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【 第4章 縄文の人々と神々 】



・・かぎ裂き・・

おーい、かーちゃん腰巻きにかぎ裂きつくっちまった、ちょいと直してくれや。
糸がないんだよ、奥村のばっさまの作る糸は細くて丈夫なんだけど、寝込んじまってるんだよ。
娘も作ってるんじゃないのかい?
大きい声じゃいえないけどさぁ、へたくそなんだよー、ばっさまの仕込みがまだ足りないみたい。
みんながヒョロプツの糸っていってんだよぉ。

なんでぇ、ヒョロプツてーのは?
ひょろっとよろけただけでぷっつんと切れちまうのさぁ。
おまけに太くて5ミリもあるんじゃうちの骨針には通らないんだよ。
とりあえずそれでしばっとくよ。よろけちゃだめだよっ。



今のところ大麻で作った「縄」の出土でも世界最古は日本のようで、福井県鳥浜遺跡BC8千年頃。
直径3ミリほど。縄文の名にふさわしくなかなか鼻の高いところです。
中国では河姆渡遺跡から麻縄が発見されているのが最古ですが、むろんもっと古いのがあるでしょう。
BC4700頃の黄河上流の半坡遺跡からは織物の跡のある土器がでています。

縄づくりでは撚った細縄を逆方向にさらに撚り合わせたり、三つ編みといったいろいろな手法があったようです。
針も穴が2ミリ以下のものがあり、細い糸も作られていたようです。
石器が剛の代表とすれば柔の代表が縄。

縄の材料のほとんどは麻のようで。そのひとつである大麻の原産地は中央アジアで全世界に分布しています。
鳥浜の大麻も大陸からきた狩人が持ってきたのでしょう。
食料にも利用したようで、狩人ならヒエやアワより先に麻を増やそうとしたかもしれません。

麻の字のつく地名は全国に散在していますが、北海道には異常に多いです。
近世に麻を生産したこととアイヌ語の地名に麻の文字をあてたのが大半の理由と思われますが、古くから麻が多用されていたのかもしれません。
大麻、大麻比古という神社が香川と鳴門にあります。「オオアサ」と読むのは由来が古いのかもしれません。
当麻という名が各地にありますがこれは発音からみて漢字が使われるようになってからの名称と思えます。

麻といってもいろいろあります。
大麻はタイマで麻薬になる種類がありますが、シャーマニズムなどでこれを使ったのは確実と思います。
桑科ですが特に麻科とすることもあるようです。

苧麻:オマ(チョマ)あるいはカラムシ。イラクサ科。アカソより硬く丈夫なようです。
お盆の送り火や迎え火に「オガラ」を燃やしますが、苧の殻のこと。七味唐辛子には麻の実。
大麻と苧麻が日本の「麻」の代表ですが、「苧」は麻類の総称でもあります。
河姆渡の縄もこれで、他にボウ麻という種類も使っているようです。

アカソ:赤麻、イラクサ科でアンギン織りなどに使います。日本の重要素材。
ソは「アサ」の語源にからむかもしれません(半島ではsam)。
亜麻:亜麻科で現在はペンキ用の油に使う亜麻仁油を採ります。エジプトではこれがメインです。
黄麻:コウマ、ジュートはインドやパキスタン。硬いために布にはあまり使われないようです。
最近はケナフ(洋麻)が紙用など繊維素材として注目されています。

麻ではないですがヒノキの繊維が縄文で使われています。ヒノキ縄、日本の特許製品に違いなし。
柔らかい辺材をたたいて作ったと思われます。
芯材は堅いから建材用に使ったかもしれませんが、ヒノキが建材として重用され始めるのは奈良時代あたりからで意外と新しいようです。

これも麻ではないですがカジ(カジノキ、梶)とコウゾ(楮、アカソに対するコウソの可能性あり)。
コウゾは野生種のヒメコウゾとカジの雑種で日本固有の栽培種です、カジは東南アジア原産ですが実は食料になるので縄文早期にはもう定着していたかもしれません(諏訪大社の紋所になっています)。
どちらも桑科で、古代では同じに扱われています。
東南アジアやポリネシアではカジでタパという布を作ります。
日本では太布、タク布、タク縄など、半島ではtakで登場するようです。
タパと太布、無関係じゃなさそうです。
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縄: 糸+トカゲ、イメージ通り(^^;
綱: 岡は糸を撚り合わせた様を表す象形に山を加えた文字らしいですが、これがオカになる由来を知りたいところですが不明。植物が生い茂って絡み合うようになれば崩れない堅い山や岡になる、かなあ。
(岡は鋳型と火で、焼かれて丈夫になるの意という説もあります)

