中瀬沼の彼方に磐梯山裏磐梯から磐梯山
2015年の夏は、長引く風邪のため、どこの山にも行けないでいた。夏休みとして予定していた期間は単なる自宅療養になり、宿やら交通機関やらの予約はすべてキャンセルして秋以降の山行に意識を切り替えて過ごしていた。そこでたまたまネットで見かけたのが、お馴染みではあるが最後に出かけて年月の経つ磐梯山の写真だった。荒々しいカルデラ壁の上、天に向かって二本の牙を突き立てる姿は相変わらず心躍らせる。よし9月下旬の連休は磐梯山だ。初訪時の八方台からではなくて裏磐梯から登ろう。名の通り銅色の銅沼から、荒涼たる噴火跡を見上げるのが今から楽しみだ。


裏磐梯登山口は小振りのスキー場だった。早朝の広い駐車場から見上げれば、カルデラ壁はいまだ冥く、磐梯山本峰のみが朝日に輝く頭を見せている。だが頭上は雲一つ無い青空で、山すべてに日の回るのは時間の問題だ。登り出せば早々に彫りの深い姿を見せてくれるだろう。
スキー場斜面に付けられた整備車両の轍に沿って上がっていく。多少上がったところで左手に表示板があり、「噴火口」への分岐を示している。行き先は爆裂カルデラの底だろう。ゲレンデ上端に達して、見晴らしのよいところに出て来し方を振り返ると、裏磐梯高原は雲海の下で、その上に吾妻山群ばかりが伸びやかな姿を並べている。朝の早いエンジン音が雲海の下から聞こえてくる。観光客は本日は曇りだろうかと懸念しているかもしれないが、朝食を食べ終わる頃には秋晴れの空を見上げているに違いない。
雲海の上の西大巓と西吾妻山 雲海の上の西大巓と西吾妻山
ゲレンデが終わった先には大型の説明板が立っていて、磐梯山の岩雪崩について説明している。磐梯山周辺自治体が構成した磐梯山ジオパーク協議会というものが設置したもので、裏磐梯高原を発生させた小磐梯崩壊後も、1938年と1954年に斜面崩壊が起こったとある。これから間近に見上げに行こうとしているものは見た目通り安定したものではないらしい。なお、1954年の崩壊で流れ下った土砂がスキー場に適した地形を生成したそうだ。意外と新しくできたところを歩いてきたわけである。
スキー場内の幅広の径から山道となり、とりどりに枝を伸ばした木々のあいだを抜けていく。右手に名も知れない小さな池を見送り、今回とくに目にしたかった銅沼(あかぬま)の畔に着く。水際に出てみると、見事に赤茶けた大岩を前景に、静かな水面の彼方、凄絶な爆裂カルデラ壁が広く高く見上げられる。
銅沼とカルデラ壁 銅沼とカルデラ壁
重なり合う赤茶けた地層の壁を見渡しながら、この景色をもたらした1888年の小磐梯崩壊を改めて考える。マグマがせり上がってきて地下水と接触し、水蒸気爆発で起こったとのことだが、マグマに由来する物質は検出されていないという。一般的にこの事象は噴火と言われているものの、火は噴いていないので、噴火というよりは水蒸気爆発による山体崩壊と言ったほうが現象面からはしっくりくる。のちにセントへレンズ山でも見られることになった山体崩壊に至る現象は、「磐梯式」と名付けられたくらいで、当時の世界では知られていなかったらしい。
荒涼とした光景に気を取られてなかなか気づかなかったが、銅沼の向こう岸では白煙が上がっている。水蒸気なのか火山性のガスなのか不明だが、これを見ると磐梯山が活火山なのだということがよくわかる。後で知ったが、この銅沼のあたり(上空に当たるところか地下なのかは知らないが)が水蒸気爆発の起こった場所の一つだったという。
銅沼を後にして登高を再開する。しばらくは平坦に近い道のりなのはカルデラ底だからだろうか。水音も愉しい小さな沢沿いに行くようになると、階段道も出てくる。急な登りの気を紛らわすため周囲の林間を窺うと、右手の奥に青い屋根の建物が窺えた。中ノ湯跡らしい。館主逝去による廃業で建物は廃墟になっているらしいが、遠望する分にはまだ使えそうに見えた。


