まずはAさんご推薦の東大寺三月堂へ。
JR駅前から奈良交通市内循環バスに乗り、大仏殿春日大社前で下車して東大寺の参道へ向かう。信号待ちして交差点を渡ってくる我々を目敏く見つけて、黒い前掛けをした人力車のニイチャンが声を掛けてきた。「雨の奈良、ご案内しますよ。東大寺は坂もあるし、大変ですよ。どうです?お二人で。」ぞっとした。細君と二人でこんなとこ歩いているだけで面映ゆいのに、人力車で見せ物にされては堪らない。軽井沢の教会で挙式して、花馬車に乗るようなもんだ。丁重にお断りして南大門へと向かう。
我々の前を修学旅行の女子高生の2人がけだるそうに歩いている。一人は白いルーズソックスの裾を引きずっていて、泥まみれだ。向こうから先生が飛んできて、「君たち、みんなからだいぶ遅れてるよ。もうちょっと急ごうね~。」と優しく声を掛けるが、当の女子高生は「いや~だ。だるくて歩けな~い。」時代は変わったものだ。我々の時代だったら、「こるぁあ~っ!!何をちんたら歩いとんのや、われ。しばいたろか?キビキビ歩かんかい、キビキビ。どあほ!」と一喝された挙げ句に、拳骨を食らっていたところだろう。後ろから女子高生のケツを蹴り挙げてやったら、さぞかし気分がいいだろうなどと考えていた。
修学旅行生で賑わう大仏殿前をよぎって手向山八幡宮への坂道を登っていくと、その中腹を左には行ったところに三月堂があった。思っていたよりもかなり小さい。標識がなければ見過ごしてしまいそうだ。拝観料400円を払って御堂に入る。礼堂の北側は壁、東側は手向山の崖に接しており、唯一明かりの採れる西方の扉も雨のためか閉じられているため、堂中は非常に暗い。観賞のために入り口に近い側の壁伝いに畳敷きの細長い台があって、その上方に数本の蛍光灯がむき出しになって設置されているが、目を凝らさないと仏像の細部を見ることはできない。
仄暗い堂内には16体の仏像が所狭しと立ち並んでいる。これだけ密集していると、地震が来たときにはドミノ倒しになってしまうのではないかと、余計なことまで考えてしまう。一つ一つの仏像はいかにも立派な芸術品なのだろうが、それらを配置した人は美的感覚に乏しかったとしか思えない。まさに仏像の剥製博物館の様相を呈しているのである。
これらの仏像たちの前に立ったとき、圧倒的な威圧感で迫ってくるのが本尊の不空羂索(けんさく)観音菩薩である。肩幅の広い堂々たる体躯で須弥壇上に立ち、胸の前で力強く合掌している。不機嫌そうな口元の表情と、半眼の様相で見下ろす様は、仏の柔和な印象からはほど遠い。見る者に畏怖心を抱かせることを目的として造られたものとしか、私には思えなかった。とりわけ、額の縦に配置された眼を見るとき、射すくめられるような気持ちになるのは私一人ではあるまい。
本尊に従うように両脇に日光・月光(がっこう)菩薩が立ち並んでいる。この2つの塑像は、ふくよかな頬と対照的な切れ長の目を持ち、微かに緑がかった灰白色の色調も与って、静かに瞑想しているように見える。なにか透明感を感じさせる不思議な仏像である。指先だけをそっと合わせるようにした合掌の姿は、本尊とは打って変わって、見る者の心を和ませる。日光菩薩の指の一本は好事家によって持ち去られたと何かの本で読んだが、仔細に見ても弁別できなかった。
巨大な梵天・帝釈天はなんとも掴みどころのない茫洋とした風格で佇立している。気の抜けた弁慶かジャイアント馬場といったらよかろうか。大らかな気宇を蔵するという表現も成り立たなくはないが、現代においては「おい!なにを梵天として突っ立っているんだ?」とか、「帝釈天みたいにそんなところでぼ~っとしているんじゃない!じゃまだよ。」とか表現されそうな気もする。
不動明王、四天王(増長天・持国天・広目天・多聞天)は駄作である。一向に心惹かれるものがない。その中にあって、2体の金剛力士像(吽形・阿形)のうち、右側の吽形(うんぎょう)は強い印象を残した。それは吽形の視線によるものだ。どこから見ても、なぜか睨み付けられているような気持ちになる。この像の視線は妙に気になるのだ。だから、だれもいなくなったのを見計らって、ノンフラッシュモードでデジカメで盗撮したやった。これで吽形の呪縛から解かれた。見つからなくてよかった。
三月堂を出ると校倉造りの建物が見える。予備知識皆無の私が、「ああ、正倉院ってあれかあ」と大きな声で呟いていると、側を女子高校生たちがクスクスいいながら通り過ぎて行った。後で調べてみたら、正倉院は全く別の大仏殿の裏手にあった。あの女子高生たちはきっと大仏殿、正倉院と回ってこの三月堂まで来たのだろう。だから無知なるオジサンの呟きがおかしかったに違いない。だが、オジサンになると、それくらいのことでは赤面したりはしなくなっているのだ。