妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十五話:愛情たっぷりのアブナイヒト達
 
 
 
 
 
 吊されて縛られたシンジが吹っ飛ばされた後。
「『ふんっだ』」
 吹っ飛んでいくシンジを見送ってから下手人共が振り返った途端、その身体が宙に浮き上がった。おまけに、そのままの体勢で固定されてしまったのである。
「おにいちゃんは行っちゃったよ」
 極点の氷雪みたいな声で告げたのは無論アイリスだ。
「おにいちゃんにあんな事しておまけに追い出して…ご飯はどうするの」
「ご、ご飯?」
 二人とも宙に浮いて固まっているが、この経験は久方ぶりである。アスカは少し前にシンジと一緒に吊られたが、さくらと揃ってなどはおそらく暴走以来の筈だ。
「おにいちゃんと一緒にパン食べようと思ったのに。アイリスの邪魔したでしょ」
 シンジに向けるような台詞だが、その口調はあまりにも差がありすぎる。シンジへのそれが甘えなら、こっちは極悪犯罪者に死刑宣告分を読み上げる口調になっている。
「だ、だからそれはその邪魔じゃなくて…あうっ」
 さくらが言いかけたら両腕がびしっと横に伸びた。抑制具を着けているにもかかわらず、以前よりも一層パワーアップしているのは間違いない。
「おにいちゃんて、悪い人たちやっつけるときには容赦ないんだよね。アイリスも見習わなくっちゃ」
 言ってる事は子供だが、この子供は怖い。
 しかも、その目には怒りとかそんなのじゃなくて、むしろ獲物を見つけた蛇みたいな光が浮かんでいるのだ。
 シンジと違ってアイリスの暴走に居合わせただけに、浮遊中の二人の背に寒い物が浮かんだ時、
「あのねアイリス、この二人も碇さんの事が嫌いでやった訳じゃ−」
「マユミ、アイリスの事子供ってゆったよね」
 小さな悪魔の視線はマユミにも向けられ、剣道娘二人と発火娘が一人、仲良く宙に浮遊と相成った。
 と、ふと何かに気付いたようにアイリスがぽんと手を打った。
「あっそうだ。さくら達をこのままにしておいたらおにいちゃんが怒るか、それで分かるよねえ」
 これにはさすがに三人とも青くなり、
「ア、アイリスあたし達も反省してるから…」「ね、お願いだから降ろして」
「やなこった」
「『へっ?』」
「おにいちゃんならそう言うよ、決まってるもん」
 えっへんと胸を張るアイリス、どうやらすっかりシンジに感化されたらしい。
 しかしそんな事よりも、取りあえずこの場を何とかしなければならないと、三人の脳が珍しい位高回転まで回りだしたが、目下この不機嫌な果実を何とかする手段も台詞も思いつかない。
 さてはこのまま立たされ坊主ならぬ浮かされ娘になるのかと思ったその時、
「まったくもう仕方ないなあ」
 やれやれとレイが溜息をついた。
「ちょっとレイあんた、のんびりしてないで助けなさいよっ」
「レイちゃん、一人だけ傍観は良くないと思うわ」
「おかしな事言ってると本当に暴力振るっちゃうぞ」
 めっとマユミを睨んでから、
「アイリス、ちょっとおいで」
「レイも邪魔するの」
 もう手が付けられない。
 が、怖い物知らずは便利だとはよく言ったもので。
 ぽかっ。
「い、いたっ」
 何を思ったかアイリスの頭にぽかっとかますと、
「ちょっとおいで、いいからおいで」
 無理矢理隅っこに引っ張っていくと何やら囁いた。 
 べしゃ。
 三人が揃って地面に落下したのはその四秒後の事である。
「あ、あいたた…」「いったーい…」
 お尻や背中をさすっている三人の視界に映ったのは、それはもう盆と正月とクリスマスと誕生日が一度に来たくらいウキウキと歩いていくアイリスの姿であった。
「な、なんなのよあれは…」
 アスカが呆然と呟き、
「レイちゃん、アイリスに何て言ったの?」
 これもやや唖然としてさくらが訊くと、
「あんたバカァ?アイリスがあっさり納得するって言ったら一つしかないじゃん」
 そのまんまアスカの真似をして腰に手を当てると、くっくと笑った。
 
