Preface/Monologue2026年 4月


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四国霊場第85番札所八栗寺の境内から五剣山の岩塔群を見上げる

ここまでのCover Photo:四国霊場第85番札所八栗寺の境内から五剣山の岩塔群を見上げる

1 Apr 2026

連れの実家に帰省のついでの小旅行、香川県に続いて今度は播州へ。


姫路で車を借りたものの、あいにくの雨。天候に関わらず内外の観光客で混んでいるであろう姫路城は訪れたこともあるのでパスし、神戸まで足を延ばすことに。目的地は兵庫県立美術館、見るのは今年2月に東京の国立近代美術館で観覧した展覧会「アンチ・アクション」。

記憶に新しい作品もあれば、これは見たっけ?というものも。後者のような作品にしても、細部を眺めているうちに記憶がよみがえってくる。「このガラス片を貼り付けたところは見覚えがある・・・」。

いずれにしても見飽きたというものはない。むしろ何が気に入っていたかがわかってくる。

多田美波の「[作品X]もしくは[ある一つの邂逅]」」。油絵のなかに砂とテグスが混ぜ込まれていて質感が立体的。しかも宇宙の深遠にも似た冥さを背景にその砂とテグスが混入した朱と黄色の炎が漂い、その炎に離れて純白のか細い生命体様が浮遊している。つい昨日、宇宙空間を舞台にした映画を見たせいか、この作品には強く惹かれた。次、いつお目にかかれるか。

2 Apr 2026

観光客で混みそうな姫路を避けて、北にある福崎町に宿をとる。町を代表する山は関西百名山に選ばれている七種山(なぐさやま)。宿泊地への表敬の意味で、兵庫県下八景の一つ七種滝(なぐさのたき)、稜線沿いの七種槍と合わせて周遊する。


七種滝とは数多くかかる滝の総称で、ラスボス風に最後に出てくる雄滝が大迫力。対岸の高みにあたる七種神社から相対するのだが、見上げ見下ろすという規模、しかも何段かに渡って落ちる滝の背後の岩肌がじつに荒涼としていて、初見で骸骨を連想したほど。こんな印象を与える滝はそうそう無いだろう。

木の根も岩も出て鎖もロープもある尾根を登って七種山頂。山頂少し手前に展望地があるが山頂そのものは休めるものの眺めがない。七種槍に縦走するルートに入ってすぐのところに周囲の眺望の良い岩場があり、ここで湯を沸かす。播州の山々はほぼまるで何がどれだかわからないのだが、西にある特徴的な山容の明神山、北東にある名前の通りの笠形山はわかるのだった。AR山ナビとか使っても低山の山座同定は難しい。雪彦山など平頂の山みたいに案内される。

七種槍への縦走路は穏やかなところもありはするが急登急降下も少なくない。岩場も多い。先年に登った高御座山もそうだったことを思うと、このあたりの山の地質がそうさせるのだろう。稜線の岩場は展望がよく、足元に気を付ければ気分は雄大。ツバキの花が散り敷かれ、ヤシオツツジに似た花が梢を飾るなかを行くところは春を実感する。七種槍は遠望すると名前負けかと思ったが、山頂直下に来てみると岩峰ではないものの名の通りの尖塔状で、山頂からの展望はほぼ全周。七種山がだいぶ遠くなっていた。

ガイドによればこの先、見た目ほどではないやや長めの岩場があるとのことで、実際そうだったが、そういう岩場が3回かは出てきて、とくに下るところでは疲れた脚に堪える。車を止めた場所近くの溜池がすぐそこに見下ろせるようになってくるが、ルートは送電線巡視路を通るらしく近道をさせてくれないのだった。

下山してみたら七種山の登山者用駐車場には山に登る人のものとは思えない車がいくつか駐まっていた。宿のかたの話では七種滝だけ見に往復という人も多いらしい。とはいえ舗装道が尽きたところの虹ヶ滝から雄滝までは短いとはいえ立派な山道なので、運動靴くらいは必要だろう。なお、朝、陽の光がさしていれば、虹ヶ滝で滝を背景に文字通り虹が見られる。小さい虹ながら、ブロッケン現象に遭遇したときのように感激する。


