『ガクらん』   <PRE  NEXT>



 6・感謝されるくらいに。



 会議を終え、生徒会室を出ると、時計の針はすでに五時半近くを指していた。校内に生徒はもうほとんど残っていないようだ。
 先輩二人と別れ、健四郎は、舞原さんと帰路についた。
「はぁ。気が重いですねえ」
 舞原さんが、溜息をついた。
「健四郎さん、これはと思う方の心当たりはありますか?」
「んーん、全然。知らない子らの中から探すしかない」
「あらあら」
 あっけらかんとした様子の舞原さんを、健四郎は少しだけ羨ましいと思った。
 舞原さんとて、健四郎と同じ立場である以上、相応のプレッシャーを受けてはいるはずなのだ。しかし、彼女は常に泰然としている。こういうとき、彼女のことがとても大物だと思える。
 単に、のほほんとしているだけという噂もあるが。
「舞原さんこそ、新入生にも人脈がありそうな気もするんだけど」
 名門とまではいかないが、昭葉はそこそこには格のある学園である。舞原さんの家とも交友のある名家のご息女などが、入学してこないとも限らない。
「ええ、本当はちょっぴり、その方面で期待していたのですけれど……」
「ダメだったか」
「はい。ダメダメのようです」
 などと言いつつ、にこやかな表情を崩さない舞原さん。
「どうしましょうねえ」
「いや、どうするもなにも――」
 このように、のんきな口調で言われてしまうと、健四郎も答えに窮する。
「そりゃあもう、真っ当に新入生を当たってみるしかないさ」
「ううっ。気が滅入ります」
 と言いつつも、やや眉が下がり気味というだけで、やはり全く、気が滅入っているような感じはしない。
「ま、がんばろう。俺たちは俺たちで、やれるだけのことをやるだけさ」
 今回のことに限らず、と、小さく付け加えた。
 半分は、自分に言い聞かせた言葉でもある。
「そうですね」
 にっこりと笑ってうなづく舞原さん。
 彼女のこの穏やかな笑顔は、それを見るだけで、なんとなく和むものがある。
「私も、健四郎さんを見習って、がんばらねばです」
「……いや、別に、俺なんか見習わなくても」
 ちょっと照れたようにつぶやいた。
「いえいえ。健四郎さんは、頼れる方ですよ。私はいつも学ぶような気持ちです」
「……そんな」
 消え入りそうな声で、健四郎はつぶやいた。
 そんな健四郎の様子を、嬉しそうに眺める舞原さん。
 こうやって率直に褒められることに、健四郎は弱い。もともと照れやすい性格をしているのだが、舞原さんのこの笑顔でそう言われると、何かこう、照れくささが数倍する。
「そういう舞原さんこそ、しっかりしてると思うよ。プレッシャーとか、そういうのなさそうで、羨ましい」
 あまりにも照れくさいので、少々反撃を試みた。
「うーん。それはつまるところ、私はずいぶんと、お気楽そうに見えるということでしょうか?」
 スルーされるかと思っていたが、意外と効果があったようだ。
「……まあ、見た感じは、ちょっと」
 お気楽というか、つかみ所がないというか。
「それは心外です。健四郎さんはきっと、私が日頃ぽけぽけしているから、鈍感な女なのだろうと思われているのでしょうけど」
「いや、そこまでは言ってないし」
 むしろ内面的には、鋭い人だと思う。
「それどころか、むしろ大ボケの範疇に入れるべきだとさえ思われているのでは」
「俺の話を聞いているのですか」
「ともかく、健四郎さんは私のことを、ぽけぽけしたぽけ少女と思っているわけですね?」
「ぽけ少女って日本語を初めて耳にするけれど、たぶん違う」
「いえー、実は、その通りだったり」
「ぽけ少女なのか」
「はい。語感がちょっといい感じなので、たった今からそういうことにしました」
「……そうですか」
 何かに疲れたように、健四郎は答えた。
 舞原さんのこの独特の感覚や物言いには、未だに慣れることがない。
 しかし、少なくとも自分なんかより、舞原さんの方が、何かと良い仕事をするだろう――そういうコンプレックスが健四郎にはあるので、褒め言葉をなかなか素直に受け取れない、というのもあるのだ。
「でも、健四郎さんなら大丈夫ですよ。その甘いフェイスで、新入生の女の子たちもイチコロです」
「フェイスって言うな」
 そのあたりも、微妙に健四郎のコンプレックスなのだ。決して悪いつくりの顔ではないのだろうが、美系というよりは、単に線が細いというだけのような気がしてならない。
「だいたい、そういうの、俺のキャラクターじゃないし」
「そうなんですよー。これであと少し、押しの強さがあればなあ、と思うのですけれど」
「押し……って言われても」
 そのあたり、自分で自覚がないわけでもない。しかし、持って生まれた性格なので、いまさらどうこうできるものではないとも思う。
