清里駅に帰る途中で斜里岳を振り返る斜里岳

学生時代に初めて北海道に行ったとき、知床半島の西の付け根である斜里から東の付け根である標津までバスで半島基部を横断したことがある。すでに知床横断道路はできていたが、バスはそれよりやや南方の路線を走っていた。この路線はもう廃止されてしまったのか、大判の時刻表にも記載されていない。だが、ここから眺めた斜里岳は強く印象に残った。



それ以来いつかは登ってみたい山だ思っていたのだが、就職した翌年の5月に長い休みを取れる機会があって、これ幸いと道東への旅を企画した。釧網本線にまた乗ってみたい、釧路湿原の近辺の湖沼も訪ねてみたいという希望もあった。だが心配なのは気候で、5月の道東はどうなっているのかわからない。首都圏の真冬の格好をしてけば大丈夫だろうとかなり暑苦しい服装で北海道を目指した。

ところが足まわりが悪かった。冬用の厚手の生地で出来たブーツタイプのものを履いていったものの、防水が全くなっていなかったのである。釧網本線清里駅からタクシーで斜里岳登山口まで行こうとしたが、林道終点少し前で残雪が道幅一杯に現れて車が行けなくなり、しかたなく車を降りて歩き出す。だがものの五分としないうちに靴が水浸しになり始め、これでは山歩きどころか真剣に凍傷のおそれさえあり、危険すぎるとしてすぐに撤退を決めた。

タクシーはもう帰ってしまったし、一番近い家まででもかなりの距離がある。やむをえずたった今タクシーで走ってきた道を歩いて帰る。結局駅まで2、3時間くらいかかったような記憶がある。五月初頭だというのに、途中見た花と行ったら沢のほとりにたくさん咲いていたフキノトウだけだった。日本は狭いようで広い。



このころの私は山靴というものを持っておらず、運動靴で山歩きをしていたし、雪の上など歩いたこともなかった。ようやく軽登山靴を買うのはこの翌年辺りのことである。上の写真を見ても、モノクロだが山の斜面一面に雪がついているのがわかる。知床峠はこの写真では斜里岳の裏にあたるが、そこではこの数日前に吹雪になったと宿で聞いた。これが道東の五月初旬だ。今考えてみればおそろしく無謀な計画を立てて行ったものだと思う。
1986/5/29

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