妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第七十四話:傷心の彷徨
 
 
 
 
 
「リツコ、お前シンジちゃんにカードを二枚渡したのかい?」
「一枚は制限入ってたのよ。タイプを変えるの忘れてたわ。でも一枚はもう名義を換えてあるはずだけど…どうかしたの?」
「この間の降魔戦で、魔道省の人間が一人殉死したんだよ。殺人にも見えたが、シンジちゃんが降魔の大将にやられたと断定したらしい。次の日位に確か、男の妻が魔道省に来ていた筈さ」
「シンジ君に関係あるの」
「無いことは言わないよ。確か名前は宮村とか言ったが、香典代わりに五千万、ぽんとシンジちゃんが渡したんだ。あれはあんたのカードからかい」
 母の言葉を聞いた途端、リツコの表情が動いた。無論、リツコのカードは制限無しだが、そんな金額が動いたとの報告は来ていない。
 それに、フユノから出た金額なら、わざわざ母が告げもすまい。
「やっぱりあんたじゃなかったのかい。だとすると−」
 他にバックが居る、しかもシンジが大口にそっちを選んだと言うのは、唯一を自負するリツコにとって、もっとも聞きたくない台詞だが、
「シンジちゃんもすこしは大人になったようだね。カードを無くさないなんて、成長したじゃないの」
「…え?」
「その顔は、あたしが他の誰かの存在を言おうとしたって顔だね。安心おし、シンジちゃんにカードを押しつけるような身の程知らずも、シンジちゃんがあっそうと受け取るのも、あんたの他にはいないさね」
「母さん…」
 褒められてるのかけなされてるのか、よく分からない台詞にリツコの顔が微妙に歪んだ。
 
 
 
 
 
 シンジは何故か少しの間動かなかったが、やがてその手が伸びて、すみれの肩に回った。
 傍目には恋人同士の、抱きしめられる乙女の図に見える。
 だが、
「平気か、とのそれが損得なら別段要らない」
 想いの欠片もない声に、すみれの肩が一瞬びくりと揺れた。
 肩に伸びた手はそのままで、
「神崎すみれという女が、碇シンジと言う男をどう見てるのかは知らない。でもこれだけは言っておく、俺は背中を押すことはしても手を引くことは絶対にしない。おやつのメニューか晩の献立ならいざ知らず−すみれ、進む道を家族でも恋人でもない男に委ねるものではない」
 次の瞬間、きっとすみれの顔が上がった。
「わたくしの…わたくしの事などどうでもいいとおっしゃるのっ」
 すみれにしても、この時点で無論シンジと付き合っているわけではなく、シンジの言うような恋人に対する気持ちで言ったのではない。ただすみれが残るなら手出しはさせない、そう言い切ってくれたシンジだからこそ、まだ揺れている気持ちからつい甘えた言葉を口にしてしまったのだ。本来ならば他人に、それも男になどこんな事は間違っても口にしなかったであろうに。
「わたくしの事−想いとは、甘えに似せた気の迷いか?」
 空を切って飛来した手を、シンジは何故か除けようとはしなかった。
 だがそれは、結局シンジの頬に痛打を浴びせることはなく、その手前で力無く失速した。
「そう…ですわよね。碇さんにとっては、わたくし達などただの住人に過ぎないのですものね…」
