伏見稲荷 [3]

桧皮葺きの楼門が正面の石段上に現れた。柱や欄干は目の覚めるような朱色に塗られているのだろうが、衰えた光の中では彩りを失っていた。石段の両側には稲荷神社の象徴である狐の像が向かい合って置かれている。向かって右側の狐は口の中に珠をくわえ、左側のはなぜか房の付いた十手をくわえている。銭形平次や半七捕物帖を連想させるが、捕り物と稲荷神社の狐とはどういった関係があるのだろうか?

稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、五穀を始めとして全ての食物をつかさどり、稲の成育を守護する神さまだ。 そして、稲荷とは、もともと「稲成(いねなり)」、つまり稲が成育することを意味しているといわれている。また、狐は稲荷神社の「使い」ということで、狐=お稲荷さんと思いがちだがそうではない。そして、伏見稲荷大社は全国4万という「お稲荷さん」の総本山なのである。

宇迦之御魂神と稲というと日本古来の神・宇賀神(うがじん)が思い起こされる。宇賀神は食事をつかさどる神であり、飢えを凌ぐ功徳があるといい、古来福神としてわが国で尊崇されていた。この神は人頭蛇神で、顔は老人の容貌をしている。また、弁才天と同神と考えられたことから、弁才天の使者は蛇となっている。実際に江島の弁才天坐像の頭には、この宇賀神がとぐろを巻いた姿で乗せられている。

さらに明神(みょうじん、日本の神の尊称)の一つ稲荷明神は仏教の天部・荼枳尼天(だきにてん)に由来するものであるが、如意輪観音を本地仏とし、老人が稲束(いなづか)をかついだ形姿に作られている。そして、一般に狐の背に乗っている。 このあたりは神仏習合が著しく、一筋縄ではいかなくなってくるので、一度に理解することは徐々に難しくなってくる。

さて、荼枳尼天であるが、これも狐に跨って空を飛ぶ姿で表現されるのだが、すさまじい天部で、もとは人間の心臓や肝を食べる夜叉鬼であった。仏によって命尽きた人の心肝を取って食することを許され、半年前に人の死を知ることができるようになったため、自在の神通力を持つと見られている。また、日本では鎌倉時代から、諸願成就の外法として狐精を使うという荼枳尼天の修法が行われていたらしく、このことが在来の孤神信仰と習合し、稲荷神として信仰されるようになったという。仏教世界にはこのようなグロテスクな一面が随所に見られるように思う。

楼門の脇に回ると東丸神社がある。「勉学向上・受験合格 祈願受付」と書かれた大きな看板が鳥居に立てかけられていた。鳥居の形が稲荷鳥居ではく、八幡鳥居の形をしているところを見ると、八幡宮系統の神社なのであろう。稲荷神社の中に別系統の神社が存在するという実に奇妙な構成となっている。

来年受験の娘のために写真を撮って、合格祈願の代わりとした。こんな安直な祈願は聞き入れてはもらえないかもしれないが、後からモニタを見ながら二礼二拍手一礼の儀式を行うこととしよう。だが、我々が訪問した10月は「神無月」ともいい、全国各地の神さまが出雲大社に集まって不在になるという言い伝えもあるので、無駄かもしれない。

本殿の横から背後の稲荷山へ登る道には、有名な千本鳥居が並んでいる。その入口には「伏見稲荷大社参拝図」が置かれていて、蛍光灯で絵図が照らされていた。参拝図によると、一周ぐるりと巡拝する「お山めぐり」は2時間の道のりとある。行けるところまで行ってみることにした。辺りに夜の気配が忍び寄ってきて、ミステリアスな雰囲気を盛り上げていた。

(To be continued...)

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