妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第七十五話:ぺちぺち−然る後に拉致
 
 
 
 
 
「で?」
「で、で分かるほどあたしはあんたを知らないし、理解したくもない。はっきりお言いよ」
「あの老人を操って、これからどうするのよ。あんたが惚れ込んでる敵の大将は、そんなに甘い男なわけ?」
「言葉に気を付けるんだね、あたしはあんたみたいに盲目じゃないだけよ。あんたがあの時いれば、とっとと尻尾を巻いて逃げ帰ってるよ」
「−何ですって」
「ほう、図星を突かれて逆ギレかい」
 葵叉丹が指摘した通り、やはりこの二人は仲が悪い。寵を争っているから当然と言えない事もないが、少なくともシンジと愉快な仲間達を相手にするなら、仲違いなどしていては命が幾つ合っても足りまいに。
 宙で火花が散るほど睨み合った二人だが、どちらからともなく視線を逸らした。
 さすがにここで喧嘩して失敗っては、葵叉丹に愛想を尽かされて共倒れになるかもしれないと思い直したのだ。
 水狐が幾分口調を緩めて、
「…それで、夜討ちでもしようって言うの」
「そんな甘い相手じゃないよ−ただし、碇シンジ限定だけどね」
「?」
「あたしが神崎忠義なら、碇シンジに単身立ち向かおうなんて事は、死んでも考えないよ。やるなら、あいつが手出ししない所を選んでからだね」
(…?)
 この時になって水狐にはようやく、碇シンジが怖いのかと言う考えが浮かびだしていた。
 考えてみれば、葵叉丹の性格からしてもさっさと攻め込んでいるはずだし、碇シンジが戻ってきていると聞いた時、確かに顔色を変えていた。エヴァ等という、ちゃちな物で自分達を阻もうと考えている小娘達は知っているが、葵叉丹も自分もそんな物は歯牙にも掛けていなかったのだ。
 だがそこへ一人の名前が加わっただけで、戦略に大幅な見直しが加えられたようにも見える。
「一つ訊いておくけど…」
「あ?」
 慎重に言葉を選びながら、
「碇シンジとか言うのは、確かにこの間金剛が一発でやられかけたのは私も見たわ。でも…そんなに恐れる必要があるの」
「一つ教えておいてやるよ。二度と言わないからよく聞きな−葵叉丹様の御腕を義手に変え、猪鹿蝶の三人を討ったのは碇シンジだ。そして…このあたしの胸も」
 低い声で告げた時、一瞬辺りに凄絶な程の憎悪が漂い、水狐が思わず身を引きかけたその時、
「ん?ミロク、あれを」
「どうし−あれは確か、神崎忠義の孫娘。実家に帰る気になったようだねえ。くっく、あの爺さんも少しは使えると見える」
「…そうかしら」
「何?」
「実家とは方角が違う。それに、かなり我が儘だと聞いているわ。あんな、とぼとぼと車も呼ばずに歩く性格ではない筈よ」
「どう言うことさ」
「あれは多分、自分を見失って歩く姿よ。ちょうどいい、伝書鳩代わりになってもらおうじゃないの」
「あんたにしてはいいこと言うね」
「一言余計よ」
 かなり犬猿の二人だが、この時だけは意見の一致を見せて、音もなく降下してすみれの背後に忍び寄り苦もなく拉致してのけた。
 お客様のお呼び出しを申し上げます、とシンジに連絡があったのは、それから数時間後だったが無論、玉はしっかりと押さえた上での事である。
 
 
 
 
 
 入口に姿を見せたのはアイリスとレニだったが、いずれも触れるべからざる気を孕んでおり、レニに至っては研ぎ澄まされた抜き身の刃そのものであった。
 揃ってここへ来た以上、何らかの条約的な物は結ばれたのに違いないが、マユミも時が悪かった。
 今日は平日だから全員学校であり、この二人が行ってからならおそらくシンジは避けなかったであろう。
 ただシンジの方はそんな状況を理解しているのかどうか、
「あ、アイリスもレニもおはよ」
 二人に向かって、笑顔を向けた。
「『お、おはよう…』」
「ん?」
 シンジと視線が合った瞬間、ぽっと二人が頬を染めたのにシンジは気付いた。
 だが何故?
 確かに、先程二人の寝顔に口づけなどしたシンジだが、その時点で二人からの反応はなく、すなわち二人とも知らない筈なのだ。
 それなのに、二人ともシンジの顔を見て頬を染めた。いくら二人でも、シンジの残り香を思いだした訳ではあるまい。
「おや、二人とも熱でもあるのかな〜?」
 口調は柔いが目は笑っていない。
 と、先にレニが気付いた。僅かな色で気付いたのは、やはり従妹の面目躍如と言えよう。
(アイリス、危ない)
(えっ?)
