100本トリップ・ファイル004
「80年代トリップ・YMO編」

用語解説&YMO関連エピソード






YMO JAPAN TOUR '83

いわゆるYMO"散開"ツアー。


1983年11月23日スタート(札幌)。  最終公演は12月22日 日本武道館。
サポートメンバーはデビット・パーマー(ドラムス)。

ライブの模様は、同年12月31日、NHK総合「YMO SPECIAL」にて放送。
●散開記念ライブアルバム「アフターサーヴィス」(1984年2月22日発売)
収録曲:プロパガンダ/東風/ビハインド・ザ・マスク/ソリッド・ステイト・サヴァイヴァ−/中国女/音楽/バレエ/ワイルド・アンビションズ/希望の河/手掛かり/テクノポリス/以心電信/過激な淑女/ 君に、胸キュン/ファイヤークラッカー
●まるで情緒のない(いかにもドイツ的な)ただ広いだけといった邸宅が組まれ、楽器類はドラムセットだけが見える。両脇には、演説にもってこいの大仰な机が左右ひとつずつ。そして、何本もある柱には、赤と黒で配色されたファシズムの匂いのするYMOの軍旗。3人の服装はミリタリールックというよりもカッコイイ軍服の雰囲気です。
(サウンド−ル1984年2月号 「いってらしゃいYMO 送辞 高橋竜一」より抜粋)

この、もろ"ナチスドイツ"な舞台を担当したのは、黒テント「68/71」の演出家(映画「プロパガンダ」監督)の佐藤信と舞台美術家・妹尾河童。


※当時、YMOでは断然「YT」びいきだった私ですが、この時の細野さんはめちゃカッコいいです。音的には、あまりにも質が高過ぎてあまりライブという感じがしなかったような。まるでCDを聴いてるみたいな完璧さというか。


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2回目のワールドツアー

ツアーの正式名称は「WORLD TOUR '80 FROM TOKIO TO TOKYO」
1980年10月、イギリス公演からスタート
。 サポートメンバーは大村憲司(ギター、ヴォーカル)、矢野顕子(キーボード、ヴォーカル)、松武秀樹(コンピュータプログラマー)。

※そういえばこの頃、つまんない授業の時は、机の上やノートの隅にライブの曲順をひたすら書いておりました。それがもう楽しくて楽しくて(笑)。今思うと何が楽しいのかわかんないんだけど。


1.Riot in Lagos  2.The End Of Asia  3.Behind The Mask
4.Rydeen 5.Maps 6.Nice Age 7.Core Of Eden
8.Citizens Of Science 9.La Femme Chinoise
10.Solid State Survivor 11.Radio Junk 12.Kang Tong Boy
13.1000 Knives 14.Fire Cracker 15.Cosmic Surfin
16. Tong Poo

※基本的な曲目はこんなもので、公演によっては多少順序が変わったり、「Technopolis」や「All You Need Is Love」が加わることも。

※2回目のワールドツアーでまず思い出されるのはフジテレビで放映されたL.Aチャップリンメモリアルスタジオからの宇宙中継(1980年11月)。アメリカの音楽関係者や有名ミュージシャン達がたくさん招待され、確か、あのカーペンターズや、流暢な日本語で話すジミー・オズモンド(!)の姿も。途中、なぜか三宅一生のファッションショーが入ったり、"Y村M理"のはっきり言って邪魔なトークが入ったり(笑)、何人かの観客が突然踊りだすちょっとヤラセくさいハプニングがあったりと(オープニングの「Riot in Lagos」のトラブルはマジでシャレんナンナイハプニングだったらしいですが)、いかにもフジテレビらしい盛りだくさんの内容。当時TVでYMOライブをあれだけいっぺんに観られることはそうはなかったので、非常に興奮したのを覚えてます。

 そしてこのワールドツアーで一番ハマッた"音"といったらFMで放送されたロンドン・ハマースミスオデオンでのライブ(1980年10月公演)。兄が録音したヤツをよく借りて聴いてました。曲も順番も他のライブと殆んど同じなのに、あの公演はなぜか聴いた時の"ドキドキ"感が違うというか。そのライブが録音されたSONYの赤い安カセットテープが、どことなく他のテープにはない高級感が漂ってるように見えたもんです(笑)。ラジオのエアチェックは主に兄の担当で、YMOが出演する番組やライブ関係は殆んど録音してて。(私もその辺ではかなり楽させてもらいました。あとでダビングさせてもらえばいいやって感じで。)それらのすべてを20年経った今も大切に保管して持ってるという典型的なコレクター気質人間の兄に幸あれ(笑)!





