多気山の山頂付近から二股山を遠望する
日光表連山の手前、関東平野側に低い山並みを連ねる前日光の山々の中でも、笹目倉山、鶏鳴山、芳賀場山の三山は前々から山行を計画しながらなかなか実行しないでいた。ようやく実現させる気になった年の秋、鹿沼市に二泊して一挙に登るつもりで出かけたところ、体調やら天候やらの制約で実際に歩けるのは中日の一日だけになってしまった。このときは笹目倉山から鶏鳴山への縦走で二山の頂を踏んだものの、芳賀場山へは登らずじまいで終わった。
このまま放っておくとさらにまた何年ものあいだ登りに行かないことになりそうなので、ひと月おかずに一泊二日で登り損なった山を再訪することとした。二日かけるのでもう一山をと選んだのが、芳賀場山と同じく鹿沼駅前から登山口までのバスが出る二股山だった。
二股山も以前より気になっている山だった。その特異な姿のため、近隣の山から見えさえすればすぐ名を呼べる。先日、坂東札所巡りの大谷寺参拝ついでに多気山に登った際にも、稜線に出て見晴らしが開けた場所でまず目についたのが二股山だった。目の前に大きい古賀志山を古賀志山と認識するより先に指呼したものである。
コースタイムが短いことから、現地移動する初日に登ることとし、ルート選定では最新の分県ガイドにあたり、そこに記載のコースで歩くことにした。登路は岩の下バス停から辿る下久我コースである。このコース、じつは重大な問題があった。それに気づいたのは現地に行ってからだった。


宇都宮駅でJR日光線に乗り換えて鹿沼駅へ。駅前から出る古峰ヶ原行き始発バスに乗り、昼過ぎに到着した岩の下停留所は山里の光景が彼方に広がる川べりにあった。せせらぎの音を足元にして見送るバスの行き先には低い山並みが伸び、険しいところはなにもなさそうに見える。
停留所から少し戻ったところに登山口とガイドにある林道入り口がある。とくに案内も見当たらない点で少し不安な気がしたのだが、分岐する道筋がここしかないので踏み込んでいく。田園風景はすぐに林にさえぎられて消えるものの、傍らの沢の音は里が近いせいか穏やかに響く。植林でやや暗いものの、平坦で荒れたところのない林道が続き、今日は調子よく歩けそうだと思った矢先、林道を塞ぐように設けられた害獣除け網柵が見えてくる。なにやらいろいろ案内が貼ってある。そこに、これから辿ろうとする登山コースが廃道とされた旨の告知があった。なんだこれは。沢音が意識からひと時消えた。
廃道告知 廃道告知
その告知には廃道とされた年が書かれていた。廃道化はガイドが出た年よりも古かった。ガイド本文を参照してやってきた結果がこれとはどういうことだ、としばらくの間混乱していた。さて、どうしようか。先ほど降りたばかりのバスが戻ってくるのに乗ってどうにかできるだろうか…とか考えたが、例によって、行けることろ(=引き返せるとこと)まで行ってダメとわかったところで撤退、それで「今回の二股山」とすることとした。(後に気づいたが、ガイド頁の下部にこのルートが廃道になっている旨の記載--免責事項?--があった。本文を修正するべきではと思う。)


いまや山頂までのルートについては参考程度の意味しかなくなったガイドに記載の地図によると、林道はいま右手に見ている沢筋に並行して上がっていき、地図上の沢が消失した先まで伸びたところで終わり、右手(左岸の延長)の斜面に山道が始まるとある。しかし現在では沢の流れが消えるあたりで林道は左に分岐するものがあり、尾根筋を回り込んだ先からは伐採作業の音が響いてくる。直進するものを辿るのが従来ルートなのだろうが、新たな分岐ができているくらいだからガイドでいう林道終点が現在でもわかるのか心許ない。ともあれ、直進先では作業は行われていないようなのでさらに進んでみる。
確実に高度を上げていき、最初の分岐を見下ろすあたりでさらに分岐があり、そこで古い標識を見つけて一安心したものの、その先でまたいろいろ分岐する。右手に高まる尾根から離れないようにして高みを目指し、どうもここが林道終点なのではというところで右手の急傾斜に取り付いてみるが、山道の名残かと思ったのはただ浮石が溜まっていて植生が抑えられているだけらしく、先の展望もなければ足元も当然危うく、上りだした場所に退却する。
ようやく見つけた道標(左) ようやく見つけた道標(左)
そろそろこのあたりで撤退、下山かと思って見渡してみると、少し下がった場所から分岐した林道がどうやら自分のいる場所の左手を上がって高まっているように見える。ではとそちらに入ってさらに登っていくと、今まで歩いてきた谷間の源頭を回り込み、離れないようにしてきた尾根筋を乗り越そうというあたりで行き止まりとなった。現在の林道終点はここにあたるらしい。ガイド記載の地図とはもちろん、自宅で印刷して持ってきた国土地理院の地図とも違っていた。
進んできた林道左手はさほど無理なく尾根筋に登れそうな斜面だった。適当に上がっていくと、ようやく踏み固められた山道に乗った。尾根の下方から伸びてきており、かつては林道終点がだいぶ低いところにあったのだろう。過去に山道への入り口となっていた場所は今どうなっているのだろう。興味は沸いたものの、ここに至るまでだいぶ時間を使っていたため、確かめに下ってみようという気にはならなかった。


