わず自分は呟く。

正常な細胞分裂に異常をきたし、悪性腫瘍となったその癌細胞は無秩序に爆発的な増殖を繰り返し、遂にはその者を死に至しめる。

この更地だってそうだ。

やがてアスファルトで塗り固められるその醜悪なる空間はただ税金対策のために存在するだけ。夏には猛烈な輻射熱を発し、雨水はそのまま排水溝に流れ、生き物の気配もなく、ただ鉄の塊の車が出入りするだけの「悪魔の棲家」。

それが何よりも優先される「土地の有効利用」だそうだ。

この「癌細胞」の異常で無秩序な増殖が、やがてこの地を「死」に居たらしめるのは容易に想像出来る。

誰ももそれを止めようともしないし、その気もない。

もはや治療不可能な末期的症状だ。

自分は徐に最大限の憎悪を込めて、この更地に唾を吐き付けた。

緑豊かだったこの土地を醜悪な「悪魔の棲家」に変えようとしている全ての者に神罰を。

大地の癌は人の憎しみさえも増殖させるのだ。


2005年2月1日

バブル期に一世を風靡した女性漫画家の訃報が新聞に載っていた。

まだ42歳だったとか。これが独身男性だったりすると、まあこの位の歳で死ぬ漫画家はそれほど珍しくないので驚きもしないのだが、既婚女性漫画家の早死はちょっと憂鬱だ。

なんか洒落にならないほど重いものがある。

この人の作品は朝日新聞の一コマ連載漫画で何回か観た事がある。バブル期に「おやじギャル」という言葉を流布させ、倉田真由実等の女尊男卑系漫画家の先駆けという印象だった。

何者にも束縛されずに、自由に活動する女性を描き、自らも実践した人。純粋な漫画家という感じではなかったが、結婚、出産も実践して、まあこの時代に生きた女性としては欲しいものはみんな手に入れたといえよう。

しかし、生きるために最も重要な健康を害してしまっては元も子もない。

これは本人にとって如何ともしがたい運命ではあるが、なんとも皮肉な人生だ。

だが彼女の「死」は単に運命として片付けられるものとは思えない。

彼女のような生き方を賞賛し奨励していたメディアにもその責任はあるのではないだろうか?

「おやじギャル」的生き方が、結果として女性の健康を害し、ストレスを増大させ、病魔を招き入れているとしたら、彼女の後継者たる倉田真由実や『負け犬の遠吠え』の著者、そして昨年度の芥川賞受賞女流作家もまた、その悪しき教えを流布する罪を負っているのだ。

女性の早死ほど忌わしく、恐ろしいものはない。

御冥福を祈る。


2005年1月30日

火星の轍。

着陸してから1年以上経つ火星探査車『オポチュニティー』が撮った火星上の轍

遥か地平線にまでつづく車輪の跡に、唯一現在進行形の「冒険」を垣間見る事が出来る。

それにしても丈夫な火星探査車だ。当初は3ヶ月程度の設計寿命だったらしいが、すでにその4倍長生きしている。

やはりこれからはパソコンも車も長寿命設計のものが望まれる。この探査車はそのよい見本だ。

今後とも新たな発見を期待したい。

原稿多忙極める。

「影男シリーズ」の次回作は表紙カラーなのでそれを先に入稿しないといけない。

最近のカラー原稿作画は殆どパソコンで色付けしているため、手描きより多少は効率がよいが、それでも結構ギリギリのスケジュール。

その他、諸々の原稿も控えているため急がねば。

ADSLになったというのにネットする暇もない。


2005年1月28日

ADSL開通。

今更ながらやっとADSLにした。

先日、プロバイダーからADSL移行勧誘の電話があった。普段だったら断るのだが、そろそろダイヤルアップのネット環境にも限界を感じていたので渋々承諾す。そして先日モデムが届いた。

とはいえ、モデムの設定等面倒くさい上に仕事が詰まっていたので暫く放置するつもりだった。しかし1週間以内に設定しないとまずいらしく、更にADSLプラン移行後はダイヤルアップだとかなり料金が嵩みそうなので嫌々ながら接続設定作業に入る。