「もっとも、それが健四郎さんのいい所かな、という気もします」
 にこりと笑って、そう言ってくれた。
「あんまりカッコよすぎる健四郎さんというのも、ちょっと違和感がありますし」
「ははは……って、なにげにひどくなかろうか、その発言」
「やはり健四郎さんは、北館先輩がたに弄ばれたりしてこそ……というのが、私の率直なイメージです。ええ、その方がいいですね、やっぱり」
「……いいのですか」
「はい。絶対にいいです」
「……」
 断言された。やたら力強く。
 ちょっぴり切なくなった。
「早乃に言わせれば、『もう少ししゃきっとしなさい』ということになるのでしょうけどね」
「……んー」
 それはこの一年で、よく言われてきたことだった。
「それはそうと」
 健四郎は、さりげなく話題を変えた。
「新一年生の中から、どういう基準で選べばいいと思う?」
 もっか、それが一番悩ましいところだ。
 未来の昭葉を担うことになる生徒――当然、それ相応の人材を選ばなくてはならない。ましてや、昭葉の生徒会は、その存在だけで一般生徒たちの憧憬を集める、特別な組織だ。加うるに、そんな伝統が十数年も培われてきているのだ。当然、それを選ぶ側の責任は、重い。
「顔も良く知らない新入生の中から選ぶってだけでも大変そうだけど」
「そうですねえ」
 たとえば、成績優秀者の上位からといった決め方であれば、気分的にいくらかは楽になるのだが、それはあくまで基準のひとつにしかならないだろう。それも、絶対的なものですらない。
 厳密にいえば、生徒会役員に求められる事実上の要素は、たった一つだけだと言ってよい。昭葉の生徒たちが、その人物を認めるかどうか。ただそれだけである。
 そして、それが一番難しいことだということも、この一年間、生徒会役員として苦労を重ねてきた健四郎にはよく分かるのだ。
 自分――武田健四郎は果たして、生徒会役員として、全校生徒に受け入れられているだろうか。自分自身でさえ、まだまだ不安が残るのだ。もうすぐ三役の仕事を引き受けることになる自分たちのことだけで手一杯、というのが本音だ。新しい役員の選出など、手に余ると言いたいところである。
「やはり、健四郎さんが先ほど仰ったとおり、じっくりと新入生の方々を見ていくしかないと思います」
「だろうなあ」
 まずは知ることから。明確な基準が存在しない以上は、それしかない。
「問題は、どうやって一年生の情報を仕入れるか、なんだけど」
 部活でもやっておくんだったか、とふと思った。
 生徒会の仕事をしながら、他の部活動をも両立させるのは、並大抵のことではない。とはいえ、実際にそれを行っている者が実際にそばにいるので、それはあまり言い訳にならない。そもそも健四郎も、生徒会に入る以前から、あまり興味を惹かれることはなかった。
「早乃に任せきりにする、というわけにもいきませんしね」
 剣術部に所属している彼女ならば、一年生のことも、自分たちより知りやすいだろう。
「今年は副部長を務めるみたいですから、むしろ私たちが、色々とサポートしてあげませんと」
「うん。まあどのみち、三人がそれぞれ一人ずつ指名する、ってのがノルマだし」
 別に、規則で決まっているわけではない。だがこれは、ほとんど伝統的にそうなのだった。健四郎ら、二年生の三人も、それぞれ別に見出されている。
 健四郎を指名したのは、現副会長の北館聡美先輩。忘れられるはずもなかった。
 健四郎たちもきっと、それぞれ別に、一年生の中から信頼に足る生徒を選び出すことになるのだろう。
「先輩たちの――つまり、私たちが指名されたときのことを、ちょっと思い出してみたんですけれど」
 舞原さんも、ちょうど、そこに思い至ったらしい。
「あまり参考になりませんねえ」
 ほわほわの太いまゆ毛をななめにして、困ったように笑った。
「舞原さんのときは、確か」
「ええ。天城先輩に」
 去年のことを思い出してみる。
 舞原さんが生徒会に入ったのは、健四郎よりかなり遅く、夏休みに入る直前のころだった。
「そういえば、あのころ、天城先輩とよく話していたよね」
「ええ。ちょっと、個人的に、いろいろとありまして」
 大した事ではないのですけれど、と舞原さんは付け加えた。
 でも当時、舞原さんと天城先輩が、特別親しい、という感じはあまり受けなかった。というよりは、天城先輩はその頃からすでに学園中から愛されるマスコット的存在で、先輩が親しくしない生徒はおよそ昭葉には存在しない、というほどだった。
 そんな中ではむしろ、この舞原さんに対しては、距離を取っていたような印象さえある。
