佐保路散策 [2]

住職はおざなりな口調で念仏のように決まり文句の説明を一通りすると、「どうぞそばに寄ってみて下さい」と言い放った後は、配達のおっちゃんと何事か世間話をしていた。こんなおざなりな説明ならない方がましなので、簡単に終わってほっとした。

薄暗い本堂の中には本尊聖観音菩薩立像(木造彩色, 重文, 像高1.9m)と、中央の不動明王(87cm)の回りに、東に降三世明王(156cm)、南に軍荼利明王(158cm)、西に大威徳明王(139cm)、北に金剛夜叉明王(149cm)と五大明王像(すべて木造, 重文)が立ち並んでいた。どれも比較的小振りの仏像たちであり,印象が薄い。後ろで話す僧侶のげびた声が、私の想像力をすべて台無しにしていた。焦点の定まらぬ不動明王の黒い玉眼と、白い胡粉が所々剥落した聖観音菩薩の女性的な艶かしさだけが、わずかに記憶に残った。

頭部の大きなリボンが特徴的な聖観音菩薩立像は、その艶やかさから業平自らの手になるものであり、恋人の容貌を写したものであるという俗説がある。また、「住持一世に一度開帳」(和州寺社記)といわれ、近世まで秘仏であったようだが、明治以後はずっと御開帳されている。

さて、このサービス精神に溢れた菩薩像の体表に残る白色顔料は胡粉(ごふん)と呼ばれるもので、貝殻を粉にしたものである。貝殻としてはイタボ牡蛎と蛤が主に利用されたが、軟らかくて砕きやすい牡蛎の粉の方が重用されたらしい。

現在では白色顔料としては化粧品や車の塗料にも使われているチタン白(酸化チタン=チタニア, TiO2, ルチル構造)がよく知られ、常用されている。その理由は酸化チタンの屈折率の高さにある。屈折率の高い物質ほど光をよく反射することは周知の事実で、ガラス(屈折率n=1.43-1.74)とダイヤモンド(n=2.417)の指輪の輝きの違いを持ち出すまでもないだろう。
念のためもう少し詳しく説明すると、高屈折率材料は外表面における光の反射率が高く、物質内部に侵入した光に対しても臨界角が小さいため全反射の確率が高くなる。従って、物質に入射した光のかなりの部分が反射され、更に物質が不定形粒子だと、反射光がいろんな方向へ散乱反射されるため、下地の素地に対する遮蔽性が高くなるというわけだ。


物質 n R

酸化チタン(TiO2, ルチル) 2.76 21.9%
ダイヤモンド(C) 2.42 17.2%
クリスタルガラス(Swarovski) 1.74 7.3%
胡粉(蛤, CaCO3, アラゴナイト) 1.69 6.6%
胡粉(イタボ牡蛎, CaCO3, カルサイト) 1.60 5.3%
石英ガラス(SiO2) 1.46 4.3%

【注】
物質(屈折率n)の空気と接する表面に垂直に入射した光の反射率R,     R = {(n-1)/(n+1)}2
臨界角 θc(これ以上の角度で入射した光は100%反射する),     θc = arcsin(1/n)

本堂の内外陣を仕切る結界上には業平格子が使用されている。業平格子は二本の筋縞を一組みとして菱形の斜め格子を作ったものであり、業平朝臣が好んだ柄とされている。江戸時代の歌舞伎役者歌右衛門が用いたことから江戸小紋として流行し、着物、帯、浴衣、法被の柄として利用されているものである。

概略【図1】のようなもので、大概の人がどこかで一度は目にしたことがあるだろう。私はこの格子柄を見ていて、西洋のアーガイル(Argyle)模様【図2】を連想した。アーガイル模様はかつてスコットランドにあったアーガイル城の王女が恋人への贈り物にするため、タータンチェックを基本に編み出したものとされている。やはり恋多き業平と相通じるものがあるのだろうか。

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                   【図1】業平格子柄
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                   【図2】アーガイル模様
おほかたは月をもめでじ
これぞこの積もれば
人の老いとなるもの

在原業平「伊勢物語」第八十八段

【通訳】
私はたいていの人がいうように月の美しさを誉めたくない(平安時代、世間の人は月を愛でなかった)。
それはこの月が積もり重なって
人は年を取ってしまうからである。

ちはやぶる神代もきかず
竜田川からくれないに
水くぐるとは

在原業平「百人一首」第十七段

【通訳】
神代の昔でさえも聞いたことはない。
竜田川が(紅葉を散り流して)
紅色に水をしぼり染めにしているなどとは。

【一旦中断】

(To be continued...)

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