(2) 礎石と遺瓦

(イ) 礎石(そせき)

地覆座・・・金堂跡の礎石
<地覆座・・・金堂跡の礎石>
確認されている礎石数は70余個のおびただしい数にのぼっている。
そして、これらのほとんどが宅地又は畑地として利用されるまでは、比較的永い期間、土中に埋もれていたとみえ、表面の風化作用は極めて少ない。

しかも@石質が非常に良好な花崗岩(かこうがん)で、その大部分が一分の狂いもなく整然と創建当時のそのままの姿をとどめている事は、まさに奇跡というほかはない。
特に金堂跡の礎石にいたっては、その直径がA大きいもので約2メートル(長軸)、円柱座の径も68〜70センチという極めて巨大な石が使われている。そして、B地覆座(じふくざ)には他に類を見ない特殊な手法が施されておりその存在的価値は、全国的にみて大変高いものがある。なお以上@ABは、いずれも唐招提寺のものよりはるかにすぐれていると言われている。
礎石平面:断面図

(ロ) 遺瓦

遺瓦【軒丸瓦】(のきまるかわら)
径18センチ、中房は小圏5センチ、大圏10.7センチの二十圏巻き。蓮実(れんじつ)は中央特に大きく、その周囲に9個を配している。蓮弁は小さく、ほとんど16個の複弁の如くなったもの。

なお単弁のものも出土しているようであるが、これはさらに古い時代のものである。
弁の周囲は疎(そ)なる珠文帯、外縁の内斜面には山形の波状文をめぐらしている。
また中には、中房小で凸起(とっき)し、蓮実は6個で、16個のやや隆起した蓮弁のものもある。

【軒平瓦】(のきひらかわら)
(げん)30.5センチ、厚さ8.3センチ、中心部の左右に三旋唐草を配し、その周囲に珠文を配したものなどがある。瓦の型式からすべて平城京出土瓦と、その文様や製作技法上共通性をもっていると言われている。
遺瓦文様

毛原廃寺建立の由来、聖域説」参照

岩屋瓦窯跡」参照


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