 もちろん、舞原さんが邪険にされていたというわけではないが、どこか、あまりベタベタとしすぎないよう配慮されていたというような気がする。
 元々舞原さんは、もう一人の二年生、松瀬早乃と友達で、その関係で当時の生徒会と近しくなっていた。
 ひょっとすると、単に手近にいたという理由で、舞原さんが誘われたのでは……という気もする。時期的にもそろそろギリギリで、いいかげんもう一人入れないと、という状況ではあった。
「その関係で、天城先輩に誘われまして。それで、今に至るわけですよ」
 気が付いたら、いつのまにか生徒会に入っていた……という感じだった。
「だから、あまり焦ることはないのかも知れませんね」
「まあ、それもそうか」
 とは言うものの、当時一年生だった健四郎は、そのころかなりやきもきした思いを抱いていたような気がする。当の先輩たち――天城先輩らは、少なくとも表面上は、まるで焦っている様子もなかったが、それはなんというか、肝の太さみたいなものが自分とは違うのだろう。
 それに、早く決まればいいというものでもないのだ――と、健四郎は、自分の場合を振り返ってみて、そう思った。
「健四郎さんは、わりと早い時期に、北館先輩に見初められたのだ、とうかがってますけれど」
「え? ……あー。うん、まあ、そうなんだけどね」
 ちょうど思っていたことを言われ、少し慌てた。
「いや、俺の場合……というか、あの人のやり方は、色々な意味で凄すぎて、参考にできないので」
 普通の人間には――と付け加えた。
 あの日。突然、自分の教室を訪ねられ、まるで「フシギバナ、君に決めた!」とでも言うかのようなノリで、あれやこれやという間に生徒会に入れさせられてしまった。  そこに至るまでの、ドタバタに満ちた日々ときたら――! 少なくとも、健四郎の人生において、これほどまでに激しく人に振り回された経験はなかったし、今後この人以外に、ここまでのことをされるとも思えなかった。
「ええ。その噂は、もう色々と」
 その内容を思い出したのか、苦笑してしまうのを押さえつつ、舞原さんが言った。当時、生徒会とは関係を持っていなかった舞原さんの耳にも、その騒動の噂は及んでいたのだろう。
「いやまあ、ちゃんと返事をできなかった俺も悪いんだけど。しかし、それにしたって――」
 健四郎は思い出す。あの、ジェットコースターに乗ったのような激しい日々を。
 要するに、態度のはっきりしない健四郎に対し、「断るなら断るでいいけど、ちゃんと自分の口で、イエスかノーかを答えなさい」ということで付きまとわれたのだが、その影響で、健四郎がそれまでおくっていた普通の高校生活が、どれだけ崩壊したことか。
 「シンデレラ・ボーイ」「佳人に魅入られた少年」「ハーレムの珍入者」――当時、健四郎が呼ばれたあだ名の数々である。なにしろ、昭葉のあの生徒会に、ある日突然、なんてことはないごく普通の男子生徒が劇的に指名されたのだ。ほとんど一夜にして、学園中の噂となった。
 そして、曖昧な返事しかできなかったことが、その状況をひどく悪化させた。それで、だらしのないやつ、悪いやつ扱いをされるだけならば、まだ良かったのだ。居心地の悪い思いはしただろうが、ただそれだけだ。
 しかし、健四郎を指名した相手は、あの北館先輩なのだ。その一挙一動がいちいち人の予想を越える、トンデモナイ人。そんな人から、とにかく人の注目を受ける中で、「さあ、今日こそ返事を聞かせてもらうわよっ!」と迫られるのである。その様子は、王子様に求婚を迫られる平民の娘のようだとさえ思った。自分で。
 とにかく、そのときのいきさつは、健四郎にとって軽いトラウマにさえなっているのだった。
 だから、自分のときのことを思い返してみても、とりあえずは、その新入生の子に、そんな大変な思いをさせないようにしよう――というくらいの参考にしかならないのだった。ついでに言えば、北館先輩ならともかく、自分にそんな心配は要らないだろう、とも。
「……お嫌でしたか?」
「え?」
 唐突に訪ねられ、ふと健四郎は戸惑った。
「北館先輩に誘われて、嫌だと思ったりはされましたか?」
 笑顔だけど、ちょっと真面目な顔で、尋ねられた。
 ――嫌だと思ったことは、あっただろうか。
「いいや」
 ほとんど逡巡することなく、はっきりと答えていた。
「別に、嫌だって思ったことはないよ。ただ、あんまりに唐突だったんで、ものすごく戸惑ったし、死ぬほど振り回されたことについては、ちょっと……いや、かなりどうかと思うけれど。でも――」
 今の自分がこうして存在しているのは、結局のところ――。
「声をかけてもらったこと、選んでもらったことについては、感謝している」
