初見仏記 [4]

1998年10月21日~10月22日

2日目は昨日の小雨降る肌寒い一日とは打って変わって、爽やかな秋晴れとなった。昨夜土産物屋で買った仏像鑑賞の本を眺めていて、新薬師寺の十二神将像を見に行きたくなった。そこで、この日は真っ直ぐに新薬師寺へ行くこととした。残りの時間は安易に法隆寺でも行ってみることに決めた。

新薬師寺

JR奈良駅前から市内循環バスで10分、破石町(わりいしちょう)下車。春日山麓の高畑町の山奥へ通じる緩やかな登り道を歩く。辺りは落ち着いた住宅街の趣で、観光地とは思えない。途中瓦屋根の奈良教育大学の学生寮らしきものも見える。新薬師寺の道順の看板に従って小道へと右に折れて行くと、幅一間ほどの路端に見慣れぬ野菜が無造作に値札を付けて置かれていた。奈良のこんな町中にも無人野菜販売が存在することに少し驚きを覚えたが、そこを抜けて小さな四辻に出て見て、無人販売所に接する家が八百屋であることを知って、合点が行った。

四辻を抜けると、つい入ってみたくなるようなしゃれた喫茶店が右手にあり、その先の左手には朽ち落ちそうな土塀の不空院がある。小道から不空院内の標識が覗け、「←縁切り・←縁結び」とある。連れの者と「順番を間違えると大変なことになるね。まず腐れ縁を切ってから、新たな縁結びをするんだろうなあ。」などと話してい る間に、すぐに新薬師寺の門前へと着いた。

南門で拝観料500円を払って中へ入ると、縁起を記した板が置かれている。それによると、寺名の「新」は新しいという意味ではなく、霊験あらたかなるの意味であるという。取って付けたような話で、言い訳のような気がした。帰ってから広辞苑第四版で調べてみると、以下のように記述されていて、最後の「あらた」というのを取って「新」の文字を当てたのであろうが、どうも今一つ割り切れ ない。ネーミングも失敗だったのではないか。

あらたか【灼】
(神仏の霊験や薬の効き目が)いちじるしいこと。いやちこ。あらた。

広辞苑(第四版)

天平時代には南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍の甍を並べ、一千人の僧侶が住していたとあるが、現在では見る影もない。天平時代の面影を残すのは当時食堂として使われていた現在の本堂(国宝)だけで、後は鎌倉時代創建の鐘楼と小さな地蔵堂のみだ。だが、石畳のアプローチの正面に一体の石灯篭が佇立し、その向こうに微妙な曲線を描く棟瓦を有する入母屋造りの本堂がデンと構える姿は悪くない。中央の木の扉の両側に細い漆喰の白壁をはめ込んだ意匠も心憎いものを感じる。鞄から三脚を取り出して、ここでパノラマ画像を撮影することとした。後でQuickTime VR に加工するのである。

本堂に入ると意表を突かれる。化粧屋根裏の内陣には円形土壇が設けられており、巨大な本尊薬師如来像を中心に様々な姿態の十二神将塑像が、忽然と姿を現すからである。本堂の落ち着いた外観と内 部の異様な空間の落差に驚くのだ。

薬師如来座像は碁盤などの材料となる堅い榧(かや)を使った一木彫だが、両目をパッチリとあけた個性的な表情をしている。これは聖武天皇が眼病を患った折、光明(こうみょう)皇后が平癒を祈念して回復したことをから造らせた仏像であることから、他の半眼の如来像とは異なり、目を見開いた姿としたようだ。この表情のため非常に親しみのある如来像となった反面、半眼に宿る仏眼の深さはない。この仏像を見た私の連れは「ベティちゃんみたい」と評した が、私には安室奈美恵のように見えた。

さて十二神将像であるが、これについては手厳しい評論が多いようだ。亀井勝一郎や井上政次らの文人には酷評され、和辻哲郎には無視されてしまっている。ここに亀井の文を引用してみよう。

更にこの本尊をめぐる十二神将は、天平の作ではあるが、戒壇院の諸像に比するとき格段に品くだれるものとなっているのは意外なくらいだ。経文の粗野な解釈、渡来文化の拙劣な模写、或いは小乗仏教によくみられる民心へのコケおどし的要素などが看取される。信仰は健全な祈りと憧れを失って、漸く狂譟的な迷信に堕しはじめた兆候でもあろうか。意味ありげなその露骨な姿態には、何か陰惨なものさえ感じる。要するに金堂本尊と十二神将群像は私にはグロテスクに思われる。

『大和古寺風物詩』新潮文庫・ISBN4-10-101301-2

昭和17年冬の記述である。しかし、私にはこの亀井の評論は信仰心に傾き過ぎているように思える。単純に美術品として観賞してもよいのではないかと思うのである。美術品として見たとき、十二神将像は、日本の仏像には珍しく、極めて均整の取れた姿をしており、精悍な躍動感を感じる。とりわけ迷企羅(めきら)大将[寺伝によれば伐折羅(ばさら)大将]の激光怒号する姿からは、劇的な緊迫感が感じられて、私は好きである。それにしても、これらの像を見ていると、どうしてもドラゴンボールを想起しないではおれない。ドラゴンボールの天を突く怒髪や、裳を帯びた衣装は、迷企羅大将にそっくりだからである。作者鳥山明もこの寺へ十二神将像を見に来たのだろうか?因みに迷企羅大将は500円切手の図案にも用いられているものである。

本堂から外に出てみると、所々に白とピンクの混じった草花が咲いることに気が付いた。人に教えられて、その草花が萩の花であることを初めて知った。

(まだまだ終れない。第5話へつづく)

[Site Top]