初見仏記 [5]

1998年10月21日~10月22日

春日大社

新薬師寺の周りの高畑地区は落ち着いた住宅街である。築地塀に囲まれた屋敷が並び、土蔵を改造した喫茶店やレストランなどが散在している。そのなかの一軒の古びた家屋を改造してFM局が開設されていたが、入り口にはスニーカやサンダルが脱ぎ散らしているのが見えて、微笑ましかった。大きな屋敷の築地塀の瓦屋根の上で、ベージュ色の丸々と太った猫が陽光を受けて昼寝をしていた。10cmくらいにまで近づいてカメラのレンズを向けても、こちらに足の裏を見せて悠然と寝そべっていて、まったく逃げる様子がない。撮れた写真を液晶ディスプレイに表示してみると、抜けるような青空を背景に太々しい目つきでこちらを見下ろしている画像が現れてきた。

来た道を戻って志賀直哉旧宅へと向かう。志賀直哉自身が設計した家で、ここで暗夜行路を書き上げたという。だが、生憎我々が訪れた木曜日は休館日で、塀の外からでは二階部分がわずかに見えるだけだった。やむなく戻ろうとすると春日大社へ通じる小道が見えたので、分け入ってみた。ところがこれが大変な道で、周囲は全くの原生林で、足下の土の道は昨日の雨で滑りやすくなっていた。辺りには人っ子ひとり見えず、やや不安感を覚えながら、ひたすら黙々と急な坂道を登っていった。10分近く歩くと、鬱蒼と茂る木々の向こうから子供たちの黄色い声が聞こえて来だしたので、奈良公園の近くに来たことがこれでようやく分かった。登り着いてみると、そこはもう春日大社の参道であった。ルートさえ分かってしまえば、これもなかなか楽しい間道である。

参道を登って本殿まで行ってみた。お日柄がよいのか、お宮参りに来て、記念撮影をしている姿を数組見かけた。本殿の脇の木陰では、白無垢姿の花嫁が真剣な表情で写真撮影をしてもらっていた。白粉と口紅のコントラストは、白壁と朱柱の本殿のそれを思わせるようだ。両家の両親の脇に腰掛けた新郎は陽の光を真っ向から受けて、額を光らせながらひたすら嬉しそうだった。そして、こんな光景を外人さんのご一行が、もの珍しそうにビデオ撮影をしていた。

春日大社直営の喫茶店で抹茶アイスを食べてから、バス通りまで降りていってみると、落雷によって奈良公演の大木が真っ二つに割けているのが見えた。

法隆寺

バスに30分ほど揺られて法隆寺へ。思いの外遠い。
西院伽藍、大宝蔵殿、東院伽藍(夢殿)3点セットで拝観料1000円。

ちょうどこの日は百済観音堂が完成し、落慶供養が主のいないままに開催されていた。裏千家の茶会も催されている模様で、そこここでお揃いの法被を着用した女性を見かけた。南大門前で日産プレジデントに乗った人が出ていくのを入り際に目にしたが、あれは裏千 家の宗主であったのだろうか?相当の金がかかっているのだろう。

法隆寺は世界遺産に指定されたためか、極めて設備が整っていて、近代的な印象さえ受けた。また、あまりにも有名なものが多いせいか、中学時代の教科書を見ているような印象を受けた。我々のすぐ後を着いてきていた若いカップルの女性の方が、釈迦三尊像を見ては「資料集に出てた」、三経義疏(さんぎょうぎしょ)を写した木製印刷版を見ては「書道のお手本に出てた」などと話しているのが聞こえてきたのだが、いちいち首肯できておかしかった。

教科書といえば、推古天皇所持の仏殿と伝えられる玉虫厨子である。ここで再び展示物を見たわけであるが、現物は黒くくすんだだけのもので、取り立ててどうこういうほどのものではない。だが、玉虫と玉虫の羽根を透かし彫りの中に入れた展示物を見たとき、この仏殿の往時のきらびやかな姿が髣髴としてきた。玉虫などというものが現在も存在していることさえしらなかっただけに、驚きはかなり大きかった。あおの緑色の輝きは、薄い羽根の複層構造による光の干渉のせいなのだろう。

金堂内の釈迦三尊像は鼻の下の筋が妙にはっきり見え、全体に不気味な表情で余り好きになれる代物ではない。法隆寺の多くの仏像の中で一番ほっとする仏像は百済観音菩薩像であろう。日本人離れした八頭身で、首をやや前に突き出した姿勢ですらりと立っている。全体に優しいその姿は、春風駘蕩としている。クスノキの一木彫である。手にした薬壺(やっこ)が酒の入った銚子のようで、春の風に浮かれてほろ酔い気分のようにも見える。心和む仏像である。法隆寺の仏像の中でも出色だろう。ただ、現在は海外展示中で、イミテーションしかみることができなかったのはまったく残念であった。

土産物

法隆寺前の土産物屋は4時を過ぎるとあっという間にシャッターを降ろしてしまうため、奈良市街の三条通りまで戻ってから土産物を買った。土産物屋に入るとおっさんが暇そうにしていて、ヤンキースが4連勝でワールドシリーズを制したとテレビが報じていた。

土産物の一つは十二神将立像のひとつで、先が三つに割れた槍を持った珊底羅(サンテラ)大将のミニチュアである。2,300円也。店のおばさんによると、これでも駅前の付近の土産物屋よりも安くしているのだという。確かに、駅前では2,500円で売っていたので、ちょっと得をした。新薬師寺では3,000円で売っていたのを思い出して、「お寺さんではもっと高かったですよ」というと、「そうなんですよ。お寺さんは一番高いんですよ。一番安うせないかんのにねえ。まあ、賽銭でしょう。」だって。土産物は買うところを選ばないといけない。

もう一つの土産は今西本店の奈良漬け。千円程度の小さいのを買おうとしていると、女将さんが自宅で食べるんだったらといって、より安い900円の袋入りの方を勧める。なんでも、袋入りの方が大きくて肉厚のものが入っているので、味がよいらしい。また、食べる分だけ切って出して、冷蔵庫に入れておくとよろしいとのこと。出してすぐは酒粕の味がきついときがあるので、3日くらい冷蔵庫に入れた後の方がいいのだという。また、この店の奈良漬けは黒い色をしているが、これは酒粕に3年間漬けたもので、着色料も一切使っていないからだとか、他の店では綺麗な色のを出しているがあれは合成着色料の色だとか、中には自分のところで漬けないで韓国や中国から輸入しているところもあってあれは奈良漬けではないとか、一頻り講釈を聞かされた。なかなか商売上手である。4袋も買って帰った。

エピローグ

長い間、ここまで読んでくれた方は本当に精神力の強い方です。駄文にお付き合いいただき有り難う御座いました。さすがに私も疲れ切ってしまいましたので、この辺で終わりにします。

(了)

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