日本書紀の顕宗紀の新築の祝い歌の中に「柱を結んだ葛綱根」、「葛縄は主人の寿命を堅める」、と綱と縄を使い分けています。
綱はまさにツナグためで縄は締め付けるといったイメージの使い分けかもしれません。
注連縄、シメナワ、しめつける、蛇ともおおいに関係ありそうですが、顕宗紀の意味と同じかもしれません。
お縄にする、やっぱり縛って動けなくする(^^;
縄引きとはいわない、引っ張り合うから綱引き。
横綱・・うーん、注連縄の同種と思うけど綱でピンと張りきってほしいからかなあ。

クズあるいはカヅラ、豆科。おそらく葛城、葛木といった名称もこの流れでしょう。
中国の周では夏用高級避暑服として葛布が使われており、古墳時代になると九州で葛布が出土しています。
現在の九州の漁民に葛網という慣習もあります。
なんとなく南っぽく、やや新しい材料に感じますが、顕宗紀ではなぜ麻縄でなく葛縄なんだろうか・・
このあたりもまた空想の種はつきまじ。
(ちなみに、葛根からはくず粉を作る、そのカス→ゴミ箱のクズ(^^;)



・・縄文教育・・

ワウ、ワンワン。
おーい坊主、狩りにでるぞ。今日は鹿の捕り方教えてやる、ついてこい。
ちょっとまって、モグモグ・・
なんだ、そんなもの食ってるのか、肉をくわなきゃおおきくなれんぞ。
だっておいしいんだもん、ねーかーちゃん。
そーだよ、とーちゃんの稼ぎが悪くてもこれがあれば大丈夫だしねぇ。
ううっ、余計なことをいうんじゃねぇ。さっさと縄でももってこいっ。



子供の教育は女の役目だっただろうと思います。男は狩りや漁に出る。子に接する時間が短いはずです。
子守歌に乗せて言い伝えや先祖の活躍の話を聞かせる。
それを実際にやってみせるのが男の役目。親父の威厳のみせどころ。
しかし、食料が採集によって得られる環境となって親父の威厳は低下していったのではないでしょうか。
原始社会では出産がダイレクトに母性信仰を生むとして、採集や原始農耕でも女性上位が登場したかもしれません。
戦がないならば、ですが。



・・土器・・

土丸さんいるかい、土鍋ひとつほしいんだけど。
ペッタン、ペタン・・
土鍋かあ、今こねたばっかりでこれから縄目いれるところなんだ。2、3日まてねーかい?
困ったねえ、ここんとこ肉続きで胃がもたれるから今日は山菜がゆにしたいんだよ。

ねえねえ、そこの、土鍋じゃないのかい?
こいつか? 土鍋にならねえこともねえが割れちまうかもしれねえぞ。試しにうんと薄く焼いてみたやつなんだ。
ちょっとまて、こっちのほうがよかろう。特別な砂を混ぜてあるから丈夫だぞ。

なによこれー、渦巻きやぎざぎざがくっついて・・
原の村の言主さんに頼まれたんだよ。なんかこう普通じゃない目立つの作ってくれって。
言主さん? 神様用かねー。
たぶんな、でもお気に召さずで出戻りなんだ。5割引でいいよ。
あーらぁ、5割引きぃ(^^) んじゃ栗ふたかごでいいね、もらってくよ、よいしょっと。

まいどありー。ほれ歯磨き枝1本サービスだ、こいつをかじれば胃もたれに効くぞ。
へー歯磨きだけじゃないのかい。
おうさ、十山越ノ村へいったとき、妙な風体の爺さんがいて、いろいろ教えてくれたんだ。
ほれ、奥の壺、よーく見ろや。

あれっ、なんかぴかぴかでつるつるだねえ。
木の汁が塗ってあるんだが、その木がみつからなくて同じのが作れねえんだ。
ほれ、これがその葉っぱなんだがな、だんなに渡してくれや。同じのみつけたら教えてほしいんだ。
向谷の木助どんもさがしてるからな、見つけてくれたら土鍋1年分ただでいいぞ。