 
 
 
 
 重なった唇は、吐息すら惜しむように互いを貪り合い。
 互いの躰に回された手は、それ自体が生き物のようにお互いをまさぐり合う。
 
 
 外見がうり二つ、おまけにカオルの方は中性より女の側に近いフェロモンが出ていると来てる。
(しまったー!!)
 無論表情はぴくりとも動かないが、シンジは内心で頭をかきむしっていた。
 話は少し前に遡る。
「私が渚カヲル、ここの一人娘です」
「僕は渚カオル、同じくここの一人息子さ」
「それはもう分かったから。だが男の方の情報は入っていなかったが」
「必要ないからさ」
 カオルはふっと笑った。
「それにアルビノは珍しいし好奇の対象になる。こんなのを二人も抱えていては両親はとても外部には−!?」
 カオルが思わず口を噤んだのは、シンジからふっと妙な気が立ち上ったような気がしたのだ。それも、とてつもなく危険な…むしろ鬼気に似たようなそれが。
「続けて」
 シンジが変わらぬ表情で促すとカオルは咳払いして、
「だから、両親にとってアルビノ×2など、世間には知られたくなかったのさ。だからカヲルの存在だけを公表して、公の場には二人のうちどちらかだけを伴った。見てのとおり、顔はうり二つだし身体の方だっていくらもごまかしようはあるからね」
「だが何故交互にした?」
「それも見栄よ」
 カヲルが引き取り、
「二人としての存在は知られたくないけれど駒−替え玉はいた方が便利でしょう?それに、二人とも場慣れしていないと替え玉としての役に立たなくなる。あなたが駒を使いこなす時はそうするで−!?」
 今度は気のせいではなかった。
 身動き一つせぬシンジの、それもつま先から迸った気に咄嗟にカオルは腕の中に妹を抱き込んで転がった。
 だが、反撃すべく身構えたが二撃目は来ない。
「『!?』」
 怪訝な表情の二人に、
「失礼した」
 シンジは静かに告げた。
「別に運動神経を試したくなった訳じゃないが、俺には見た目が異なる物を異物として扱う教育が身についていなくてね。少なくとも俺の親はそんな事は教えなかったし、親に教わらぬ事を勝手に覚えるほど器用でもないんだなこれが」
「…変わった人ね」
 うっすらと笑ってカヲルが立ち上がる。
「私達が二人で姿を現した時、珍奇な物を見る視線を向ける者はいても、あなたみたいな反応した人は初めてよ。もっとも、私達二人を見て生きて出た者は一人もいなかったけれどね」
「なんで?」
「ばらされる訳には行かないのよ。そして無論、言いません言いませんて口では言いながら、双眸に浮かぶ恐怖が宣伝を白状するような男も女もね」
「今までに何人消してきた?」
「まだ両手以内よ。もっとも、その辺の雑魚じゃないけれどね」
「そうそう」
 カオルは男だが、カヲルの首に回した腕は負けず劣らずぞくりとする妖しさを持っている。
(ん?)
 二人のその姿を見て、何かがシンジのアンテナに触れた。別にはっきりとした勘ではなかったが、かすかに感じ取ったのだ。
「俺の家来にも…じゃなかった住人にも、ろくな親を持ってるのは殆どいない。大抵子供を売り飛ばしたり幽閉したり、全身をばらしたくなるような連中ばかりだ。と言うわけでそれはもう慣れた。幸せの形は人それぞれ違うからな。ところでお二人さんは幸せか?」
「幸せ、とは言い切れない。だけど違う、ともまた言い切ることは出来ないな」
「どっちだ」
「そうね、少なくともお互いに体温を感じ合ってる時は幸せよ」
「抱き合って寝ると?」
「ノン」
 ちっちっとカヲルは首を振った。
「それだけじゃあ、足りないわね」
「そう、君は人生の半分を損している」
 こいつらは何を言い出すんだと思ったシンジの前で、カヲルが手を回し、カオルの首をそのまま引き寄せたのだ。
