海沢探勝路から大岳山海沢の大滝

奥多摩の大岳山(おおたけさん)はどちらかといえば低い山だが、平野に近い位置にあるため背後の高山をさしおいてよく目立つ。怒らせた両肩のうえに小さめな頭を載せる特異な姿は海上からも判別しやすく、宮内敏雄『奥多摩』によれば、房総半島側の漁村では武蔵の鍋冠山(なべかむりやま)と呼ばれ、航行の目印とされていたらしい。
人気のある山なので登路もたくさんあるが、やはり最も多く歩かれているのは隣の御嶽山にケーブルカーで上がり、そこからあまり高低差のない広い道を辿ってくるというものだろう。こう書いている自分もこのルートでしか登ったことがなかった。おおむね植林の中の道で暗く面白味に欠け、二度三度と訪れるうちに飽きてくる。
大岳山にほぼ直接登るルートとしては「海沢(うなざわ)探勝路」から山頂手前の鋸尾根に出るコースをたどるものがある。本来の海沢探勝路は御岳山と大岳山とのあいだの稜線に出るもののようだが、こちらは経験者向きのようだ。だが鋸尾根に達するものにしても、ガイドマップには波線表示されて所要時間の記載もない。歩く人が少ないだろうから夏はヤブが繁茂していて、快適とは言い難いだろう。案内書はあるものの、北面のコースのため冬季には積雪が深く入山はしてはならないと戒めている。歩くのは残雪期から新緑のころ、または残暑が去って雪が来るまでの季節がよさそうだ。
沢沿いの道を行くとのことで、やや危険の香りもするのだが、御岳からの道に比べれば間違いなく静かなはずだし、それに大岳山という行き慣れた山にあっていくぶん探検的な要素も感じられる。十月の声を聞いたころ、何年ぶりかにこのコースのことを思い出し、青梅線に乗ろうと出かけていった。


本日の出発点は終点の奥多摩駅手前の白丸駅である。ここを9時半ごろに歩き出し、休日で往来の激しい車道に出て多摩川を上流方向へ、海沢が左から合流してくるところへと向かう。右手から川に向かって落ち込む支尾根があり、そこを立派なトンネルが穿っている。なかを通るとエンジン音と排気ガスに悩まされそうなので、川縁をまわる旧道が残っているのを幸いにそちらに入ると、車一台が通れそうな手掘りのトンネルがあった。脇には沢水がほとばしっており、左手の崖の下を覗き込むと小さな白丸湖が静かな水面を見せている。青梅線が御岳駅止まりの昔はここをバスがくぐったのだろう。
白丸湖脇の旧道トンネル
白丸湖脇の旧道トンネル
海沢合流点で多摩川を渡る橋は架け替え工事が進んでいて、二車線の幅広の道路になるようだ。海沢を遡るとはいってもしばらくは人間の生活空間を行くことになる。集落のなかを行くと海沢にかかる橋が出てくるが、これを渡ると城山中腹の奥多摩霊園で行き止まりとなる。橋の手前を山に向かう一車線道路が正しい道だ。
途中には東京都水産試験場の奥多摩分場(海沢マス飼育池)というものがあり、多摩川のヤマメを養殖している。奥多摩分場は丹波の方にも入川試験池というのがあり、どちらでかはわからないが、池中完全養殖といって、養殖ヤマメから採卵したものを親まで育てるというのを1961年に国内で初めて成功させたという。
もう10時近くだというのに養鱒池では盛んに魚が水面から飛び上がっている。その先に建物があって、なかに展示室があり、ニジマスとイワナとヤマメの違いなどが説明されている。ヤマメには体側に小判型の斑紋、”パーマーク”というものがあることで他の二種と区別できるとのことだ。釣り人には常識の範疇なのだろうが、そうでない者にとっては新しい知見である。ここで配布されている手作り資料に「東京の川は釣り人が多く、放流しないとヤマメがいなくなる」とあるのも、知っておくべきことがらだろう。


狭い舗装道はなぜかさかんに車が往来する。川向こうにはパステルカラーの住宅が車道下の山の斜面を切り開いて建っている。左手に見る海沢は護岸と堰堤とで自然さがない。里近いせいだろう、がまんして進んだ。
色づきだしていた木々
色づきだしていた木々
左手の川向こうに洒落たログハウスの建物が何軒か見えてきた。アメリカンキャンプ場、というものらしく、盛んにやってくる車はここが目当てのようだ。車は専用駐車場に停めて(料金500円)、入場者は川を渡って料金所で700円を払うので、オートキャンプ場とは少し違うようだ。たいそうなキャンピング用品を詰め込んできたのもいたが、どうしたものだろうか。車道から見渡せる施設内は親子連れ、若者の集団などで賑やかだ。右手、キャンプ場の向かい側は木材業者の敷地になっている。関連企業かもしれない。