武道館ライブ(80.12.27)






1980年のワールドツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」の締めくくりは、富士写真フィルム主催の招待ライブ。この日は、計10000名を無料招待。応募方法はフジカセットの品質保証マークをはがきに貼って応募、抽選。

※行ける、行けないは別として、とりあえず家じゅうのフジカセットをかきあつめて、家族全員の名前を使って何口か応募。結果1枚当選。が、当時私もまだ高一で、しかも当時東京まで2時間以上かかる地方都市(田舎ってことですが)に住んでいたので、東京のライブ、ましてやひとりでなんて当然親が許すわけもなく、半分あきらめかけていたところ、なんと兄にも1枚当たり、兄と一緒に行くなら、ということで無事許可がおり、とうとう念願の「生YMO」を体感することに…。
 
 そして、待ちに待った1980年12月27日、日本武道館。

 前座のサンディ&サンセッツの「ジミーマック」で程よく温まった会場。次はいよいよメインイベントということで場内の緊張は急速に高まり、そろそろ頂点に達しようとしていたちょうどその時、実にいいタイミングでその演奏は始まった。場内は一気に興奮のルツボ。遠くて顔は良く見えないが、衣装はどうも学生服のようだった。ははは、YMOらしいな、と思っていると、どうも会場の様子がおかいし。さっきまでの声援はざわめきに変わり、やがてブーイングが…。あらら、よく見れば!なんてこった!!…先ほど私が何の疑いもなく黄色い声援を贈ってしまったその相手は、なんと、当時YMOのコピーを中心に活動し、TV等にもたくさん出演していた中高生バンド、コズミックインベンションだった。確かにオープニングが「テクノポリス」っていうのはちょっと妙だなと思わないわけではなかったが。しかしまさかこんなタイミングで彼等を出すとは…。急速に冷え込む場内…。

 決してコズミックインベンションが悪かったわけじゃない。演奏もYMOと間違えるくらい巧かったわけだし。問題は、間違えることを意図的に狙ったと思われる、決してセンスがいいとはいえない演出の方(YMOと勘違いさせて、一気に落とす。一体それのどこにユーモアを感じればいいのか)。これは明らかに罪。実際、YMOの演奏が始まっても、一度下がってしまったテンションはそう簡単には元には戻らず、結局ライブ全体としては、正直今ひとつ盛り上がりにかけるものになってしまったし。オーソドックスに「次は今話題の中学生バンド、コズミックインベンションでーす」みたいな紹介があった方がかえって盛り上がったかもしれないのに。「在広東少年」など、個々の演奏では結構良かったものもあっただけに、最初の"つまづき"が実に惜しまれる、実に残念なライブではありました。(まぁ、無料招待だし、YMO他ゲスト全員で踊る「タイトゥンアップ」はかなり盛り上がったので、一応良しとしましたがね。)



YMO武道館コンサートご招待
入場券の半券、


当日会場で購入したパンフレット
 「国際画報」

 
・このライブの模様は1980年12月31日フジテレビにて放送。 
※この番組も正直イマイチだった印象が。せっかく盛り上がった「タイトゥンアップ」も早送りだったし,「歓声」も"後入れ"っぽかったし。



 



フジカセットの抽選



「耳が冴えてきた。いい音をくれないか。…フジカセット。」
※「磁性紀」のメロディーとともに
いまだ脳裏に焼きついて離れないフジカセットCMコピー。


 


フジカセットは数多くのYMOグッズの抽選を行ってました。
おかげで、必要も無いのにフジカセットをたくさん買う羽目になりましたが。
当たる確率、結構高かったのか、抽選にあまり運のない私でも
いくつかゲットすることができました。


私caicoが応募したYMOグッズはこちら。
〇当たったもの・×はずれたもの
↓↓↓
YMOブックカセット
※カセットの中身はYMO3人のトークと、フジカセットのCMでおなじみの「磁性紀」。本は、真ん中にカセットが入るようにくり抜かれていて、読みづらい。カセットは、兄から「開けると価値が下がる」と言われ未開封のまま。今も、家の物置のどこかで眠ってるはず…。

