ギリシア 9
アテネの博物館は歴史の宝庫
5月15日、早朝、美しいミコノス島と別れて空路アテネに向かう。オリンピック航空のプロペラ機で30分首都アテネ空港につく。空港からバスに荷物を積み込んでそのまま現地ガイドがついて市内観光になる。ギリシア共和国の全人口1000万、その約半数が暮らす首都だ。
ギリシア神話によれば海神ポセイドンと、知恵の女神アテナが、この島を争った結果、アテナが勝ったのでアテネと言う地名がついたとか、ガイドさんが説明していた。

ここ数年、交通渋滞と排気ガスによって瀕死状態だったアテネも、最近少しずつだが改善の兆しが見えてきたともいっていたが。アクロポリスの丘の下でバスを降りてパルテノン神殿まで歩いて上る。ブーレの門、翼のない勝利の女神二ケの神殿、女神たちが円柱のように建ち並ぶエレクティオン神殿・・次々と現れる。大理石の石段は毎日何千、何百人という観光客を支え続けて、丸くつるつるに磨り減っている。

滑らないように注意しながら上っていく。<アクロポリス>高い丘の上の都市。
アテネの守護神アテナを祀ったパルテノン神殿は、2500年の間この丘の上から人間たちの営みを見下ろしている。

幾度にも亘る破壊や略奪に耐えた神殿の大理石柱は今46本が残っている。この後アクロポリス博物館に入る。この博物館はもっともっとゆっくり見たかった。女神への貢物の子牛を背負った農民、髪の毛に細かい彫刻をほどこした女性像。紀元前5,6世紀頃のアルカイック時代のものに魅かれる。この時代の特徴を表してどの顔も微笑むように唇の端を上げている。

ブロンドの青年像、クリティオスの青年などが印象に残る。男性は全裸、女性は薄い衣服をまとった彫刻ばかりだが・・・この旅行では、デロス島やアクロティリ遺跡など人間の生活の後をたどってきたが、こうして収集整理して博物館に並んでいるものには圧倒されるばかりだ。

ギリシア政府がメリナ・メルクーリ文化大臣を先頭に、ギリシアから持ち出した文化財の変換を要求していたことは有名で、よく新聞などで読んで知っていた。イギリスの大英博物館でも、その幾つかを見たことがある。
戦争などで略奪した文化財はその国に返還すべきだと思う。次の予定にせかされて、後ろ髪を捕まれるような気持ちでここを後にする。リカビトスの丘に立ち寄ったとき、寸暇を見つけてアクロポリスの丘をスケッチする。

観光バスはアテネの中心地プラカ地区から、オモニア広場にある国立考古学博物館に着く。この博物館はギリシアに文明が起こった紀元前3000年の世界から始まる。一歩足を踏み入れると、ロマンに満ちた過去の世界に引き込まれてしまう。白い大理石の偶像は小さくて単純、素朴で穢れなく、力に満ちている。

牛をかたどった壷、竪琴を引く男。心が熱くなってくる。原初の力で私に訴え胸を叩くのだ。5000年の歳月は人間を果たして進歩させてきたのだろうか?
サントリーニ島で発掘されたフレスコ画もこの博物館の重要な場所を占めている。
何千年も土に埋まっていたとは思えないほど、鮮やかで美しかった。大小さまざまな金製品の精巧な輝きに満ちたコーナーもある。

夕食までの自由時間、みなさんは精力的にアテネ市街を歩いたらしい。しかし二つの博物館であんまり沢山の感動をもらって消化できない状態の私は、ホテルで休養した。

ギリシアを5000年遡る旅はもっとたっぷりとした時間が必要だ。この日の夕食はプラカ地区で民族舞踊を見ながらゆっくりと頂く。ホテルは超近代的な高層建築のアテネヒルトン。トラフイック・ジャングルのど真ん中にあって、真夜中でも車の音が絶えない。