 生き写しみたいな、それでも男と女の顔がくっつくのをシンジは眺めていた。
 そしてその唇がぽってりと吸い付き合うのも。
 で、今に至る。
 既にディープキスに励んでいる二人だし、放っておけば間違いなくシックスナインまで行くとシンジが確信し、焦がすか溺れさせるか服を切り裂くか−いやいやそれでは欲情を煽るだけだからやっぱりここはこんがりだと決意した瞬間、二人の顔はあっさりと離れた。
「ごめんなさい、客人の前だという事を忘れていたわ」
「カヲルは僕と舌が絡むとすぐに濡れてくるからね」
「何よカオルだってもうこんなになってるくせに」
 互いの腰に手が回る二人を見て、シンジはふうと言った。溜息ではなく、言ったのである。
「仲がいいのはよっく分かったから、続きは寝室でやってくれる?」
「じゃ、私達はこれで−」
 二人がくるりと背を向けた時、シンジはそれが演技ではないと直感で悟っていた。つまり、その気になると周りが見えなくなるタイプだと。
 愚親の所行が先だろうが、これではまとめて紹介も出来ないと、シンジはちょっとだけ納得してしまった。そして、カヲルがこれなら縁談を進めてさっさと離したくなるのも分かるし、カヲルがいやだと地団駄踏むのもよく分かる。
 互いの腰に手を回したままの二人が、部屋から出ようとした時その前に巨大な火柱が立ち上った。
「悪いけど俺の話が終わってないの。さ、二人とも席に着いて」
 シンジの顔から笑みは消えていない。
 やっと我に返った二人が席に着くと、
「渚カヲル、親の縁談には反対と聞いたが」
「デブでアイドルオタク、なんでそんな人種と結婚しなきゃならないの?カオルの方がよほどいいわ」
 だからだよ、とは無論シンジは言わなかった。
 アイドルオタクとカヲルは言ったが、シンジから見れば近親相姦オタクとも言える二人であり、こっちの方がよっぽど危ない。
 人選間違えたかな、と刹那内心で首を傾げたが、
「で、別れたくない?」
 とカオルに訊いた。
「僕達は常に二人で一体なのさ。君もそうは思わないかい?」
「初めての相手に訊く質問でもあるまい」
 あっさりと切り捨てると、
「俺が来た用件は分かってるね。さてどうする?」
「何故私を?」
「何となく。勘かなあ」
「勘?大事な機体の整備を勘で任せるの」
 訊ねた辺りは、やはりシンジの事は調べてあったようだ。
「兄妹が恋人同士、それもある種のフィーリングだ。それとも、そこまで惹かれ合う理由を明確に説明できる?」
「…面白い事を言うのね」
 カヲルの表情が僅かに変わる。
「そう言えばさっきの火のお礼もしてなかったわね。私達の攻撃を勘でかわせるか、その力見せてもらうわ…よ?」
 その口が小さくだが開いたのは、その肩に置かれた手を見たからだ。
「人の恋はフィーリング、いい言葉だね。理屈がある恋だけじゃつまらない、そうは思わないかい?」
「カオル…」
「碇シンジ君、ここは妹を君に預けるとするよ。これでもその辺の娘よりは遙かに役立つし、君の迷惑にはならないはずだ。僕達の事を聞いて、違う意味で感情を見せてくれた初めての人なら、安心して妹を任せられるよ」
「別に嫁にもらう訳じゃないぞ。ま、いいや、それで縁談の件だが…」
「失礼だが破談にさせて頂いた」
「ん?」
 シンジには聞き覚えのある声だったが、姿を見せたのは二人の父渚兵部であった。黙って見据えたシンジの視界には、嫌悪の視線を隠さぬ二人を捉えている。
 だが兵部が歩けたのは一歩だけであった。
 次の瞬間その身体はぐらりとよろめき、そのまま前に倒れ込んだ。
 唖然とする二人だが、
「余計な事を」
 シンジは冷ややかな口調で言った。