YMO武道館コンサート
※わが家は2枚当たりました。


×YMOテクノバッジ
※友達が当たったので、触ったことはあります。

YMOバッジ
※テクノバッジがはずれた中から、さらに抽選で。






 



YMO百科展

YMO座談会

あのYMOがファンに大サービス!
全国のYMOフリークたちが池袋に大集結!?
…実に夢のようなイベントでございました。


会期:1981年3月20日〜25日
会場:西武百貨店・池袋店8回特別催事場

入場料300円


当日会場で買ったポスター(確か1枚300円)。
サイズがでかいのでちょっと扱いづらい。

↓↓





※新聞の一面広告を見て「これは大変!」と、同じくYMOファンの友達を誘い、2人で行くことに。が、直前、何を怖気づいたのか、その友達がいきなりキャンセル。恐るべし、「東京」の壁。しかたなく、YMOに全く興味のない6才上の姉に頼んで一緒に行ってもらうことに。

 当日(3/21)、時々小雨の混じる不安定な天気の中、開催場所の池袋西武に着いたのは朝の10時。当然のことながら既に長蛇の列。やはり同世代の男子が圧倒的に多い。気が遠くなるほど待たされて、やっとのことで「YMO座談会」が行われる特設ステージ(屋上?とにかく外)のある会場へ。

 YMO座談会の後に行われる「握手&スタンプ会」は、発売されたばかりのYMOの新譜「BGM」、または写真集「OMIYAGE」を会場で購入した人のみ参加できるということで、「OMIYAGE」は既に地元の書店で予約済みだった私は、「BGM」の方を購入。整理券を受け取り、着席して待機。といっても客席は青いビニールシートが敷いてあるだけの簡単なもので、当然座りごこちは最悪。それなのに、またそこでも長時間待たされることに。会場に繰り返し繰り返し流れる「BGM」…。バレエ・音楽の計画・ラップ現象・ハッピーエンド・千のナイフ・キュー・UT・カムフラージュ・マス・LOOM・バレエ・音楽の計画・ラップ現象・ハッピーエンド・千のナイフ・キュー・UT・カムフラージュ・マス・LOOM・バレエ…YMOの新譜をこんな風に聴かなきゃならないなんて…。しかも"青ビニシート"に"体育すわり"で。せめてもうちょっといい音で聴かせてよってんだ。……さらに何度か繰り返され、ああ、「BGM」はもううんざり、嫌いになりそう、と思い始めたところで、やっと、やっと、YMOのお三方の登場となりました。…良かった、嫌いになる前で。
(おかげさまで、「BGM」は嫌いどころか、私の一番好きなアルバムとなっております。今でもよく聴きます。)



幸宏はロマン神経症、教授はヒマン神経症。

教授は太り気味なのを気にして縄跳びをはじめたとか。
座談会での会話で憶えてるのって、残念ながらこれくらい。
あ、林家三平のものまねなんてのもやってたような…。

お三方の並び順は向かって左から、細野氏・坂本氏、高橋氏。



↓↓

座談会の次はいよいよサインスタンプ&握手会だ!


・まず整理券に記された番号を呼ばれた順に並び(例えば101番〜120番まで、といった感じに間隔をあけて少しづつ)、YMOの3人のいるステージに上がってスタンプと握手をしてもらう、確かそんな感じでした。
※私の前に並んでいた女の子。教授と握手をする時、間違って左手を差し出したため、教授はそのまま右手をひねって、無理な形で握手。女の子が思わず吹き出して、教授も"ニヤ−ッ"。横で見ていた私も、「うふふふ」とその中に半ば強引に参加。(オマエはオバサンか!(笑))………で、肝心の私の時はどうだったかというと、特にこれといったこともなく、ごく普通に過ぎてしまいました。私も左手出せばよかったかな(笑)。


会場で購入した「BGM」の裏面に押して貰いました。当日小雨が降っていたため、ちょっと濡れてしまい、残念なことに細野さんのスタンプ(赤)がほとんど消えてしまってます。