尾根筋は灌木が繁茂することもなく楽に歩ける。進むべき方向が確固としているのがじつに気楽だ。なおのこと安心なのは、林道歩きでは古いのが一つだけしか目に入らなかった標識が頻繁に出てくることだった。その標識だが、山麓への表示が“下久我P“とある。”P”とはなんだろう。きっと林道入口付近に駐車場めいたものがあったのだろう。
平坦と思える稜線に出ると、そこには標識があって南麓の「加園」への下山ルートを示している。登ってきた下久我ルートの尾根は北西に向かうものだが、稜線からこの北西への進路はロープで塞がれ行き先の表示もない。おそらくこちらのルートで下る人はいないだろう。下るつもりで来た人はもしかしたら加園ルートに入り込み、アップダウンがあると聞く行程に「いつ下りつくんだ」と消耗してしまうかもしれない。
ところどころ岩が出ている稜線を踏んでいく。植林の脇に伐り残された広葉樹の葉は色づきだし、季節が秋であることを思い出させる。左行けば北峰、右行けば最高点である南峰という案内が立つ分岐に着き、右手に進んで眼前に聳え立つ岩場を目にすれば二峰のあいだのキレットはすぐそこだ。遠くから眺めるのとは異なり、キレットの底から見上げる南峰は急傾斜の岩場が切り立ち、その間を縫うルートは「これを行くのか」と思わせる。二股山は、その二股にそびえる部分が丸いヒレのように並んでいて鈍重なものを感じさせていたのだが、現地に来てみると鈍重どころではない。侮り難し二股山。
鞍部にて。奥が南峰。 鞍部にて。奥が南峰。
ロープや木の幹を掴みながら登り上げた南峰の山頂は、灌木があって開けた場所とは言い難いが、それでも鹿沼市街地の展望が得られる場所だった。すでに午後も遅く、山頂には誰もいない。腰を下ろして湯を沸かし、コーヒーを淹れた。カップを手に立ち上がり、鹿沼市街とは反対側の展望を確認しに行く。こちらも枝葉が邪魔して広い展望は得られないが、日光の表連山が居並ぶのは明瞭にわかった。その左、彼方に左右広く山体を広げるのは何だろうか。南関東や山梨の山々に比べると北関東での山座同定は通い慣れていないので難しい。持参した25万図にあたると袈裟丸山ではと思えたが、遠望する山影があまりに平坦で、前袈裟と後袈裟らしきピークはあんなに離れていたっけかとか、自信をもって山名を呼べないのだった。
南峰(最高点)から下沢城跡方面を見下ろす 南峰(最高点)から下沢城跡方面を見下ろす
登った南峰の急傾斜を慎重に下り、改めて鞍部から北峰に取り付く。出だしこそ楽だったのが徐々に傾斜がきつくなり、南峰ほどではないにしろ足だけでは登れないものとなる。なかなかお気楽な低山歩きとはいかない今日の山だ。飛び出した先には祠があり、ここまでの無事を感謝して手を合わせる。鹿沼側が開けた展望の脇には、まるでこちらを伺うかのように南峰が急峻な姿で峙っている。秋の彩に染まり始めて穏やかそうな見た目だが、その実は厳しいところがある。それは本日よくわかった。
北峰から望む南峰 北峰から望む南峰
下山は東麓の下沢方面に下る。登りは迷いながらとはいえ林道で足元が楽だったからか、下りの山道は長く感じた。東に延びる尾根筋は下り一辺倒というわけではなく、途中で下沢城跡の高まりにわずかながら登り返す。本来であればゆっくり山城の跡を見て回りたいところなのだが、急速に傾く日の光に足元がだいぶ怪しくなってきているので長居ができない。歩みを止めることなくさらに下ると林道に飛び出した。当初予定ではもう少し余裕をもって安全圏に戻れたはずだったのだが、登りの林道でところどころ立ち往生したのが影響して、コースタイムが3時間未満とされているところ、バス停まであと20分を残してすでに4時間半かかってしまっていたのだった。


山間の林道を抜け、大芦川沿いの里に出るころにはもう日が沈んでいた。山が見えなくなる前にもう一度と振り返ってみても、前山が邪魔して下山時に仰ぎ見られた山頂部が目に入らない。バスも走る幹線道路まで出て、ようやく予想外に苦労させられた山のシルエットを眺めることができた。空には残照が残るばかり、もはや山裾と里の区別もつかない。闇に溶け込んでいく稜線に最後の挨拶を送ってバス停に向かった。
2023/11/4

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