「余計なお世話とは思いましたがな、仕上げが必要と思ったのですよ」
 悠然と入ってきたのは無論林原魁偉である。
「結婚の本質は両性の合意にある−実の娘が嫌がるそれよりも、碇さんにお預けるよう説いてみたのですが、自分の足元を拡大する事しか見えていない。やむなく、少し静かになっていただきました」
 やむなく、と言った割には、微塵も感じられない口調であった。
「帝都光菱の大長老にこんな顔があったとはね…」
 カオル達はまだ信じられない風情だったが、
「私が来なければ、お二人の父上は碇さんの前で平然と、利益優先の言葉を口にしている。私であれば昏倒で済むが、私相手でなければ今日が命日だ」
「それでも良かったのに」
 吐き捨てるように言ったカヲルに、
「それでは困る」
 魁偉は軽く首を振った。
「そうなった場合、お二人の肩には渚製薬が一気にのしかかってくる事になり、そうなると碇さんの計画に齟齬が生じる事になる」
「なるほど、あくまで企業の倫理優先って訳ね」
「だといーけどね」
「え?」
「で、この転がってる物体どうする気だ」
「改造しておきましょう」
 魁偉はこともなげに言った。
「幸い、私の知り合いに性格は大幅な調教が必要だが、脳内手術に関してはドクトルシビウに次ぐ者がいます。縁談の事は二度と口にせぬよう、根幹部分に細工しておきましょう」
「良かろう」
「あ、あの…」
「何か?」
「な、何故そこまで私達の為に…?」
「失礼ですが、お二人の為ではありません。他人を助けようとする時、そこにはそれを良とする自分との会議があることをご存じですかな」
「『え?』」
「人はつまるところ、自らの為にしか生きられないと言うことですよ。そして私の場合には−」
「このくらいしなきゃ、シン様相手にしてくれないんだもん」
 抑えようとしても抑えられない、そんな調子の声は魁偉の後ろから聞こえてきた。
「林原悠里…海外留学中じゃなかったの」
「何時の事よそれ、もう三ヶ月も前に帰ってきてるわ。情報網に穴が開いてるわよ。シン様とデートできるって聞いたんだけど、あなた達の父親がいるんじゃこれぐらいはしないとねってパパに言ったのよ」
「じゃあ、これはあなたが進言して−?」
「でなきゃ動く訳無いでしょ」
 知性と美貌、悠里を簡潔に表現するとそれが一番近いと言われるが、今の悠里を見る限り美貌は別としても、知性はやや浮かれに替わってるように見える。メンバーの交代だ。
「さってと、今度こそデートしてくれるでしょ?」
 目の前の光景を、対岸のたき火みたいに眺めていたシンジに妖艶な視線を向けて迫った。
「やだなあ…香水の匂いきつ…あれ?」
「好きな人に合わせるのは当然でしょ?香水なんかつけてないわ」
 悠里に抱き付かれてもがいているシンジを見ながら、
「碇君とは何時からのお知り合い?」
 カヲルが魁偉に聞いた。
「以前奥さんの除霊した時ばったりと会っちゃって、なんか知らないけど気に入られちゃったんだ」
 代わりに答えたシンジは、長い手足を巻き付けられてイカに補食された状態と化している。
「ふーん。まあ人の趣味はそれぞれだから別にいいわ。でもね」
「『悪いけど続きはベッドでやってくれる』」
「…はあ?」
 無論さっきのお返しだが、
「ベッドですって。さ、行きましょ行きましょ」
「くっつくなー!」
 シンジが手足をばたばたさせた時、
「む、う…」
 潰れたヒキガエルみたいな声がして、室内の視線が一斉にそっちを向いた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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