尾名手尾根から大寺山西原峠から望む尾名手尾根、右端は大寺山、左奥は生藤山山塊

三頭山から生藤山山塊まで続く稜線は笹尾根として知られているが、鶴川を隔てて併走する長い稜線は定まった名がないように思える。奈良倉山から南下し、佐野峠、西原峠を経て小寺山、大寺山を越え、権現山西方の北峰に達するもので、入下山の交通の便が良くないせいか人影は少ない。かつて大月市と上野原町との境界だったため市町界尾根と呼ばれたらしいが、2005年に上野原町が秋山村と合併して市になってからは市と市のあいだとなるので市界尾根というところか。
長い稜線なので支尾根も顕著なのが分かれる。最たるものは西原峠のすぐ北から東に分かれてアップダウンを繰り返しつつ坪山を起こして鶴川に沈むものだろう。大寺山から東に下る尾名手尾根も見過ごせない。全体になだらかなため派手さには欠けるがガイドマップに朱線がないため市界尾根以上に静かなことだろう。この尾根を末端から登るべく、雪も融けたはずの季節にでかけてみた。


春分の日を含む三連休の中日に上野原駅を出た飯尾行きのバスは座席がほぼ埋まるほどには混んでいた。そろそろ低山歩きの季節だからか乗客はみな浮き立ち張り切っているように思える。しかしこの観察は単に、久しぶりにやや冒険じみた登路を辿ろうとする自分自身の心理が反映したものかもしれない。車窓に目を向ければ、山桜なのか、樹木全体が花で白く煙り立っているものがあちこちに見られた。
本日の下車地は初戸だ。ここで降りる人はまず玄房尾根を権現山に向かう。その人たちと分かれ、バス通りを後にして、鶴川本流に寄り添うように延びる静かな車道を辿っていく。奥深い山々を仰ぎ、深いところを流れる川のありかを水音で探りながら、尾根を巡って蛇行する道をリズミカルに歩く。ようやく舗装道を両側から挟むように家が建つところに着く。腰掛の集落で、さらに先の集落で鶴川を渡る小さな橋を下に見る。これを渡り、左に折れて民家の前を通り、尾名手沢の合流点まで出る。ここには巨大な堰堤があって、権現山北尾根へは堰堤前にかかる鉄製の橋を渡るのだが、肝心の尾名手尾根側はミルクセメントで固められていて取り付く場所がない。
民家の前まで戻り、畑を右に見て山側に分岐する踏み跡に入る。尾名手沢左岸に続く踏み跡がすぐ左に分岐しており、これをたどる。明瞭な踏み跡が山腹に続き、これこそはと思って10分ほども行ってみたが、稜線は右手遙か上のままでどんどん遠くなる。いま歩いているのは地図に記載のある山腹道のようで、沢の源流近くで地図から消えてしまっている。権現山隣の麻生山と三ツ森とのあいだに尾名手峠というものがあり、本来はその峠に続くものなのだろう。その探勝も魅力的だがそもそも準備不足なので後日に回そう。