鳥浜の出土物はBC4500頃から転換点を迎えます。
漆、丸木船、漁網などなど、一帯が照葉樹林に変わったことが原因と思われます。
木の実が少なくなった代替に漁業や栽培に依存するようになっていろいろな工夫が登場するのでしょう。
(櫂はBC8000くらいから発見されているので舟は古くからあったはずです)

照葉樹はヒマラヤ山麓から雲南、長江流域山岳地帯へ広がっています。
照葉樹は温暖化に伴って台湾経由の南西諸島を北上したんじゃないかと思います(実の生る木なら鳥が運ぶ)。
黄河河口が海没するとき人の手で運ばれたものもあるかもしれません。
餅、寿司、茶など日本の嗜好や文化の多くがこの一帯のものと同じです。

日本特産の照葉樹は椿。北海道を除く全国と半島の一部にあります。
九州や伊豆半島などにひっそりと生えていたのが温暖化で広がったのでしょう。
八百比丘尼が椿の枝を持っています。恐山のイタコの呪具にも使われたようです。
景行天皇が九州で土蜘蛛と戦うときにも武器になり、霊異のある木とされるようです。

照葉樹の流れはヨーロッパ側にものびています。ただしこちら側では硬葉樹と呼ばれるようです。代表はオリーブです。
照葉樹ではないですが、ひょっとすると花の派手な桜も南からやってきて、じみな北方型の樺と混血したのが今の桜なのでは・・木にも縄文時代があったならば「サクラ」は縄文語・・かもしれない。

鳥浜からの漆の出土はBC4500〜3000頃。漆は一般には中国渡来とされるようで河姆渡からもほぼ同年代にでています。
漆の原産地は中国、ヒマラヤとされていますが、現在の産地はタイ、ベトナム、四川省といったあたりのようです。もちろん日本全土と半島にもあります。
これも縄文早期には日本に生えていたかもしれません。
漆は10年育てて1回約200グラム採取できるだけです。その枝は枯れて、次の採取には新しい幹が育つまでまた10年かかります。

照葉樹文化の頃になると、そろそろ神様との具体的な関係がみえてきそうです。
日本書紀の一書に大国主命と少彦名命(スクナヒコナ)の興味深い会話があります。
大国主命:我々の国造りはうまくいったのだろうか。
少彦名命:うまくいったところもあれば、うまくいかなかったところもある。

少彦名命は縄文時代に長江付近から照葉樹文化をもたらした人々の代表者であろうと思います。
(酒と薬の神様とされます)
うまくいかなかったところ、これは稲ではないかと思うのです。
この一書は縄文時代の伝承をゆえあって大国主命(弥生時代の実在人物とみています)と重ねて書かれたものだろうと考えています。

記紀では稲の登場と同時に養蚕も登場しています。
良渚文化では優れた絹が登場しますがBC2000頃の洪水による良渚の滅亡と同じくして絹の消息は中国から消え、再登場するのは殷になってからです。
ある文化圏の消滅で絹も消えるということは、王侯貴族だけの特殊品で製法は秘密だった可能性もありそうです。日本では弥生期に福岡から矛に付着していた布片がでるのが最古の絹で国産品のようです。
生活必需品ではない場合は伝播しても広まらない可能性もありそうです。
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・・火の神と土の神・・

かーちゃーん、たいへんだよ、北の山が火事だよっ。
ぼーやっ怪我はないかいっ。
あちあちちっ、あぶねーあぶねー、もうちょっとで巻き込まれるところだった。
あんたっお尻から煙がでてるよっ、水、水っ、ジュジューッ
でぇじょうぶだ、風向きが変わった。竜神岩か水神谷で止まるだろう。こっちは大丈夫だ。
向谷も見張りをだしてるころだ。合図の太鼓に注意してろ。

すごかったんだよ。真っ黒な雲が山の向こうからでてきて、すごい光と音がして大きな木が倒れて燃えだしたんだ。
鹿やイノシシも逃げてたよ。
それはね、火の神様と土の神様がいっしょになったんだよ。風も吹いただろ。
うん、葉っぱや枝が空へ飛んでいったよ。
木がみんな燃えちゃうね、うさぎもいなくなっちゃうね。

