酉谷避難小屋直上の山道の朝長沢背稜から一杯水まで

雨上がりの朝の雲取山(くもとりやま)から北へ続く道をたどる。初めて山登りを始めたのが奥多摩で、今から15年ほど前のことだが、そのときからこの道をいつか歩きたいと思っていた。三峰山に行くのではない。賑やかな奥多摩の中にあってほとんど人の歩かないルート、長沢背稜(ながさわせりょう)とその先の都県界尾根を歩くのだ。
長沢背稜は森また森、さらにまた森。歩けど歩けど両側は木々の連なりだ。アララギ山のところで水源巡視林道に出て、酉谷山を越えて一杯水と呼ばれるところまで足をのばしても状況は変わらない。ただ、長沢背稜では奥秩父風の針葉樹と苔の多い林が見られたが、巡視林道に出るとこれらは姿を消す。道も平坦でしっかりしたものになる。同時に、ひとりで歩ききるのだという心地よく切羽詰まった緊張感も薄れてしまう。芋ノ木ドッケで倒木帯の中に道を確認しながら歩いたのがかなり前のことのように思える。
雲取山から芋ノ木ドッケの分岐までは人臭い道だ。だがここから奥多摩で最も山深い長沢背稜と呼ばれる稜線に足を踏み入れると、踏み跡は明瞭なものの、人間より野生動物のほうによく出会いそうな静けさに包まれる。芋ノ木ドッケは名前こそ笑みを誘う山だが、横断するように付けられている山道は急で、とても笑いながら登れるほど楽なものではない。一杯水付近から見たこの山は、左隣の雲取山が鈍い三角形の目立たない形をしているのに対してスカイラインの際だった台形の姿をしており、日原の谷という谷を見はらかすようにそっくりかえっている。あまりの立派さに初めはこれが雲取山だとさえ思ったくらいだ。
この山の頂は立ち枯れの木々と倒木の連続だった。眺めはないのに荒涼とした明るさがあたりを支配している。その中で腰を下ろして昼食を食べていると、背後で何かが近づく音がする。それも二度三度と続く。おそるおそる首を回してみると、鹿が一頭、雌の成獣らしいのがこちらを眺めている。こちらも山頂に食事に来たらしい。熊じゃなかったので安心して昼食を続けていたが、今度はさきほどと逆に音がしないのに気がつく。妙な圧迫感を背後に感じて、再び振り返ると、先ほどの鹿がやはり同じところで同じ姿勢でこちらを見ている。何度振り返ってもその鹿は動かない。気味が悪くなり立ち上がって向き直ると、こちらを眺めている鹿はその一頭だけではない。子鹿を含んであと四頭が半円を描くようにこちらを包囲し、黒目がちの大きな目で身動きせずに見つめている。
驚いて腰をかがめると、五頭とも一瞬のうちに身を翻して数メートル退いた。


芋ノ木ドッケから急激に下って、ちょっと登り返して長沢山。この前後はシラビソとかコメツガの多い、奥秩父のような森の中だ。そこからゆるやかな山道をアララギ山の肩まで下ると、東京都の水源巡視林道に出る。この道は稜線近くの山腹を巻くように付けられているので、東進すると常に左手が山になり、右手が谷になる。明るい自然林や暗い植林をくぐりつつ、歩きやすいものの単調な道が続く。何度もクモの糸にひっかかる。誰も歩いていないから、自分がまず最初に糸を切る。
長沢背稜にて
長沢背稜にて
途中にある酉谷山(とりたにやま)避難小屋で一夜を過ごす。明けた次の日の早朝に、小屋のすぐ上にある登山道を辿って酉谷山の山頂を往復する。意味もなく伐採された山頂は荒れた感じだった。そこに至る道はスズタケがかぶさるヤブ道だったそうだが、今では広く刈り払いされている。両側にはまったく視界のきかない森が沈んだ表情を朝靄の中に漂わせている。不自然に眺めのよい山頂より山らしい雰囲気で好ましい。下り道で立ち止まってかすかな葉のそよぎに耳をすます。
日が昇り、山道に斜めに光を差し込んでくる。今日は少し風がある。巡視道を歩いていくと、風に揺れるミズナラの木々が葉を擦り合わせ、さわさわと絶えることのない調べを降り注いでくる。歩くうちに光景はいつの間にか切り替わる、たとえば、ブナの若木が立ち枯れの枝を落とす道、下草のまるでない無音の植林帯の中。かと思うと右にも左にもカエデばかりが生えている一帯を通り抜ける。紅葉の時期はさぞ素晴らしいだろう。
朝早い一杯水には人はあまりいない。ここは酉谷山から続く稜線上にある天目山(てんもくさん)の肩に当たり、いくらか広く開けた場所で、やや古いもののしっかりとした避難小屋が建っている。雲取山から始めて、日原の谷を中心に半円を描くように山稜を歩いたことになる。小屋の前のベンチで昼食休憩していると、同席した50代くらいのご夫婦に、天目山は今来た道を引き返さなくてはならないことを教えられる。ここから往復一時間くらいだそうだ。一杯水に建つ避難小屋裏から天目山への道が続いているが、こちらはスズタケがかぶさるヤブ道でまだ暑い9月下旬では進む気が起こらない。かと言って前から気になっていた山頂を諦めるのも残念なので、今来た道を戻ることにする。途中から尾根道に入ってコブを一つ越えたところで着く天目山の山頂は樹林の一角が切れていて眺めはよさそうだったが、ガスが上がってきていて石尾根方面はあまりよく見えない。だがこれで気は晴れた。
天目山を往復して、ようやく山の中でゆとりを感じることができた。この三日間というもの、それまではひたすらまっすぐ進むという義務感にとらわれていたのだった。時間に追われて山道を歩くだけでは、日々の生活と変わるところはない。達成感を求めるだけでは、山の中に成果主義を持ち込んでいるだけになるだろう。やはり最後には遊びをいれなくては、もちろん安全の範囲内で。


下山路は昼になって人だかりのしている一杯水からヨコスズ尾根をとった。下り着いた東日原ではバスがまさに停留所を出るところだった。
1999/9/24-26

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