城山から高尾山 背後は八王子 高尾山 1998冬

日曜日、連れと二人で中央本線沿線の高川山に行こうと思っていたのだが、例によって寝坊して、家を出るのが九時頃になってしまったので、仕方なくもう少し早く山道を歩き出せる高尾山に方針を転換した。何度も行った高尾山だが、最後に行ってから3年くらい経つ。たしかにそろそろ再訪してもいい頃かもしれない。



京王線高尾山口に着いてみると、ケーブルカー乗り場への道では、高尾の自然を守るために圏央道建設への反対運動をしているひとたちがビラを配り、署名を求めていた。高尾山をぶち抜いてトンネルを掘り、山の両側に排気ガスが充満することになる計画がまだ生きていたのか。圏央道は現在青梅で止まっている。てっきり建設省は圏央道をここで止めて、高尾山はそっとしておくことにしたものだとばかり思っていた。偉いものだと思っていたが単なる勘違いだったわけだ。なんてしつこい。私は車を運転する身だが、何もこれ以上、という気がする。ビラを読むと、用地買収のメドも立っていないのにとにかく建設を続けているらしい。
これが高尾山周辺に建設され、利用が開始されたあかつきには、高尾山も丹沢と同じく木々の立ち枯れが目立つようなことになってしまうのではないだろうか。そこにあった自然の破壊は容易だが再生は格段に難しい。工事現場のあとに生える雑草は「豊かな自然」とは言えないものだ。署名は100万人もの人数を集めることを目指しているとのこと。二人とも喜んで署名し、微力ながら支援とさせてもらう。
陣馬山方面へ、できるだけ奧に歩いていきたかったので、ケーブルカーで山頂駅まで行く。この時点で昼前の11時。この時期にこの時刻の出発は奧高尾を歩くのにはやはりちょっと遅い。だがちょっと早めに歩けばなんとかなるだろう、と陣馬山手前の明王峠を稜線上のゴールに定めて歩き出す。
モミジ台の紅葉 モミジ台の紅葉
高尾山から城山を越えて先まで歩くのは10何年ぶりかで、城山まではあちこちで宴会をやっている公園の中を歩いているような気分だった。手拍子や調子っぱずれの歌も聞こえる。お昼時、朝は晴れていた空はみるみるうちに雲が広がっていき、食事をしていても寒くて仕方がない。宴会の人たちは酒がはいっているから大丈夫なのだろう。城山を越えると途端にひとけが少なくなり、山を歩いている気分になった。左手に見える丹沢は稜線部がもう冠雪していた。右手、奥多摩の大岳山と御前山が久しぶりに眺められる。見ているうちに、久しく行っていない奥多摩にも行きたくなってきた。


景信山を越える頃には午後3時になって人影も見えなくなり、明王峠を相模湖側に下って、中央高速自動車道のすぐ上にある与瀬神社に着いたのは5時近くで、その手前の急な下り坂では足下が暗くてたいへんだった。だが、相模湖駅までの舗装道を歩きながら、日のある時間をいっぱいに使って遊んだという心地よい疲労感に浸ることができた。
それで、せっかくだからということで相模湖駅からちょっと離れた地酒を出す店を探しだし、二人で夕飯代わりの食事をした。こういった店をみつける連れの嗅覚は大したものである。その店には最近覚えた越後の酒「雪中梅」が置いてあって、甘いのにくどくない味に舌鼓を打つ。家では日本酒をそれほど飲まない連れも、「これはおいしい」と納得していた。
1998/12/6

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