なにせ今だOS8.6の上にブラウザのバージョンも古く、説明書に記してある表示と異なる場合があって難義する。

本来なら1時間程で済むモデム設定作業も6時間経っても終わらない。ジャバを有効にするとか一見簡単な設定変更もよく解らない。特にTCP/IPの設定作業が皆目お手上げ。何せ説明書とは異なる設定画面しか出てこず、いくらやってもダメ。暫くしてなんとかブラウザ上での接続設定には成功。指示通りモデムのランプが点灯する。

やっとこれでADSL開通かと思い、ブラウザを立ち上げるが「接続に失敗しました」という表示が出るだけ。

半日かかってこれである。もううんざりしてADSLなんて止めときゃよかったと放っぽり出したくなる。

翌日、プロバイダーのサポートに電話。確かにネットには接続成功しているという。問題はHPが開かないこと。サポートの人からアドレス覧に数字を打ち込めと指示される。

するとちゃんとホームページが表示された。

どうやら「DNSサーバーアドレス設定」がうまくいっていないとのこと。何の事だかよく解らないが、例のTCP/IPのことだろう。

説明書では「DCHPサーバを参照」という表示が出るはずなのだ。しかし自分のパソコンには何故か設定方法が「手作業」という表示に固定されている画面しか出てこない。サポートの人も解らないようだ。半分諦め気分であれこれいじっているとTCP/IPメニューの「ファイル」にある「設定」という項目を見つける。そこを選択するとなにやらプロバイダー名がいくつか記されたリストが出て来た。それを変更してみると、なんと説明書通りの画面が出てきたではないか。

こんな過程を要するなどとはまったく説明されていない。なぜ自分のパソコンがこんな設定だったのかも皆目不明。パソコンというものはとにかく複雑でやっかい極まりない。ちょっとしたことで袋小路に入ってしまい、出口がみつからない。まったく迷路みたいだ。

結局設定開始から完了まで24時間以上を要した。

まったく疲れる。


2005年1月23日

超高層ビルと「人体の不思議」。

原稿に追われる中、会期終了が迫っていた写真展と特別展示展に赴く。

一つは西新宿パークタワーで開かれていた西新宿定点撮影写真展『超高層都市、これまで、これから』

1969年から35年間に渡って新宿高層ビル群の変貌を同じ場所から撮り続けた写真展だ。

かつては淀橋浄水場だったところににょきにょきと超高層ビルが建つ様を連続写真を繋げてCG化したものは圧巻だ。

言うまでもなく、自分にとって西新宿高層ビル群は『聖地』である。学生時代から足繁く通って写真を撮り続け、作品の題材にしてきた。

西新宿超高層ビルの遍歴をこうして時間を縮めて見ると、無機質なビル群がまるで生き物のように感じる。

それにしても、35年の間、よく同じ場所で撮り続けられたものだと思う。定点観測の目の前に高い建物が出来たら視界が塞がれてOUTになった訳で、35年前にこの場所を設定したカメラマンの勘の良さに感心する。

さて同じ日、もう一つ観たのは東京国際フォーラムで開かれている『人体の不思議展』

本物の人体標本を展示しているのだが、これが酷く忌わしい。

展示方法にも問題があるのかもしれないが科学的好奇心はまったく刺激されず、どちらかと言うとお化け屋敷の延長上にあるようなゲテモノ展示会だ。あるいは人肉展示即売会か?

人体の輪切りがフォアグラみたいに美味しそうなのだが、それが人肉と解ると気色が悪い。

如何わしい団体が主催しているのかと疑ったが、とりあえず日本医師会が後援しているようなので「見せ物」のつもりはなかろう。しかし違和感は拭い切れぬ。こういったモノは、医者とか解剖学の学生とかが見るべきものであって、一般の人間が観賞すべきものではない。土曜日で込み合う会場では家族連れやカップルがニコニコしながらそれらの解体された「死体」をまじまじと眺めている。