押して貰った順序は、1.高橋氏2.坂本氏3.細野氏。教授のスタンプが一番きれいに残ってます。

↓↓

座談会のあとはメインのYMO百科展を観覧。



ステージ衣装

食べかけのハーシーのチョコレート・月刊ムー(細野)
The BeatlesのLP「A HARD DAYS NIGHT」、中国?のレコード(坂本)
水彩の人物画(高橋)



当日展示されていたもので辛うじて憶えているもの。
(昔の記憶なので、ちょっと自信ないのですが…。)



※メインであるはずの「YMO百科展」は、残念ながら、ほとんど通りすぎただけのスピード観覧となってしまいました。実は、YMOに全く興味が無い上に、座談会で長時間も待たされ続けた姉のイライラも、この時すでに頂点に達していて、とてもじゃないけどゆっくりなんて見られる雰囲気じゃなくて。…こういうイベントは、興味の無い人と行ちゃぁ絶対だめだってことですかね!








ALL TOGETHER NOW
by LION

1985年6月15日国際青年年を記念して開催されたイベント。日本を代表するミュージシャン達が代々木国立競技場に大集結。日本語ロックの生みの親ともいえる伝説のバンド、はっぴいえんど(細野晴臣・大瀧詠一・鈴木茂・松本隆)の一日だけの再結成や、加藤和彦、高橋幸宏、高中正義、後藤次利の"ミカバンド"組に、松任谷由美と坂本龍一を迎えて結成されたサディスティック”ユーミン”バンド、当時若者から”カリスマ”的支持を受けていた佐野元春とサザンオールスターズによる夢のセッションなど、思わず目を、耳を疑いたくなるような競演の連続。まさに日本のロック・ポップスの総決算。
ヒット曲「今だから」(松任谷由美・財津和夫・小田和正)はこのイベントから生まれた。
 

「ALL TOGETHER NOW」の
入場整理券

入場料は4500円。
    

「ALL TOGETHER NOW」
チラシ広告

参加アーティスト:
アルフィー アンルイス イルカ オフコース 加藤和彦 さだまさし 佐野元春
 財津和夫 白井貴子 高中正義 高橋幸宏 武田鉄矢 はっぴいえんど(大瀧詠一・鈴木茂・細野晴臣・松本隆) ブレド&バター 松任谷由美 南こうせつ 山下久美子 吉田拓郎 ラッツ&スター チェッカーズ 坂龍一  サザンオールスターズ 他 

※YMOのメンバーで最初に登場したのは「はっぴいえんど」の細野さんでした。「はっぴいえんど」ってそれまでほとんど聴いたことがなくて。その時初めて「風をあつめて」を聴いて、結構感動したのを覚えています。さよならアメリカ、さよならニッポン」も良かったな。辺りが暗くなり始めたころ、幸宏&教授の"ユーミン"バンドが登場。最初のメドレーでは思いがけなくYMOの「SEOUL MUSIC」や教授の「戦メリ」なんかも聴けたりして、私のテンションもかなりUP。ユーミンの歌う「タイムマシンにお願い」でさらにヒートUP。ただ、次が、この日の私の最大のお目当ての佐野元春だったので、時間が近づくにつれ、気持ちが徐々にそっちに移っていって(当時の私の"元春"好きはもうハンパじゃなかったです)。だから"ユーミン"バンドの最後の方はなんかあんまり憶えてません(笑)。

とにかく信じられないような夢の競演が目白押しの、もの凄いイベントでした。まさに日本のロック・ポップスの総決算っていう。その場にいられることが本当に嬉しくてたまんなかったです。

それにしても佐野元春が登場した時の場内のあの盛り上がり方は普通じゃなかったな。とにかく凄かった。会場がゴォーッていってた(笑)。




再生ライブ

再生ライブ・パンフレット
アルバム「テクノドン」のチラシ広告
散開からほぼ10年経った1993年、YMO再生。シングル「ポケットが虹でいっぱい」発売。アルバム「テクノドン」発売。そして、東京ドームにて"再生"ライブ"2回公演。


東京ドーム公演
1993年6月10日・11日


※「テクノドン」からの曲もそれなりに感動はしましたが、やはり昔の曲にはかなわなかったな。

「ファイヤークラッカー」の昔のままの迫力に、そして、もう二度とライブで聴くことなど無いと思っていたこの曲を今、現実に聴いているという事実に何だか泣けました。

再生ライブのチケットの半券


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