『贋The schizophrenic princessの闘病日誌(4)』

 昭和十年頃の携帶電話は『マイテレホン』と呼ばれてゐた!!

 電話機の中に乾電池(自轉車用乾電池でもよろしい)が入つてゐますから、二個の電話機の間を電線で繋ぎ、スヰッチを乾電池の方へ下せばよろしい。それから釦を押して呼出しの信號をし、受話器を耳に當てて相手と通話します。

 なほ、このマイテレホンには、家の中で三箇所以上取り附けた場合、切替機によつて、必要の部屋の電話機が呼び出せる設備や交換臺によつて交換のできる設備などがあります。

 また、逓信局の認可を要しませんが、ただ逓信省の本電話と連結はできませんし、隣家と繋ぐ場合、往来を距てるときは、逓信局の認可を要します。

無斷轉載:昭和十年一月一日發行
主婦之友新年號附録『奥様百科實典』
これも大古本市で300圓位で購入

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 『マイテレホン』の仕組みが皆目分からない。

 乾電池付き自轉車とはつまりオートバイの前身、あるいは最近販賣されてゐる充電式自轉車のことかも。いずれにしてもこの時代、家に電話があること自體お金持ちで、といふことは『主婦之友』の購讀對象は<上流階級>の<奥様>だったことが窺へる。この時代<奥様>と呼ばれる女性は一握りの層にしかゐなかつた。今ぢや結婚さへしてゐれば貧富關係なしに<奥様>だ。

<上流階級>には憧憬するけど<奥様>には何にも感じない。
 奥さん、奥さま。奥多摩湖へは行つたことがない。

 

 駒場の日本近代文學館の脇にある舊前田藩の『和館』で疉廊下に座つて庭を眺めてゐると、自然に涙がこぼれる。妙に懐かしくなつて、わたし、このまま<おばかさん>でゐていいのかしら、と思ひ反省して悲しくなる。それから本家ほんもとの洋館に入ると<お孃様>になり、パラソルをさして歩きたい芝生を二階のバルコニーから眺め下ろし、わたしはやっぱり<おひめさま>でゐるのがふさはしい、と思つて、ほつとする。

 わたしは、占ひによると<前世:從軍看護婦>だつたらしいんだけど、ほんたうはなにものだつたのだらう、と駒場に行くとしみじみ考へる。そして、現世、わたしは、一体なにものなんだらう。

 皆目分からない。

 けれど、戰ふ男がすきだわ。

 言葉であれ、頭腦であれ肉體であれ、刃物を振りかざす男がすきだと思ふ。

 でも、わたしのことは斬らないでね、と思ふ。

 だつて、わたしは<從軍看護婦>だつたんだから。

            


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