だいじょうぶだよ、来年になれば草がたくさん生えて、その次の来年になれば動物ももどってくるさ。
燃えた跡にはおまえの好きな蒸し饅頭の粟がたくさんはえるんだよ。
わっ、そうなの。とーちゃんも猪肉のはいったの大好きだよねっ。
おや?とーちゃんがかい、ねえあんた、粟饅頭きらいじゃなかったのかい?
ぶほほっ、狩りにでたときは腹が減るからな、なんでもうまいからな、ごほほん・・

食べきれないほど生えるんだぞ、他の村からも採りにくるぞ、祭りがあるぞぅ。
祭りってなーに?
火の神様と土の神様にお礼をいうんだ。他の神様にもだ。
原の村には神様と話のできる人がいてな、踊りながらお礼をいうんだぞ。
まずこーやってな地面をどんと踏みしめる、ドン、で空を見上げてチョイ、あそれ、ドンドンチョイ、ほーりゃドン・・
なにやってんだよー、包丁が切れないんだよ、はやく目立てしとくれよー。



火の神と土の神。記紀に登場する迦具土神と埴山姫(波迩夜須姫)です。
(カグツチ、ハニヤマ、文字あるいは読み方はいろいろあります)
迦具土神と埴山姫が結婚して登場するのが稚産霊(ワクムスビ、蚕の神)や豊宇気姫(穀物神、伊勢神宮外宮)といった神々です。
火と山(土)が結婚して穀物が生まれる。山火事のイメージがその源でしょう。
(人為的な焼き畑は福岡の四箇遺跡でBC2000〜1000頃には行われているようです)
迦具土神からはクラオカミ神、ミツハメ神(クラミツハ)といった龍や蛇、水神などが生まれます。
迦具土神や埴山姫、保食神などの神々は縄文古来の自然現象を母胎にした神々だと思います。
(豊宇気姫は後世の具体的な人物伝承が自然神にドッキングした祖先神でしょう)

不思議なのが日本は島国でありながら漁業神がみあたらないことです。狩猟神もいません。
記紀編纂時には伝承が消えていたのでしょうか。
記紀の最初に顔を出すだけで消息の消える神、月読神が縄文古来の漁業と狩猟の神だと思います。

書紀では月読神が保食神を殺して穀物が生じます。古事記ではスサノオが大気津姫(これも穀物神です)を殺して穀物が生じます。穀物に対抗する立場を象徴しているように見えます。(敬称略します、ご容赦)
書紀の1書では月弓神となっています。
弓はいうまでもなし。三日月かもしれません。月の満ち欠け=潮の干満で貝採りなど沿岸漁労に重要と思います。
縄文以後に登場するアマテラスとの関連づけで、後世に太陽に対して夜を差配する神とされ、農耕化する社会のなかで消えていった神なのではないでしょうか。



日本海側の縄文海進はBC2300頃にピークとなって海面が5m以上上昇したようです。その後海面は下がってBC1800頃に現在と同じ海面となり、徐々に下がり続けます。(第2章の図参照)
太平洋側では少し遅れてBC2000頃から1000年ほどがピークで高さは2m前後のようです。
BC2000年前後では中国大陸の東岸一帯で洪水が発生しており、長江下流の良渚文化は滅亡し中流域の屈家嶺文化も衰退します。山東省の龍山文化も衰退して内陸へ移動してゆきます。

生物学的な検証でもBC3000〜2000頃に一時的な寒冷があって対馬暖流の変動があるそうです。
太陽活動が弱体化していた年代でもあって、世界各地で気候変動の影響が生じる時代です。
メソポタミアやインダス文明も衰退に向かいます。
各地で人々の動きが激しくなったでしょう。ノアの箱船もこの頃の伝承だろうと思います。
日本では縄文海進と海退によって生じた陸地が豊葦原となって後の稲作に適する土地が増えてゆきます。

これが伊弉諾伊弉冉尊、イザナギイザナミ神話誕生の源ではないかと考えています。(以降、諾尊と略称します)
記紀で書かれる諾尊以前の神々については、アジア全体の超古代を含んだはるかなるイメージの世界で具体化は無理だと思います。しかし縄文時代に誕生したであろう諾尊以降なら歴史とジョイント可能かもしれません。