その光景は異様だ。

更にミュージアムショップでは「死体」のキーフォルダーまで売っていた。

魂の抜け殻である「死体」をこのような場で曝すのは、如何に標本であろうと生命の冒涜と感じざる負えない。

怒りに震えながら会場を回っていると「死体」の一つが徐にこちらに話しかけてきた。

「我が死せる肉体を土に還せ。オロローン、オロローン・・」

それを聞いた自分はすっとんで出口に突進し、逃げるように会場を後にした。

まったくおぞましい展示会だった。身体が穢れる思いだ。

超高層ビルの写真展では生命の活力が感じられる一方で、こちらの「死体展示会」は死の恐怖だけしかない。


2005年1月17日

阪神大震災10周年。

6千人余の犠牲者を出した阪神大震災から10年。テレビ、ラジオはその特集番組で一杯だ。

震災時、自分は高性能中波ループアンテナで、神戸のラジオ関西を東京で傍受し、ずっとモニターしていた。そのスタジオの混乱情況が震災のインパクトを物語っていた。一方テレビの方は、まったく情報が入らないまま。やはり災害時における即応性はラジオの方が勝っていると実感した。当時は携帯も普及していなかったから尚更だ。

それはさておき、あれから10年、あの震災直後にオウム真理教事件が大々的に報道され、それと相まって世の中の自由度がいっぺんに萎縮していった感がある。みんな後ろ向きで未来を見ない。酷い閉塞感だ。

今回の震災報道だって、なんか情緒的で胡散臭い。建設的な考察とか科学的検証等は殆どなし。阪神大震災が実は地震兵器ではないのかという検証番組とかあってもよいのに。

当の被災者も10年経って自分達の事を「気の毒な人達」という視点でメディアに引っ掻き回されるのは迷惑だろう。殆どの人が「放っといてくれ」というのか本音ではないだろうか?

NHKの朝ドラ『わかば』が阪神大震災とタイアップしている展開はなんとも鬱陶しい。

元々、このドラマにはイライラさせられる。

全て観ている訳ではないが、偽善的な「都市緑化推進」みたいなことをテーマにしている部分は無性に腹が立つ。

(都市緑地=「有効利用されない無駄な土地」=潰して更地)という土建と不動産の利益のみのために成り立っている法律とか税制がある限り、都市緑地は生き残れないのだ。

にも拘らず、救世主面してさも簡単に「緑の神戸を創りましょう」等と訴える主人公の偽善ぶりが我慢ならない。

もしこれを本気で訴えるならば、都市計画を司る所轄官庁、大手ゼネコン、不動産屋に主人公が自爆テロ攻撃するストーリーにせよ。

それで初めて「都市緑地」が守れるのだ。

欺瞞と偽善に溢れた阪神大震災10周年。

いい加減にしてもらいたい。


2005年1月16日

禍々しい雨。

天気予報では大雪になる筈の週末東京はなぜか冷たい雨が降り続く。

この時期の雨は憂鬱そのものだ。

雪が積もり白銀に覆われれば希有な風景に心も踊る。いやな日常も隠されよう。

ところが雨はただの雨。寒い上にただ濡れるだけ。

それも梅雨のごとくだらだら降られては気が滅入る。

昨年の秋から冬にかけて、日本の南海上から湿った気団が幾度となく侵入し、禍々しい長雨をもたらしたのと同じパターンのようだ。

おぞましい妖気を漂わせジメジメした禍を連れてくる雰囲気さえ漂うこの気団。それが繰り返しやってくる度に憂鬱なことが降り掛かる。

三陸沖で渦を巻き、妖気をまき散らす悪魔気団。

これはガイアの病かもしれぬ。


2005年1月15日

土星の衛星タイタン探査。

アメリカのNASAとヨーロッパの宇宙機構が計画したタイタン軟着陸計画が成功した。

着陸機から送られて来た映像は驚異に満ちている。

まるで地球の海岸線のような地形。気圧は地球の1.5倍程度だが、地表付近の気温はマイナス100度以下。無論、水は液体で存在しないが、代わりにメタンの海があると予想されている。

とにかくロマンと知的好奇心を膨らませてくれる。

こういうものが真っ当な「ニュース」というのだ。

昨年1月に火星に軟着陸した二つの探査車も健在だ。

最近、自ら火星大気圏突入時に切り離したカプセルを地表で発見した画像が送られて来た。

実にわくわくする。未知の世界での発見と冒険!これこそが生きる原動力だ。

アメリカとヨーロッパはとにかく頑張っている。

それに比べ、日本の惑星探査はどうなっているのだ?

火星探査機『のぞみ』やH2ロケット打上げ失敗の後、のろのろと準備しているみたいだが、ぱっとしない。いくつかの計画はあるようだが具体策に欠けて本気でやる気があるのだろうか?

