戸神山と上州三峰山(奥)戸神山
晩秋に、東京から離れたところの低山に行きたくなった。町中に泊まって、翌日登る。いろいろ候補のあるうち、未訪の上州三峰山に駅から登ろうと思い立った。となると前日はどうしようか。町中の散策か、ついでの山で足慣らしか。地図で三峰山の周辺を探してみると、上背はないものの群馬県のガイドにかならず顔を出す山がある。その山、展望がことのほかよいという戸神山は半日行程で上り下りできるらしい。「では」と当日、最寄り駅の上越線沼田駅を目指してみる。


在来線を乗り継いで駅に到着したのは午後一時頃だった。戸神山の麓をかすめる迦葉山行きバスは、土日休日で使える2本目が半時ばかり前に出て行ってしまっていた。対照的に尾瀬方面のバスはすぐにやって来て、行列していた観光客を速やかに吸い込んでいく。駅舎近くの店で食料を買い込んで出てきてみると、駅前広場に人影はまったくなかった。
乗りたいバスが来るのはだいぶ後なので、登山口の停留所まで駅常駐のタクシーを使うことにする。沼田は河岸段丘の街で、駅は下段にある。車は走り出して間もなく急な坂を登っていき、農地の広がる平坦地に出て遠くに山を見渡しながら快適に走って行く。彼方に三角形の小さな山がよく目立つ。あれが戸神山だろう。その左手に無骨にわだかまる山塊が広がっている。こちらは上州三峰山に違いない。
上州三峰山と戸神山
上州三峰山と戸神山
関越自動車道をくぐり抜けた先の園芸業者脇が目指す停留所の在処だった。すぐ左に分かれる車道に入ってしばしで右手に形佳い戸神山を間近に望む。険しいところなど見当たらず、どうみてもカンタンに登れそうだ。さらにしばらく行くと見落としようのない大きさの「戸神山登山口」交通標識看板が出てくる。しかし案内する先の車道の幅は標識の大きさに不釣り合いなほど狭い。山腹にある虚空蔵尊へ参拝するひとがことのほか多いのかもしれない。ならば広い駐車場でもあるのかと思っていたら、車道が尽きた先、神社へ続く階段の前に広がっていたのはゲートボール場だった。観客が来たせいかどうか、老人たちが機敏な動きでボールを打ちまくる。


なかなか迫力のある連打をしばらく眺めた後、靴紐を締め直し神社に至る階段を登り出す。登り着く境内は日差しが回って明るい。狛犬のいるはずの場所に目をやると妙なものがいる。牛と虎だ。そのせいで別名を丑寅神社と言うのか、そういう別名だから牛と虎がいるのかはわからないが、牛はともかく虎はネコのようで、大きさも家猫のサイズだった。
丑寅神社の狛犬ならぬ狛虎
丑寅神社の狛犬ならぬ狛虎
階段を少し降りて戻り、右に折れて林道に合流する。やや傾斜もあるのを辿っていくと左手に鉱山跡コースなる山道が別れる。ガイドによればこちらは岩場のコースとのことで、歩きでを求めてこちらに入る。初めこそただの踏み跡だったが、ジグザグを切っていくうちに徐々に岩の合間を縫うようになり、坑口がここにあったのだろうという場所も目につき始める。岩に手をかけるのもバランスを取るため程度だったのが、手をかけないと危ない場所も出てくる。見かけ倒しではない鎖やロープもある。
鉱山跡コースは意外と手強い
鉱山跡コースは意外と手強い
岩場が終わって一息つくと、標識が目にとまり、山頂まであと10分とある。この10分が少々長い。岩場で疲れたせいだろう。しかも傾斜はあいかわらず急で、足下は岩混じりで変わらず、踏み跡も錯綜していて本来のコースを外れそうにもなった。息も上がってくる。戸神山侮るべからず。神社の階段から山頂まで一時間かからない距離なのだが、麓で見たよりはカンタンではない道のりだった。