引き返してみると、畑の前で細い支尾根が落ち込んでいるように見える。尾根筋には踏み跡がありまずはここだと登り出す。斜度もちょうどよく、まわりは雑木林で閉塞感はなく、ようやく高度を稼ぎ出したので気分がよい。前方に仏さまが坐っているような形の大岩が見えてきた。着いてみると大岩の前は4,5人は坐れる平坦地だった。ひょっとしたら麓の集落のかたたちが何かの催しで集う宴会場かもしれない。
だがここで明瞭な踏み跡は消えてしまった。岩場の上からは尾根の姿も失われ、登るにつれてただの斜面になる。植林帯となった山の斜面を見上げると急激に斜度が上がってその先が見えない。植林した人が歩いたのだから何とか進めるはずと思って登ってみると、見えなかった先はさらに植林の斜面が続いている。まだ3月だというのに汗がしたたり落ちるのに気づく。
ようやく斜度が緩んできて、稜線も近いことを思わせるようになった。土壌がしっかりしてきたせいか、イバラがそこここに出ている。どうも簡単には出させてくれないものだ。稜線は予想以上に平坦で林床が明るかった。長くかかったように思えたが、登りだして30分ほどしか経っていない。少し大寺山方面に歩いて振り返ってみると、驚いたことにもう稜線に出た場所がわからなくなっていた。
稜線部は穏やかな尾名手尾根
稜線部は穏やかな尾名手尾根
植林と雑木林が交互するようなところだが、右手が雑木林となると笹尾根が梢越しに見える。左手の植林帯は長いが、いったん切れると権現山が真正面だった。山頂に鎮座する大牟礼大権現の遙拝所が意図されたのかもしれない。
尾名手尾根より権現山山頂部(奥)を正面に見る
尾名手尾根より権現山山頂部(奥)を正面に見る
ゆるやかな上下だったのが多少急な登りになると阿寺沢に下っていく山道に突き当たる。合流するには積まれた木々を踏み越えなければならない。つまり腰掛への道筋は下って来る身には進入禁止になっている。末端の下山地点はいったいどうなっているのだろうと興味が湧くが、さすがに引き返して確かめる気にはなれない。
さらにゆるやかに歩き、再び急に登る。おそらくこのあたりが二万五千分の一地図にある957m峰だろう。そろそろ空腹になってきたので昼食休憩とした。葉の落ちた木の枝越しに権現山が見える。低山ながら悠揚迫らぬ大きさ穏やかさ。権現山はよい山だ。権現山を眺められる尾名手尾根もよい尾根だ。しかしすでにもう疲れた。寝不足だったので木にもたれて30分以上も寝てしまった。


歩くにつれ権現山山頂が後方に退き、権現山鋸尾根入口の三ッ森が左前方に明瞭になってくる。三ッ森の北にあるその名も即物的な北峰と鞍部を挟んで立つのが大寺山だ。尾名手尾根稜線からすると正面になるので見えにくいが、北峰の所在から距離感が掴める。地図上では大寺山手前に1204m峰があり、右手の阿寺沢に大きく支稜を張り出している。この支稜も目的地までの距離感を掴むのに役に立つ。しかし葉が茂って見通しが悪くなる季節にはこういうこともできなくなる。やはり低山歩きは春先までが最適だ。
根張りは大きいものの、1204m山頂はやや「通り道」風情だった。ここと大寺山とは地図で見ると吊り尾根のような明瞭な鞍部があるのかと思っていたが、じっさいに歩いてみるとさほど下ることもなく大寺山山頂手前まで行き着く。足下にまばらな矮性のササの緑が目立つようになると、飾り気のなさが好感を呼ぶ大寺山の標識が出迎えてくれる。3週間前に初めて訪れたときは一面の雪の原だったのが、本日は乾いた春の土が日の光を受けている。変わらないのは静けさだ。このあたりとしては山深い場所でありながらどことなく愛らしい山頂は、花一つ咲かせていなかったが、人を拒む風情を見せない優しい場所だった。
大寺山山頂から小寺山方面へ
相変わらずの笹原を北へ、西原峠方面に向かう。林道を右に見てほんの少しで小寺山との鞍部になった。あとは楽な林道歩きが続く。かつてはヤブ道だったそうだが、いまではただの散策路になっている。それでも入下山の交通の便が良くないのであいかわらず静けさを保っているのだろう。
大寺山と小寺山の鞍部に延びる林道
林道が稜線を外すところから再び山道に入る。尾根が広がり、左手へと引き込まれるところで、右手の密な藪の中に踏み跡を探して西原峠に出る。3月初旬は峠近辺が一面の雪で寒々とした光景だったが、今日はまるで穏やかなものだった。
西原峠から坪山に続く稜線を見る
西原峠からは中風呂へ下り、夕暮れ後の最終バスを待つ間に松姫鉱泉で一浴した。鉱泉名通りの美人の湯らしくなめらかな湯だった。日が暮れてから乗ったバスはハイカーばかりを乗せて終点の猿橋駅に着いた。夕飯時も過ぎていたので隣の大月駅に戻って構内食堂でなにか食べようかと思っているうちに上り電車が来た。おとなしく乗って帰った。
2009/3/21

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