BC2000前後の洪水以前の伝承が強く残っていた地域では、中国の始祖伝承の三皇五帝のような神と人の中間的存在として登場し、洪水以前の伝承が伝わっていなかった地域では、創造神として登場するだろうと思います。
日本の場合はその中間です。
諾尊以前に遡る神々がありながらも諾尊が創造神の性格を持っているのはそのためだろうと思います。
創造神なら空や海を生むはずですが、すでに海も空も存在していてそこから島々を生み出すところが洪水後(縄文海退)を源にする神というわけです。

次に諾尊が生む神々は「地祇」と呼ばれます。諾尊の生んだ島々を管理する神々といったところでしょう。
迦具土や埴山姫、アマテラスやスサノオや月読神等もその神々とされますが、縄文古来の自然神もみなここに集約されているだろうと思います。
これらの神々はイザナギイザナミを両親として生まれますが、古事記と書紀の1書ではアマテラスとスサノオと月読神は妻を失ったイザナギ神の「ミソギ」から生まれる設定になっています。
興味深いところです。これらの神々に「けがれ」を持たせたくない意識があったのではないかと推察しています。



古事記完成後の8年後に日本書紀が完成されたとされますが、それぞれ620に完成され645に焼失したとされる天皇紀が日本書紀、国記が古事記の原本だろうと思います。
日本書紀は王朝体制の改革(大化改新)に伴って全面的に改定編纂が始まり、古事記も日本書紀の編纂と平行して習合作業が行われた。
原本の時代から100年、本来の漢字の意味も学んで、全面改定の日本書紀では漢字を「正しく」使うようになります。
古事記では原典通り発音記号的用法のままとした(書紀と古事記はロゼッタ石のような意味を持つわけです)。

日本書紀が推古天皇の項を終了したとき古事記の修正は終わります(古事記は原本のまま推古で終了させた)。
日本書紀は持統紀までを記すためにさらに8年かかった、のではないでしょうか。
日本書紀は伝承や引用の寄せ集めで内容はばらばらです(^^; しかし伝承による歴史であるならそうなるのが自然で、かえって信頼性が高いことを示すと思います。

古事記には「いつ」の記述がありません。古事記は古代賛歌だと思います。
国家として中国へ使者を送るなら国の歴史書は必携ですが古事記を持たせておらず、日本書紀が完成してからそれを持たせています。
日本書紀は突貫工事の編纂だったのではないでしょうか(ますますまとまりがなくなる(^^;)。



諾尊の生んだ神々と同列で別グループの神々が登場します。
これらの神々は諾尊の受け持ち範囲(縄文文化圏)とは別の文化圏からやってきた神々だと思います。
いろいろな古代氏族の祖とされていますから源は「具体的な人間」でしょう。自然神に対して祖先神というわけです。
瓊々杵の母や少彦名を含み、忌部氏、葛城氏、大伴氏、賀茂氏、度合氏、久米氏、中臣氏などの祖先となっています。(資料:系図綱要/太田亮 大正12年刊昭和52年復刻版、ここでは物部氏については不詳とされています)。
内容から見てBC2000〜BCゼロあたりに渡来した人々でしょう。

諾尊の受け持ち範囲を古倭民が関係した文化の範囲とするならば、日本や半島はもちろん山東半島すらその範囲にはいります。
国も国境もない時代ならばそれでも別に不都合はないのですが・・記紀の編纂者は大いに悩んだのではないかと。
昔はこうだったが今はここに国境があって別の国だし、ここも変わっちゃったし、途中ではあんなことがあって、今の我々のご主人はこうだし、どーしよう・・・(^^;

一方をたてれば一方がたたず、ぼかして八方美人にするか消してしまうか、消せない物は一方に組み込むか。
(年代の調整も必要です)
最大の事件は弥生でのアマテラスとスサノオの葛藤、その中で消えてゆく月読神(縄文神)・・・
このあたり空想の種の大宝庫(^^;

神々のうちでも洪水時代以降であれば歴史とジョイント可能だと思います。
天孫降臨伝承や中国始祖伝承、半島の檀君神話なども関連づけることができるでしょう。
しかし・・これらには「後世の都合」という問題がたっぷりと含まれるのでそあたりは要注意ではありますけれど。

かって記紀が研究されたころには具体的な考古学資料が少なかったと思います。
でも今なら解釈もだいぶ違ったものになるのではないでしょうか。

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