 ちなみに、どうして北館先輩が自分に目をつけたのかというと、健四郎はその理由を直接尋ねて知っているが、ある意味それは、自分の生来から続く最大のトラウマと直結しているので、他人にそれを言う気にはなれなかった。ええ、どうせ超有名な某世紀末救世主と同じ名前をしていますよ俺は――などといじけるのも、自分の心の中だけに留めておきたかったのだ。情けないので。
 ……それに、初めに目に付いたのは名前なのだろうけども、選んでもらったのは、武田健四郎という人間そのものなのだ。それを卑下することは、自分の、なんだかんだいって尊敬する先輩に対する裏切りになる。それは決して、してはならないことだった。
 考えてみれば、自分が今、生徒会役員としてがんばろうと思っている理由も、北館先輩が自分を選んでくれたから――という所に、すべては行き着くのかも知れない。
 俺の言葉を聞いて、なにやら嬉しそうな顔になった舞原さんが、言葉を発した。
「じゃあ、私たちも、選んでもらって感謝されるくらいに、精一杯がんばって探すことにしましょう」
 その言葉を聞いて、健四郎は、悩みの重さが突然、半分くらいになったような気がした。
「……そっか。うん。そうだね」
「どうしました?」
「いや、なんか、心が洗われたというか」
 結局のところ、生徒会役員であれなんであれ、責任のある仕事に一番必要なのは、資質とか人望とかよりもまず、本人がどれだけ真摯にそれを行えるか、ということだと思う。
 だからって、そう感じている自分が、生徒会を引っ張っていくにふさわしい人間だとまでは思えないが、しかし、今自分が抱いているような気持ちが、生徒会役員として必要だ、というくらいの自負はある。
 だから多分、そういう気持ちを抱いてくれるような人こそ、見つけ出すべき人材なのだ。
「褒めて頂いたって、せいぜいお茶くらいしか出せませんよ?」
 持ち合わせがあれば、お菓子も出せますけれど――と、なにやら検討はずれなことを言う舞原さん。
 果たしてこれは、素の言葉なのか、それとも。
「じゃあ、私はそろそろ」
 舞原さんがそう切り出した。
 歩きながら話していたはずが、ふと気が付くと、玄関でずっと立ち話をしてしまっていたらしい。
「どうも、ニコラをかなり待たせてしまっているみたいで……」
 ふと目をやると、校門前に一台、黒塗りの高級車が停まっていた。
 健四郎も見覚えがある。毎日車で下校しているわけではないのだが、生徒会などで帰りが遅くなるときは、大抵この車が迎えに来る。話し込んでいたので、ずっと待っていたのだろう。
 ちなみにニコラとは、舞原さんを学校まで送り迎えする車の運転手の名前である。運転手というだけでなく、学校以外では常に舞原さんの傍らにいてお世話をする、付き人のような存在らしい。
 彼は元軍人のフランス人で、ヒグマを思わせるような巨躯に、すっかり禿げ上がった頭の、常に厳しい表情を崩さない偉丈夫である。とりあえず乱暴なことをされたり、何か言われたことはないが、舞原さんの傍に男子生徒がいるところを見ると、恐ろしいほどに威圧的な空気を放ってくるため、健四郎も、後ろめたいところなどないとはいえ、できればあまり近寄りたくはなかった。
「うん。それじゃあ、また明日」
「はい。お互いに、頑張りましょうね」
 靴を履き替えつつ、それでは、と言い残すと、舞原さんは待たせてある車へと向かって行った。
 舞原さんを乗せて遠ざかる車を見送りつつ、健四郎は、今話していたことを思い返してみた。
 なんということはない。結局は、一年生にじかに当たってみて、これはと思える生徒を探すという方針は、別に当初のままである。
 しかしそれでも、ずいぶんと気持ちは軽くなったような気がする。肩に背負う重さがなくなったのではなく、それがそれほど気にならなくなった、という気分だ。
 舞原さんが普段、あんな風におだやかなのは、ああいう達観があるからなのかも知れないな、と健四郎は思った。
 なんにせよ、新一年生の人材を求めるべく、明日からさっそく、色々と当たってみようと決意した。
 校舎から出て、ふと、学校を振り返ってみた。校舎ではなく、体育館や格技場のある方を。
 人気はもうほとんど残っていないが、格技場には、まだ電気が灯ったままだった。
 今日は部活動の初日ということで、レクリエーションや軽い練習だけで終わる部も多いようだが、剣術部はいつもと同じに、がんばっているようだ。
 松瀬早乃。健四郎らと同じく、現二年生の生徒会役員にして、剣術部でも一ニを争う剣の使い手。
 健四郎は、今もきっと、力強く剣を振るっているであろう彼女のことを、ふと思っていた。



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