入口の大きな鳥居をくぐると石の鳥居があり、そこから先には稲荷鳥居がトンネルのように続いていた。鳥居の左の柱には寄進者の名前が、右の柱には建立の日付が書き込まれている。鳥居のトンネルの奥は暗い闇が支配しており、所々に設けられた白熱電球の明かりの付近の柱だけが朱色に光って見えた。
一旦鳥居が途切れたと思うと、そのすぐ先で道が二手に別れていて、それぞれに鳥居列の暗闇が口を開けて待っていた。いずれの道をとってもきっと出口は同じなのだろう思った。私と妻とで右左に別れて、出たところで落ち合おうといってみようかとも考えたのだが、同意が得られるはずがないと思い直して、一緒に左の道をとることにした。
瀬を早み 岩にせかるゝ 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ<崇徳院・小倉百人一首(77番)>
小倉百人一首の崇徳院の歌が脳裏に浮かんだが、同調してもらえそうにはなかったので、口にはせずに黙っていた。
黒い影絵の簾となった鳥居の柱の隙間から見ると、隣の鳥居のトンネルが白熱電球の明かりに照らし出されて、所々赤く燃えているようだった。鳥肌がたつような幻想的な光景だ。昼間でなくてよかったと心底思った。
長いトンネルを抜けた。振り返ってみると2つの穴が消化管の出口のように並んでいた。やはり2本の道は同じ所へ出るのだった。出たところには絵馬堂があり、夥しい数の逆三角形の白い絵馬が朱色の柵に並んでいた。絵馬には狐の顔が描かれているのだが、漫画チックで子供受けを狙ったもののように見えた。
日本では古くから、神さまの乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときには、神馬(じんめ)といって生きた馬を神に奉納する風習があったが、その代わりとして、板に馬の絵を描き奉納するようになったのが絵馬の起源とされている。鎌倉時代からは絵馬に描かれる動物は多様化し、キツネやへビなど、お祀りされている御祭神と関わりのある動物も描かれるようになったという。
それにしても絵馬に自身の欲望を書き連ね、あまつさえそこに住所・氏名まで書き加えて衆目に晒すという所行は到底私にはできそうにない。ここに書かれた情報をもとに犯罪が起きるということはないのだろうか?もしそんなことがあったら、「伏見稲荷・絵馬殺人事件」などという見出しで、多いに新聞紙上を賑わわすことになるのだろうが。
絵馬堂のそばからまた鳥居の行列が始まっている。それぞれの入口には必ず一対のお狐さまの像が立っていて、ひとつひとつ表情が異なる。ただ、向かって左の狐が必ず十手か巻物を加えている点だけが共通している。
もうすっかり夜気を感じるようになり、鳥居道の中は一層暗くなってきた。人通りも少ない道で中年の婦人が巡回の若い守衛と話している。行けども行けども尽きない鳥居道を歩くうち、帰り道が分からなくなってしまったらしい。守衛が来た道を戻るのが一番近道だと教えていたが、婦人は守衛を狐が化けているのだとでも思っているのか、一向に守衛のいうことを信用していない風だった。我々がそばを通りかかると助けを求めるように訊いてきた。
「あなた達はどうやって帰るの?」
「ぼくらは行けるところまで行って、適当なところで引き返して来るつもりですけど」
「行けども行けども出口がないのよ。来たときにはまだ明るかったのに、どんどん暗くなってきて、私、段々怖くなって……」
暗いので表情はよく分からなかったが、婦人の声は恐怖と不安が入り交じった真剣なものだった。
「JRの駅へ出るんだったら、この道を戻るのが一番早いと思いますよ」
そう私が答えると、狐目の守衛が赤い下を覗かせて、「それみたことか」という顔をした。婦人はまだ半信半疑の様子だったが、半笑いの目を光らせた守衛に連れられて出口の方へと戻っていった。
夜の鳥居道は怪しく美しい。外の街灯から差し込む光が路面に放射状の縞模様を描いている。先で道が曲がっている付近の柱だけが、白熱電球のせいで、血のような鮮紅色に燃えたぎっている。赤と黒だけの世界だ。明かりの乏しい箇所で、黒い影となった柱と柱の隙間から外を見ながら歩いていると、自分がまるで長い長い虫かごの中を進んでいるかのような感覚に襲われる。満月の夜に明かりをすべて消してここを歩いたらどうだろうか?青い月光と柱の影と色を失った鳥居の柱列……。そんなことを考えていたら出口に鬼火が見えた。
もちろんそれは鬼火であるはずはなく、路側に置かれた石燈籠の明かりだった。明かり窓の形は、歩道に面した側は四角形だが、横はそれぞれ満月と七日月の形をしていた。暗闇に浮かぶ燈籠の明かりというのはなかなか風情があってよいものだ。日本人の美意識もなかなかのものだと改めて感心した。
鳥居はまだまだ果てしなく続いており、私はどこまでもその中を歩いて行きたかった。溢れんばかりの官能的な魅惑と終わりがないことへのジリジリとしたいらだちとのジレンマを覚えながら、やはり終わりを求めて際限なく進まずにはおれない、そんな夢の中にいるようだった。だが、妻がもう歩くことを拒否したので、やむなくそこで引き返すことにした。それにしても、絶え間なく続く、この寄進者の名前が記された鳥居を見ていると、人々の妄執と自己顕示欲の強さを思わないではおれなかった。
再び坑道のような鳥居道を引き返してきて、本殿まで出てきたときには、夜はとっぷりと暮れて、土産物屋がそそくさと店じまいをしていた。とうとう土産物を買う機会を逃してしまったことは、金銭の節約にはなったが、やはり残念だった。
入口の石畳からバス通りを見ると、鳥居の向こうにデイリーストアの明かりが煌々とついていて、時代のコントラストをなしていた。JR稲荷駅では、京都駅へ向かう電車に乗るのに、またまた15分以上待たねばならず、再び雨が降ってきた。
【伏見稲荷編・完了】