好天の日曜日ということもあって、午前の近鉄奈良駅前は多くの観光客の上気した会話で溢れていた。ぼんやりと行き先を思案しながら駅舎を出てきた私は、場違いな居心地の悪さを感じていた。出張にかこつけての観光という後ろめたさのような気分が、素直に心を浮き立たせることを罪悪のように感じさせていたのかもしれない。御祓(みそぎ)の儀式のように、ことさら駅前で愚図々々していた。
階段入口の壁にもたれて、あたりをぐるっと一回り眺めてみた。すぐ脇では募金活動の一群が大きな声を上げており、前方には柔和な表情の行基像が噴水の上に佇立している。その後ろの壁には東大寺戒壇院の広目天像、秋篠寺の伎芸天像をドラマチックに写したモノクロのポスタが張られていた。手元には駅の出口で若い女性からポケットティッシュと一緒に手渡されたマンション広告があり、JR奈良駅に隣接して建築中の物件が、100m2で3,000万円とあった。奈良にしては高いのかもしれないが、利便性を考慮するとやはり相当に安い感じがする。自由気ままに暮らせる身分なら買いたいと思った。
10分間の儀式の成果はめざましく、急に時間が惜しく思われてきた。足早に観光客を追い抜き、横道に入った寂しい場所にぽつんとひとつだけ離れたバス停へと向かった。「自衛隊行」と無粋極まりない終点名を持つバスに乗り、佐保川にかかる橋を渡るとすぐに転害門の看板が見えた。バスは交差点で左折すると、東大寺の転害門から真直ぐ西に延び法華寺に至る佐保路(平城京の一条大路)を、短い間隔で停車しながら進んだ。
佐保路は貴族たちが豪邸を連ねた天平のいわば超高級住宅街であり、坂上郎女(さかのうえのいらつめ)、大伴家持、笠郎女(かさのいらつめ)、藤原麻呂らの万葉歌人たちが行き来した道でもある。今では奈良育英学園、佐保小、奈良高校、奈良教育大学付属中などの学校が立ち並び、往時の面影を留める家並を見いだすことは難しい。質素なサラリーマンの所有になると思しき家屋の庭先に置かれた小屋の中で、雑種の犬が安心しきった様子で眠りこけていた。動物がこれほどだらしなく惰眠をむさぼっている姿を久々に見た。
この日の日射しは既に夏を思わせ、春の女神・佐保姫も佐保山へ 里帰りして、汗を拭いながら機を織っているのだろう。
佐保姫 の
糸 そめかくる青柳 を
ふきなみだりそ春のやまかぜ<平兼盛>
【通訳】
佐保姫が染めて青柳に掛けた糸を
春の山風よ吹き乱さないでくれ
糸がもつれると佐保姫が困るだろうから
※季節外れ
一条高校手前でバスを降り、脇道へ入るとJR関西本線の踏切の先にこんもりとした杜が見え、薄暗い緑のトンネルの向こうに古寺の門が垣間見えた。この日の最初の訪問地、不退寺に違いなかった。不退寺は別名「業平寺」とも称され、在原業平が父阿保親王(平城天皇の皇子)の菩提を弔うとともに、衆生済度のために「法輪を転じて退かず」と発願して建立したと伝えられている。
南門は切妻造本瓦葺の四脚門で、左右に五本の白線が入った淡黄色の築地が瓦の重みに耐えかねたかのようにうねりながら延びている。今では訪れる者も少ない様子で、木々も伸び放題で打ち捨てられているような姿が、却って情趣を添えており、静かにもの想いに耽ることのできる寂れた寺の様子が、好ましく思えた。
金龍山不退轉法輪寺とこの寺の号を刻んだ石柱を横目に視ながら門をくぐった。
観音をただ一筋にたのみつつ
不退の寺に急ぎまいらん(大和北部八十八ヶ所御詠歌)