高来神社参道から見上げる高麗山高来神社から高麗山、湘南平
東海道線を国府津、小田原方面に下っていくと、平塚までは丘陵地が目立つくらいの線路沿いに、相模川を渡る頃になってひときわ目立つ小山が見えてくる。これが高麗山(こまやま)で、名の通りかつての帰化人の由来を持つ歴史ある山でもある。最高点でも200mに達しないのですぐに登れ、山中を巡っても半日で十分なため、かえって遠い山になっていたが、好天の冬日に思い立ってでかけてみた。稜線続きにあって、好展望台とされる湘南平なるところも、どんなところか訪ねてみたくもあった。


低い山なのであちこちから登れるが、まずは由緒ある高来神社から登って稜線を湘南平方面へ向かうのが正しかろうと、日の傾いた大磯駅に降り立つ。例によってこの日も家をゆっくり出てきたので、だいぶ遅い歩き出しだ。
改札口を海側に出て東京方面に戻るように歩き、線路をくぐって丘陵側に出る。そのまま直進していくと、右手に小さな川を見る。この川沿いに上がって行きかけたが、湘南平へ、の案内板を見て「これでは予定の逆コースになるな」と引き返す。川を渡り、稜線を左手に仰ぎながら平塚方面へと歩く。大磯だからか、洒落た家が多いように思える。昔ながらの井戸の名残に出会ったりもする。旧東海道跡らしき松並木の道に出て、国道一号に合流してしばらくで高来(たかく)神社の鳥居の前に着く。
参道を辿り、脇の民家に咲く梅を仰ぎながら境内に入る。立派な社叢林がとりまくなか、ここにも梅が咲いていた。この社の歴史は相当古いらしく、掲示の略縁起によると、奈良時代の前から高麗山上に高麗権現が祀られていたとある。奈良時代には僧行基が高麗寺(こうらいじ)を創建して神仏習合の聖地となり、近世には東照権現まで勧請され、寺の前を通る参勤交代の大名が最敬礼して通過するまでとなったが、明治維新期の廃仏毀釈令で高麗寺は廃され、今の高来神社になったという。本堂内で幽玄に点る照明を眺めつつ境内奥に向かうと、山道が始まる。
高来神社本殿
高来神社本殿
すぐ左右に分かれ、左に行けば男坂で、まっすぐ高麗山の頂に向かう。右へは女坂、”関東ふれあいの道”でもあるようだ。最初は男坂を登るつもりで来たのだったが、女坂の方が長く歩け、途中に展望がよいところもあると目の前の案内板にあり、かつこのルート途中から分かれる先に東天照(とうてんしょう)なるピークがあるとのことで、所要時間は気になるものの興味の赴くまま女坂を行くことにした。


名とは異なり、少なくとも出だしは登っている気がしないわけではなかった。岩も出ていて、少なくとも稜線までは運動靴より山靴の方が安定して歩けるだろう(驚いたことに草鞋で歩いている人もいたが)。相模灘が一望できる展望地を過ぎると、山腹を回るようになって、右手に東天照へと向かう細い山道が分岐する。こちらはコンクリート片を埋めた階段道で、勾配はさらにきつい。低く短いとはいえ息が上がる行程だ。
相模川河口沖の相模灘
本殿相模川河口沖の相模灘
周囲は登り口から雑木林が続き、住宅地に囲まれた山だというのに自然度が高い。山中に説明板があり、「県内にわずかに残されたヤブツバキクラス域の自然林としては、林分面積が十分に確保され、自然度も高い良質な森林として貴重であるばかりか、東海道沿線沿いに見事な常緑広葉樹林が展望できるのも珍しい」。こうして神奈川県教育委員会が、「学術的な立場からも、郷土の森としても、さらに景観的な意味からも、指定天然記念物として保護する」としているのに、大いに頷く。
東天照
東天照
稜線をあおぐようになると右手に回り込んで東天照の肩に着く。ベンチがあり、傍らにはスイセンが傾いた日を浴びている。稜線を戻り気味に登ると標高135mの東天照で、高麗山に三峰あるうちの最も東のものだという。通路の途中に標識が立っているだけの山頂だった。短時間とはいえ急な登りに軽く汗をかいたので腰を下ろして一休みする。地元の人たちらしく、気負わず山中を歩く姿が二度三度と目の前を通り過ぎていく。


樹林の中を大堂と呼ばれる高麗山主峰に向かう。ものの10分も立たないうちに、男坂から上がってくる石段に出会い、これを登れば広く開けた高麗山の山頂部に出る。ただ眺めはない。広場の先には小さな祠があり、近寄ってみれば手前にかつての社の礎石が残っている。かなり大きなお堂が建っていたらしい。
高麗山(大堂)山頂にある高来神社上宮(大堂)跡
高麗山(大堂)山頂にある高来神社上宮(大堂)跡
広々とした高麗山(大堂)山頂
広々とした高麗山(大堂)山頂
夕方の光が差し込む方向に山道は続いており、そちらに向かうとどうやら最高点らしい高みを右手に見る。ここが標高167mとされているのかもしれない。続く道のりは大木の連なりで、好き勝手にうねる幹が人目を引きつける。妙に深いキレットを木橋で渡るところもあり、山城の空堀なのだという。高麗山は室町時代から軍事拠点として使用されるようになったらしく、戦火を受けて山上にあった高麗寺の伽藍が焼失の憂き目にあったと先に見た高来神社略縁起に記載があった。


