熊山熊山駅近くの登山口

熊山は岡山県南部では最も高い山だが、それでも五百メートルを少々抜くだけである。だが山自体はかなり大きい。山頂部には同じような高さのコブをいくつも並べているし、複雑に入り組んだ谷筋が山塊と呼べるこの山の全体像をさらにわかりにくくしている。五月の連休とはいえ観光客とは無縁の山陽本線熊山駅から南下するように歩き出し、山頂部を巡って無人の赤穂線香登(かがと)駅に下った。山頂直下まで車道が通じているため山道は静かなもので、登り下りとも一時間半強の所要時間は高さの割に歩きでのあるものだった。


民家の建ち並ぶ駅前を直進して吉井川の堤防に突き当たり、これを左に行く。土手にはポピーにも似た花が揺れている。とちゅう、真っ黒な雌猫が玄関先で毛繕いをしているのを連れがめざとく見つけ、構ってやろうと声をかけるとその場で甘えたようにごろごろ転がる。見ればお腹がとても大きい、歩くとよたよたする。近くまで寄ってきてあいかわらずごろごろ転がるのだが、手を出そうとすると歯を剥いて怒る。気が立ってもいるようなので、しつこく遊ぶことはしないで立ち去った。
そっぽを向く”妊娠ねこ”
人なつこいねこ。よたよたと歩いてきては転がっていた。
駅から山村風情のなかを行くと、線路をくぐって道が上向きだしたところで手作りの竹杖が「お使い下さい」という看板とともに何本も積み重ねてある。熊山村の有志の方々が山頂にある神社への参詣者やハイカーの便宜を図って用意されたものらしい。一本取り出してみると握り部分にビニールテープが丁寧に巻かれ、なかなか具合が好さそうだ。だがこちらに下ってくるわけではなく、下山口にこの杖を返却する場所があるかどうかわからなかったので、せっかくの好意だが使用は見送らざるを得なかった。あとでわかったことだが、山頂近くの駐車場や香登近くの油山神社登山道入り口に返却場所があったので、使わせてもらってもよかったのだった。
山に入れば緑滴る森の中だった。神域なのか保護地域なのか、里近くだというのに植林がなく広葉樹のまだ明るい葉を透かして光が至るところに回っている。五月に入ったばかりだというのにカナカナセミの声が始終聞こえる。シダの匂いだろうか、土のとも違うのがあたりに漂う。昨日雨が降ったせいか、森の全てが潤っているかのようだ。かなり湿度が高く蒸し暑い。そのせいかもしれないが、山道のまんなかに木の枝から小枝に擬態した小さな幼虫が何匹も糸を吐いてぶら下がっていて、なんどもこれをひっかける。「今日は虫に好かれるね」と連れに冷やかされつつ緩急の変化がある道をたどる。