こういった日本の宇宙計画は、あいかわらず技術者のオナニーみたいな自己完結案ばかりで野心的な血沸き肉踊るようなプロジェクトがない。

宇宙開発に限らず、今の日本には野心的な計画を立案、実行する人材が圧倒的にいないのだ。

唯一、この計画が進行中だが是非とも成功させてほしい。

といってもNASAの『ディープインパクト』計画に比べたら寂しい限り。

屋敷森「カイニョ」保護。

この日、NHKテレビで放映していた『地球大好き』という番組(おそらく愛知万博関連の企画番組と思われる)で富山の屋敷森「カイニョ」の話題を放映していた。

水田の中に緑の島のごとく点在する屋敷森「カイニョ」。

代々、屋敷を風雨から守り、豊かな緑でガイアの息吹きを享受してきた緑の小宇宙。

ところが最近、その神聖なる屋敷森が危機に瀕しているという。

屋敷の主人が落ち葉処理を嫌って、過剰に木々を剪定してしまった結果、木が弱り、昨今の台風で軒並み倒れてしまったという。

都会の屋敷森では隣接する家屋との関係もあって剪定をする話はよく聞くが、富山のような田園地帯で同じような事をしているのは意外だった。

いったいこれはどういうことだ?

いつ頃からか、落ち葉をゴミとして考える悪しき思想がこの日本に蔓延しはじめたのが原因だろう。

あと一時期、焼却炉のダイオキシン問題で過剰に反応した愚か者が落ち葉の焚き火さえ危険視した風潮も一因として上げられよう。

だが落ち葉はいずれ腐葉土となり、更なる豊かな土壌を育む天からの恵みだ。その循環の中で人々はガイアの恩恵を享受してきた。

ところが最近は、敷地をコンクリートで埋め、車を置いてその屋敷森が齎す神聖なガイアの恵みを拒絶した生活様式が蔓延した。

落ち葉を邪魔物扱いし、それどころか「カイニョ」自体を破棄しようとする馬鹿共さえ現れているという。

ところでこの日記でも何回か記したが、自分の実家は都内で比較的広い庭があり、大きな落葉樹もある。子供の頃からこの庭の神聖なる息吹に自分は生かされてきた。

だがその庭は、あらいる悪法、悪癖の蔓延で常に危機に瀕している。

老人達はなぜかこのガイアの恵みに無頓着で、庭の管理の手間や経費、世間体ばかり気にしてあっさりと伐採してしまう。

このような老人はおそらく戦後の経済必至主義という危険思想に犯され、日本が太古の昔から緑豊かな神聖なる深い森に守られてきたことを忘れてしまったのだろう。むしろ若い者の方が緑を大切にするくらいだ。

馬鹿な老人がいつまでもこんな事をしていては、この國が滅んでしまう。

まずは、落ち葉がゴミという考えを「危険思想」と定義し、法律で落ち葉を神聖なる恵みとして規定する必要があるだろう。むしろ落ち葉の堆積は人間の生命力を高める作用がある。

このNHKの番組では、剪定の仕方云々で対策を講じていたが、そんな手緩い方法ではこの神聖なる屋敷森「カイニョ」は守れまい。

一切の剪定を禁じ、屋敷森の樹木は「神の化身」とするのだ。

これを破った者は死刑、ないし無期懲役とする。

住人の徹底した思想教育と厳粛なる規律、そして税制等の特権が是非とも必要だ。

宇宙開発にしろ神聖なる屋敷森保護にしろ、強力なリーダーシップなくしては遂行出来ない。

まあ、パチンコ屋とサラ金と牛丼屋のメリーゴーランドに乗っかってぐるぐる回るしかない馬鹿とクズが蔓延するこの日本に希望を託すこと自体、無意味なのだが。


2005年1月14日

「玉の輿」と「負け犬」

テレビのチャンネルを適当にザッピングしていたら独身高齢女性タレントが資産家男性と結婚して、晴れて「玉の輿」を獲得したというどうでもいいようなニュースがあった。

容姿端麗な元美少女タレントだから、たとえ40歳になろうとその気になったら幾らでも結婚相手はいる。

そんな独身女性タレントがやれ結婚出来ないから「負け犬」だと騒いでテレビを賑わしているが、彼女らは結婚出来ないのではなく結婚したくないだけ。結婚恋愛対象の男など周りに腐る程居よう。