長い10分をぜいぜい言いながら登って飛び出した山頂は、予想を遙かに上回る大展望台だった。間近に大きな上州三峰山の無骨な背中を例外として、はるか彼方に空との境界線を画す山々が悠然と佇んでいる。北方に周囲の山々を睥睨する上州武尊山、南東方向に広大な裾野の赤城山、南方に孤高の子持山、背後に霞む榛名山の峰々。
山頂から望む子持山
山頂から望む子持山
すぐ近くの上州三峰山
すぐ近くの上州三峰山
彼方に悠然たる上州武尊山、左に迦葉山
彼方に悠然たる上州武尊山、左に迦葉山
しかしなにより素晴らしいのは沼田市街地を中心として広がる河岸段丘の眺めだろう。とくに赤城山の裾野を回り込むように延々と延びる段丘線は見応えがある。赤城の左奥、尾瀬方面に向かう広い谷筋に目を向けても段丘が重なり合うかのように広がっている。沼田は河岸段丘の街であることが売りらしいが、まるで火星の運河を横から見るような景観は(見るには高いところに行かなければならないが)、たしかに価値あるものだと思う。
裾野の広大な赤城山、河岸段丘崖の樹林がそこここに延びる
裾野の広大な赤城山、河岸段丘崖の樹林がそこここに延びる
高い山に登って遙かかなたの山、たとえば富士山が見えるとか、太平洋側から日本海側の山が見えるとか、広さ遠さを誇る場所は多々あるが、それらはタワーマンションと同じで近景が失われていることが多いと思う。ここ戸神山は高さがない分、極端な遠望は効かないものの、すぐそこから始まって遠方に続く、いわば「地に足が着いた広がり」とでもいうものを感じることができる。なかなか珍しい山ではないかと思うところだ。
山姿が佳く登路に手応えがあって展望も広闊とあれば、小さいながらこの山がガイド本に載るのもまったく不思議ではない。食事後もあらためて周囲を見渡し、懐旧の念と未知への好奇心とで長いことあちこちを見渡していたのだった。


山頂で長々と休憩しても一日の終わりまでだいぶ時間があるので、すぐ隣に窺える稜線続きの高王山に寄ることにした。戸神山の登りとはうって変わって穏やかな道のりを辿っていく。晴れた空からの光が雑木林を明るく照らし、急坂もなく歩きやすくて気分がよい。
高王山に続く道
高王山に続く道
山中ではたまに妙なものを目にすることがある。この日遭遇したのは木の枝からぶらさがる直径30センチくらいのフライパンだった。なぜこんなところにこんなものが?誰かのいたずらだろうか。小さな木の枝も同じく下がっていて、これで叩けということかと控えめに音を出してみる。どことなく呪術的な、古代祭祀を思わせる行為だ。叩いているのはフライパンだけど。
しばらくすると、また同じように下がっている。そうか、きっとこれは熊除けに違いない。バッグにしまい込んでいた熊除けベルを取り出して身につける。
右手に二度ばかりバス停方面への道を分けた後、広い鞍部に出る。そこは未舗装の駐車場になっていたが、車は一台も駐まっていなかった。高王山へは稜線伝いに登り返す。歩きやすい道をしばしで巨大なテレビ塔の建つ眺めのない山頂に着いた。平坦な山上部は周囲に木々が茂っている上に巨大人工物が鎮座しているおかげで視界が遮られ、なんとも陰鬱な雰囲気が漂う。腰を下ろして休憩という気分にはならない場所だ。
山頂に立っていた案内板によるとここは山城跡だそうで、山頂が広く平らなのは近代設備のせいばかりではないらしい。登ってきた途中には狭いながら平坦面があったが、あれは山城の曲輪だったようだ。ともあれピークを踏んで気が済んだので、広いわりに圧迫感を感じる場所を早々に後にする。


駐車場に戻って、元来た稜線道は見送り、山腹に下る道のりに入る。沼田市が整備したらしいハイキングコースで、幅の広いのが山間を経巡っている。要所には標識も立つが、何度か分岐するので正しく目的地に着きたければ案内図を用意してこないと迷いそうだ。観音寺という寺に出ようと二度三度と分岐を選んだが、途中で支尾根を乗り越すところでその支尾根に沿って下りそうになり、足下に渡された細い丸太のフィールドサインに気づいて事なきを得もした。
寺に出る直前には害獣除けの高圧線が登山道を横切るように張られていて、暗くなってからここを下ってきたら場合によっては大変なことになるのではと思えた。寺は最近造られたらしい大ぶりの石仏が多く、広い範囲で墓地の造営中のようだった。本堂軒下のスピーカーからは音楽まで流れ、親しみやすいといえば親しみやすいものがあった。
観音寺
観音寺
寺から伸びる細い舗装道を道なりに下っていくとバスの通る車道に出る。停留所の時刻表を見れば沼田駅行きが来るまであと50分もあった。日が陰って気温も下がり、落ち着いて待てそうな場所もなかったので、タクシーを降りた隣のバス停まで暇つぶしかたがた歩いて行くことにした。目的地は戸神山から伸びる尾根筋を車道で乗り越した先で、峠の部分に登りついてみると、正面には残光の空を背後に子持山が黒く大きな影となり、その頭上に三日月が白く輝いていた。
夕暮れの子持山
夕暮れの子持山
峠から下るにつれて左右に近かった山の斜面が遠ざかり農地が広がってくる。子持山の上の月はいよいよ冴え、さらなる高みには宵の明星まで煌めきだす。右手を振り返ると戸神山が夕闇の紗をまとって全身を現し、帰路を辿る者を見送っていた。


目当てのバス停に着くころには見上げる空は暗く、西の低くに残照を残すだけになっていた。いくつものヘッドライトを見送り、ようやくやって来たバスに乗り込む。迦葉山から乗った客はなかったらしく、車内には運転手しかいなかった。
2019/11/2

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