祖母山頂から古祖母山(左)と障子岳(右奧)

祖母・傾縦走路 (一)

大分県と宮崎県の境に祖母山(そぼさん)と傾山(かたむきやま)がある。小学生のときにこれらの山の名前を聞いたときには「九州には妙な名前の山があるものだな」と思ったものだ。でも日本中を見渡せばもっと変な名前の山がごろごろしている。山の名を全然知らない人に「鼻曲山(はなまがりやま)」とか「金糞山(かなくそやま)」とか言ったらそれこそ妙な顔をされそうだ。
この祖母山から傾山までは18kmにおよぶ九州随一の縦走路だということで、1998年の5月の連休にここを歩こうとしたのだが、体力不足と悪天候のため気力が萎え、祖母山と古祖母山を超えたところで挫折して山を下りる羽目になった。また宿題が増えてしまった。


前夜に高千穂のYHに泊まったのだが、ここは今でも「ミーティング」というものをしていた。参加すれば楽しいのはわかっているのだが、こちらは何せ朝早く出ていこうというのだから早めに寝かせてもらおうと部屋にこもっていたものの、一番奥の部屋にいるというのに入り口近くの食堂兼大広間で繰り広げられる大騒ぎが聞こえてきて全然寝付かれず、しかもこれがだんだんヒートアップしてきて、しまいには闇夜に吠える大狂乱のクライマックスになり、そのうちにどやどやと相部屋の人たちが戻ってきてもまだ眠れないままで、これじゃ参加していたとしても大して変わらないわと思いながらもこれでようやく静かになって眠れると喜んでいたら、他の人のほうが先に寝付いてしまって鼾まで聞こえ出してきた。明日はきっと寝不足だ。荷物は重く行程は長いというのに、先が思いやられる。
荷物が重いのは訳がある。縦走には二泊が必要だが、前日の晩は祖母山九合目避難小屋の小屋開きの日だし、なんと言っても連休の合間なので小屋泊まりは混雑が予想されるためテントを背負っていること。もちろん食料も二泊分ある。だがしかしここ何年か幕営山行をしていない。大丈夫だろうか。しかも明日になると九州に来て6日目になる。疲労もたまっているはずだ。
案の定、ほんとに疲れていた。朝起きてみると昨夜騒ぎの先頭に立っていた宿の人はすでに皆起き出して朝御飯の支度をしている。なんて元気なんだ、と驚きつつ車で高千穂駅近くのバス停まで送ってもらう。バスには少々時間が早かったので、よし時間を節約しようとばかりタクシーに乗りこむ。車は目の覚めきっていない町中を抜け、だいぶ長い距離を走り、二車線道路が一車線になって、しまいには未舗装道路になってこれ以上進めないところまで行って止まった。ここは「五ヶ所」という集落の奧にある北谷登山口で、宮崎県側の登山口になる。バス停終点をはるかに越えたところで、もうすっかり山の中。行程のうち林道歩き2時間を省略したことになる。これで今日はだいぶ足を延ばせるだろう、明日はかなり楽になるぞ、と思っていたが、甘い見通しだった。
祖母山に登る途中の新緑 登る途中で
だいたい平坦な道だったのに、30分ごとに休んでいた。暑さと寝不足、それに荷の重さが原因だった。まわりの人たちはみな日帰りの軽装なのだが、自分一人アルプスでも縦走するような格好をしている。まだ午前中も早い時間なのに下ってくる人も多く、「もう登って来ちゃった」みたいに浮かれている人も多い。連休の中日なので登山者の多さも格別だ。「明日は大山に行きます」とか言っている人もいる。四国の剣と石槌に行ってから九州に渡って昨日一昨日で阿蘇と久住を登ったと付け加えている。それも大声で。「四国や九州のこのあたりには他の山はないのかい」と内心思う。そういえば、泊まったYHで隣り合わせに夕飯を食べた人がこう言っていた。九州の岳人がアルプスよりいいという山がある、それは大崩山(おおくえやま)だ。山の全てがここにある、と。ほんとうだろうか。そのうち行ってみたいものだ。


大分県側から登ってくる別な登山路との合流点である国観峠というところに着く。ここから見た祖母山はただの三角山だった。そこからすぐ着く山頂は渋谷のハチ公前のような人だかりで、腰を下ろして休むにしても炊事道具を広げられるような場所はない。天気が良すぎてあちこち霞がかかって遠望がきかず、九重連峰がかすんでしか見えないのが残念ではある。山頂から見る縦走路は、さすがに長そうだが、一日かければ彼方の傾山の近くまで行けそうな気がする。祖母山からでも山頂の岩峰を文字通り傾けている様がよくわかる。すぐ近くには古祖母山が均整の取れた緩やかな三角形の姿を見せている。あのあたりまで今日は行けるだろう。雲が時折縦走路を隠すのがやや気がかりだが、今日はいい天気だし、行けるんじゃないかな。縦走路の稜線は九州の奥秩父といわれているそうだが、その奥秩父を歩いているのだから大丈夫だろう。
国観峠から見た祖母山 国観峠から見た祖母山
祖母山頂の一角から南に下りるところが縦走路の開始点だが、これが岩場のいきなりの急降下だ。荷が重いので振られないように両手でバランスを取りながら下る。祖母山は登ってきた西側は緩やかなのだが、東側や北側はかなり急峻だ。地形図の等高線のつまり具合からもすぐわかる。だが山頂直下では南側も急だったわけだ。この急降下の途中に格好の食事場所となる岩棚があったので、ここで昼食とする。
こちら側に下る人たちはみな天狗岩というところまで行って稜線をはずれ、東の急斜面を下っていく。私はひとけの少なくなった稜線を進み、烏帽子岩という見晴らしのよいコブの上に着く。ここから見る祖母山は岩場を見せてごつごつと尖ってなかなか格好がよい。国観峠から見た左右に間延びした表情とは全然違う。烏帽子岩頂上のちょうどベッドのようになった岩に横になって、斜光線の当たるようになった山肌や目の前に伸びる谷間を眺めて悦にはいる。しかし実のところは、眺めを堪能している以上に、休憩しているのだった。もう4時、夕方に近い。当初は古祖母山までは行こうと思っていたが、疲れて全然だめだ。それにしても登山道のわきに頻繁に生えているあの丈の低い木はなんなのだろう、脚をひっかけるように伸びているものだから歩く分にはかなり消耗する。今日の泊まり場だが、今いる烏帽子岩の真ん前に立ちふさがっている障子岳のてっぺんにしよう。この烏帽子岩でもテントが一張りは張れそうだが、まだちょっと時間があるので少し先まで行くことにしよう。


着いた障子岳は烏帽子岩同様に眺めが良い。山頂は狭く、テントが二張りか三張りがやっとだ。ここでようやく重たい荷を背負って歩くことから解放されるので嬉しくて仕方がない。あれこれ迷ってテントの位置を決め、ゆっくり薄暗くなっていく周囲を眺める。一人なので時間つぶしにすることも少なく、コーヒーをいれるくらいなもので、あとはただ呆然として暗くなっていく目の前の谷間や山襞を眺めるばかりだ。夕方6時になったら食事を作り出すことにしよう。
その二に続く)

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