丹沢山塊

「丹沢」という場合、神奈川県北西部を占める広い範囲の山域を指すのであって、単一の山を表すわけではない。もっとも、「丹沢山」というピークがあることはあるが、「丹沢に行く」と言ってこの山に行くと解釈する人はまずいないだろう。この丹沢だが、山稜のつながり方や支尾根の出方がかなり複雑で、地図を何度も眺めても、なかなか全体像の把握が難しい。縦走路となる脊梁が一本走る奥秩父とは雲泥の差で、「奥多摩三山から笹尾根と浅間尾根,御岳山から金比羅尾根、雲取山から石尾根と長沢背稜,それに川苔山」で把握できる奥多摩と比べてもわかりにくい。入り組んだ山稜のおかげで丹沢には沢が無数にある。沢はいまだに登ったことがないが、「丹沢」と言ったら沢しかなく、稜線の道は沢を詰めたあとの下山路としてしか歩いたことがないという人も珍しくないようだ。
さて、丹沢には誰が選定したのか「丹沢十山」というのがある。南東から北西にかけて並べると、大山(おおやま)、塔ノ岳(とうのだけ)、鍋割山(なべわりやま)、丹沢山(たんざわさん)、蛭ヶ岳(ひるがだけ)、檜洞丸(ひのきぼらまる)、大室山(おおむろやま)、加入道山(かにゅうどうやま),畦ヶ丸(あぜがまる)、菰釣山(こもつるしやま)。「××三山」とかはよく聞くが、十山は多すぎやしないか、と思っても実はあまり減らせない。この際だから十山でよしとしよう、とりあえずこれらが丹沢山塊を代表する山だということらしい。逆に言うと、三つか四つ登って「丹沢を登りました」とは言えないのだろう。本当は沢も登らないといけないのだろうが、そこは勘弁していただいて、乏しい経歴ながら「丹沢山塊」のタイトルのもと、この十山および周辺の山々をできるだけ回想してみたい。


(1 塔ノ岳・鍋割山)

三ノ塔から表尾根の奧に塔ノ岳
十山のうち、最初に登ったのはお定まりの塔ノ岳だった。社会人になって山歩きを初めてすぐの1985年のこと。登路は表尾根で時期は五月、山に行く客が多くて増発まで出たバスを下りて長蛇の登山者の列に混ざり、ヤビツ峠から登り始めた。まだ初心者だったから山に行くのに必要な装備をやたらと背負って重たかったところに、標高が低いから暑いの暑くないの、しかも表尾根の最初のピークである二ノ塔の登りが急なのに加えて細い道の前後を大勢の登山客に挟まれていて休むに休めず、死ぬ思いをして登った。
だから二ノ塔の頂上についたときはそれは嬉しかった。しかしそれから塔ノ岳までの行程もアップダウンの激しい尾根道でなかなか長く、ぜぇぜぇ言いながら歩いていたはずだ。それでも今から思い返すと飛行機雲をあとに残しながら空を飛んでいるような爽快感しか覚えていない。山登りを始めたばかりだったので、初めて自分の足で稼いだ広い眺めに大いに感激し、山を下ったとたんに嫌なことはきれいさっぱり忘れてしまったのだろう。
塔ノ岳はそれから何度も登っているが、ほとんどが大倉尾根経由だ。少し間をおいて出掛けてみると、尾根の後半にあたる「堀山の家」からの急な山道がどんどん荒れてきていて、丹沢特有のハードルのような丸太の階段が増えていくのがわかる。それだけ人が入っているということで、いつ行っても前後に人がいる。ランニング登山を実践している人もいる。ランニングはともかく、鍛錬で登っている人は多いらしい。私もそのつもりで行ったことが何回かある。何せ家からの交通費が安いものだし、奥多摩と並んで近いところにあるのでここや大山は何度も足を運んだ。だが手軽だからといっても、山を始めたばかりの人を大倉尾根に連れていく気にはならない。「山登りとは階段まで出てくる荒れた急な山道を登ること」と思い込み、意欲をなくしてしまうのではと懸念するからだ。
塔ノ岳の登山路近辺では鹿が多い。しかも野性味のないのが多い。人間が脇を通っても平気で道ばたで寝ていたりする。山頂で食べ物をねだったりしてペット化しているのもいる。塔ノ岳も奈良公園化しているわけだが、ここでは鹿は神獣ではなく、植林に対する被害が大きいため駆除が真剣に考えられている。
なぜそんなに鹿が多いのか。鹿は本来平地で草を食べる動物なのだそうだが(奈良公園は平地である)、人間が宅地造成やら農地開発やらで鹿の群を山の中に追いやり、しかも植林することによって鹿の餌となる植物を減らし、さらに山頂に追い上げることになったという。さらに言えば、鹿の天敵である狼が絶滅させられたため、個体数の調整が効かなくなって食べ物がある限り増え続けることになったと。丹沢を歩くと下草の生えていない林がところどころにあるが、鹿が食べてしまっているらしい。丹沢の鹿の最期は、飢え死にするか、冬に凍えて死ぬか、人間に撃たれて死ぬかなのだった。鹿にとっては貧困の平等化が進んでいるわけで、もともとは人間が生態系を乱したのがきっかけなのだからいい迷惑だろう。もちろん、だからといって林業を軽視してよいことにもならず、頭の痛い問題だ。
塔ノ岳山頂(1985年)
塔ノ岳山頂(1985年)、このときは山頂は裸地だった。
右奧は蛭ヶ岳
塔ノ岳周辺の小屋は土曜の夜など混雑するのが目に見えているので泊まったことがない。ただ、神奈川県の東部なり南部なりから指呼できる塔ノ岳は山頂部が禿げ山状態なので見晴らしはいい。夜景はきっとかなりきれいなのだろう。山頂は遥か昔はブナ林だったそうだ。今では土砂流出を防ぐためか、公園のように整地されている。それに似合うかのように、日曜の昼など広いわりには座る場所を見つけられないほどの人出になる。それで最近では塔ノ岳は通過するだけの山になっている。だが日曜でもさすがに夕方4時頃になると誰もいない。人工味のかなり加わった山頂が必要以上に寂しく感じる。


塔ノ岳から大倉尾根でない下山路を、と思えば、塔ノ岳直下の花立(はなたて)というところの手前から鍋割山への道に入る。大倉尾根よりは落ち着いた感じの樹林の稜線だ。後ろを振り返ると塔ノ岳が高い。鍋割山にはまだ一度しか行ったことがなく、それも10年以上前なので今ではどうなっていることか。鍋割山荘が立つ山頂は、塔ノ岳に比べて裸地化がまだすすんでいないような感じだった。
ここから尾根を南に下り、後沢乗越(うしろさわのっこし)というところで東の斜面を下っていくと、後沢乗越沢とミズヒ沢とが出会うところに着く。そこからミズヒ沢の脇の道を行くと、奧にミズヒ大滝が木々の中で飛沫を散らしている。教会の礼拝堂の中に射し込んでくる光のような滝だ。滝壷の手前で山道は大きな岩にじゃまされて先に進めないが、山靴で岩登りのまねごとをして水しぶきを浴びながら滝の写真を撮ったものだった。
ミズヒ大滝
ミズヒ大滝
1999/6/22 記

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