陸奥へのドライブ(かつて公開していた旅行記)

東北道 青森 十和田湖


弘前で過ごす休日

ずいぶん深い眠りだった気がする。気が付いたら午後の1時半を回っていた。

車で東京から青森まで走り通したその日の午後のことである。青森県庁で、友人のK氏(県庁勤め)と落ち合い、今日の行動ののプランニング。これといった名案は出ないまま弘前まで行くことにした。

午後3時、車を捨てて青森駅に行き、秋田方面の普通電車に乗る。ホームに止まっている電車はたったの2両。40分ほどで弘前に着いたが、ついに空席は生じなかった。この電車については、稿を改めて書きたいと思う。

弘前に行って何をするか。ガイドブックを開いたりしているうちに「弘前公園に行って満開の桜を見よう」とか「どうやって行けばいいか」とかが朧気ながら分かってくる。公園方面に行くバスに乗り込むと、中扉が手すりで塞いである。車内のくたびれ具合などから察するに、多分東京あたりで使っていたバスの中古であろう。

弘前の街は、駅と市街地の中心とが少し離れている。弘前は城下町だったためか、市の中心を走るバスの中から見た限りでは、狭い道路が入り組んでおりせせこましい。しかし、十分な幅を持たない道路、せせこましく見える建物が、逆に「にぎわい感」を効果的に演出するから不思議である。現在の日本の地方都市では、中心市街地の空洞化が叫ばれているが、他の都市に比べると弘前はそれほど顕著ではないという。言われてみれば確かにシャッターを閉ざしている店は他と比べて少ない気がした。

弘前公園の近くでバスを降り、外壕伝いに歩く。桜は丁度満開、思わず息を飲む。訪れている観光客もみんな息を飲んでいる。

入場料300円を払い(「桜まつり」期間中のみ入場が有料になる)、もともと弘前城だった公園内に入る。今日5月2日が丁度見所のようだ。頭上が桃色というか白色というか、桜色で覆われている。桜の花がいい匂いである。そのふもとは、観光客で溢れんばかりであり、テレビ会社も複数来ている。夕方のニュースに「弘前は桜が満開です」と全国で流されたかもしれない。

しだれ桜がほころぶ天守閣に入る。天守閣の中は資料館になっており、当時の藩政の資料が並べられている。最上階から見た桜と岩木山との取り合わせが印象的だった。

階段を昇りながら、K氏と「江戸時代には下級武士とかはこの天守閣の上まで決裁とか取りに来てたのかな」「いやいや普段領主は天守閣じゃあ仕事していないよ」「この覗き穴から昔は槍とか突いていたんだ」「そんな事しなくても上から油とか流せば石垣をよじ昇ってこれないよ」等と馬鹿な話を交わす。

花見らしき団体がブルーシートを張って歓談している。本当に「歓談」であって、泥酔している人はいない。夜は結構冷えるので、夜桜はあまりやらないとのこと。確かに、日が暮れてきてシャツ一枚では結構寒くなってきた。

 

夜の弘南電車

陽が岩木山の向こうに沈まんとする頃であった。

寒風に震えながら20分ほどバスを待っていると、観光バスらしき車が止まった。怪訝に思ったが、行先は確かに「鯵ヶ沢−弘前駅」とある。鯵ケ沢は日本海の港町、岩木山の外周をグルリと回って走ってきた路線である。

もとが観光バスなので椅子の掛け心地はすこぶる良好、いつの間にか寝入ってしまって、気がついたら弘前駅に着いていた。

当初は弘前らしいものを肴に一杯やる、という構想だったが、ガイドブックを見ても妙案は思い浮かばないまま、駅まで来てしまった。そのうち、「弘前らしい肴」の方はどうでもよくなって、「弘前に来たからには地元の弘南電車に乗ってみたい」と思うようになった。

弘南電車は、現在、弘前−黒石間、中央弘前−大鰐間の2路線がある。今回筆者が乗ったのは後者、大鰐温泉まで出ると、折り返しの中央弘前行がホームに止まっている。2両編成の電車は東急線の中古で、以前東急マークが貼ってあった箇所にはラーメン丼を連想させる弘南鉄道の社紋が貼ってある。これだけでも随分地方色豊かに見えてくるから不思議だ。社内にはバスのように運賃箱と料金表がある。

ほどなく発車、線路の状態が良くないのか、台車の特性なのか、とにかくよく揺れる。カーブ等では、ガタンゴガタンゴと引っ張られるように曲がって行く。ほどなく駅に着くので、「揺れては走り、揺れては停まり」の繰り返しである。沿線の風景は全く見えない。30分ほどで中央弘前まで到着。

繁華街のとば口にある中央弘前駅は、場末の食堂的な設計と夜店を彷彿とさせるオレンジ色の電照看板を持つ、地方色豊かな駅である。連休前夜と言うこともあって、夜の7時半を回ったというのに、実に多くの人が街に繰り出している。若い人が多いこともあって、あたかもお祭りのような雰囲気もである。やはり地方都市はこういう活気がなくてはならない。

中央弘前からJR弘前駅まで歩こうとするが、案外距離が遠い。やむを得ず、途中でタクシーを拾った。東北地方は中型のタクシーが多く、そのなかでも三菱ギャランシグマとかマツダカスタムキャブとか、東京では滅多にお目にかかれないような車種にもよく出会う。つかまえた車もギャランシグマだった。

 

弘前駅で間一髪青森行きを捕まえる。編成が長いこともあって混んでいないが、乗り合わせた高校生の元気の良さはどうだろう。開放的な車内を縦横無尽に闊歩している。現に乗り合わせた男性の表情が、サングラス越しに苦虫を噛み潰した視線を投げ掛けているのを筆者は見た。

結局、臨時列車の発着で駅だけが賑やかな青森に到着。表通りに人影は少ない。弘前と異なり、幅広く整備された道路を走る車も少なく、より一層閑散とした雰囲気である。古くからの街並みと幅広い道路といった取り合わせはどうも大陸的な雰囲気である。そういえば韓国のソウルもこんな感じだった。

まだ残っていた市営バスで繁華街まで出て、地元のホルモン焼の店で一杯あげた。炭火を前にK氏と談笑、楽しかったが後半は良く覚えていない。ただ、特産品のニンニクを食べ過ぎたようで、なかなか寝付けなかった。

5月3日の話

 


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更新日 2005.5.24/無断転載および無断引用はご遠慮ください/Link Free/・・・
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