中ノ浜遺跡



山口県指定史跡  中ノ浜遺跡

 下村地区にある前期弥生時代の遺跡で、昭和35年から9次にわたって発掘が行われ、多数の石棺や90体以上の人骨、副葬品が出土、全国的にも有数の規模を誇る遺跡であることが判明しました。
 この遺跡が日本民族のルーツを論ずる問題にも発展した貴重なものです。今は遺蹟公園として整備されています。
 このあたりは大昔海だったらしくきれいな砂に沢山の貝殻の粒が混じっています。この貝のカルシューム分が人骨を保存したのです。
 このあたりが昔海だった痕跡は地名にもあり、浜、中の浜、一の浜、二の浜・・、田島等。俗称として、こいそばな(小磯岬)、沖の浜、井尻(川棚駅付近)等です。

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説明板(1)
説明板(2)

出土位置表示板
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銅矛を検出した
遺構
銅剣を副葬した
土壙墓

配石土壙墓
八人を埋葬した
石棺墓の位置
副室を持つ
石棺墓
石棺墓
蓋石を覆った状態
日本最古の貝輪
検出位置
甕(かめ)棺墓
出土地
石棺墓
蓋石を除いた状態
支石墓様遺構(左)
左手を埋葬した壺棺


中の浜遺跡について

中ノ浜遺跡は北の土井ヶ浜遺跡・豊北町、南の梶栗浜遺跡・下関市と並び、響灘に面した砂丘上に営まれた弥生時代(前期〜中期)の集団墓地です。
響灘沿岸は北九州とともに弥生文化を最初に大陸から受容した地であり、全国的にも有数の規模を誇る弥生人の埋葬地が次々に発見されています。
当遺跡では、昭和35年以来、無田地方総合研究調査団・東京教育大学・広島大学・西日本における埋葬文化の総合調査団・豊浦町教育委員会の手により、9次にわたる調査が行われ、100基余りの墓と104体の弥生人骨が発見されました。
発見された人骨は、土井ヶ浜遺跡の人骨に似て面長でかつ長身と云う特徴をもっています。 顔が丸く、背の低い、それまでの弥生人とは大きく違っていることから、ここに葬られた人々は、弥生文化がもたらした渡来人系の人であったと考えられます。
墓地の構成は、土壙墓、箱式棺墓、配石墓などの多様な墓からなっており、それぞれにつくられた時代やグループの異りを表しています。
青銅の剣の副葬や断体儀礼等の風習もみられ、それらは全体として弥生時代の社会を明らかにし、かつ日本の文化の起源を知る上で、大変貴重な遺跡となっています。