銅沼から半時も登ると八方台からの登山道に合流し、いまのいままで誰にも会わなかったのが、突如として賑やかになる。八方台コースとしては登りだしてまだ30分くらいしか経っていないので、とくに子供が元気だ。つられて前後を歩く大人たちも、家族でなくてもペースが速くなっている。このコースは山頂までの最短コースだが、傾斜がないわけではなく、山道も広く歩きやすいというわけでもない。だからかなりの数が早々に息切れして休憩に入る。それにしてもまだ朝の8時前だというのにこの出足は驚くべきものだ。朝食はどうしたのだろう。
カルデラ壁の縁を行くが、低木に遮られて眺めはさほどよくない。それでも時折開ける裏磐梯の眺めは足を止めるに十分な闊達さだ。朝のうちの雲海はすっかり消え、見えていなかった檜原湖以下の湖沼群が見下ろされる。出発地のスキー場駐車場も、縁の赤い銅沼も眼下遙かにある。そして何より遠くの山々が大きい。目の前の吾妻山、左手に飯豊山塊。あいだの奥に霞むのは朝日連峰だろう。本日はまさに山登り日和だ。
弘法清水前で見上げる本峰 弘法清水前で見上げる本峰
梢隠れに磐梯本峰が見上げられるようになってくると弘法清水に着く。広く開けた小平地に休憩小屋が二軒建ち、裏磐梯高原が隅々まで眺められる。たいがいの人はここで休憩するようで、自分もそうした。じつは持参の昼食が昨日お土産屋で買ったずんだ餅しかないので、小屋に入ってカロリーを補給できそうな飲料を買い求めた。ドライフルーツも売っていたので併せて買った。
さてここから山頂までは一本道、磐梯山の全登山ルートが集約されてしまう区間である。急で曲がりくねって登りにくいところ、木々の中に付けられたコースを登って行く。初訪時は、弘法清水からすぐだろうと思って登りだして、ちょっと長いな、と思った記憶がある。今回も同じように思ったのは、裏磐梯からの長めのコースを登ってきて疲れていたからだろう。傾斜が緩み、明るい先が見えてくると、岩だらけの山頂の一角に出た。そのままとにかく高みを目指し、巨大なケルンのように積み上がった岩の前に出て、やっと最高点に着いた。
弘法清水前から櫛ヶ峰、吾妻山塊、安達太良山塊(奥)
弘法清水前から櫛ヶ峰、吾妻山塊、安達太良山塊(奥)。光るのは秋元湖。
山頂から裏磐梯高原を俯瞰する
山頂から裏磐梯高原を俯瞰する。檜原湖の右下に出発点のスキー場駐車場。高い山は西大巓、西吾妻山
 
山頂にはそこここに人がいた。さすが人気の山、しかも本日は連休中日、加えて好天、これなら人の多さもしかたない。だが猪苗代側の平地が、すべて雲海に覆われているのは予想外だった。天鏡湖とも呼ばれる猪苗代湖がまったく見えない。これは少々がっかりだった。「これはこれで見応えあるね」という声も周囲から聞こえてきて、そう思うしかないと納得するしかなかった。
とはいえ雲海ばかり見ていても面白くなく、今回の山行は裏磐梯がテーマなので、登路途中の岩場脇に腰を下ろして来し方を見渡す。正面の吾妻山、左手すぐにある雄国沼カルデラ、彼方の飯豊山塊、朝日連峰を改めて見渡す。右手近くには安達太良山も全貌を現している。かつて安達太良主峰から鉄山、箕輪山と縦走し、浄土平を経て酸ヶ平から西吾妻まで歩いたが、ここから見るとなかなか長い。よく歩いたものだとかつての自分に感心する。
山頂から一段下がった猫の額ほどの平地には、弘法清水前にもあった岡部小屋の山頂版が建っていて、土産物を売っている。看板が出ていて、左手下に続く踏み跡の先の岩場から見る斜面がよく紅葉しているとある。それは有意義な情報だと足を伸ばしてみると、たしかに見事な紅葉が広がっていた。この山の秋の色づきは文字通り始まったばかりのようだ。これから駆け下っていくのだろう。
秋晴れの空の下を下る 秋晴れの空の下を下る
山頂から下る。登ってくる人々を先に通すので、登りと同じくらいの時間をかけて弘法清水に戻る。片隅の岩に腰掛け、湯を湧かしてコーヒーを淹れ、ずんだ餅とドライフルーツとで昼食とした。先ほど立ち寄ったときよりさらに人が多い。10時半だが、これからさらに増えるのだろう。食事しているあいだにも人影は増す一方で、八方台コースを戻るとなるとすれ違いにストレスが溜まりそうだ。なにより賑やかすぎる。当初予定では往路を戻ることにしていたのを変更し、目の前に立ち上がる櫛ヶ峰との鞍部まで下って、猪苗代コースに別れ、川上コースというものに入って途中から爆裂カルデラ底を横切り、裏磐梯コースに合流して車を置いた登山口に戻ることにした。


