鯰ではなくて癜

 

[ナマズ(癜)]
 皮膚病のひとつ。皮膚に褐色または灰白色のまだらが生じるもの。糸状菌の寄生によるものださうです。


「處女(しょじょ)の誇りを傷くる勿れ」

【何故に處女は貴いか】

 結婚前の婦人に何が最も貴いかと云へば、貞操堅固で純潔無垢であることだ。貞操の貴いことは結婚後も同一で、婦人一生を通じて大切である。(中略)

 婦人は男子と性の交りを為すことに依つて、肉體の血液に多少の變化を來すとさへ云はれてゐる。是れ迄純眞純潔のものが濁される譯である。結婚前の婦人が『私は處女である』と云ふことは如何にも立派で心強く俯仰天地に愧(はぢ)ないであらう。是は何よりも自分を慰め且精神的に勇者たることが出來る。由來人間は心に少しも疚(やま)しいことが無い程愉快なるものはない。之に反して自分の行つたことが、若し萬一發覺しては大變だと云ふが如き、弱點を持つてゐては生涯の惱みの種である。何時しか良心の苛責に逢ふであらう。故に良心の苛責に逢ふが如き弱點を持たぬ様、處女時代から堅い決心覺悟が何より肝要である。

「若き婦人は何故に誘惑に羅り易いか」

【誘惑を拒絶出來ぬ最大原因】

 婦人が男子の誘惑に對して斷然拒絶することの出來ないのは、貞操觀念の薄弱にも因るが、主として意志が弱いからである。斷れば幾らでも斷はれるものを、服從するのは主我的でなく、全く己れを沒して先方の蹂躙に任す樣なものである。婦人は固(も)と感情が強くて意志が弱いのは普通の缺點であるが、併(しか)し自己一身の運命にも關係する大切な貞操問題は、他の事柄と違つて、極力之を保つだけの強き意志を持たねばならぬ。意志さへ強ければ何でもないことである。

【十二分の用心堅固を祈る】

 自由戀愛とか戀愛神聖とか云ふ名の下に隱れて不品行を働くのは宜しくない。是は婦人のみを責むるのではなく男子も亦同樣である。純潔なる戀愛の精神は勿論認むるが、倫理道徳を破壊し風俗を紊亂(びんらん)する不純の戀愛は避けねばならぬ。婦人解放と云ふ意味を我儘勝手と履き違へて、若し不品行も敢て構はぬと思つたら大間違ひである。婦人の人格を認め婦人の權利を尊重し、誤れる束縛より解放することは宜しいが、家庭の秩序や夫婦間の倫理的關係を無視してはならぬ。婦人は殊に男子と異り、生理的に受胎する特別事情のあることを忘れてはならぬ。

『婦人と修養』(増田義一著)

   昭和三年三月十六日初版印刷
昭和十一年四月五日十七版
定價壱圓五拾錢
(株式會社)實業之日本社

   當然、毎度毎度の無斷轉載です。


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