 レニがアイリスを引っ張ったまさにその瞬間、
「こら待てっ」
 シンジの長身が宙へ躍るのと、二人が手を繋いで姿を消すのとが同時であった。シンジの表情に野獣でも感じたのか、アイリスがレニごとテレポートしたらしい。
 でもって。
 当然ながらマユミは重力の法則に従って、勢いよく落下し始めた所を、
「あ、あぶないあぶない」
 シンジがひょいと受け止めた。
 無論、マユミは暴れる暇もなく、抱えられたまま床に降ろされた。
 マユミを床に立たせてから、ぺちぺちと頬に触れた。
「山岸、女神館の良心も目が曇ったか?」
「…勝手に人を両親にしないで下さい」
「発音と意味が違う。『Conscience』の方で『Parents』の方じゃない」
「発音が悪いからです」
 英語では無論まったく別の単語だが、日本語は発音が乱れてきている事もあって、結構似ているかも知れない。とは言え、日本語の発音が悪いとは日本人の名折れである。
「む、それはいかん。俺も、もう一度邪馬台国で発音を学び直さないといけないな」
 日本史上最初の女王卑弥呼が統治したと言われ、元祖女性は太陽であったとか何とか言われる原因の国だが、今なおその位置は判明していない。
 シンジがそんな所に行った事がある訳はなく、
「今すぐそうして下さい」
 マユミは当然ながら、まったく乗ろうとはしなかった。
 それにしても普段マユミは、シンジが良心と言った通り、他の娘達を抑える側に回っていて自分から暴発するなんて事はまずない。シンジのことにしたってそうである。
 そのマユミの暴走にたまりかねてアスカが、
「ちょ、ちょっとマユミ何でそんなに怒ってるのよ。すみれが居なくなったのとシンジと関係あるの?」
「碇さんが何を言ったかは知らないし、知りたくもないわ。でもね、お祖父さんにいきなり召還されて不安になっているすみれさんを、碇さんは放り出したのよ。すみれさんが実家に帰ったなら、降魔になんか拉致されるわけは無いでしょう」
(お祖父さんみたいに襲われる事もあるんじゃ…)
 そう思ったのはさくらだが、マユミの表情に口を出すのは止めた。
「碇さん、あなたに一々心配しろなんて言いません。でも、ろくな事が言えないならせめて黙っていてもらえませんかっ」
 言ってる内にまた激してきたらしいマユミだが、今度は何とか抑えた。
 はあ、とシンジは言ったきり反論も反応もしない。
 そのまましばらく沈黙が漂った後、
「ねえ…シンジ」
 アスカが何やら思い切ったように顔を上げた。
 が、
「な…ひててて」
「マユミが女神館(ここ)の良心ってどういう事よっ。じゃ、あたし達は何な訳ッ」
 ぎにゅー!と思い切り引っ張ってからぱっと放すと、シンジの頬がむにょんと戻って来た。
 それを確認してから手を離し、
「あんたがすみれにその…出ていけって言っ…!」
 だがアスカは続ける事は出来なかった。シンジの視線が、アスカを射抜いていたのである。
「一つ言っておく。単に降魔を倒す、と言うならここの誰もがはっきり言って足手まといだし、俺がフェンリルを連れて行けばそれで十分だ。でも、俺は白馬の王子様じゃないし正義の味方でもない。これは前に言った事だ。だから機体にしろ指揮にしろ、前線に出るのは好きに任せてある。でも、後援を惜しまないと言って手を引くことは決してしない。俺がするのは背を押すことだけ−それは、誰に対して同じだし、そしてもう一つ、わざわざ尻を蹴飛ばして放り出すほど、俺は物好きじゃない」
 視線がアスカを捉えたのも束の間で、今シンジの視界の中心には誰も入っていない。
「さくら」
「は、はいっ」
「真宮寺の血を引く者の贄−さくらを人柱には決してしない、いやさせないとそう言ったのを覚えてる?」
「え、ええ覚えてますけど…」
「普通ならば優しい騎士(ナイト)様の台詞だ。でも俺が見ているのは、そんな事じゃない。自分が無力だから他人の犠牲で助かる、そんなおぞましい生き方をするくらいなら喜んで玉砕する−俺はそう言うタイプの人間だ」
「……」
「それでもいいの?」
「…私には関係ないことです」
「ほほお」
「碇さんなら、降魔をお任せしても大丈夫ですし、でもちょっと危ない人ですから私達が代わりに出ます。その上で敗れても後ろは絶対大丈夫だし、私が人柱にならなくて済むなら、こんないい事はないじゃないですか」
