雌阿寒岳 雌阿寒岳山頂より大噴越しに阿寒湖と雄阿寒岳

雌阿寒岳に登ったのは最初の北海道旅行をした学生の時で、1981年の秋のことだった。このころは山に登るにしてもとにかく身軽に、と思ってカメラしか持って行かず、水や食料さえ持たなかった。登りが二時間弱で、秋で気候が安定していたからよかったものの、今から思えば無茶をしていたと思う。さてこの雌阿寒岳だが、カメラは持って上がったものの替えのフィルムを持ってくるのを忘れて残り少ない装填済みフィルムをカウントしながら撮影したのだった。山から下っている最中にはローカットの靴の片方が山道での酷使に耐えかねて爪先から分解した。


前日泊まった阿寒湖畔の宿から朝のうちにバスと徒歩で野中温泉ユースホステルに移動して荷を置き、裏山にあたる雌阿寒岳に登りに行くとヘルパーの方に告げると、「ちょっと待って下さい、熊が出ないかどうか聞いてきます」と言われる。熊はここのところいないそうだが、「念のためときどき声を出すとかして下さい」。
建物のすぐ横手から始まる登山道は下草があまりなく見通しはよかったと記憶しているが、それでも少し歩いては大声を出すということを繰り返しながら歩いていった。だんだんくたびれてきて声が出なくなってきたころ、樹林帯を抜けて見晴らしが良くなる。すると数十メートルばかり上の方に熊ならぬ体操着姿の中学生の男女が何人か立ち止まっていて、「そこの女の人〜」とこちら側に向かって呼びかけている。女性があとから登ってきているのだろうかと思いながらその生徒たちのそばに行くと、一緒にいた先生らしき人が生徒に向かって「こら、男の人じゃないか」。確かに髪は長く伸ばしていたし、今と違ってかなり痩せていたから間違えられても仕方がなかったかもしれない。「男の人ですよ」と挨拶して通り過ぎる。どうも先行する本隊から遅れた子供たちの一団だったらしい。
山頂は火山地形そのもので、大小の火口が複雑に入り組み、麓から仰ぎ見た優しげな姿からは想像できない壮絶な状態だ。あちらからもこちらからも噴煙が立ち上り、火口湖の赤沼と青沼の静けさが不気味に感じられる。大噴と呼ばれる大火口の彼方には阿寒湖を従えて雄阿寒岳が聳えているのが間近に見え、気分は雄大。真っ黒な姿の阿寒富士が登りに来いと誘っているが、登路は火山礫に覆われていて3歩進んで2歩下がるような状況らしいので深入りは避けてこのまま下山することにする。一クラスほどの人数の中学生があちこちでお弁当を広げているのを眺めながら往路を戻った。


ユースホステルに戻ったあと、分解した靴の爪先に靴ひもか何かを巻き付けてオンネトーを見に行った。雌阿寒岳、阿寒富士を並べて映す小さな湖は、摩周湖よりも阿寒湖よりも真っ青な水の色をしていた。周囲を紅葉に彩られた小さな湖は北海道三大秘湖の一つと言われていただけあって静かなものだったが、今では旅行業者のパンフレットにも必ず写真が載るようになり、あの静けさがどの程度保たれているのか心配に思う。
1981/9

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue