室生寺のバス停でおばあさんと別れて、土産物店や草団子の茶店が続く道を少し進むと、急に朱色の欄干の太鼓橋が左手に現れた。一瞬戸惑っていると、橋のたもとの「橋本屋」と書かれた茶店の主人らしき人物が、「室生寺はこちらですよ。どうです、お茶でも?なんなら、お荷物預かりますよ。」と抜かりなく声をかけてきた。関西の人々は根っからの商売人だと改めて感心しながら、会釈をして通り過ぎた。
太鼓橋の赤い欄干越しに見る室生川の流れは、格別な趣を醸し出している。緑の木々と山と民家に囲まれて、幅5〜6mほどの小川が緩やかな曲線を描きながら、ほのぼのと流れている。それを背景に、手前の幾何学的な形をした欄干の朱色が鮮明なコントラストをなしていて、心地よい緊張感を生んでいる。身を細めて谷間の川面を滑ってきた風が、睡眠不足の顔をさっと撫でていった。中世の悩みを抱いた女人たちも、この光景を目にして長く一息つくと、体が軽くなっていくのを感じていたのかもしれない。
橋を渡った正門の脇には室生寺略縁起の立て札があり、「女人高野室生寺」としてよく知られていること、1694年(元禄7年)興福寺の支配から離れて真言宗寺院となったこと、五大将軍綱吉の生母桂昌院の発案により堂宇の修理が行われたこと、1964年真言宗豊山派(ぶざんは)から独立して真言宗室生寺派の大本山となったこと、山号は宀一山(べんいつさん)であること、などが書かれていた。どれもどうでもいいことばかりだ。
小雨が降ったり止んだりして、その度に折り畳み傘を広げたり閉じたりした。気温は結構低いようだが、私は天気予報を信じてコーデュロイのブレザーを着てきたおかげで、寒さに震えることは免れていた。
入山料を払うときに係員から「五重塔は修理中で見られませんよ」と念を押されたが、それは先刻承知である。別に私は五重塔が見たくてここへ来ているのではないのだから、一向に構わない。私の目的は建物を見ることではなく、仏像を観賞することであり、とりわけ室生寺では、あのユニークは表情をした十二神将像を見ることが一番の眼目なのだった。
最初に目に入ってくるのは仁王門だ。楼門の両脇で赤鬼、青鬼のようにペイントされた阿形・吽形が奇妙にポーズを取っている。気品もなにもあったものではない。力感に満ちた表現などとはほど遠く、単になにかに驚いて、「なんや?どないしたんや?」といいながら身を乗り出している野次馬のオッサンのようで、駄作である。こんなものは即刻撤去した方がよろしかろう。
仁王門の柱には、昨年の台風による倒木で無惨に破壊された五重塔の写真が額に入れて置かれていた。これは何を訴えているのであろうか。暗に寄付のお願いをしているのだろうか?不信心な私は、できることならこの無惨な姿のまま残しておいてもらえないものだろうか、そうした方が商業的にも集客効果は大きいはずだ、などと思っていたのだった。
仁王門をくぐると辺りはぐっと落ち着いた雰囲気となる。小振りの庭に「ばん字池」があり、傍らでプロの写真家らしき人が重量感溢れる一眼レフカメラを三脚に立てて撮影していた。やはり紅葉の季節にはまだ早く、周囲の楓の葉は青々としていて、ばん字池の畔に立つ一本だけが、僅かに色付き始めているだけだった。ばん字池を埋め尽くす睡蓮の葉を見ていると、自然とモネの一連の印象画が連想される。恐らくこれは多くの日本人に共通した印象に違いない。 「ばん字池」の「ばん」は梵字で書かれているのだが、これは不動明王を表す文字であるらしい。このような梵字を目にすると、密教寺院の生臭く濃密な気配が満ちてくるのを感じる。
ばん字池を横目に有名な鎧坂(よろいざか)を登る。このアングルはどの雑誌にも紹介されている定番で、私もここでファインダに美女を捉えてカメラのシャッタを切った。紅葉を見に来たわけではないが、10月下旬からの季節ともなると、本当に素晴らしい光景となるだろうことは容易に想像がつく。
実は今回の旅で一貫して感じたことの一つは、雑誌の写真で見る石段と実際とが大きくかけ離れていたことだ。鎧坂などはせいぜい十数段の階段であろうとたかをくくっていたのだが、実際は50段にも及ぼうかというほどの、厳しい石段であった。ここを訪れた古の女人たちがこれをたやすく登り降りしていたとすれば、やはり女人は油断ができないのだと改めて思ったものである。実際、同行の妻は私の先を、一人でこともなげに石段を登っていた。
弥勒堂は鎧坂を登り切った左手にある。あの独特の釈迦如来坐像(平安時代・国宝)がライトアップされている姿が目に飛び込んできた。暗いお堂の中でこの仏像だけが浮き上がっているようで、強烈に存在をアピールしていた。数メートルはあろうかという巨像を想像していたので、像高1m余りの等身像で、思いのほか小さいことは驚きであった。それにも増して、この釈迦如来は破壊された五重塔の修繕費用獲得のため、東京上野の美術館に出稼ぎに出ていたのを知っていたので、いつの間にかここに戻ってきていて、元の位置にちゃんと座っているのが不思議な感じがした。どこにでも化身がいるといわれる如来の面目躍如というべきか。
釈迦如来坐像の頭部の螺髪(らほつ)と呼ばれるイボイボのような巻き毛は取れてしまって、いまやスベスベした地蔵菩薩のような頭になってしまっている。肉髷(にっけい)と呼ばれる頭頂部の瘤が異常に大きく感じられるのもそのせいであろうか?
以前から私はこの仏像はぼんやりとした印象で余り好きではなかった。他の如来仏と異なり、顔の長さが短く角丸型をしており、鼻翼が大きい団子鼻の相貌をしているからだ。しかし、今こうして現物を間近にしてみると、印象はまるで異なる。鼻から眉にかけての円い軌跡は他にはない優美さで、少し斜めから見ると鼻梁はすらりと通っていて気品に満ちている。上唇は僅かに反り返っていて、妙になまめかしい。これはもう外国人ではなく、大和撫子の姿だ。私はいっぺんにこの仏像が好きになった。そして、誰かに似ているような気がしてならなかった。後で気付いたことだが、女優の常盤貴子が半眼して瞑想に耽ればこのような姿になるのではないかと思うのだが、いかがであろうか?
弥勒堂には釈迦如来坐像の他にも弥勒菩薩立像(平安初期・重文)、不動明王他数体の仏像が安置されているのだが、余りにも遠いのと暗いのとで、細かな表情を読みとることができなかった。やむなく持参した単眼鏡で拡大してみていると、後ろの金堂にいた婆さんが勘違いをして、「カメラ撮影はあきませんよ!」と場に不似合いな大声で怒鳴った。カメラではなく拡大鏡であることを告げると、「ああ、ほんならええけど……」といって、同僚の婆さんとのお喋りの続きに戻っていった。寺はこういった不躾で横柄な態度を許さず、ちゃんとしたCS(Customer's Satisfaction)教育を施すべきである。