10月1日 日曜日

5時に目が覚めた フロントでは 真っ白いシャツに黒い蝶ネクタイ姿のオナーの息子さんらしき人が こぼれるような笑顔で 煎りたてのコーヒーを勧めてくれる。
唇がやけどしそうなぐらいに熱くて美味しい


モーテル前の谷間の道路はまだ薄暗く 周囲に点在する看板のネオンサインが柔らかな乳白色の霧の中で寂しげに点滅を繰り返し、ライトを点燈させた車が瞬く間に通り過ぎ 橙色のテールランプが夜霧で黒光りする道路に吸い込まれていった。
温度計は14度を示している。

6時 朝もやに包まれた道路をしばらく走ると 昨日の幹線道路40号線に合流して、日の出前の薄暗いKnoxvilleを通過し西へと急ぐ
テネシー州中部を横断する40号線は 森と湖の牧歌的な雰囲気が漂い、片側二車線の道路は西へ西へと周囲の森と林をぬって ときには緩やかなカーブとなだらかなアップ・ダウンを調和させながら 遠くにかすむ淡い蒼色の山なみに向かって限りなく続く。

アメリカの車には 予め速度を設定するとアクセルを踏まなくても自動的に指定速度で走行するオートクルージング機能が備わっている。延々と続く道路をアクセルを踏みながら長時間運転していると足の脛が突っ張ってくるが このオートクルージングがあると便利だ。
100キロ毎にある道路沿いの無人休憩所はトイレ 飲料とスナック菓子の自動販売機 公衆電話がある程度で ほとんどの人はトイレ休憩であるが 足の脛をマッサージしている人をたまに見かける。

オートクルージングを制限速度10マイルオ−バーの75マイルに設定して走行していると 突然日本から持参したレーダー探知機が ピッピッからピーッと連続音に変わった。
後続車がいないことを確認して軽くブレーキを踏みオートクルージングを解除して 制限速度の65マイルに減速して右カーブを曲がる。路側帯には違反車両の処理が終わりパトカーの左側のドアーのノブに手をかけたまま こちらを振り向いた女性警察官と 一瞬目が合ったような気がした。
薄緑色のつば広のウエスタンハットをかぶり 黒の皮製のロングブーツを履いた小柄な女性だ。
しばらく制限速度の65マイルで走行していると 僕の運転する車は 子供を連れて歩くカルガモの親みたいに車列の先頭になってしまった。
ルームミラーで後方を確認すると 先ほどのパトカーが追い越し車線を追尾してくるのが見えて レーダーは鳴りっぱなしだ。
左側のサイドミラーに 女性の運転手と助手席の男性とが識別できるぐらいに接近してきた。
僕は自動車教習所で教わった通り 背筋を伸ばし ハンドルは10時10分の位置 両肘を心持緩めて前方を注視しながら模範的な運転をしている。
しばらく追尾していたパトカーは これは駄目だと悟ったのか周囲の視線を意識したかのようにハンドルを派手に左にきり 道路の中央分離帯の緑草地を土埃をあげながらUターンして反対車線に消えてくれた。

9時前 Nashvilleのビル群を横目でみながら通過。
カーブの手前に R40West  Sharp carbの標識が見えた。
オーバードライブをoffにして55マイルに減速するとエンジンの回転計は3,200回転に上昇する。
この左カーブを スポンジを踏むような柔らかさでアクセルトを僅かに固定すると Dレンジのまま気持ちよい感覚を保ちながらカーブを曲がりきる。




10時テネシー西部のJacksonville通過。
さらにビルが林立する
Memphisを過ぎてミシシッピ川を渡ると 橋の中央にHOME OF PRESIDENT BILL CLINTON
 おらが国の大統領 とでも書かれた看板があった。↓


     
 

1時 サービスエリアで休憩をとる。
朝から 滑走路のように広い40号線を430マイル 7時間で走ったことになる。
 道路の周囲は 日本のように電柱とかコンクリートの壁とか危険なものは皆無で、 自然の懐に抱かれた道路 こんな表現ができるかもしれない。 
  