下りついたときは当初予定していた地元の寺社巡りはできない時刻になってしまっていた。とはいえまだ明るいし疲労困憊というわけでもなかったので、福崎町のおそらく最大の観光地である辻川界隈に行ってみることにした。辻川山公園で池から出てくるカッパと対面し、自販機で売っていた河童ソーダ(ゆず味)を飲み、当町のあちこちにある”妖怪ベンチ”のいくつかを見て回る。観光センターの前にあるベンチではカッパと将棋を指せる。その隣では喰わず女房(二口女)がなぜかチャイナドレス姿で艶めかしい。

福崎町は『遠野物語』で有名な柳田國男の生地であり、『妖怪談義』の序文を読むと生育地での思い出が”妖怪”考究の出発点となったらしいことがわかる。ここから町として(ひねりを加えて)いろいろ企画されたらしく、いまや妖怪の町として有名なのだとか。とくに公園の池に出没するカッパは観光客増大の最大功労者だそうで、現在二代目だそうな。

3 Apr 2026

岩の目立つ播州の山でもおそらく最も歯応えのありそうな雪彦山に。一般登山者用とされる出雲岩コースを登りにとったが、一般用でこれかと思える手強さだった。久しぶりに鎖やロープに体重を預ける瞬間があった。


登山口の最初から急登。それも木の根と岩を階段のように登る急登で、30分は荷物も下ろせない。先行者がいれば落石が怖く、後続者がいれば下手な登り方ができない。とにかく登る。一息ついた後も勾配はそうそう緩まず、鎖もロープもあって使いもするが、ガイドによればこれらは岩場とは呼ばないそうだ。

小規模なマンションくらいの大きさの出雲岩はルート上にハングしてきていて大迫力。そのハングした下にはそれは巨大な崩落岩がいくつも横たわっており、今ここで地震とか来るなよなと思えてしまうような不穏さ。さてこの先から本格的な岩場が始まる。最初の、縦に空いた岩溝を鎖とロープに頼って登っていくところでは、かなり久しぶりに腕力登りをした。その先も鎖場が現れるが、そのうち「もうこの程度は鎖がなくても登れるだろう」とでも言いたげに鎖があってもおかしくないところに鎖がなくなってくる。確かに登れるのだが、なかなか挑発してくるではないか雪彦山。

雪彦山はいくつかのピークの集合体のことを呼んでいたそうだが、いまでは範囲が広がった山域の総称のこととなっている。登ってきて出る顕著なピークは大天井岳(おおてんじょうだけ)といい、岩が積み上がった明るい場所だ。岩溝を登った先に展望地があったが、山頂では眺望はそこそこ。それでも梢越しにもはや見慣れた明神山、昨日登った七種山ではと思える山が窺える。

腰を下ろす場所は多いのだが、人気の山なので往来が多いだろうから落ち着かなさそうだ。なので先を急ぐことにする。上級コースとされる分岐を見送り、新下山道とされる分岐も見送る頃には足元がだいぶ穏やかになってくる。”雪彦山三角点峰”なるなだらかなピークを越すころには奥武蔵をあるいているかのような感触になっていた。山域最高点の鉾立山を過ぎてもその感触は続いた。なお”鉾立山”という名の山は本来は別なところにあったそうで、現地での山名標識板には”通称鉾立山”と書かれている。この標識を立てた方々は歴史を大切にする人たちだなと思えた。

この通称鉾立山を下って林道を渡り、雪彦川の谷間に続く沢筋を辿るようになると本格的な下山となる。跨げるような沢筋の傍らを行くのが、連瀑を横目に岩場を下るようなコースになるのには正直言って驚いた。小さな岩盤を段になって流れ落ちるナメ滝もあれば、周囲を岩盤に囲まれたなかに大音量で滝水を落とすものもある。滝も凄いがコースも凄い。飛沫は浴びないものの滝の傍らを鎖で下るが一再ならず。飛び石伝いでの渡渉も何度もある。下りもなかなか試練じゃないか雪彦山。


虹ヶ滝という規模の大きな滝の脇をそうやって下ってそうやって渡渉して登り返す。振り返って対岸を見上げてみれば、顕著な岩峰がそそり立っている。上級コースとされるルートの脇にある地蔵岳だ。なんとも剣呑な表情のお地蔵様だが迫力は掛け値なしである。一般ルートでアレだったのだから、上級ルートはいったいどんな道のりやら。