ここを過ぎると静かになった。沢もようやく自然の姿に戻ってきたが、古いとはいえ砂防堰堤が何度か現れる。なかには水流で落ち口が崩されているものもあり、放っておいてもよいと思うのだが、きっと遠からず造り直しされることだろう。あいかわらず舗装されたままの車道はゆるやかとはいえ斜度があり、天気がよく湿度も高い今日は汗をかかされる。
途中、海沢隧道という古いトンネルがある。昭和35年5月開通のようだ。中間部は手掘りである。ちょっと長く、照明はないのであたりが暗くなってから通り抜けるのは勇気がいるだろう。
海沢隧道
海沢隧道
林道海沢線と言うのか、沢沿いには植林があるのは当然として、林道から杉の木々の合間にワサビ畑が見られるのは珍しいものだと思う。それだけ山深く、水がきれいなのだろう。隧道を越えてしばらくすると海沢はV字谷の様相を呈してきて、車道は右岸から張り出したコンクリートの棚のようになっている。右手の沢は真下に垂直に見下ろされ、高い手すりもないので脚がすくむ心地だ。林道の脇にはところどころに小さいのや中くらいの滝が見られる。海沢園地に着く少し前では、向こう側に直線の立派な滝がかかっていた。車で来る人たちは見落とすにちがいない。
植林の下のナメ
植林の下のナメ
さきほどから、頭上で盛んにヘリコプターの音がしていることに気づく。山中から切り出した杉を一本ずつ吊り下げて運び出し、こちらの林道脇にある広場で待機しているトラックのそばに落としていっているのだった。運悪くヘリの真下に入ってしまい、見上げているとローターの風で落とされてきた小枝で顔を直撃されてしまった。眼鏡が割れたかと思うほどの衝撃だった。
狭かった谷が開け、林道の舗装がアスファルトから砂利に替わってすぐ海沢園地入り口で、車が10台近く停まっていた。ここで11時過ぎとなる。園地とは言ってもほんのちょっとした広場で、その奥にあずまやとトイレがあるくらいである。なかほどにはキブシのような花序の枯れたのを下げた大木が一本、風が吹くたびに大きく広げた枝を揺らし、枯れかかってねじれた葉をはらはらと落としていた。しばし休憩後、いよいよ探勝路へと入っていく。山道の脇に、カメラを抱えたおおぜいの若者がたむろしている。足下を見ると靴下にサンダルという妙なのもいる。滝の撮影会かなにかだったのだろうが、山道を知らない人もいるものだ。車の多くはこのひとたちのものだったらしい。


