白神山地・蟶山尾根〜白神岳


1987.4.29〜5.1 佐々木(単独)
 八甲田山スキーのついでに白神岳〜向白神岳の縦走を計画したが、天候にめぐまれず白神岳に登ったのみに終わった。もう1日予備日があればと悔やまれたが、やはり二また山行は中途半端になってしまうようだ。

 4月29日(曇りのち雨) 上野発23時発寝台特急あけぼの81号を東能代で下り、五能線に乗り換える。乗り継ぎまで1時間あるので改札を出て満開の桜を見物する。真瀬岳登山口の八森駅で6人の登山者が下りたが、そのうち4人が山スキーのようだ。陸奥黒崎ではぼくのほか、3人の学生パーティーが降り立つ。登山口へ向け日野林道を20分くらい歩いていたら、学生らはチャーターしたらしい車で追い抜いて行った。

 ゆるやかな砂利道の向こう正面に白神岳(1232m)とおぼしき雪山が望まれる。予想より雪が少ない感じだ。高曇りの空を気にしながら歩く。登山口で登山ノートに記入する。立て看板があり、「白神岳-周辺と案内」という自費出版本の案内が出ていた(執筆者・西口正司氏)。登山道は地図とは異なっていて、実際は尾根左をから絡んでいく。一部登山道が崩壊している部分もある。白神川沿いの二股コースと蟶山(まてやま=841m)コースの分岐に着く。13時。二股コースには進入禁止のロープが張られていた。コースが荒れているか、あるいはまだ雪崩の危険があるのだろう。ここまででかなり汗をかいたが、気温は20度を超えていた。

 蟶山コースに入ると登山道は小沢を3本横切るかたちで斜上していく。最後の水場のところで単独のおじさんとすれ違う。やっと残雪が現れてくると蟶山も近い。コースからちょっとはずれたピークは踏まず、残雪豊富なブナ林の尾根を行く。下山する6人と出会ったあと880m付近でスパッツをつけていると小雨がぱらついてきた。東俣沢には残雪がびっしりで山スキーに適しているようだ。登るにつれ気温は10度まで急激に下がった。振り向けば海岸線がまだ見える。

 残雪の切れた急登を一息で主稜線に出ると笹内川からの風が強く、雨も本格的に吹き付けてくる。ガスも出てきて向白神岳(1343m)のボリュウムある山容もかすれがちになる。白神岳の笹内川側には残雪がベットリだ。いよいよ雨が強くなり頂上直下の避難小屋に飛び込む。16時40分。三層構造の立派な小屋にはすでに先行した学生3人が入っており、熱い紅茶を入れてくれた。完全にガスってしまったので頂上にはいかず小屋2階に上がる。夜は風雨が激しくなる。

 4月30日(雨) 停滞。終日シュラフに入ってゴロゴロする。昼過ぎに2人小屋に入る。1人は「白神岳-周辺と案内」の著者・西口氏で15分ほど休んで下山した。もう1人は二ツ森までいくという岡山の人。15時に山スキーの人と遅れてもう1人入る。

 5月1日(雨のち曇り) 4時に起床したが相変わらずの風とガス。ラジオによると全国的に回復して晴天だというのに。7時まで待機することにする。他の人も停滞らしく出発の準備をする気配がない。しびれを切らして7時10分に出発。出際に、学生パーティー(獨協大WV)へ紅茶のお礼としてグレープフルーツを渡す。彼らは向白神岳を経て一ツ森まで行くという。頂上では何も見えないが長谷川恒夫登頂記念碑(1984.8.4)がそらぞらしく立っていた。

 蟶山尾根を下りかけると、ガスが流されはじめる。海岸線が見えて青空ものぞいたが、再びガスに包まれた。陸奥黒崎駅にはディーゼルカーの来る10分前に着いた。10時20分。下界は強風だが暑いくらいの陽気で、車窓から眺める五能線沿線の桜は満開で見事だった。東能代で特急接続に2時間待ちとなったが、青森からの十和田行き最終バスに何とか間に合った。明日からは八甲田山スキーで、酸ヶ湯に17時すぎ到着。

 【コースタイム】 (4/29)陸奥黒崎11:25 登山口12:23 蟶山・二股コース分岐13:00〜15 蟶山14:35 白神岳避難小屋16:40〜(4/30)停滞(5/1)7:10発(白神岳往復) 蟶山分岐8:20〜25 登山口9:30〜40 陸奥黒崎10:20


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