 わたくし、と言う単体ではなく達を付けたのは、せめてもの意地であったろうか。この時点ですみれには、幾つもの不幸が重なっていた。
 まず一つは、シンジとの差があまりにもありすぎた事。
 これが大本なのだが、この差が大した事無い、或いはすみれの方が上であれば決して内面など見せず、また神崎忠義もシンジを排しようとはしなかったであろう。単に便利な駒として使役しようとした筈である。
 そして二つ目は、シンジが初でもなかった事にある。無論、自分の利点を知って女を手玉に取る男ではない。だがまだ日が浅いとは言え、すみれが生まれた時点で既に母体が出来ていた神崎重工は、令嬢としての何不自由ない生活は出来たが、そこで接するのは普通より経済的に恵まれていてもごく普通の人間である。一方シンジはと言うと、生まれは文字通り世界に名だたる富豪ながら、金銭にはまったくと言っていいほど興味がなく、その代わり知己の人材はすみれなど遙か足元にも及ばない。
 神、或いは悪魔と提携したとも囁かれるドクトルシビウであり、或いは神話の中にその勇名を確乎として残す妖狼フェンリルであり、更には戸山町で夜の一族を束ねる夜香と妹麗香と来れば、帝都を脅かす降魔すらも、あまりにちっぽけに見える存在ばかりである。おまけに、実力で比すればシンジは決して彼らに劣らぬ物を持っている。
 いずれも悽愴なほどの自己を確立しており、そして彼らとの親交厚いシンジである事は、やはりすみれに取っては不幸であったと言わざる得ない。これが普通の青年できていれば、また反応も違ったものになっていた可能性は高いのだが。
「すみれ、俺はまだそこまで自惚れてはいないつもりだよ」
「……」
 シンジの言葉がどう伝わったのか、いやにその言葉も耳に入ってはいないのだろう、きゅっと唇を噛んで俯いたすみれに、シンジは黙って立ち上がった。
 音を立てずに扉を閉めた後、
「俺が今以て進路を指示できるのは…ここの住人ではレニ一人しかいない。いや…或いはそれさえも、傲慢かも知れないな」
 小さく洩らしたのは、無論すみれに告げはしなかったが答えの真意であったろう。実際の所、住人の誰もがシンジの顔を知っているわけではないと、シンジは思っている。
 降魔相手の実戦すら殆ど体験のない乙女達が、指一本で人間の身体に風穴を空け、薙いだ腕の動きだけでその半身を別れさせるシンジを見た時、今と変わらぬ接し方をするとはシンジも思っていなかった。
 その点では、まだ劇場の三人娘達の方がシンジに近いと言える。言う事を聞かないお客さんは排除、そう言った娘達のそれが未だ見ぬ相手への物ではないことを、シンジは既に感じ取っていたのだ。
 ひたひたと廊下を歩いて部屋に戻ると、ちょうど抱き付く対象の不在を知ったものか二人の手が動いている所であった。かさかさと真ん中へ器用に潜り込むと、乳を捜し当てた子猫のようにぎゅっとしがみついてくる。
 いつもぬいぐるみと寝ているアイリスはいいとして、レニにそんな相手はいない筈とシンジが横を向いた時、僅かながら視線が鋭くなった。
 そこに…レニの頬に涙の筋を見たのである。
「……」
 何事か呟いたシンジと、レニの影が一瞬重なってすぐにまた離れた。その光景は無論開いた窓から見える月だけが眺めている−。
 