ここから道のりは再び総じて緩やかなものになるのだが、とうとう限界が来たのか下りだしてすぐに左脚のふくらはぎに激痛が走る。どうやら肉離れっぽい。歩けないことはないのでものすごくゆっくりと下る。まぁコースタイムであと30分強というところで幸いだったが・・・。昨日の七種山周遊コースと本日と続けたのが高負荷だったのだろうか。これでは日本アルプスなど歩けないじゃないか。


足を引きずりつつ駐車場に戻ってきてもまだ一日の残りはだいぶあった。運転はできるので山から9キロ離れたところにある雪彦山満願寺を訪ねる。登った山の名を山号にするこのお寺は、かつては雪彦山の麓近くにあった寺の観音様を安置した際、そのお寺の山号も頂いたものなのだそうな。寺務所を訪ねて御朱印をお願いすると、観音堂を開けていただいて近ごろ修復されたという十一面観音像を拝観することができた。堂内には先の戦争で亡くなった若い兵士たちの遺影がたくさん飾られている。終戦2年後の享年のものもあり、戦地での病気か怪我をもとに亡くなったのだろうかと思えた。

さらに時間が余ったので福崎町の花の寺である應聖寺へ。門前の桜はもとよりユキヤナギ、ハナモモ、サンシュユが満開。庭園はまだ冬枯れの色合いが強かったが、石組みがはっきり見えてこれはこれで面白い。夕方近くなのでもはや誰もおらず、供された抹茶を味わいながらひとり静かに名勝庭園の眺めを愉しんできた。

4 Apr 2026

帰省のついでの播州への小旅行も最終日。予報どおり雨。昨日脚を痛めて登るどころか歩くのも大義になってしまったので、山に登れないことを残念がらずに済む。


帰る前にもうひとつふたつ福崎町の寺社巡りをしようと、まずは神積寺というお寺へ。境内に古墳まである森の中の寺は、静かに降る雨の中、じつによい雰囲気だった。

しかしそのお寺の山門からすぐ先の小山に埋もれるようにしてある岩尾神社がまた素晴らしかった。広い敷地の奥、舞殿を兼ねているのではと思える広く開放的な拝殿の後ろに、のしかかるような大きさの本殿が拝殿を越す高さで建つ。拝殿は日差しも遮れば雨宿りにもよく、周囲の田園地帯が広々と見渡せて、自分の自宅が近所にあれば晴雨にかかわらず毎日散歩に来るだろう。(ただし虫の出る季節は除く)


小山の裏には同じような造りをした大歳神社があり、岩尾神社同様に拝殿が舞殿のようであった。このあたりの様式なのだろうか。ほかの神社も見てみたいところだ。

福崎町の出している寺社ガイドマップを見ると、町域全体に寺社が多数あり、有名無名にこだわらず訪れて回れば面白いのではと思える。この地はいつか再訪して、未訪の山と寺社をめぐってみたいものだ。今回登った七種山を山号に持つお寺には行かずじまいだったので、そのときはぜひ。

11 Apr 2026

内出血するほど痛めた左足のふくらはぎ、ようやくほぼ普通に階段を下りられる程度までには回復。まだ筋肉は堅い感触のままとはいえ。


当初はロキソニンテープのような痛み止めに特化したものを貼っていたが、説明書きにもあるとおり単なる痛み止めでしかなく痛みの原因に対処しているわけではない。しかも痛い場所はふくらはぎ全体。一日2枚までとされるテープを同時に2枚貼るのもなぁと。

鎮痛効果よりは消炎効果をと、昔ながらの湿布(膏薬)に変更。しかしこれも一番痛いところだけに貼るだけでは効果がなく、最終的にふくらはぎ全体を覆うように貼るようにしたところ、ようやく効果が出てきたのだった。(ロキソニンテープと違って一日あたり枚数制限は無い)


この一週間強で、高いテープより安い湿布のほうが効き目があると改めてわかった。最初から湿布を貼っておけばよかった・・・。さてリハビリ山行日程の目途が立ってきた。負荷はもちろん低めでだけど。

