丹沢山塊

三ノ塔から眺めた大山

大山

東名高速道路を下っていくと、厚木インターチェンジの手前辺りから大山(おおやま)の堂々とした三角形が正面に見通せる。立派な山容で、最初に見たときは「こんな大した山がこのあたりにあったっけ」などと思ったのを覚えている。神奈川の東や南の平野部から望む大山は丹沢連山とはヤビツ峠を境にして区切られ、独立峰の風情である。冬のよく晴れた日など端正な姿は真っ先に目に付く。
山頂にある雨降(あふり)神社は名前の通り雨乞いの神社だそうだ。この神社の下社(しもしゃ)が中腹にあって、そこまでバス停終点からケーブルカーが通じている。下社からだと登るのに要する時間はガイド地図によると一時間半もない。だから革靴の人でも登ってきてしまう。江戸期から盛んになったらしい大山詣は、もともとは豊作を祈念しての雨乞い登山が始まりのようだが、落語の「大山まいり」が作られた頃には信心というよりはレジャーの比重が大きくなっていたらしい。江戸に近いせいもあって大山参りは盛んだった、と話の枕にあるくらいだから、今の隆盛な山歩きに近いものがある。もっとも、大山の往復には江戸から2、3日かかったらしいから、半日の日帰りで行って帰ってこれる今とは勝手が違う。


昔ながらの観光の山と思っていたので近くにありながら敬遠してなかなか登りに行かなかったが、ある年の梅雨時に、「そろそろ行ってみるか」とばかりに散歩気分で家を出て、小田急線秦野駅からバスで蓑毛(みのげ)に行き、ここからヤビツ峠を経由して西稜を登った。梅雨の合間に登ったので塔ヶ岳に繋がる表尾根と大山のあいだの広い谷間はガスが渦を巻くように大山の山頂目指して這い上がってきており、とても低山の眺めとは思えない山深さを感じさせた。
だが、もちろんかなり蒸し暑くもあった。それ以上に、このヤビツ峠からの道は表土が流れてしまっていて、丹沢名物の土止め用丸太がハードルのようになっていて歩きにくいことこの上ない。傾斜のある障害物競走(とは言っても徒歩だが)を山頂近くまでやっているようなもので、道そのものとしてはいい感じはしなかった。
着いた山頂はガスで何も見えず、夕方なので店じまいした神社の脇をまわって本来なら相模平野を見下ろす山の縁に出ると、目に留まったのは厳重な柵に囲まれた自動販売機なのだった。がっくりしたが、喉も渇いていて甘いものがほしかったので喜びもして缶ジュースを買って飲んだ。


これで大山はもういいや、と思わなかったのは、自宅から一番早く登り出せる山らしい山で、コースがいろいろ取れて変化が付けられるからだった。何度も通ったルートは、やはり蓑毛まで行くのだが、ヤビツ峠に出ないで南稜中腹の蓑毛越(みのげごえ)を目指し、ここからそのまま南稜を登って山頂に出るというものだ。林道をほんの一瞬歩いたりするが、丸太ハードルは出てこない。代わりに大山が神域であったことをうかがわせる女人結界碑や石地蔵が現れたりして悪くない。途中木々が茂って暗いところもあるせいか、人もあまり歩いていなくて静かなものだ。一時間強で山頂に達することができる。
こうして登った晩夏の珍しく眺めのいい山頂で厚木方面を見渡していると、下から家族連れが到着した。歓声とともに大きな鞄から出てきたのはなんとスイカだった。その時自分はグレープフルーツ(八朔だったかな)を食べていた。さすがに一人でスイカを担いで来ることはないだろう。
山頂からの下りで気に入っているのは、東稜を見晴台に下ってそのまま尾根を直進し、「関東ふれあいの道」に沿って日向薬師に出て、そこからさらに七沢温泉まで歩くというものだ。車道歩きは長いが、最後に日帰り入浴できるというのが何ものにも代え難い。七沢温泉は温泉宿が多く、日帰り浴客が分散するせいか日曜の夕方など込み合うこともなくゆっくり湯に浸かれる。一軒宿の広沢寺温泉よりは落ち着けるものと思う。さっぱりしたところで各旅館前に止まるバスを待って本厚木に帰る。
蓑毛越から山頂に向かわずに「関東ふれあいの道」を大山下社まで、山をトラバースするように歩いてもいい。下社付近はうるさいが、そこまでの道は平野部の眺めもよく、上り下りもないのであまり力を入れたくない山歩きのときなどいい。下社を越えて見晴台に向かう道も平坦で、気持ちよくすたすたと歩ける。途中に二重滝というのがあって、ここで昔の大山修験者が滝に打たれたらしい。帰りはそのままやはり七沢温泉まで歩く。


これを書いている時点まででは一度だけ、下社からケーブルカーを使って「大山ケーブル」のバス停に下ったことがあるが、ここはいわば小さな門前町をなしていて、入浴もできる食事どころが何軒も軒を連ねていた。食事は湯豆腐が名物らしい。低山だから冬に登って帰りに食べる、というのがいいのではなかろうか。しかし店も多いがバス停で行列している人数も多く、伊勢原駅まではほんの20分そこそこだが、満員の車内はまるで山歩きの精進落としを無理矢理させられているようだった。
蓑毛越から山頂に向かわず、鷹取山を経由して南稜を鶴巻温泉まで下ったこともあったが、そのときは冬で風がおそろしく強い上に耐え難いほど冷たく、低山と馬鹿にして帽子を持ってこなかった私は耳が痛くてしかたなかった。善波峠はいい雰囲気だった。だがすぐ山道の脇にラブホテルとかが出てきて長い山歩きのフィナーレは台無しになってしまった。


夏はさすがに蒸し暑いが、それでも着替えを背負っていって下山先に温泉を選べば楽しい山歩きになる。季節を変えて何度も気楽に行けるよい山なのだった。ところで大山北稜はまだ歩いていない。山頂から北稜を辿って、国民宿舎丹沢ホームのある札掛に出るにせよ、物見峠まで登り返して煤ヶ谷に行くにせよ、かなり歩きでがありそうだ。札掛経由だと日帰りは無理そうだから、物見峠への道を晩秋にでも辿ってみたいと思う。
1999/7/5 記

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