自然林に覆われたなか、湿って滑りやすい岩を踏み越えて行くと、ほんのわずかで三ツ釜ノ滝と呼ばれる滝にでくわした。大きな滝ではないが、三段になって落ちるのが唐突に右手間近に現れるので圧倒される。その脇を上がりながら流れを見下ろせば、一段目が落ちるカマはきれいな青い水をたたえている。滝の落ち口に出ると、さらに先には小さな滝とカマが待ち受けていてこちらを喜ばせてくれるのだった。その先すぐ分岐となり、左手はネジレノ滝、右手は大滝を経て大岳山となる。本日は歩く時間が長いのでネジレノ滝は後日のお楽しみとし、滝音だけ聞きながら山腹を上がっていった。
三ツ釜ノ滝
三ツ釜ノ滝
三ツ釜ノ滝の先にあったカマ
三ツ釜ノ滝の先にあったカマ
気持ちのよい自然林に覆われた山腹を沢筋よりかなり上がってから左手下に大滝があるとの表示を見る。やや気落ちしたが、三ツ釜ノ滝だけでは寂しいので見物しにしかたなく下っていった。大滝はそうするだけの価値のある立派な滝で、開けたあたりの空間を風圧で盛んに揺さぶっていた。初秋でも十分の眺めだったが、滝壺手前や落ち口に枝を差し伸べる木が紅葉したころに訪れればさらに素晴らしい眺めになることだろう。
滝壺下流に表示板らしいものがある。どうもネジレノ滝から上がって来られるようだ。次回はそちらのルートを通るようにしよう。
海沢の大滝
海沢の大滝
再び山腹に上がり、ちょっと休んでから山中の標識上で「悪路」とされる大岳山への道に入った。ここでちょうど12時。相変わらず心地よい広葉樹の森のなかを行けば、沢は遙か下になる。植林も出てくるが暗い感じはしない。そのうち沢が高さに追いついてきて、脇を流れるようになる。これを渡ろうとするところまでは迷うようなところはまったくない。ときおりワサビ畑も見られる。
沢が二つに分かれるところで12時45分。ここから15分ほどで右手にある沢筋から水流が消える。そこから5分ほどで湧き水の音を聞くが、これを最後に水音は聞こえなくなり、山道もジグザグを切るようになる。しまいには木の根っこをつかむような羽目にもなるが、約15分くらいで尾根の上に出た。最初はここが鋸尾根かと思ったが、目の前に立っている標識が大岳山は右方向へ、と指示している。鋸尾根なら左に行けと教えるはずで、要するにここは支尾根の上なのだった。拍子抜けしてしばらく休憩した。
ここから鋸尾根と合流するまではとても気持ちのよい雑木林の道だ。しかしだんだんと斜度が上がってきて息も上がってくる。左手にはわりと近くに丸い山が見えるが、ガスがかかってきており、大岳山山頂に着いても展望は望めなさそうだ。その丸い頂が見えなくなってから、ああ、あれが大岳山そのものだったのだな、と気づいた。
支尾根に乗ってから約20分で鋸尾根に出た。左に行けば大岳山、右へは鋸山と示す立派な道標が立っているが、海沢に向かう旨の表示はまったくない。いま出てきた道を振り返ると、足下には丸太が二三本渡されていて進入禁止のフィールドサインとなっている。こちらに入っていこうとするひとは多くないだろう。
このコース、少なくとも登りなら危険はなく、悪路とされるほどの道ではない。御岳山や日の出山近辺の道を「奥多摩標準」とすれば、たしかに「悪路」かもしれないが、沢沿いとはいえ沢の中を歩くわけでもなく、ヤブも少なく、よく踏まれている。あちこちの山域を歩いていれば普通と感じるほどのコースだった。ここはとにかく静かで、山道が遊歩道化していないのがよい。取り付きまでの車道歩きが長いのが難だが、何度歩いてもよいところだと思う。


そこから5分強で山頂だった。ちょうど14時、ガスで眺めはまったくなかった。あたりには、小学生の息子と父親が二組、立川駅でだったか見かけた外国人カップル、海沢ルートを先行していた中年男性二人組、それと同じくもうひと組が、午には遅い山頂に憩っていた。こちらも湯を沸かし、お茶を淹れて半時ばかり休んでいた。
山頂は14時半に出発できたので、17時までには山を下りられるだろうと、鋸尾根を行くことにした。鋸山まではおおむね平坦で、快適に歩いていった。
大岳山から鋸山への道
大岳山から鋸山への道
問題はその先、奥多摩駅までの行程だった。夕暮れが迫るので相当飛ばして歩いたのだが、それでもガイドマップの表示と同じ1時間40分かかったというのはどういうことだろう。片っ端から抜き去ったハイカーたちは二時間前後はかかったことだろう。私が奥多摩駅に着いたのがちょうど17時、麓近くの植林帯では暗くて足下がやや危なくなり始めていた。鋸山を過ぎたあたりで追い越した小さい子供を含む親子連れはどうなったことだろう?この尾根を歩く人は、鋸山から先は多めに時間を見積もっておくべきだろう。
休みも取らず、あまりに飛ばしすぎたせいで、最後のコブにあたる愛宕山の手前あたりで左足の膝の腱だかを痛めてしまった。しかしこの鋸尾根、それまでたんたんと歩いてきたのが、里の音が聞こえるころになってやたらと降下を始めるのはよいとしても、そのまま下らずにこまかなコブに登り返させたり、唐突に岩場を出したり、かと思うと平板だが日の差さない植林のなかの道を再び出してきたりと、いったいいつ下りきるのかと思うほど終盤の負荷が高い。変化があってよいとも言えるが、これで三度目の歩行にもかかわらず、全体像がよくわからないままでいる。


愛宕山の神社の脇を通り過ぎた後、もうぐにゃぐにゃになった脚で山道をほんの少し下ると、あの登計園地に下るコンクリ製の急傾斜階段が出てきた。幅が十メートル前後、靴の長さもないステップが細かく何十段もあって、手すりに頼らずに下るのは相当の度胸がいる傾斜である。誤って踏み外せば、幅が広い階段だからつかむものもなくかなり下まで転がり落ちていくだろう。やはり最後にこれを下るのは、とくに今回は、苦行だった。
2002/10/6

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