15 Apr 2026

痛めた左脚のリハビリのため鎌倉へ。六国見山と天園ハイキングコースをつなげて歩く。獲得標高差400mと少々、周知のとおりコースそこここに岩があって回復具合を見るにはまずまずの行程。


北鎌倉駅から明月院に向かう途中の民家を縫うように石畳道、階段道をたどると山道になる。よく踏まれた、しかし展望のないルートで山上へ。左手下方、円覚寺方面から読経と鉦の音が聞こえてくる。”お寺の音”を聴きながら登る山というのも珍しい。山頂とされる場所のすぐ先に開けた場所があり、横浜側の市街が見渡せる。ここで少憩後すぐ折り返す。

今泉台の住宅地に下り、建長寺奥の勝上ケン(山カンムリに献)に登り返す。ここからはいつもの天園ハイキングコース。平日なので人が少ない。いつも人影のある十王岩にさえ誰もいない。久しぶりに展望地に登って若宮大路が貫く鎌倉市街を眺め下ろした。

大平山は岩場にかなり草木が茂ってきていて、かつての剥き出しの岩山だった印象がだいぶなくなってきている。以前は手入れされていたのだろうか。ゴルフ倶楽部の建物から見下ろされる広場にはそこそこ人がいて休憩していた。その先、八重桜が満開の天園には誰もいなかった。

登り口でも下山口でもシャガが目についた。新緑のなかをTシャツ一枚で歩いたことだし、もう初夏は近い。瑞泉寺脇でハイキングコースを下ってそのまま鎌倉駅まで歩き通して帰宅した。


あいかわらず筋肉はやや堅いままだが、普段歩いている山であればなんとかなりそうな気が。では今後の山行計画を進めるとしよう・・・。

17 Apr 2026

国立新美術館に『YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート』を観に。

サッチャー政権が推し進めた新自由主義経済のおかげで格差が拡大し失業率も増大した英国。AIDSの流行も重なり、不安と刹那主義、現実逃避と現状への抗議が混じり合う社会を背景に製作された作品の数々。表されているのは美というより問題意識。

あらためて、アート(art)は美術と訳されているが、現代においては本質は”美”ではなく”表現”なのだと思えた展覧会だった。快いとは決して言えない作品を前に、「これで作家は何が言いたいのか」と考えることが一度ならず、いやほぼ毎回。

けっきょく作品を見ただけでは意味が分からず、傍らの説明板を読みながら鑑賞すること暫し。作品発表当初はそんな説明などなくそのまま放り出されるように展示されたはずで、当時の観客はいったいどういう受け止め方をしたものだろうか。時代空気を共有していたから、きっとすぐ作家の意図を汲めた、すくなくとも汲めた気になったのだろう。


映像作品が多く、上映を最初から最後まで見なくても足を止める時間は長い。会場には2時間近くいた。なのでものすごく疲れた。ダミアン・ハーストの作品を初めて生で目にし、コーネリア・バーカーの凍結した爆発の作品を見られたので、来た甲斐はあった。

21 Apr 2026

天子山塊の長者ヶ岳・天子ヶ岳を田貫湖から周回。


朝8時過ぎ、田貫湖南でバスを下り、湖畔を廻ってトイレもある駐車場からの登山口をめざす。朝方までの降雨で湖は向こう岸が見えないほどの霧で覆われている。本日の天気は回復傾向のはずなので気長に構えて登りだす。

見事な杉の植林を抜け、尾根に出て片側斜面の自然林を眺め登るうち空が明るくなってくる。足元に落ちる影を認めて左手の梢越しに目をやれば富士山にまとわりつく雲がほぐれていく。よしよしこの調子。

長者ヶ岳への登りはわりと傾斜があり、そして登り一辺倒。1059mの標高点を越えたあたりで唯一の下りがあるものの、丹沢の大倉尾根を思い出させる登高に4月半ばで大汗をかかせられる。脱ぐと汗冷えになって寒いのでいまさら雨具を脱げず、さらに汗をかきながら登り続ける。あれが山頂かなというところに登りつくとほぼ平坦路ととなり、ほんの少し上がって見晴らしの良い頂上へ。、


