左から根子岳,高岳阿蘇山

小学校三年生のとき、日本地理に関する今でいうムックの販売を学校の門の前で行っていた。いったい何が気に入ったのか、おそらく見本誌のビジュアルが気に入ったのだろうが、帰宅した私は親にねだってシリーズもののそのムックを定期購読させてもらった。

今では出版社名も忘れてしまったが、カラー写真をふんだんに使い、自然・人文地理を網羅した内容で、その地方の昔話も掲載するなど民俗的な記述もあった。そのムックの第一回配本には、火山地形の説明が図入りで書かれていて、「(火)山はみな同じものではない」とわかった私はいっぺんで惹きつけられた。

記憶は定かでないが、おそらくその第一回配本の中に、阿蘇山中岳火口のカラー全ページ空中写真があったのだろう。これには驚いた。「こんな火山風景があるのか」。掲載された号は忘れたが、写真そのものは今でも覚えている。世界最大のカルデラという記述にもナショナリズム的に気分が高揚しさえした。ぜひ阿蘇山に行ってみたい、とそのときから思い始めた。


長じて一人で遠出が出来るようになり、最初に行く国内旅行としては九州か北海道かで迷ったものだが、まずは見たいものの地域的密集度で勝る九州に行くことにした。初春の3月、九州上陸後10日ほどして、ようやく予定の阿蘇山カルデラの中に入った。さすが世界最大だ、これが全部火口原か。これだけのものが陥没したのか。
だがこのとき中岳はかなり噴火していて近辺立入禁止であり、「せめて高岳に登る」という計画も実現性はかなり怪しかった。それでも明日は高岳に登ろう、と思っていたら、翌日は雨、しかも自分自身も発熱して連泊している宿で寝込んでしまう始末。若かったせいか、翌日熱はひいたが雨は降り続き、結局阿蘇登山は諦めたのだった。


それから年月はだいぶ過ぎて1998年の五月、久住山や祖母山などを登るついでに今度こそは、と行った九州で、高岳に登る予定の五月三日、久住山からバスで下ってきた宮地駅でタクシーに乗ろうとすると、高岳に向かう仙酔峡道路は渋滞だということで乗車拒否されてしまう。この日は祖母山近くの宿に行かなくてはならなかったので、泣く泣く再び阿蘇を諦める。宮地駅のホームから正面の高岳を見上げながら、九州に来て渋滞で山登りを諦めさせられるとは、と自嘲してしまう。これでまた、阿蘇山の山歩きが遠くなってしまった。

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