 くす、とシンジの口許が緩むまでに数秒とかからなかった。
「さくらもいい女になったと、父上もその辺の陰で喜んでる筈だ。そうか、こんないい事はない、か」
 掛け値なしの、シンジにしては珍しい純粋な賞賛の言葉であった。これでさくらまでも、碇さん冷たいなどと単純に同調していれば、それこそシンジはここを出て行ったかもしれない。
 だがさくらの台詞は、シンジをほっとさせるには足る物であった。自我と他人の区別がつかなくなる時、すみれのように他人の後押しを求める心が出てくる。勿論、シンジから見れば文字通り年端もいかない娘達であり、アイリスもさくら達もシンジに取ってはさして違いはない。だから、無論その内に包んだ弱さも知っているし、殊にすみれのようなタイプはひとたび崩れれば後は脆い事を知っている。しかし今の弱さはこの先の戦いを考えれば…あまりにも弱い、弱すぎるのだ。
 強力無比な従魔を擁し、自らも底知れぬ力量を持つシンジだが、所詮は人間であって神ではない。降魔相手に必ず連戦連勝とは決まっておらず、あるいは不覚を取る事だって十分にあり得る−そう、かつて降魔対戦の折、真宮寺一馬が自らを人柱にせざるを得なかったのは、敵の強さもさることながら、政府に無知無能な者が揃っていたが故なのと同じように。
 それを考えれば、人為によってもたらされる可能性も否定は出来ず、その時には周囲の見えなくなった浅井久政みたいな爺さんが妄動した、位では済むまい。
 無論全部が伝わった訳ではないだろうが、さくらの中に確かなものを見いだしたシンジは内心でうっすらと笑った。
 だが問題は少しも片づいていない。
 ふっと軽く息を吐き出し、
「山岸」
 改めてマユミに向き直った。
「何ですか」
 硬い口調にさくらの意志は読めていないと知り、同時にこれはおそらく伝わるまいと踏んだ。
 さくらの心が通じたなら、こんな反応はするまい。
「山岸は優しい、それはよく分かった。で、すみれがいたらどうするの?」
「…すみれさんがいたら?」
「マユミさんわたくしの代わりに…感謝いたしますわって、言うと思う?きっかけはどうあれ、俺がすみれを縛って追い出したのでは無い以上、すみれが出たのは自分の意志だ。山岸が言うのは、そのまますみれを否定してるのも同じ事になるが」
「ち、違います私はっ…」
「私は?」
「わ、私はその…」
 シンジに言われて、やっとマユミも分かったらしい。
 シンジの思う所とは違うが、或いは今日が血の気が多くなる日でもあろうかと、仕方なく矛先の切断にかかったのだ。
 シンジの行動が冷たい物であったとしても、それの詮議はすみれが戻った上での事である。
 これが他の者ならいざ知らず、シンジの前以外ではプライドが全身を構築しているようなすみれに対し、ここでシンジを非難するのは、
 『だからすみれが出て行った』
 と言う事であり、それはそのまま、すみれが傷ついて出て行ってしまったと言う事を指している。
 神崎すみれの名を持つ娘が、いかなる事があればそれを良しとするだろうか。
 さすがのマユミも、そこまで言われて分からない娘ではなかった。
 もっとも、シンジの意は伝わっていないし、シンジもその事自体はもう諦めている。
 どうやらこればかりは、自分の見込み違いだったと切り替えたようだ。マユミなら或いは、と思ったのだがそうではない事が分かってしまった。
(でもさくらは…分かってたのかな)
 それも気にはなったが、取りあえず今はそれどころではない。
「俺が消えた時、さくらが切れたと聞いても嬉しくなかった、とこれだけ言えばもう分かるはずだ。すみれの事を考えれば、今すぐカリカリ来るところじゃないよ。それからアスカ」
「な、なによ」
「似たような性格ならもう少し分かるかと思ったけど、まあいいさ。でも、そんな事で動くほど、すみれは俺と深い仲でもあるまいよ」
「でもさ…」
「あ?」
「も、もし、もしよ、あんたの言う通りに弱いんだとしたら、尚更欲しいのは…違う言葉だったんじゃないの」
「どう言うこと?」
 答えは分かっていたが、わざわざシンジは訊いた。
「確かに…悔しいけど今のあたし達じゃ、全員束にしてもあんたには及ばない。でもそれは、あんたにだって分かってるじゃない。だったら…それなりの反応でも良かったんじゃないの」