ベンチもある小広場風の山頂からは、背景は曇天といえど雲は取れた富士山が真正面。田貫湖を足元に幅広くゆったりとした姿で視野を占める。近くに目をやれば山桜らしいのが花を残している。登路途中では新緑の芽吹きだったものの標高1,300m超ではまだのようだ。

富士の眺望とは反対側には少々開けた場所から雪をかなり残した南アルプスが望める。白峰三山に塩見岳、悪沢岳に赤石、聖と巨峰が勢ぞろい。しかしやはり富士山の眺めが秀逸。これを前に腰を下ろして湯を沸かしコーヒーを淹れる。


小一時間は休憩したのち、歩きやすい下りと急な登りで隣の天子ヶ岳へ。こちらの山頂は樹林の中で展望なし。折あしくガスが山を覆い、少し先の展望台でも展望は期待薄になったのでそのまま下山を開始。遠望すると天子ヶ岳は指呼しやすいほどの突き出た山容だが、そのおかげでけっこう傾斜がある。雨上がりなので滑りやすくもあり、先日の山で脚を痛めた身としてはかなり気を遣う。

二度ばかり足を滑らせたものの筋肉系に支障なく急坂を過ぎ、緩やかになった道のりしばしで田貫湖へ戻る舗装林道との十字路に出る。白糸の滝方面へやや暗めの小さな谷間を進めば再び舗装道に出る。滝まではまだ半時強はあり、車道を辿ってしばしで生活圏に出て、高みで振り返ってみると手前に頭をもたげた天子ヶ岳、その後ろに悠々となだらかな長者ヶ岳がこちらを見下ろしている。達成感をもたらす眺めだ。進行方向左手には背後の空まで晴れて明るい国内最高峰。


白糸の滝のかなり手前に立石というバス停があり、時刻表を見るとすぐに富士宮駅行きのバスが来る。なので滝は後日にまわして駅に直行、そのまま帰宅。

30 Apr 2026

准秩父観音霊場の34札所巡りを結願。12年に一度の午年開帳があると気付いたのが26日。しかも本霊場の開帳期間は今月中。期間が終わると観音様を目にするどころか御朱印もいただけない札所もあるとのことで、山の予定を繰り下げて5日連続でなんとか周りきる。

川崎市川崎区・幸区・中原区および横浜市鶴見区・港北区・都筑区を範囲とする霊場で、准ではない秩父より幾分狭いくらいか。道路網が発達しているので前回終点を今回起点とする方式で続けて歩けないことはないが、札所番号通りに歩くと行ったり来たりが発生してとても期間内に終わらない。番号順序にこだわらず、「当日最初のお寺から最後のお寺までは徒歩で移動する」のみとして歩く。

通常は閉扉されている厨子が開かれて拝観できる御仏のお顔お姿はみな優美。間近に仰げられれば、雑事はすべて浄化され、願いすら浮かぶことない。十二年に一度と言わず、毎年御開帳してもらいたいものと思えた。各お寺はそれぞれ個性的で、地域や檀家のかたがたが守られていると感じるところはとくに居心地の良さを感じる。小さいながら森のなかのような佇まいの場所もあり、維持はたいへんだろうけれどもこの雰囲気を長く保ってほしいものだと思えた。


川崎横浜という場所での札所巡り、こんなところにこのようなお寺がと発見の連続なのだが、道中もまた楽しいのは山頂ばかりが山ではないのと同じ。川崎市区域は南部のほぼ平地歩きで上り下りの負荷はなく、経路も直線部分が長く住宅地のなかのお寺巡りの趣きが主とはいえ、川崎駅近辺では繁華街の中も歩けばついうっかり風俗街も通り抜ける。札所巡りで昼から客引きに声をかけられるというのはなかなか面白い。

横浜市区域は多摩丘陵が海近くまで延びてきているので高低があるうえに経路がうねりくねる。一日の獲得標高差が港北区では150m、都筑区では250mだった。港北区では低いながら台地の上に上がると道路がまっすぐに延びて広々とした麦畑を眺めわたす。都筑区ではかつての里山歩きを彷彿とさせる細道を幾度も辿った。緑地もお寺も多いようなので、盛夏でなければ地図を睨んで里の名残を探しながら歩き回るのもよいと思えた。


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