芳ヶ平    紅葉の芳ヶ平

かつて写真とエッセイを組み合わせた「日本の山」とか題したシリーズものが某出版社から刊行されたことがあった。最初に手にしたのがそのうちの上信越編で、グラビアのページにあった芳ヶ平(よしがたいら)というところの紅葉の写真が特に眼を惹いた。ここはどこだ、実際に行って見てみなければ。
芳ヶ平は大観光地の草津白根山の裏にある小広い高原だった。一角には尾瀬のような湿原もある。草津白根山のレストハウス脇の林道を往復するのが最短だが、それでは面白くないので渋峠という峠から芳ヶ平に下り、そこから草津白根山の麓を半周してレストハウスに出ることにした。


志賀高原と草津白根山のあいだにある横手山という山の肩に渋峠があって、志賀高原と万座温泉をつなぐバスがここに停まる。停留所の裏からすぐ山道で、側溝のようにえぐれてぬかるんでいる。このとき履いていたのは底の平らなスニーカーなので余計に滑りやすい。同じように軽く考えたのか、とても日ごろ山歩きをしているとは思えない普段着の中高年男性の一団がふうふう言いながら下っている。年とると膝のバネがだめだねぇ、と追い越すわたしに向かって笑いながら言う方もいる。危なっかしいが楽しんでもいるようだし、天気もいいのでこちらもあまり心配しない。右手遥かには梢越しに草津白根と芳ヶ平が望める。
下りきるとそこここに池があり、道は9月下旬だというのにまだ緑濃い低木のあいだを辿るようになる。写真で見た光景が左右に展開している。青空の下、緑の笹原の中の赤いナナカマド。残念ながら写真で見たほど鮮やかな赤ではない。茜色というのだろうか、やや茶色がかっている。それでもコントラストは明確で、しかも濃い色がないため全体に明るく眩しい。
開けたところに出ると「芳ヶ平ヒュッテ」が建っていて、管理人がいてコケモモのジュースなどを売っていた。ヒュッテの中でほんのり甘いのを飲む。現在このヒュッテは無人になってしまっているらしい。再訪してもあのジュースが飲めないというのは残念だ。
そこから平坦な林道をレストハウスのある「白根火山」バス停まで行く。右手には草津白根が灰白色の巨体で真っ青な秋晴れの空をさえぎり、山裾に芳ヶ平と同じくナナカマドの点在する笹原を広げている。この単純な構図がしばらく続くので、草津白根の山体の圧迫感が徐々に強まってくる。ようやくその感覚から脱したのは、レストハウス近辺にたむろする観光客の喧噪の中に入ったときだった。
1984/9/23

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