 
 
 
 
「おおよその見当は付いた。完成まではそう遠くはない」
 シビウが見下ろした視線の先には、全身をふやけさせた死体が数体転がっている。
 元々、移植用の肉体など常に不足している街ではあるが、死体の用途はそれだけではない。研究の実験対象に、動物愛護団体からクレームが付く生き物より、こっちの方がはるかに便利かつ反応がいい場合も多く、警察では『受け入れたくない』死体の場合、次々とこの病院の地下に運ばれてくる。
 明確な場所はシビウしか知らぬと言われる地下のプールには、それこそ数え切れぬ程の死体が浮遊、或いは沈下しているのだが、シビウが持ってきたのはその中の数体であった。
 だが見当が付いた、とは何を指しているのだろうか。
「あの子がいれば−もっと楽になっていたものを」
 カルテに目を通しながら、珍しい台詞をシビウは口にした。対象がシンジならいざ知らず、それ以外の者にドクトルシビウの名を冠する女医がこだわるとは。
 あの子、それが誰を指すのかはすぐ明らかになった。世にも美しい手が伸びて、伏せてあった写真立てを手に取ったのだ。
 そこにはこれまた珍妙な光景−ゆったりとケープの下で脚を組んだシビウは、その膝上に少女を乗せていたのだ。患者が好き−シンジに次いで−と言い切るシビウではあるが、少女とは言え一患者が、その膝を占拠するなどあり得ない。自らの超能力を持て余す少女が、おにいちゃんと慕う青年とは違うのだ。
 だがそれよりも、その少女の愛らしく、そして何と美しい事か。
 碧眼に金髪、それはアイリスと変わらない。そして、年頃もまたさして変わるまい。
 しかしながら、紫色のややぴったりとしたワンピースに身を包んだその少女に、劇団随一の愛らしさを誇るアイリスも、美しさでは到底敵うまい。
 幼さから来るものなのか、僅かに硬質の色を残しながらも、身体を流れるラインもわずかにふくらみを持った胸も、見る者すべてがその将来のヴィジョンを描けるような肢体であり、青さもそして乳の匂いもそこには寸分も感じられない。或いはそう、写真の中だけ時が止まっている、そう聞けば十人中十人が納得するに違いない。
 情景を見れば驚天動地に近いとは言え、ある程度シビウの表情に想像は付く。そう、こちらを向いた表情は微笑していたのだ。そして、その少女もまた。
 しかしながら、シビウと言う女医がカメラに向かって、そう簡単に笑みを見せるものだろうか。まして、膝の上に少女などと言う格好で。そう考えれば、こっちでシャッターを覗き込んでいるカメラマンも、自ずと想像できようと言うものだ。何しろ、その辺の者がファインダーを覗こうものなら、創られし者にあらざる美貌に打たれ、シャッターを押しているつもりでふたを開けるボタンを押しかねない。いい写真が撮れましたと頷いた時には、フィルムはすべて昇天していると言う寸法だ。
 ただ、被写体の美貌に何とか打たれずに済んだなら、ある事に気付くかも知れない。
 すなわち、少女の表情がどこか硬い事に。そして、笑みと呼ぶにはその表情が幾分ぎこちない事にも。
 シビウが無理強いしたのではなく、レンズの向こうの人物に怯えている訳でもない。
 ただ…彼女は笑みを作る事は出来なかったのだ。
 人ではなく、人の形を取って創られた人形であるが故に。
 その娘を創ったのはシビウではない。この病院には、シンジでさえも知らぬシビウだけの場所があるが、もう何年も前にその場所の一つで、シビウに看取られて眠るように息を引き取った老魔道士の最高傑作である。
 シビウ様、そう呼ぶことをシビウは許さなかった。
「ご主人様、その意で呼ぶべき人はもうこの世にはいない」
 目を閉じた顔に白布を掛けながらシビウは言った。
「ゆえに、私を主人と呼んではならない。私は、家来を増やすためにあなたを引き受けたのではなくてよ」
「では−なんとお呼びすれば」
 ごく普通の少女特有の、幾分甲高い声で少女は訊いた。彼女の造り主は、大切な事を忘れなかったと言える。すなわち、感情を持たせることを。
「そうね−」
 シビウの紅い唇がある単語を紡いだとき、少女は恭しく一礼した。
「分かりましたシビウさ−」
 様、と思わず言いかけて口許をおさえた仕種に、妖艶な女医の口許に僅かな笑みが浮かんだ。
 その娘はいま海外にいるが、同行人が米田一基・マリアタチバナ、そして桐島カンナである事を、無論だがシンジは知らない。しかも、その中の一名の療法と知れば、降魔も管理人も地中千メートルに封印し、即日逃亡を図るに違いないことをシビウだけは知っている。
 
 
 
 
 