 ふむ、と刹那考え込む気配を見せたが、
「アスカにとって碇シンジは恋人?彼氏?」
「ち、ち、違うわよっ。あんたなんか何とも思ってないわよっ」
「そう言うことだ」
 それだけ言ってさっさと身を翻したシンジに、
「は、はあ?」
 出て行く行かないは自分で決める事だが、加えてそれは進退を左右する事であり、今のシンジは自分が口を出す内容ではないとの意を含めたのだ。
 しかしこれは訳が分からず?マークを顔に貼り付けたアスカだが、
「あ、そうださくらちょっと」
 歩きかけてシンジは振り向いた。
「なんですか?」
「ガキンチョ共が騒いだら、帰ったら説教部屋だって言っといて。そしたら少しは大人しくなるはずだ」
 そう言って、今度はさくらの頬をぺちぺちと叩き、
「頼んだよ」
「わ、分かりましたって、何するんですか」
「いや、柔らかいな、と」
 一回目のぺちぺちで、感触が気に入ったらしい。
 さくらが忽ち赤くなり、
「い、い、碇さんっ」
「何です?」
 と、こっちは事態を把握した様子はない。
「あ、あの二人、さっき顔を赤くしてたようですけど…そうなった原因はご存じですね?」
 この時、既にシンジの脳裏はここではなく、秒の間で虜囚となっているすみれの元へと飛んでいた。大事な人質だから、間違っても傷つけはすまい。
 だが、すでに盲目となっている神崎忠義が何をするか分からぬと、少しばかりの焦燥もあったのだ。
 だから、
「いや、一緒に寝てた事か寝起きにちゅっと…あ、あれっ?」
 別に差別でも誹謗中傷でもないが、チキ、と音を立てた鯉口と、ボウと出来上がった火の玉にやっと我に返った。
「碇君てさ、知らない間に棺桶に入ってるタイプだよね」
 と、一人外から眺めていたレイが突っ込むのと、シンジの服が炎上しかかるのとが同時であった。
「あぢぢぢっ」
 慌てて消火した所へ、目の覚めるような横殴りの一撃が襲った。
「あんた、何時からロリコンになったのよっ!!」
「レ、レニはあんなに大きくなったのに…ずる、じゃなかった不潔ですっ」
 それが本音だな、と口にする間抜けは、少なくともこの場には一人もいなかった−墓穴をぐいっと掘った碇シンジを含めて。
「だ、だからあれは単なるスキンシップで…はぐっ」
 アスカとさくらに散々踏まれてから、
「あ、あの…そ、そろそろ行かないとすみれが危険な目に遭って…」
 床の上で伸びながら申し出ると、
「さっさと行けっ」
 げしっと蹴飛ばされ、同じ鬼退治でも桃太郎とは雲泥の差で出て行った。
 シンジが出て行った後、
「さくら、あなた碇さんが言いたい事分かってたの?」
 ぽんぽんと、刀の手入れを始めたさくらにマユミが訊いた。ここでの手入れは、シンジが帰ってきたらまた一撃加えてやろうと思ってるのかも知れない。
「何となく、なんだけど」
 さくらは頷いた。
「この間、あやめさんとかえでさんのせいで碇さんが行ってしまった後、碇さんは私が暴れた事を褒めたりはされなかったもの」
 思いだしたのか少し恥ずかしそうに、
「多分碇さんは…打つ手を考えておられるんだと思うの」
「それどう言うこと?」
 横から訊いたアスカに、
「この前の対降魔戦で、私達があまり使えないことは分かった。でも、だからと言って急激に詰め込めばいいと言うものでもない。だから、さしあたって補強すべきはどこなのか、そしてそれにはどうすればいいか、多分それを考えてるんじゃないかって」
「それとどう関係あるの?」
 今度はレイが訊いた。
「多分碇さんは、すみれさんに用済みのような事は言われてない。甘えちゃいけませんとか何とか、いつもの感じで言われたんだと思うけど、すみれさんはもう余裕がなかった。だから…」
「自分で自分を追いつめちゃったって事?」
「ええ、多分…」
 自信無さそうに頷いてから、
「でも、それは私達も一緒だと思うの。いえ、もしかしたらすみれさんよりも、そう言う所はもっと弱いかも知れない」
「あ、あたし別に弱くないわよ」
「でも、アスカもマユミも、碇さんの発想は読めなかったでしょう?読めなかったのはやはりそこまでは行ってないから−でも、私も決して強い訳じゃないけれど」
「ちょっと待ってよ。じゃ何、シンジはあたし達に教えてくれたって事?」