大堂から、再び10分とかからず、高麗山三峰の西端、八俵山(はっぴょうやま)に着く。ここも眺めはないが、こじんまりと開けた空間が好ましく、三峰のなかではもっとも落ち着く場所だった。八俵山から直接高来神社に続く山道もあるらしいので、高麗山巡りとしてはここで下ってもよい(あっけなく山行が終わってしまうが)。
落ち着く八俵山(はっぴょうやま)
落ち着く八俵山(はっぴょうやま)
本日は先の浅間山、さらに先の湘南平を目指す。行路の脇では中低木のヤブツバキが赤い花を咲かせている。ツバキといっても町中で見るのとは異なり人の背丈の2倍はあってなかなかの迫力だ。幹の太さも片手では掴めない。生け垣にはない野性味を感じる。
左手には湘南平のテレビアンテナ塔が逆光に黒く、相模灘が青く広がるのが窺える。稜線が広がり、右手が草原になると、先ほどから梢越しに見えていた表丹沢の足下に秦野盆地が俯瞰できる。日が傾いているせいか盆地に指す日の光は斑模様だ。よく見ると草原にはベンチがそこここに配され、分け入ってみると文字も読み取りにくくなった野鳥の説明板がある。今はどうだかわからないが、かつては広場として使われたらしい。
ところどころで寄り道をしたものの、八俵山から20分で浅間山に到着する。ここは文字通りかつての浅間信仰の場で、今では木々の合間から遠望するだけになってしまったが、昔は富士山の遙拝所であったらしい。眺めが好かったらしいことは一等三角点が埋設されていることからも窺える。三角点は何度も不届き者に削られたらしく、ずいぶんと痛々しい姿になっていた。
夕照の浅間山から箱根方面を窺う
夕照の浅間山から箱根方面を窺う
少々下って湘南平との鞍部に出る。左へ、大磯駅方面に下っていく山道が分岐している。あとでここを辿ることにして湘南平へ登り返す。浅間山から10分かからず、広々とした湘南平の広場に飛び出す。


少々複雑な気分になるが、最も眺めがよいのはこの広場の端にあるテレビアンテナ塔の展望台と、広場反対側にあるレストハウスの展望台だった。アンテナ塔からは表丹沢とその手前の秦野盆地の眺めが広い。レストハウスからも表丹沢が眺められるが、やや秦野盆地の眺めが狭い。代わりに富士山と箱根連山が広々と眺められる。そしていずれからも、相模灘が大きい。
アンテナ塔から振り返る浅間山(左)、高麗山(右)
アンテナ塔から振り返る浅間山(左)、高麗山(右)
湘南平の一角には、小島烏水とともに日本人として初めて槍ヶ岳を登頂し、国内近代登山の先駆者として活躍された岡野金治郎氏の顕彰碑がある。晩年に平塚市に住んでいたことから市が建てたらしい。高麗山三峰はほとんどが大磯町だが、浅間山と湘南平は稜線部が平塚市に属する。顕彰碑はよいとして、どちらかというと平塚市域が大規模開発されているようだ。


春浅い季節、日が暮れるのは早い。見渡す秦野盆地の街路に点る灯りや車のテールランプが目立ちだし、これから夜景が美しくなる時間帯になってきた。山と海ばかりを追っていた視線を身の回りに戻すと、カップルの数が多い。家族連れとか友達同士とかもいることはいるが、単独で行動していると少々気恥ずかしい時間帯でもある。それはともかく、短くとも山道を辿る身としては、空の残照が消える前に山を下らなければならない。
日の陰った秦野盆地、彼方に大山
日の陰った秦野盆地、彼方に大山
レストハウスから日没後の箱根連山と富士山
レストハウスから日没後の箱根連山と富士山
浅間山と湘南平との鞍部に戻り、大磯に向かう山道に入る。すでに日は沈み、足下はだいぶ怪しくなってきているが、よく踏まれているのでかなり安心だ。湘南平を右手に見上げるように下っていくと、まっすぐ行けば高田保公園経由で大磯という分岐に出る。そちらは山道が長めに続くようで、明るければ入ったのだが今回は左へ、早々に舗装路に出られそうな道のりを辿る。
小さな谷間に下りこむようになると、右下に異様な横穴群が見えてくる。説明板があり、まだ字が読める明るさなので読んでみると、これらは楊谷寺谷戸横穴群と呼ばれ、古墳時代後期の横穴墓なのだという。「大磯丘陵は、全国屈指の横穴墓の密集地域として知られています」のだそうで、この横穴群は「内部構造は(略)多様な形態がみられ、横穴墓の形態変遷を考える上で、基準となる重要な横穴墓群です」ということだ。
夕闇に口を開ける楊谷寺谷戸横穴群
夕闇に口を開ける楊谷寺谷戸横穴群
また、別な説明板の末尾にはこうある。「この横穴群を中心に、古代においてこの谷が「墓場の谷」になっていたことがわかる」。思わずあたりを見渡す。逢魔が時に古代からの墓所に一人佇むとは、なかなか乙なものだ。古きものが目を覚まさないうちに、さっさと下ろう。
横穴群からものの5分とかからず、住宅を見上げる舗装道に出た。湘南平からでも15分くらいだったが、日が落ちた後はいつも感じるように、実際の時間よりは長く思えた。多少は夜の山道歩きに慣れているとはいえ、やはり焦りが出てしまうものらしい。山道を出てからは街灯や家の明かりに助けられて道なりに下っていき、歩き始めのころに「湘南平へ」の標識を見た場所を経由して、20分ほどで夜間照明の灯る大磯駅付近に着いた。ちょうど6時だった。


高麗山から湘南平に続く山域は高麗山公園としてハイキングコースが四通八達している。今回は所用時間を甘く見すぎた。大磯駅を出発したのが3時過ぎ。ただ歩くだけならよいが、いろいろ見て回るには慌ただしすぎる。大磯駅周辺の史跡も見て回れるよう、もう少し早い時間帯で再訪しようと思う。
2015/02/14

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