多値論理学 (many-valued Logic)
命題とは、アリストテレスの定義によれば、「真と偽を語ることが出来る文」である。
この真または偽という二つの値のどちらかを必ずとるという前提を、二値原理(principle of bivalence)という。
しかし、例えば「私は来年の正月は自宅で過ごす」という命題は、現在においては、真でも偽でもない。不定である。
(もしこの命題が真であるか偽であるか既に定まっているのなら、自由意志を否定する運命論に道を開く可能性がある。)
こうして、「真(true)」と「偽(false)」だけでなく、さらに「不定(undefined)」という、三つの値をとる、三値論理を考えることが出来る。
さらには、これを一般化して、{ 0, 1/n, 2/n, …, n-1/n, 1 } というn個の値をとるn値論理や無限値論理を考えることが出来る。
ウカシェヴィッツ(Lukasiewicz)の体系
v(…) は、括弧内の式の値を定める付値関数
min(…) は小さいほうの値を、max(…) は大きいほうの値をとる。
v(A),は、0から1までの間の値をとる。(0≦v(A)≦1, 0≦v(B)≦1)
v(¬A)=1-v(A)
v(A∧B)=min[ v(A), v(B) ]
v(A∨B)=max[ v(A), v(B) ]
v(A⊃B)=1 v(A)≦v(B)のとき
=1-(v(A)-v(B)) v(A)>v(B)のとき
(これを一行にまとめると
v(A⊃B)=min[ 1, 1-v(A)+v(B) ])
これによって、
三値論理の真理表を作ると、次のようになる。
A | ¬A |
1 | 0 |
1/2 | 1/2 |
0 | 1 |
A∧B
A\B | 1 | 1/2 | 0 |
1 | 1 | 1/2 | 0 |
1/2 | 1/2 | 1/2 | 0 |
0 | 0 | 0 | 0 |
A∨B
A\B | 1 | 1/2 | 0 |
1 | 1 | 1 | 1 |
1/2 | 1 | 1/2 | 1/2 |
0 | 1 | 1/2 | 0 |
A⊃B
A\B | 1 | 1/2 | 0 |
1 | 1 | 1/2 | 0 |
1/2 | 1 | 1 | 1/2 |
0 | 1 | 1 | 1 |
注 ウカシェヴィッツは、条件の中央部(AとBがともに1/2)の値を1としたが、ここを1/2とする三値論理も考えられる。
AもBも不定(1/2)であるとき、A⊃Bの値が不定(1/2)でなく真(1)であるといのは、素朴に考えると、不自然ではないだろうか。
クリーニ(Kleene)の三値論理では、この値を1/2(undetermined)とする。
しかし、そうすると、下の同一律(A⊃A)もトートロジーではなくなるし、全ての文字に1/2を入れてみれば分かるように、
ウカシェヴィッツの二値論理の公理系における三つの公理もトートロジーではなくなる。つまりトートロジーが存在しなくなる。
二値論理でトートロジーであった式が、三値論理でもトートロジーであるとは限らない。
例えば、排中律(A∨¬A)は
v(A∨¬A)=max[ v(A), v(¬A) ]
=max[ v(A), 1-v(A) ]
であるから、v(A)=1/2 のとき
v(A∨¬A)=1/2
となり、トートロジーではない。
A | A∨¬A |
1 | 1 |
1/2 | 1/2 |
0 | 1 |
一方、同一律(A⊃A)は、下のように真理表を作ってみると、三値論理でもトートロジーであることが分かる。
(真理表を作らなくても、v(B)≦v(A)のときv(A⊃B)=1という定義に従って、v(A⊃A)=1であることは分かる。)
A | A⊃A |
1 | 1 |
1/2 | 1 |
0 | 1 |
問1
二値論理でトートロジーである式が、三値論理でも妥当であるか、確かめよ。
1 A⊃(B⊃A)
2 ¬(A∧B)⊃(¬A∨¬B)
3 (A⊃B)⊃(¬B⊃¬A)
連鎖推理のパラドックス
ベッキーは五歳の子供である。いま、「ベッキーは n 秒後に子供である」という命題を「Bn」とすると、
0秒後、すなわち今の時点でベッキーは子供だから、B0
また、ベッキーは1秒後(n 秒後)に子供であるなら、2秒後(n+1 秒後)にも子供であるから、B1⊃B2
この二式に、MP(AとA⊃BからBを得ることができる)を適用すれば、B2 が得られる。
この推理を、473040000回ほど繰り返すと、、「ベッキーは30年後に子供である」という命題が得られる。
しかし、ベッキーは35歳にもなって、子供であるはずがない。
(この例は、プリースト『論理学』より引用)
ファジー論理
「ある命題は真であるか偽であるかのどちらかである」という古典論理の前提(二値原理)は、
「ベッキーは子供である」という命題に関しても成り立つ。
5歳のベッキー、6歳のベッキー、7歳のベッキー等々に関しては、その命題は真だろう。
しかし「子供である」という述語(=「子供」という集合)は、幅のある概念であり、
どこからどこまでが子供かという明確な線引きが出来ない。
こうした境界線がボケている集合を、ファジー集合という。
そして、そうしたファジーな述語を扱う論理を、ファジー論理という。
「17歳のベッキーは子供である」という命題は真でもなく偽でもないかもしれない―という多値論理の考え方は、
したがって、ファジー論理への道を開いているのである。
(続く)