周囲が開けてきたのでもう頂上かと思えば、山頂近くまで延びている車道の脇だった。これを横切って再び山道に入り、細い道を上がっていくと、見晴らしの良い休憩舎がある。眼下には熊山駅周辺が見渡せ、左手を見上げれば山頂らしいのがある。もうすぐそこかな、と行ってみるとそうではない。何度も裏切られる山だねぇ、とは息が上がっている連れの弁。
細い道をくねくねと辿ったと思えば、広くて平坦なところを散歩気分で行ったりとするうちに、ようやく山頂が近いかと思われる高みに来た。だが、ふと左手下を見ると、水面の輝きが木の間隠れに見える。たまたまそちらに下る道形があったので踏み込んでみると、それは大きな人工の溜池なのだった。かなりの高さに予想できないほどの人工池をかかえる山。これだけでも熊山の奥深さがよくわかるというものだ。その池を後に見るようになると、ようやく前面に山頂部が見えてくる。あたりは輝くばかりの新緑に覆われた光景で、二人して「この高さでこの景色はなかなか見られない」としきりに感心する。
熊山山頂部
熊山山頂部
ふたたび車道を横切ると”二つの井”という浅い井戸がある。脇には柄杓の準備もされているが、流水ではないので口を付けるのは遠慮し、そのまま熊山神社を目指す。熊山山頂部にはほぼ同等な高さのコブが三つあり、そのうち真ん中のてっぺんに神社が建てられている。
熊山神社
「手水のつかいかた」 
きれいに保たれている熊山神社。
手水場にはかわいいイラストの看板も。
崩れかけた土塀に囲まれた神社はコンクリート製の不釣り合いなまでに大きな鳥居の奥に質素な本殿が鎮座している。まわりは明るく切り開かれていているものの展望はない。「熊山山頂」という標識が立っているわけでもないので、連れともどもどことなく肩すかしを食ったような気分になる(三角点ピークは実は東隣だった)。ここ熊山は山城でもあったらしく、境内には児島高徳旗揚げの岩、などというものも見られる。
神社前の階段を下り、杉の巨木を左右に眺めながら右手に参道を行けば、行く手に平坦な地形が見えてくる。そこはかつて寺院があった場所だということで、片隅の草むらに埋もれるようにしてある建物の礎石や五輪塔が聖域であったことをうかがわせる。だが何より目を惹くのは、広場の奥、杉の木々を背にして鎮座する熊山遺跡そのものだった。


熊山遺跡はたとえて言えば小型の階段ピラミッドである。方形の石組みが三段(基盤を入れれば四段)重なったものだ。熊山山塊にはこのような石組み遺跡が三十ヶ所以上発見されているらしいが、そのなかでも最大でかつ保存の最も良好なのが山頂部にあるこの遺構だそうである。このような構造物は日本でも唯一ここだけにしか見られず、今もって何のために造られたのかわからないという。寺にある「塔」のようなものだ、との説もあるそうだが、「仏舎利を納める塔なら一つで十分であって、三十以上は不要だろう」という指摘もあって頷ける。正確な建造時期は不明のようだが、奈良時代と目されているらしい。ともあれ、ここはあるがままにこの奇妙な構造物を眺めることにしよう。
熊山遺跡
熊山遺跡
上から三段目は一辺の長さが約八メートル。二段目の真ん中には壺か何かを納めるような穴が四方全てにある。最上段はすでに見上げる高さなので、てっぺんがどうなっているかは登ってみないとわからないのだが、穴があいていて壺が納められていたそうだ。敷地は国指定遺跡のため立入禁止になっているが、周囲を回ることはできる。裏側に回ると最下段へ天然の大岩がスロープのようにかかっているが、あまり目立たない。
積まれている石は小振りで薄手の平石のようなものだが、千年以上の歳月を経ても崩れずにいるのは見た目以上にしっかりと組まれているのだろう。平坦面には雑草が伸び始めており、放っておくと夏の最盛期には遺跡そのものが見えなくなるおそれがある。造られた当初はきっと草取りがされていたのに違いない。


麓から登れば一、二時間かかる山の上に、何の目的で労力をかけてこんなものを(しかも複数)造ったのだろう。「塔」説以外にも、墓ではないか、お経を納めたものではないか、戒壇ではないかなど諸説紛々だそうである。いずれにせよ推測の域を出ず、遺跡そのものは謎を提供する以外の機能を持っていない。
うち捨てられ、そもそもの目的さえ忘れ去られた施設。こういうものは究極の廃墟と呼んでいいと思える。だからか、間近に見て回るうちに徐々に落ち着かなくなってくる。神秘的な気分は十分堪能したので、広場から南手にある展望台に出て、テーブルもあるベンチに腰掛け岡山市街方面を見渡しながら昼食とした。下りは山頂直下の駐車場から油山神社参道を行くことにし、展望台からいったん遺跡のある広場に戻ったが、熊山遺跡には近寄らなかった。
2002/5/5

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