3時 Little Rock 左側車線をそのまま通過したため 40号線を離れ一旦街の中に入り込んでしまう


6時半アーカンサス州からオクラホマ州に入った


オートバイでツーリングする若者を運転席からパチリッ
右下隅の禁煙マークは レンタカーの窓ガラスに貼ってあるものです
朝から既に700マイル(1100キロ)走行している。
今回の大陸横断ドライブは 大西洋岸から太平洋側へと東から西へ走るので 朝は車の後方から太陽が昇り 夕方は日没の太陽に向かって走るパターンとなる。
左ハンドル車でこのルートを走ると 太陽の陽射しが 一日中運転席の南側のガラス越しに射し込む。
これが毎日続くと かなり疲れるし 鼻を中心に顔の左半分だけが日焼けしてしまうのではないかと心配になってくる。

      
東部時間から中央部時間に入ったため1時間の時間調整が必要。

↑の写真 右下隅の時間は1日20時7分となっていますが 東部時間のままですので現在の現地時間は19時7分となります。


      
オクラホマシティーに近づくにつれ 日没前の太陽が進行方向道路の真ん前 しかも 地平線から輝いているという最悪の運転条件となった。
運転席のサンバイザーを下ろし 背筋を思いっきり伸ばして座高を高めても サンバイザーの下から太陽の光がまともに目に入ってくる。 

今晩の宿は オクラホマ市のモーテル6にしてみた。
いかにも庶民が泊る雰囲気である

一泊25.95ドル 税込み28.8ドルであった。

フロントでは 小柄な目の澄んだ若い黒人女性が対応してくれ、クレジットカードの他に運転免許証の提示を求められ 彼女はライセンス番号も控えていた


部屋は粗末であるが シーツにはしっかりと糊がつき タオル 石鹸も備えられ TVもある。
部屋の扉のドアチェーンの側に 「自分の身は自分で守ろう」とのステッカーが貼ってあるのをみて
 おのずから身が引き締まる。 

夜 白人の太ったご婦人の訪問をうけた。
 ドアチェーンをしたまま扉越しに話してみると 部屋番号は同じであったが 棟を間違えたようであった。


夕食は近くのレストラン食べようと思うが、安全を考慮して車で出かけることにした。
Tボーンステーキに飲み物は牛乳を注文 目の前にでてきた牛乳は ビールの中ジョッキ程の大きさで 味も濃かった

夜 ロスのBobに電話を入れた。Bobはアメリカのエアーフォースに入隊して、沖縄のKadena基地に勤務しているときに 素晴らしい日本女性と結婚した。
アメリカ本土に帰国後除隊して、現在は民間会社に勤務している。
Bobが出張で日本に来るたびに、お互いに時間を工面して 東京を中心に札幌とか大阪でも会っていた間柄なのである

アメリカに来ることを 彼には わざと伝えていなかった。
私の貧しい英語力 年齢 さらに彼自身が母国の治安の悪さを憂いでいたからである。
事前に彼に相談すれば、多分反対されるだろうし 仮に大陸横断を決行しても 彼にいらぬ心配をかけると思っていたからだ。
ニューヨークから2日間でオクラホマに来ていることを告げると 当初日本からの電話だと思っていたボブは 電話先でクレイジーだと口走る。
 核実験を強行したフランスのシラク大統領と どっちがクレイジーだと聞いたら セイムだと返事が返ってきた。
週末にはロスで再開することを約束する。

今日は900マイル走行した なんと2日間で1600マイル(2,500Km)北米大陸の中央まで来てしまった。このまま走り続ければ あと二日で西海岸へ到着してしまう。
 やはりBobの言う通り クレイジー かもしれない。


2日間の旅で ある程度大陸横断の自信もついてきたので、明日からは ゆっくりと時間をかけながら コースを選んで走行することにしよう。
それにしても良く頑張った。
疲労感はない

                               4/8へ