「それは深読みだと思うよ。多分、そこまでは考えてない」
「ふーん…って、何でそんな事が分かるのよ」
「碇君は別に、ボク達にお説教しようなんて事は思ってないよ。思ってるのはもっと単純な事だ。要するに強くなれって言う事じゃないの?もっとも、あんたらが弱み見せても知らないよ〜、位はあるかもしれないけどね」
「けどさ、もしも教えてやる、なんて思ってたとしたら、なーんか嫌なヤツじゃない。もう少し違うタイプかと思ったけどね」
 幾つか意見は出たが、この中ではレイが近く、しかし完全ではなかった。
 お説教しようなんて思ってない、そこは合ってるがその後はシンジの思考に入っていない。
「すみれがシンジに、最後の告白をしたのをシンジが振った」
 と言う、あらぬ妄想はされたくなかったのである。とは言え、すみれが出て行った原因はシンジとの会話だろうと、薄々は勘づかれていたし、ここで秘密主義を貫けばあらぬ方角に行くこともあり得る。噂などさして気にするタイプではないが、さすがにそんな視線を館内で向けられては管理に支障が出る。それに、すみれも戻ってきてから気まずかろうと読んだのだ。
 それを、住人達が勝手に誤解しただけである。
 もっとも、シンジもある意味気を回しすぎではあったが。
 各人があれこれ考え込んだそこへ、さくらの携帯が鳴った。
「はい真宮寺で…碇さん?ええ、はい、はい…分かりました、それじゃ」
 電話を切ってから、
「碇さんが、今日は平日だから全員学校に行きなさいって」
「あいつってさ…なんか、あたしたちの保父とか思ってるんじゃないの」
 恋人でも彼氏でもない、そう言うことだと言った奇妙な台詞を思いだし、やや不気味そうにアスカが言った。
「美少女好きのアブナイ保父って所?んー、言えてるかもね〜」
 けらけらと笑ってから、
「でもアスカも言ってたけど、アスカには恋人とか彼氏の関係はまったく縁が無さ…いっだー」
 にゅうと伸びた手が、ゴチンと一撃を与えてから、
「あんなのは、そのうちあたしの下僕にしてやるからいいのよっ」
 どう見ても下僕の方が数十倍上みたいだが、あくまで腰に手を当てて言い張るアスカに、マユミがくすっと笑った。
 マユミも納得した訳ではないが、先ずはすみれの奪還が先決と思い直しており、シンジをとっちめるのは帰ってきてからにしようと思っていたのだ。
 だがこれも自分の中に不安、すなわちシンジが帰ってくる事に対して何の不安も持っていない自分には気付いておらず、それはまた住人達も同様であった。
 
 
 くしゅっ、と一つくしゃみしてから、
「まーた、誰か誹謗中傷してるな。まったくもう」
 空を見上げて呟いた。そこは澄み切っており、シンジにくしゃみを促すような天候ではない。
「中央公園だったな、さて行くか」
 すっと飛翔しかけた時、
「久しぶりだねえ」
 妙に憎悪のこもった声がして振り向くと、伸びた首を弄んでいるミロクがいた。
「首の手入れは良いことだ。で、何しに来た?」
 相変わらず人を食ったような口調に、その眉がぴっと上がったが、
「可愛い子猫ちゃんを逃がすなんて駄目じゃあないか。あたし達がぼうっとしてると思ったのかい?」
 弄うような口調に、シンジは忠義がすみれを拉致したのではないと知った。
「神崎忠義はどうした?」
 静かな口調で訊いたシンジに、
「あれはもう用済みさ」
 一言だけ答え、
「さて、あんたには少し付き合ってもらおうか。暗い中でウジウジ過ごすのも嫌いじゃないだろ」
 すみれは手中にあると、自信たっぷりな言い方に少しシンジの眉が寄った。亜空間か何かに放り込まれてはいないかと、心配になったのだ。いくらシンジでも、そこからではフェンリル無しには取り返せない。
「すみれは無事か?」
「ピンピンしてるよ。さ、こっちだ」
 放って置いても付いてくる、と言わんばかりにさっさとミロクは歩き出した。
 やれやれ、と溜息をついたシンジだが、無論道はないからてくてくとその後を追って歩き出す。
「俺を拉致監禁か?」
「ご名答」
 即答に、その溜息は更に深くなった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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