色づいた低木の合間を縫う登山道を下って平坦な部分に出ると、そこにも清水が湧いている。黄金清水というそうで、美味い水だ。ここは爆裂カルデラ壁の上端で、正面には見慣れた裏磐梯の眺めが広がる。振り返れば沼の平と呼ばれる古い火口跡の穏やかな地形が見渡せ、見上げれば磐梯山本峰の東側断崖が険悪だ。この山は小振りの独立峰のわりにはかなり複雑な形をしている。単純に、成層火山ができあがったのちに崩壊した、というだけではなかった。
櫛ヶ峰が近づいてくると、登山道は沼の平へと向かう猪苗代コースの下の径と、カルデラ壁を伝う川上コースの上の径とにわかれる。弘法清水からここまででもほどよく静かだったが、川上コースに入るとめっきり人影が減る。コース自体がだいぶ長い上に途中が波線表示されているからだろう。山頂部は木々に覆われていて、弘法清水と山頂以外は眺めがないが、弘法清水から櫛ヶ峰鞍部までは草地帯で、とにかく眺めがよい。猪苗代コースを分けたのちは、左手にはカルデラ壁そのものも見えてきて、山の中にあって山そのものも眺められる。もしまた登るのであれば、直接この稜線まで登って、湯を湧かして休憩し、山頂を割愛して下っても十分満足できるにちがいない。
カルデラ壁上端から本峰を見上げる カルデラ壁上端から本峰を見上げる
川上登山口まで4.5kmとある標識を過ぎると、本格的な下りが始まる。砂礫のジグザグ道は見た目ほど難しくないが、樹林帯に入るとまっすぐ下る急なものになり、滑りやすそうで神経を使う。U字型に曲げられた太い金属枠が延々と山道の両脇に立っており、これを手すりにして下っていく。ダケカンバが7本、密集して伸びているところで急降下は終わる。急降下は半時もないが、実際以上に長く感じた。
この先はカルデラ底を行くものとなる。森が途切れて岩ばかりとなった部分を横切るところでは、向こう側に茂る木々のなかに赤テープがあり、そこに入らないと道に迷う可能性がある。それ以外は踏み跡も明瞭で心配ない。カルデラ壁が高々とそびえ、岩礫斜面のそこここにまばらに木々が立つ光景は、そうめったに見られるものではない。多様な表情を見せてくれる磐梯山はそのものが火山博物館といってよい山の一つだと思う。だからこそジオパークとして成り立つのだろう。
カルデラの底 カルデラの底
樹林帯のなかの小高い高みを超えると、銅沼よりやや下の地点で裏磐梯コースに合流する。スキー場のスロープの脇で、登りで「噴火口」の標識を見た場所だ。イタリア系のように見える陽気そうな外国人が一人、檜原湖を背負って登ってきた。正面を指さし、バンダイサン?と聞いてくる。そう、まっすぐ、という意味のことを答えると、アリガトウゴザイマスと言ってにこやかに登って行った。
2015/9/21

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