「…もにゃご…」
 奇妙な単語を呟いてから、シンジはゆっくりと目を開けた。起きてすぐ、両脇に柔らかい感触を知ったが、先ず呟いたのは、
「首、すっきりしない」
 であった。
 枕が変わった事で、しかも両脇に二人も娘がいた事で寝心地もあまり良くなかったようだ。
 すっと半身を起こしてから、まだすやすやと眠っている二人に視線を向けた。
 昨夜は裸で張り合おうとした二人だが、こうして見ると至極普通の少女であり、あどけない寝顔を見せている。
 と、何を思ったかシンジが身を屈め、二人の頬で小さな音がした。
「あまり寝坊しないでね」
 夢の国に居るであろう二人に囁くと、そのまま二人に触れぬようベッドから降りる。
「フェンリル、風呂行…いないじゃないか」
 妖狼がいつもの通り、そこにいると勘違いしたものらしく、仕方無しにタオルを肩に引っかけてそのまま出て行った。
 シンジが部屋から出て行ってすぐ、二人の目が同時に開いた。起きていた、と言う感じは無いが、シンジの口づけを待って寝たふりをしていた訳でもあるまい。
 起こされたのだ。
 シンジの口づけで。
 頬への、キスまで進化していないような口づけでも、娘二人をこっちの世界へ引き戻すには十分だったらしい。
「キス…してもらっちゃったね…」
「うん…」
 二人の視線が絡まったが、そこには部屋に入ってきた時のような物はなく、
「ねえレニ」
「何?」
「今はアイリスちっちゃいけど、アイリス負けないんだから」
「僕だって…今は僕の方が有利なんだから」
 確かに、フユノは最早一切の口出しはすまい。ただし、シンジがそれに縛されるかどうかは、また別問題だが。
「むう〜」
 一瞬頬をふくらませたものの、何がおかしいのかくすくすと笑い出した。
「…何がおかしいの」
「だって、おにいちゃんがここに来た時、みんな最初は嫌いって言ってたけど、アイリスだけは違ったよ。それに、おにいちゃんだってその事ちゃーんと覚えてたんだから」
 それは確かに、追い回され剣や炎をぶつけられれば、加わっていなかった方が印象は強いに違いないが。
「ふーん」
 しかしレニは別段反応もせず、何やら枕の辺りを探している。
「なにしてるの?」
「これがシンジの…」
 すう、と息を吸い込んでシンジの枕を抱きしめているレニであり、しかも、
「気持ちいい…」
 ちょっとイっちゃってる感もあるが、何か気持ちよさそうに枕に抱き付いているレニを見て、
「ア、アイリスもやるー」
「だめ」
 今度は枕の争奪戦に移行したが、そんなドタバタも部屋にカメラも盗聴器も付けていないシンジは、無論知らない。
 そのシンジが捕まったのは、ちょうど風呂から上がったばかりの時であった。
「碇さんっ」
 髪を拭きながら上がってきたシンジを待っていたのは、血相を変えたさくらであり、
「どしたの?」
「す、すみれさんがお部屋にいないんです」
「朝の散歩じゃないの?」
「そんな趣味はありません、それにどうして鞄がないんですかっ」
「家の方には?」
「それが何か…変な感じでよく分からないんです」
 さくらの言葉に、やっとシンジの髪を拭く手が止まった。
「幽閉された訳じゃ無さそうだな」
「え!?」
 シンジの言葉にさくらの表情が一瞬固まったが、
「原因、何か心当たりはありませんか?」
 後ろからの声に振り向くと、これも袴姿で霊刀を引っ提げているマユミがいた。
「どうしてすぐ人を犯人と決めつけて…多分俺かもしれないけど」
「…何ですって」
 昨日のことがあるから、マユミの表情はやや険しい。きれいな眉がすっと上がって何か言いかけたのを制して、
「さくら、すぐ全員起こして」
「はい?」
「詳しいことは後で話すが、今すみれが家のモンに捕まると自宅に幽閉される可能性がある。多分すみれは実家に帰ろうと出たんじゃ無いはずだ。だからその前に−」
 シンジが言いかけた時、女神館に置いてある電話が鳴った。
「あ、私出ます」
 さくらが取ったが、すぐ怪訝な顔でシンジを見た。
「女の方からで、碇シンジを出せって言ってますけど…」
 それを聞いた途端、シンジの表情が動いた。
 ややきびしい声で、
「どんな女だ」
「何か低いんですけど…眠そうな声です」
「そいつは−この間の降魔のボスに似ていないか?」
「『!?』」
 シンジの言葉に意味を悟り、さくらとマユミの顔が瞬時に硬直する。
「分かった、出る」
 さくらから受話器を受け取り、
「碇シンジだ−ミロクか」
「いきなり失礼ね、もっと優秀な女は他にもいてよ?」
 たっぷりと艶を含んだような声に、
「声をもう少し勉強しておくんだな。すみれは無事か」
「今のところはね」
 プライドが傷つけられたのか、がらりと声の口調が変わった。
「結構。一応訊いておく、お前の名前は」
「五行衆が一人、水狐よ。以後、お見知り置きを」
 弄ぶような口調にも、シンジの表情は変わらない。
