室生寺 [1]

1999年10月19日午前9時45分、近鉄線室生口大野駅着。

駅の周りの寂しさは予想を遥かに越えていた。観光客らしき人影は私と妻以外には見当たらない。旅行鞄を肩に立っていると、駅員や鉄道利用の地元民たちが、怪訝そうに無遠慮な視線を投げかけてくる。

シーズンを外した観光地ほど侘びしいものはなく、人々も落ち葉も濡れたコンクリートも湿気った駅の観光パンフレットも、そして吹き抜けていく風さえもが、間の抜けた訪問者を嘲笑しているかのようだった。ぼくらの観光気分は身の隠し場も見つからず、衆目の中に立ち尽くしているしかなかった。

朝のうち一雨降ったようで、アスファルトが濡れていた。緩やかなスロープに設けられたコンクリートの階段では地域の奉仕団とおぼしき中高年の婦人方が、なにやら文字の書かれた襷をかけて階段の落ち葉を竹箒で掃いていた。

観光シーズンの合間のせいか、バスの間隔は随分とあいていて、我々は20分以上その場で時間を潰さねばならなかった。車庫と駐車場には数台のバスが停車していて、運転手たちが4、5人退屈そうに輪になって無駄話をしていた。

することがないので駅まで戻り、次の行き先までの切符を買ったりしながら、ぼんやりと景色を眺めていた。のっぺりとした薄ネズミ色の空に、ところどころ居場所を失った重い雲の断片が、憂鬱そうに風に身を委ねていた。

バスの発車時間を見計らって、再び停留所へと下っていった。今度は先ほどとは違う階段を使った。我々が行き来するたびに、ドアを開け閉めする貪欲なタクシーの運転手に会いたくなかったらだ。中学生らしき男子の一群が駅へ向かって歩いてくるので不思議に思っていると、婦人会のおばさんたちの会話が耳に入った。
「知らん子やけど、私訊いてみたんやわ。もう勉学は終わったんかえ?て。そしたら、『うん、今日はテストや』ゆうてたで。はははははは。」たわいもないことで笑える健全さがそこには溢れていた。

バスは時間もあいていたが、乗客も少なかった。我々の他には60前後のおばあさん 一人しか乗っていない。確かにこれではこの運行間隔も納得せざるを得ない。
我々が席に着くとおばあさんが声をかけてきた。
「室生寺へ行くの?それやったら、これあげるわ。室生寺から帰りのバスの時刻も書いてあるからね。私はコピーがあるから、あげますわ。」
田舎の老人は純朴で親切なのだと思いながら、私は礼を言い、妻がそのバスの時刻表の紙切れを受け取った。バスが自身の車幅だけで大半を埋め尽くしてしまいそうな隘路を走り始めると、おばあさんは我々専属のバスガイドのように、次々と観光案内をしてくれるのだった。
「室生寺はここから6kmあるけど……、ほれ、左手の川の向こうの崖を見てご覧。あれが磨崖仏、ね?右手が大野寺、枝垂れ桜が綺麗なんですよ。去年の台風のせいで室生寺の五重塔は壊れて、今は見れないんですよ。この辺りの山の木も随分倒れてしまって、本当にひどかったですね。」

いわれるままに我々は左へ右へと頭を回して見たり、「ほお〜」などと呟いてみたり、特別にこちらから尋ねることもないので、意味もなく頷いたりするしかなかった。本当は静かに景色を見ていたかったのだけど、厚意を無にしてはいけないと思い、熱心に耳を傾けている振りをしていた。

そのうち話題が変わった。
「私は室生寺のバス停のそばで土産物屋をやっているんですよ。今日はちょっと病院に行ってきて、今はその帰りなんですよ。」

そういえば、隣駅の榛原(はいばら)に大きな榛原総合病院というのが見えたから、そこへ行ってきたんだな、神経痛かなにかな、土産物屋ということは我々に何か買って貰おうと思っているのかな、などと想像を巡らせながら、それとなく話を聞いていた。
「有名な書を集めた美術館があるんですよ。まあ、いいと思うかどうかは皆さんそれぞれですから、分かりませんけど、私はいいと思うてます。森鴎外とか夏目漱石とかの文豪の書もあるんです。あの〜、これ汚くなってしまってますけど、あげますわ。私の名刺です。美術館に行ったらバスで一緒になったこの『おばさん』から紹介されて来ましたとゆうて下さい。お茶出してくれます。実はそこの館長さんの奥さんが私の妹なんです。室生寺に着いたら太鼓橋を渡らんと真っ直ぐ行って下さい。そしたらありますから。この名刺出して下さい、お茶出ますから。」

この最後の「お茶出ますから」というのを彼女は何度も言ったが、私はそんなにお茶が飲みたいわけでもなかった。話を聞いているうちに、段々彼女の思惑が見えてきたようで、少しがっかりしたような納得したような気分になっていた。楽天家の妻は最後まで「でも、いい人よ」といっていたが。

バスは山深い道を馴れた足どりで淡々と登っていく。途中、石だらけの河原沿いの箇所で道路の拡幅工事が行われていた。道路脇に並んで駐車している3台のダンプカーの荷台には砂のようなものが山盛りに積まれており、盛んに蒸気を発していた。不意にバスが路側へ寄ったかと思うと、荷台の後ろに虎の絵と「猛虎」と書かれたダンプカーが、勢いよく追い越していった。

川に架かる橋を渡ったときに、柱の文字からその川が「室生川」という名であることを知った。川底の苔のない石の輪郭まですっかり見通せるほど水は澄んでいて、無機質な冷たさを示していた。

しばらくの間はバスの客室に沈黙が訪れ、乗客3人がそれぞれに別々の思いに耽っているようだった。突然ベルが鳴った。携帯電話の呼出音だった。こんな山の中まで電波は追いかけてくるのだ。バスの運転手の電話だった。運転手は、「もしもし」と「そうですか」と「はいはい」の3つの言葉だけで会話をしていた。その間じゅう、彼は右手一本で大きなステアリングを巧みに切って山道を登っていった。

(To be continued...)

[室生寺] | [Site Index]