すべて洒落でやっているのだ。

「玉の輿」と「負け犬」は実は同じようなもので、むしろ同意語として扱うべきなのだ。

女性が楽して暮らせるという意味では、差などない。いかに「負け犬」という言葉が欺瞞に満ち満ちているかこれで解ろう。

馬鹿にするのも程がある。

一方で絶望独身男性はどう転んでも結婚出来ないのだ。

女尊男卑の嵐の中で不当に糾弾され、無視され、犯罪者扱いされている絶望独身男性の苦悩を顧みるメディアは今だ皆無だ。

2005年もその傾向は強まる事はあっても、弱まる事はあるまい。

今年も絶望独身男性の自殺は天文学的な数に登るだろう。

この残酷な事実に鈍感なメディアと独身婦女子。

だがいずれこの罪に対する報いを受ける日が来る事を忘れるな。

絶望独身男性の苦悩は洒落ではないのだから。


2005年1月12日

大坂万博の頃。

万博の話題その2。

大坂万博のことを回顧したサイトが幾つかあるが、ここはなかなか興味深い。

大坂万博開催期間中のことがもれなく記録されている。

この半年間に世界ではどんなことがあったか見てみるがよい。

ざっと上げただけでも、20世紀を代表する出来事が幾つも起きている。僅か半年でだ。

赤軍派「よど号」ハイジャック。

大阪地下鉄天六駅工事中にガス爆発。死者79人。

ポールの脱退によりビートルズ解散。

アポロ13号機械船の事故で月着陸を断念。奇跡の生還。

米軍、カンボジアに侵攻。

日本隊、エベレスト初登頂(松浦輝男、植村直己)。

日航ジャンボ1番機、羽田に到着。

反安保統一行動全国で約77万人が参加。

日本初原子力船「むつ」母港に帰還 。

戦艦「陸奥」の砲塔引き上げ。

都で光化学スモッグ注意報・警報の発令開始 。

東京の銀座、新宿、池袋、浅草で歩行者天国が始まる。

電電公社、昭和47年度から市内3分10円など電話料金の改定案を発表。

等。

如何にこの頃が熱く、ポジティブな時代であったか如実に理解出来る。

それに比べて、この2005年はどうだ?

おそらく、愛知万博開催中の半年間に伝えられるニュースといったら、大坂万博の1000分の1程度のエネルギーしか存在しない陳腐でネガティブなものばかりであろう。

最下層の人間がやらかした犯罪、虐待、不道徳の数々。でなければ婦女子と餓鬼と老人ばかりを持ち上げた愚にもつかない話題ばかりが流れてくる。

三分で忘れてしまう事ばかり。つまりゴミだ。

汚物とおしめと使用済み生理用品の匂いしかしない2005年。

人類の科学的発展や発明、冒険や勇気を鼓舞する魂を揺さぶるような便りなど一切ないのだ。

こんな時代に生きて何になろうとつくづく思う。

やはりこの「未来」は間違っているのだ。


2005年1月8日

愛知万博。

今年は1970年以来、35年ぶりに日本で開かれる国際公式博覧会が愛知で開かれるそうだ。

だが、もはやその愛知万博に期待するモノは何もない。

それに比べ、35年前の大坂万博は壮大な希望に溢れていた。

当時、まだ自分は小学生。あまりの混雑に結局行くのは諦めたのだが、総入場者6千万人を超える超弩級イベントはおそらくあれが最初で最後だろう。そう考えると惜しい。

あの頃、大坂万博で披露された「未来図」は2005年になれば確実に現実化されるだろうと信じて疑わなかった。だから敢えて見に行く必要はないと思っていた。放っておいても未来は勝手にやってくるはずだったからね。