「この間すみれとのデートを邪魔した挙げ句、のこのこと出てきた死にかけたデカブツを助けに来た奴だな」
「あら、覚えていてくれたの?うれしいわ」
「敵の総帥を前にしながら、瀕死の機体を担いで逃げるしか能のない優秀な女と記憶している。葵叉丹も、さぞ人材募集では苦労しているようだな。あまつさえ、すみれをさらって殺すことも出来ぬとは、奴も落ちぶれたものだ」
「貴様…」
 向こうで女がぎりりと歯を噛み鳴らした瞬間、
「お止し」
 向こうで何やら揉み合うような音がして、何かがぶつかり合う気配が伝わってきた。
 数十秒続いたそれが止むと、
「相変わらず女を怒らせるのは上手い男だね」
 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「余計なお世話だ。ああ、それから」
 思いだしたようにシンジが言った。
「すみれにかすり傷一つあれば、その分だけお前達の手足を落とす。それ以上の傷があれば、お前達の臓器で購ってもらおう」
 すみれがさらわれた事を知り、すでにさくらとマユミは血の気を喪っている。
 だが、それにしても何という自信であり、怖れの欠片もないシンジなのか。まるで、すみれには絶対傷を付けられぬと読んでいるかのような台詞に、思わず二人とも顔を見合わせた。
「くっくっく、相変わらず強気だねえ。もっとも、お前がおかしな事を口走るから、水狐がもう少しで腕をへし折ってしまう所だったよ。あたしがいなかったら、さてどうなっていたかねえ」
「で?」
「ふん、借りは二十倍にして返してもらうよ」
 妙に具体的な数字を挙げてから、
「この娘が無事な条件はお前が知っているはずだ。場所は新宿中央公園、愛しい娘達に別れを告げて早めに来るんだね」
 一方的に切られた電話を、シンジは静かに置いた。
「さて−どうしたものかな」
 呟いた時、
「シンジ、すみれが拉致されたって本当なのっ」
 振り向くと、もう全員が揃っており、飛び込んできたアスカが肩で息をしながら訊いた。ただし、レニとアイリスはいない。
「さらわれたらしいね」
「で…あんたに原因があるってのは?」
「事実を多少含んだ誹謗中傷だ−何が愛しい娘だ、まったく」
「…は?」
「いや、何でもない。さて、簡単に事実だけ伝えるからよく聞きナサイ。拉致されたのはすみれで拉致したのは降魔だが、そこには操られた祖父が絡んでる。昨日は言わなかったが、神崎忠義が降魔に拉致られてる」
「ちょ、ちょっと待って下さい碇さん」
「ん?」
「ど、どうしてすみれさんのお祖父さんが出てくるんですか?それに操られたって言うのは一体…」
「俺はここに来てから知ったが、神崎忠義は孫娘を甘やかしてきた。だからわざわざ食をここへ運ばせたりしてる。到底、集団生活を送らせる娘にする事じゃないな。だが状況が変わった。すみれが高熱を発した時、過保護な爺さんが派遣した医者が、全員一歩も入れずに跳ね返されてる」
「フェンリルさんにですか?」
「違う、俺の張った結界だ。それを知った過保護な爺さんが怒って、俺を取り除こうと計ったらしい。そこを降魔に付け込まれた」
「じゃ、じゃあすみれの召還って、シンジが気にくわないからなの?」
「そう言うこと」
 シンジは頷いて、
「もっとも、誰かさん達も碇シンジ追放って、決闘だとか言っていたし、気持ちは分かる?」 
「う、うるさいわね。あ、あんたも何時までもしつこいのよ。まったく男のくせに」
「男と女は対を為す。すなわち、女はしつこく何時までもウジウジしている生き物、とそう言うことだな」
「だっ、誰もそんな事は言ってな−」
「男のくせに、とはその意味だ。多分アスカしか該当しないからいいとして」
 ぶん、と飛んできた脚をひょいとかわし、
「えーと…赤?」
 スカートの中身を指したらしいが、一瞬で羅刹と化したアスカに、
「この非常時に止めなさい」
 スパン、と一撃入れて麻痺させてから、
「碇さん、一つ訊いておきますが」
「何?」
「私もすみれさんを知り尽くしているわけでは、勿論ありません。ですが、昨夜の様子だけでは出て行くようには見えませんでした。すみれさんが出て行ったのは碇さん、あなたとの間で何かあったからじゃないんですか」
「…だとしたらどうする」
 次の瞬間マユミの平手が、文字通り空気を裂いてシンジの頬を襲った。
 だがそれが当たらなかったのは、すみれのように自ら止めたのではなかった。マユミの手は宙で、奇妙な形のまま停止していたのである。
「おにいちゃんに手出しなんかさせないよ」
 その声が終わらぬ内に、マユミの身体は一気に持ち上げられていた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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