ところが「未来」は来なかった。

「人類の進歩と調和」をテーマとした大坂万博の未来予想図は大きく外れた。

何故か希望の「未来」は20世紀末に頓挫し、失意と絶望と老いが支配する禍々しい21世紀が来てしまった。

月面基地も海底牧場も原子力遊覧船もエアカーもSSTも世界連邦もスペースコロニーもメイドロボットも存在しない。

そんな輝ける「未来」は1970年に置き去りにされ、代わりにゴミ溜に放り込まれた汚物のような2005年が来た。

あるのは破滅的少子化と老人介護と年金負担と結婚しない婦女子の身勝手とパチンコ屋とサラ金と犯罪と青年男子の失意と絶望、それに年間3万人余の自殺位だ。

そんな2005年に欺瞞と虚構に塗れた博覧会が開かれる。

愛知万博のテーマは「環境」だそうだが、自然林を破壊して会場を設営している情況からしてすでにこのイベントの意義は破綻している。

死にかけのゼネコンと愛知の自動車会社が取りあえず「何かやりました」という程度のやっつけ仕事でしかない。

太陽の塔のようなシンボルもなければ参加各国の熱意もない。

出し物といえば今更「月の石」である。35年前と同じモノを飾るという発想しかないという時点でもうこれはダメなのだ。

もし、自分が愛知万博をプロデュース出来ればこうするだろう。

絶望の世紀に見合うテーマを考える。それは

「人類の終焉と死」だ。

35年前に夢見た若い人々がこれから死を迎えるのだからちょうどよい。

会場には巨大な「絶望の塔」が聳える。それは火葬場の煙突で、毎日10000人を処理出来る巨大な原子力火葬炉がその下に設置されているのだ。

入場者はもれなくその火葬場で処理してくれるサービス付。前売り券は全国の病院、老人介護施設、ホスピスで優先的に入手出来るから便利だ。

さて、各国のパビリオンには最先端の安楽死施設が設置され、お好みの「死」が選べる。火葬、土葬、水葬、鳥葬、風葬のデモストレーションが毎日披露され、会場は死臭で満たされる。

リニアカーには白骨が満載され、その骨は名古屋国際空港から特別機で伊勢湾にばらまかれる。

宮崎駿コーナーではメイの家の代わりにナウシカに出てくる聖都シュワの『墓所』を忠実に再現。中に死体を大量に放り込んでおく。

お祭り広場ではツボイノリオや坂東英二が毎日葬式漫談を披露。引田テンコウのギロチンマジックで本当に人の首が飛ぶと、後ろで控えていたギター侍が一言決め文句を叫ぶ。

「死んでますからー!残念!」

コンパニオンは黒いミニの喪服で常に葬列行進し、会場内には生焼けの黒焦げ死体が至る所に転がっている。

死体や白骨と記念撮影も出来るし、マスコットの「白骨君と火葬場君」が子供達を死体処理場に招く。

開催期間中に5千万人を処分するのがこの万博の目標だ。

如何であろう?

これこそが今の時代に相応しい万博ではなかろうか?

特に団塊の世代にはお勧めだ。

定年前にこの愛知万博へ。火葬場君が待ってるよ。


2005年1月3日

謹賀新年

2005年が明けた。

だが例年にもまして正月という雰囲気は希薄で、暗澹たる気分だけが朧げに漂う年末年始であった。

曜日の巡り合わせもあってか、もう3日には仕事始めのような雰囲気があって落ち着かない。

かつて子供の頃は年末年始は特別な趣きがあった。

テレビもニュースもこの時だけは「寿」の表情をしていた。

だが、今はそんな配慮もなく連日のゴミ溜情報を飽きもせずばら撒いているだけ。

年月の感覚もマヒして2004年だろうと2005年だろうと何の感慨もない。

悪くなる事はあれど、良くなる事など何もないからだ。

正月の新聞には、あと35年もすると日本の人口は1億人を割り込み、かつてない程の人口減社会が到来するという。戦争や災害以外でこんな急速な人口減は歴史上なかったという。

仮にそれを補うために移民を受け入れたとしても破滅的治安の悪化と日本文化の消滅が待っているだけ。

犯罪と破壊と混乱の2040年代。

その頃、生きているとすれば80代だ。

恐ろしい程の社会混乱の中で死んでいくしかない絶望独身男性の姿が目に写る。

今のような社会保障も年金もなく、看取る妻も子供も友もなく、恐ろしい程の孤独と絶望と混乱の中、一生を終えるのだろう。

丁重に葬られる事もなく、遺体は死体処理場に放り込まれるだけ。残された財産は移民の犯罪者集団に全て強奪されるだろう。

なにもかも失って死ぬのだ。そしてその魂すら弔ってはくれない。

これが今年の初夢である。

なんとも酷いものだ。


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